2011年3月31日木曜日

My mail to 'Cookie' (m past colleage)

'Cookie', one of my colleagues in the clinic in Topeka, gave me an email the other day, inquiring me about my state after the Tohoku-Kanto Earthquake hit Northern part of Japan. I haven't replied to her yet as I was preoccupied with something else. Now I'm writing one.

Cookie, three weeks after the earthquake, our family is getting somewhat settled down emotionally, mainly as the after quakes became less frequent and our impending feeling that "something worse might happen" is somewhat gone. (Tokyo, where we live, was not severely hit, as you might know.) We are now getting into the "Hanami" season (singing and drinking under cherry trees in full bloom) but many Japanese feel they are not really "entitled to enjoy" this event as you might imagine.
I sometimes think about you folks and the clinic ('Valeo' Mental Health - you haven't changed the name yet? Sounds still strange to me. ) Gee that Zabrowski-guy did so much on us. He changed the name of our clinic and is now gone to Las Vegas? But still I like him. I finally forgot the name of your past clinical director that I had so much trouble with. It is a good sign, isn't it?
I might have told you that I am now in a teaching position in a university setting (a graduate school for clinical psychology). I enjoy pretty much my students and also my patients as well as my colleagues who are pretty much nice to me. I feel that I became much more socially adaptive than in the past. (I think I was doing OK with you guys, correct?) How is Dr. Montano doing!! Let me know sometime later. 
Ken

2011年3月30日水曜日

雑感

震災からもうすぐ三週間。少しずつ日常生活は安定に近付いているのだろうか?余震はたしかに減っている。「明日はどうなるかわからない」という感覚はたしかに減っている。物不足はなんとなく不安感を誘っていたが、もうスーパーには牛乳が戻り、ガソリンスタンドにも車は列を作っていない。都内に住んでいるせいか、計画停電の影響は受けていない(申し訳ない)。相変わらず街の灯りは暗く、自宅での節電は続いているが、例の「後ろめたさ」のためか、むしろこのくらいなら喜んで我慢しよう、と思える。テレビに映る政治家も、防災服を脱いでいる姿が見られている。
例の外付けハードディスクの問題、一応修復は済んだ。これを読む人の中には、「本をPDFにするなんて、なんと酔狂な」と思う人が8割方ではないか?それについてひとこと。私には本がそのままの形でデータ化され、どこにでも持ち歩け、プリントアウトが出来、あっという間に複製できるということが、未だにマジックである。また私がPDF化するのは主として、重くて持ち歩くのが厄介な本、あるいは検索によりキーワードを拾うことが仕事にとって不可欠な書籍である。薄い本、新書本などは取り扱いが容易なためにPDF化はしていない。
PDF化することのマイナス点は、めくることが出来ないいこと、線が引けないことなどだろうか?いずれもプラス面に比べれば比較にならない。
電子化による恩恵をこうむっている私であるが、ビデオゲームには興味がない。というより十分にやった経験がないからだろうか?逆に小さい頃から電子機器に囲まれている子供はかわいそうに思う。遊びがことごとくバーチャル化することの危険は大きいのかも知れない。一日に何時間かは、パソコンやケータイを使わない時間を設けないと、リアルな世界での生活に不適応を起こす人間ばかりができてしまうのではないかと恐れる。最近のゲームはあまりに面白すぎる、それが問題なのだろう。「キャサリン」などのように、現実よりよほど「リアル」な体験が得られてしまう場合、人間は現実に生きることの意味さえ失いかねないからだ。私は子供時代をケータイやゲームとは無縁に過ごせたことに感謝する。じゃないと今以上に不適応になっていたかも知れない。

2011年3月29日火曜日

今日ヒヤッとしたこと

フロイト全集24巻を始め、これまでたまっている書籍をPDF化し始めてもうかれこれ半年。持っている本のかなりの量をスキャンし終えた。本棚はおそらく半分近くがからになっている。ところが今朝、とてもヒヤッとする出来事があった。これまでにスキャンし終えた量は約100ギガぐらいにはなっている。それを外付けハードディスクにためているわけであるが、それをなんと全部消去してしまう、という愚行をしてしまった!ウィンドウズでファイルを削除するとき、ゴミ箱に移したとしても、今度はゴミ箱自体をからにしない限りは、そこにファイルが残っているものである。だから私たちは「間違って捨てても拾ってくればいい」程度に考えてしまう。ところがそれはコンピューターの内蔵のディスクの話である。外付けハードディスクにたまったものを「すべて選択」にしてリサイクルビンのアイコンに移すと、そのまますっかり消えてしまい、どこをどう探しても跡形もなくなってしまう、ということを忘れていた。私は16ギガのUSB メモリーを空にするつもりだったが、私のマウスはその隣の外付けハードディスク(320ギガ)をしっかりクリックしていたわけだ。あれほど時間をかけてスキャンして蓄積した膨大な書籍のデータがほんの一瞬で消えてしまった・・・・・・。
さいわい仕事先のオフィスにもうひとつの外付けハードディスクを持っていて、そこにせっせとバックアップをしていたので事なきを得たが、こうやって失敗が起きるということをまざまざと体験した。(早速もうひとつ、今度は640ギガの外付けハードディスクを注文した。2重のバックアップを取るためである。)
コンピューターやインターネットの技術が進むと、ヘンなことばかり起きる。ほんのわずかな操作がとてつもない事件を生む。ワシントンの政治家たちを恐怖におののかせている例のウィキリークスの事件。一人の人間がコンピューターにある簡単な操作をするだけで、膨大な機密情報が発信され、国家の威信が吹っ飛び、機能が停止しかねないということが起きる。
原発の問題も、コンピューターとは直接関係はないとしても、技術の革新により得られた恩恵とは裏腹に、ほんのちょっとの誤操作がとてつもない悲劇を生むという例といえるだろう。
テクノロジーの発展に依存するということは、同時にセキュリティーを何重にもかけることの必要性を学ぶということか。

2011年3月27日日曜日

「巻頭言の書き直し」の続き(といってもなんとなくエッセイ)

今回の災害を通して感じるのは、人々の共感能力の違いである。
個人事で恐縮だが、家で被災者の映像をテレビで見ていても、家人(50代女性)の反応の仕方はかなり直接的である。津波に家が押し流される映像は、具体的な人の姿が出てこないせいか、それでも冷静に見ているが、肉親をなくした人の映像を見ると、彼女はすでに涙ぐんでいる。子供をなくした親の話などになると、とても人事としては見ていられないようだ。自分はチビ(愛犬の名前)さえいなければ、すぐにでもボランティアに行きたいとまで言い出す。そういう家人を見ると、テレビの映像をどこか遠くで起きたこととして眺めている(あるいはそれを見て涙を流すようなことなど決して起きないようにしている?)私とは明らかに違い、正直引け目を感じる。
日常の臨床でも患者さんたちの間の共感性の違いを感じる。発達障害系の人々の一部が示す無関心さも印象的である。東北地方の人々に対してどう思うか、という問いに、「別に・・・・」「私だって毎日停電で苦労している・・・」という返答しか聞かれなかったりする。他方では特にトラウマの既往のある人にとっては、津波の映像を見ることでさえ耐え難いという。あるPTSDの患者さんは、「あの家々に人が残っているのかと思うと、もうあの映像は見ていられません。」と語った。(ちなみにこの言葉は、津波の映像が繰り返し流されることの外傷性について考えていた私には重要なヒントとなった。映像に被害にあった人の姿が映っていなくてもも、それがどのような想像力を掻き立てるかによりいくらでも外傷的になるのである。)
といってももちろん、共感能力の高い人ほど被災者に対する同情や共感の念を表し・・・というほど単純なことを言おうとしているのではない。共感能力の高さはレジリエンスの高さをそのまま意味するわけでは決してない。発達障害においても、実は感覚の過剰さから身を守るために、感受性をオフにしている、という説もいまだにありうる。他人の痛みをあまりに強烈に体験しすぎ、いわば針が振り切れる状態になることを予測して、そこから心を別のところに移してしまう、つまり解離の機制を用いる人もいる。否、解離を用いなくても、針は振り切れるのだろう。私は東北の震災で死者、行方不明者が2万人を越えるだろうといわれても、その意味がつかめないでいる。身近な人が一人亡くなっただけで壊れかねない人の心が、死者二万人を想像することは実はできない。針は振り切ることでかえって感じなくしてくれる。さもなければ日常生活を続けることができないだろうからだ。

2011年3月26日土曜日

巻頭言の書きなおし

精●医●誌の巻頭言を早めに書き始めたために、書き直しが必要になった。準備が早過ぎるとこんなこともある。

この巻頭言を書いている現在、我が国はいまだ3月11日午後3時前の震災の生々しい傷跡を体験している。私の精神科の外来では、震災以来初めての再来となる患者さんと会う毎日であるが、互いの安否確認や震災当時の話に大半の時間が費やされる。
今回の震災を一市民として、そして臨床に携わるものとして体験して改めて考えさせられるのは、ストレスということの意味である。国の一部が深刻な震災に見舞われ、津波によりたくさんの人命が奪われた。そしてそれが様々な余波を引き起こした。原発の事故による電力不足が生じ、放射能汚染の不安が市民を襲っている。地震速報を聞き逃さないようにテレビをつけっぱなしにすることで不眠傾向が増す。常に揺れているような感じ、いわゆる「地震酔い」は私の患者の非常に多くを不安にしているとともに、私自身も常に揺れているかどうかをチェックしていることに気がつく。町を歩いていてもネオンが消えて暗い。地下鉄ではエレベーターが止まっている。JRには暖房が入らずに、電車内で寒さを体験する。そして物不足。さらには「後ろめたさ」。これらはストレスが様々な形を取ったものである。
実際に東北地方で震災や津波による直接のトラウマを味わってはいなくとも、おそらくほとんどの国民が多かれ少なかれ体験しているストレス。これらは決してひとまとまりになってトラウマとして襲ってくるのではないとしても、人々の生活から余裕をうばっていく。その結果として外出への不安は高まり、不眠は募り、未来に対する希望はより失われてうつは悪化していく。しかも治療者としての私達にもそれは同時に起きている為に、精神医療の質そのものも間違い無く影響をこうむっている。
治療者も患者もストレス下にあるというこの状況で感じるのは、このような時に私達はいかにそれを、誰かを責め、何かを脱価値化するという傾向に走りやすいか、ということである。私たちは例えば東電の無策を非難し、政府の無能ぶりを責め、・・・そして自分を責める。何もしていない自分に後ろめたさを感じるのである。災害時の精神医療において一番見えにくく、扱うのが困難なのは、この外や内に向く怒りや非難の問題かも知れない。(それにしても中途半端。これからどうしよう。)

2011年3月25日金曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(13) もうやめる

今日で震災から二週間。長いようで短い時間だった。毎日の余震。日々状況が切迫しているかのような福島原発。まだ災害が終わった、という実感はない。余震のたびに「あ、これがもっとすごくなっていって、これが本震だったんだ、となるのかな。」などと考える。一回一回小さな「覚悟」を繰り返すようである。これを書いている現在も(夜8時36分)、地震速報が伝えられた。今日出会った患者さん達は皆すべて震災の影響を受けて不安や疲労感を深めているという印象を持った。この頃は診察が終わる際の挨拶は「余震に気をつけましょうね。」である。


Mとの治療で私が一つ心残りだったことがある。それはこの当時の私はかなり受身的な姿勢をもって彼に接していたということだ。私はもっぱらMの連想を聞き、それに対して言葉を挟むというかかわりを持った。「分析的にやろう」という意識が強かったように思う。それが本来のやり方だ、という気持ちもあった。でも私が「では始めましょう」と声をかけてからMが話し出すのを待つというスタイルを彼はあまり好んでいないということも感じていた。口下手の彼が話題を探しながら咳払いをしたり、居心地悪そうに足を組み直したり体の位地を変えるのを見ながら、このようなスタイルは彼は好まないんだろうな、と思い続けてきた。 それでも私は彼の言葉を待つことが多かった。それ以外の治療スタイルを知らなかったからだ。

今だったらどうだろうか?もう少しざっくばらんに色々なことが話せたと思う。それで彼の社交恐怖がどれほど良くなったかはわからない。しかし彼に必要以上に居心地の悪さを体験させることは控えるだろうと思う。社交恐怖について私が知っていること、体験したこと、自分自身の考えた工夫などについても伝えるかも知れない。
私はこのシリーズを今日でおしまいにするが、結局「対人恐怖の精神分析的なアプローチ」というのは一つの幻想という気がする。もちろん理想型としては存在するかも知れない。しかし個々の患者の悩みは千差万別、症状も、治療への反応も、薬の聞き方も全員が異なると言っていい。分析的なアプローチが有効か、それとも行動療法なのか、治療者の受身的な姿勢が有効なのか、それとも積極的な姿勢なのかも。一人ひとりの患者と当たってそのニーズを感じ取って、自分に出来うる限り提供していくこと以外に「治療法」は存在しない、というのが実感である。(おわり)

2011年3月24日木曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(12)

私がMの内面を聞き続けて思ったのは、おそらくどのような対人恐怖傾向を持った人にも、健全な自己顕示の欲求は当然ある、という当たり前のことだ。Mは治療関係が出来始めたころにこんな話をした。彼は小さいころから目立たず、特に運動も勉強も出来ない子供だったという。そして両親から十分な関心を払ってもらえたということが一度もなかった。そんな彼が小学生のころ、盲腸炎を起こして病院に運ばれるということがあったという。痛みに苦しんでふと見ると、ベッドの周りを医師や看護婦が囲んで自分を見下ろしていた。そのとき痛みに耐えながらも言いようのない心地よさを感じたという。自分の存在を皆が見守っているという感じ。でもその感覚を得るために、彼は普通でいることでは十分ではなく、急病になる必要があったのである。
すでにこのブログにも書いたと思うが、認められること be recognized への欲求を持たない人間はいない。それは通常の意味でのナルシシズムとは別物である。認められる、とはこの世に生きていてもいいよ、という承認を周囲から得るということだ。人は他人より特にすぐれていなくても、特に人の役に立つというわけでなくとも、ごく「普通」に、特に迷惑をかけずに、たくさんの人々に混じって周囲と同じように生きたいというつましい願望を持つのが自然だ。認められる、とは朝「お早う」と挨拶をして当たり前に「お早う」返してもらえるということなのだ。
でも時々幸か不幸かそのような挨拶を返してもらえないことがある。どう頑張っても親の目に映してもらえないという子供がいる。その場合は泣く泣くアピールをする以外にない。そうしてやっと認めてもらえる、やっと「普通」になれるのだ。Mの盲腸炎のエピソードもそのようなひとつだったのだろう。もちろんそれは彼が関心を払ってもらい、認めてもらうために仕組んだことではなかったわけであるが。
Mは若くして結婚し、子供を二人持っていた。奥さんはMには不釣合いな非常に快活な看護スタッフとして同じ病院で働いていた。Mはこの奥さんにもいつも引け目を感じているという話をよくした。二人はいわゆる「でき婚」で、子供が出来なかったら結婚はなかったかもしれない、ということだった。派手好きの奥さんは引っ込み思案で口下手の夫に飽き足らなさを感じ、よく夜一人で踊りに行ったりしていたという。「結局僕には友達がいない。妻も自分を相手にしてくれない。僕の話を聞いてくれるのはあなたぐらいだよ。」と彼はよく言ったものだ。
Mと私とはまたいろいろ「ニアミス」があった。彼の勤める大病院には、私も一時籍をおいていたことがある。私が病棟で大暴れをした患者さんに対して拘束のオーダーを出すと、セキュリティーがすぐに呼ばれて、2,3人の警備員が駆けつけてくる。その中に時々Mが混じっていて、一番後ろで仲間から姿を隠すようにして私の病棟に現れ、照れくさそうな顔をしながら私の前で手馴れたしぐさで患者をベッドに拘束するということもあった。私が彼らにオーダーを出すという立場であるということは、彼に複雑な気持ちをいただかせたようである。私はMのおそらく数少ない理解者であり、また病院ではオーダーを出す強い立場の医師であった。いわば父親的な存在というニュアンスもあった。しかし私は同時に彼より一回りからだが小さく、不慣れな言葉を操る外国人であり、気の弱いM自身の分身という感覚もあったのであろう。「先生と別のところで会うと、とても変な感じだよ」とMはいい、「その感じもわかるよ」と私も応じた。
生まれも育ちも立場もぜんぜん違うMと私との関係はそうやって二年も続いた。彼は初めのころに比べるとはるかにリラックスして自分を表現できるようになっていただろう。奥さんとの関係も、子供とも関係も充実していったように思えた。でもMはやはりMのまま、私はMのおかげでほんの少し治療者としての自信をつけることが出来たが、基本的には引っ込み思案のままだった。アメリカで自分らしい生き方が多少なりとも出来るようになるには私自身もそれから10年近くもかかった。(続く)

2011年3月23日水曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(11)

私がかつて週2回2年間というかかわりを持った患者さんがいた。この人のことを私が自由に書けるのは、もう20年ほど前にかかわった患者さんであることと、アメリカでの話なので、絶対に彼がこの私の記述を日本語で読むことはないし、読者にも彼が誰のことかは分からないからだ。(それでも多少脚色を加える。)
他のどの治療とも同じように、彼の治療も全てがうまくいったわけではなかった。2年間の治療の後に私の職場の変更ということから終結を迎えたが、彼はある意味ではあまり変わっていなかったかもしれない。でも多くのことを話し、一緒に考えさせられた。アメリカ人にもしっかりと対人恐怖的な心性を持つ人がいるのは当たり前のことだが、渡米して高々4年目の私にはそんなことはよくわかっていなかった。まともにかかわったアメリカ人がほとんどいなかったからだ。30歳代前半のMは当時の私と同年輩。彼は既婚者で小さい子供を二人抱えていた。彼の仕事は大きな精神病院の警備員。気の弱さや自己主張の難しさを抱えた人の職業選択としては不釣合いのようでいて、案外ありうるのかもしれない。彼はアメリカ人としては普通の体格だったが、私より一回り大きく、でもいつも伏し目がち、言葉少なに、しかし律儀に面接に現れたのを覚えている。私も本格的な精神療法のケースとしては彼の地ではMが初めてで緊張していたし、お互いが対人恐怖同士で出会ったようなものだ。一つ明らかなのは、彼は私が威圧的でないことにずいぶん助かったらしいということである。私にとってはアメリカ人は対外威圧感を持って感じられていたから。だいたい英語を自然に話すということだけでこちらとしては引け目を感じてしまうだろう。体格は最初から一回り小さいし。ただし同じ日本人でも、アメリカ人に対してその種の引け目を感じない人も多いということを、私はアメリカに居るたくさんの日本人を見ながら感じた。このすぐ相手に引け目を感じてしまうのが、対人恐怖の心性なのである。私はそれを持っていたし、同様の傾向のあるMにとってはそれだけ都合がよかったのであろうと思う。
Mと私は比較的すぐに打ち解けた。対人恐怖同志は、互いに似たような匂いを感じ取る。お互いに安全だとわかるのであろう。彼は自分の人生についてとつとつと語った。(Mは言葉数が少なく、しかもアメリカの中西部に特有の、すなわち「訛りのない」英語だったために、私にしては珍しく彼の話すことは聞きとりやすかったのもよかった。)彼は非常に厳格な父親にそだてられたと語った。何をしてもほとんど褒められることなく、常に上を目指すように言われ続けた。
Mと話していて一つ感じたのは、アメリカという文化のせいか、彼の控えめな性格が誰からも何らポジティブな評価を与えられていないということだった。彼程度の対人緊張は日本人のあいだでは珍しくないし、だからといってすぐにネガティブな評価を与えられるわけではない。グループでの話し合いなどで、口数が少なかったり黙っていたりしても、それだけでネガティブな評価を与えられないであろう。ところが米国ではほとんど常に発信していない限りその存在が疎んじられたり逆に悪意を持っているのではないかと勘ぐられたりする傾向にある。そのことを彼は分かっていて、何とか社交的で饒舌な人間になろうとして、しかしそれが性に合わない自分に失望するということを繰り返していた。「Mって日本の社会に生まれたら、そんなに苦労しなかっただろうに」などと口にだすことはなかったものの、私はしばしばそんなことを考えながら彼との対話を続けた。(続く)

2011年3月22日火曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(10)

うーん。「大震災の爪跡」はどうなったのだ?もう普通のブログに戻っているということはやはり日常に戻りつつあるということだろうか?余震に驚くことは若干少なくなっているのは、余震自体が少なくなっていることなのか、それとも「余震に慣れて」来ているのだろうか?相変わらずのモノ不足は一部は買占めによるものだろうが、生産が滞っていることもある。神さんに牛乳を頼まれて、四日目にして今日はじめて手に入った、というのも非日常ではあるが、そんなレベルでしか震災の影響を受けていないことがまた後ろめたい。家ではせいぜい節電に精を出している。(というより神さんがあちこちを消しまくって、家の中は真っ暗である。)安永先生のこと、ずっと考えている。お通夜の司会をした内海健先生の言葉が残っている。「これから何十年先に、安永先生を発見した精神科医たちは何を思うのだろうか・・・・」本当にそうである。

いったいこの読者を無視した「社交恐怖」シリーズがどこまで続くかはわからない。しかし読者を振り切ってでも行き着くところまで行き着かないわけにはいかない。というより論文を書くというのはそういうことだろう。書きながら考える。というより書き上げるために考える?これでも5月締め切りには危ないくらいだ。
アンドリュー・モリソンAndrew Morrison はアメリカの精神分析に恥の論理を持ち込んだ張本人の一人であろう。彼の「Shame The underside of Narcissism 恥-自己愛の裏の面」は1989年にThe Analytic Press社から発売されたが、私も非常に大きな力を得た。
モリソンはコフート派である。彼の主張はわかりやすい。彼は「恥とは自己愛の傷つきである。コフートははっきりとは言っていないが、彼の理論は恥の理論である(「恥の言語で綴られている(モリソン)」。」というわけで、恥の体験はコフート的な自己の病理ということになり、するとその成因もおのずと決まってくる。それは患者のプライドや健全な自己愛を育ててくれるような自己対象が養育環境において存在しなかったということになる。そして治療方針もまたわかりやすい。患者との間に成立する自己対象転移を中心にそれは展開することになる。
「ジコタイショウテンイ、だって??」と読者はおっしゃるかもしれない。「それって何?」自己対象転移とは何かを言う前に。自己対象 self-object とは何か?について説明しなくてはならない。
人は敬愛し、尊敬している他者から認められ、敬意を表されることを必要とする。それはあたかも生存のためには空中の酸素を必要とするように、である。精神的な意味で生き続けるためには、自分を認めてくれる誰か、を毎日のように望んでいるわけだ。それをコフートは自己対象と呼んだ。普通私たちはそのような存在に守られて育つ。幼少時は主として親がその役割を果たすであろう。そして成長してからも、友人や先輩や同僚や配偶者との間で、同様の関係を持つ。自己対象転移とは、治療関係において、治療者がそのような関係を取り持ってくれることを望む傾向を反映しているといえる。
ただし、である。
治療者が実際に自己対象として振舞うべきか、ということとは別なのである。つまり患者の話を静かに聴き、その存在を認め、自己価値観を高めるという、自己対象的な振る舞いをするべきかといえば、コフートは決してそうは言ってはいない。むしろそのような関係性を作ろうとしている患者のニーズについて扱っていくことが治療である、となる。そりゃそうだろう。ここら辺がやはり精神分析である。精神分析とは患者の心の動きを分析し、探求し、明らかにしていくことだからだ。
ここまでモリソン流、すなわちコフート流の恥の病理について、一筆書きをしたが、何が問題なのだろうか?対人恐怖に対する精神分析的なアプローチとして、これを最初から書いて論文として出せばよかったのではないか?でもそう簡単にはいかないのだ。そこにはいくつかの理由がある。
一番の悩ましい点は、社交恐怖、対人恐怖といった病態が、モリソン流の「恥の病理」と微妙にずれるということである。これは昨日のブログで少し触れたとおり、恥イコール自己愛の病理、としていることから来る問題ともいえる。対人恐怖者は、自己愛の病理を抱えているのか?必ずしもそうではないところが難しいのである。ただしモリソンの治療論を読むと、対人恐怖や恥を感じやすい人々を限定して論じるというよりは、自己愛の病理一般を恥という視点から見直すというニュアンスを持っていて、これはこれで非常に内容が深いという印象を受ける。これは彼が恥の防衛として生じるさまざまな病理、特に他人に対する憤りや軽蔑といった問題も自己愛が満たされないことから来る怒り(「自己愛憤怒」)という視点から扱っている。これはパーソナリティ障害に広く見られる問題を扱う手段としては非常に有効だと思うのであるが、そこに現れる患者像は、対人恐怖というよりはDSM的な自己愛パーソナリティ、すなわち自己中心的であり、他人を自分の自己愛の満足のために利用するといったタイプにより当てはまるという気がするのである。
ということで私の対人恐怖に関する臨床体験に移って2,3回論じて、このシリーズにけりをつけることを考えている。

2011年3月21日月曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(9) 分析的?コフート的?

昨日の安永先生のお通夜のことを思い出す。ご家族にとっては、安永先生はとても落ち着いてびくともしないという面と、電話を掛けるのを許している患者さんにしょっちゅう電話口で怒鳴っていたというような感情的な面を持ち合わせていたしたという。ただ患者に向き合う治療態度には非常に誠実なものがあった。先生は昨年の暮にクリニックの忘年会に出られないことをお許し願いたいという旨の手紙を奥様に託したということで、それが朗読された。それは治療者である自分が病気とは言え、臨床を退くことへの後ろめたさが縷々述べられていて、そこでは「患者さま」という表現が繰り返し用いられていた。先生は小児科医であったお父様から「赤ひげ精神を受け継がれた」という紹介もあったが、さもありなんと思った。それともう一つ印象深かったのは、中学校の体育の教師という一人息子のご子息が、ある意味では安永先生とまったく異なるタイプでいらしたことだろうか。安永先生がある種紛れもない天才肌の精神医学者であったために、この遺伝子がどのように受け継がれるのだろうか、という興味はおそらく多くの人の心にあったであろうとおもうが、ご子息は先生の野球好き、スポーツ好きを受け継がれたようだ。


我執性と没我性の葛藤という図式が心理学のいろいろな場面に出てくるという話をしたが、伝統的な精神分析における対人恐怖の理解も、その路線で考えることが出来る。このシリーズの(4)で紹介したのが、オットー・フェニケル(1963)の例であった。彼は「舞台恐怖 stagefright」は無意識的な露出願望とそれが引き起こす去勢不安とが原因になって生じるものとして説明した。つまり対人恐怖の人々は「自分を見せたい、表現したい」という願望を抑圧しているというわけだ。これはフェニケルの時代に遡るのであれば、当然性的な意味合いを持つ。(フロイトがすごく具体的に性的な意味付けをしていたのであるから、これはやむを得ない。)つまり自分の性器を露出したいという願望と同等ということになる。だからこそ性器を切断されるのではないかという去勢不安を生むということになるが、のちの精神分析はこの種のあからさまな考え方を取らずにより象徴レベルのそれとして扱うことになる。つまり私が書いたように、露出願望とは「自分を見せたい、表現したい」という願望のことを指すと考えるのである。
ところがこのように考えると私が理想自己と恥ずべき自己の相克として提示している図式と近い関係にあることがわかるだろう。理想自己とはいわば、人に自慢したい自己、見てほしい自己である。これが強烈だからかえって人目を意識してしまい、「恥ずべき自己」の肥大してしまうと考えると、フェニケルの説の象徴的な理解とほとんど変わらなくなってしまう。
ただしここで重要なのは、フェニケルの説では、露出願望をプライマリーなものと考えるという点である。それがおそらく対人恐怖の人々の体験とかなり違う場合が多い。むしろ彼らの場合は、ごく普通に自分を表現することが突然難しくなってしまったという体験を持つことが多いのである。
実はこの問題、一つの悩ましい問題点を提起している。それは、対人恐怖者は本来は露出願望が強いのかどうか、あるいは少し言い方を変えると、自己愛的なのか、ということである。対人恐怖を自己愛の病理として捉えるか否か。結論から言えば、これから述べる、米国における社交恐怖の分析的なアプローチは、端的に言ってコフート的なのである。恥の病理も、自己愛の病理と重ねあわせて考えることになる。私が分かりやすく定義できずにこのブログで苦しんでいる「セイシンブンセキ的にどうやって対人恐怖を扱うのか?」は実は、精神分析的 → コフートによる自己心理学的 と置き換えることで簡単に済ませてしまうこともできる。

2011年3月20日日曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(8)(このブログの名前の由来?)

今日は安永浩先生のお通夜であった。素晴らしく前向きなご遺族。先生の全うされた人生を改めて振り返るような式だった。いろいろご家族でなくてはわからない先生の横顔をお聞きすることが出来た。どんなに才能豊かな人でも、家族にとっては普通の人になってしまうということが興味深かった。

没我性と我執性の相克、という話の続きである。いきなり難しい表現が出てきたとお思いであろうが、ドイツ流の精神病理学にはよく出てくる。確かクラーゲスという人の本がその源のかなり近くにあったと思うが、たとえば体系と性格で有名なエルンスト・クレッチマーの精神医学も、ドイツ出身でアメリカでサリバン派として活躍したカレン・ホーナイなども、この図式を使っている。昔精神病理学なるものを一時かじっていたときに、ここら辺を読み漁っていた。両方ともドイツ語のゼルプストなんとかかんとか、という語源の日本語訳というわけだ。
要するに人は二つの傾向を持っている。自分を守り、自分を主張し、他人を打ち負かすという傾向と、逆に他人に譲り、他人の主張に任せ、自分を消し去るという傾向である。私たちは日常的にその相克を体験しているというわけだ。わかりやすく言い換えれば、他者との関係でどちらが主でどちらが奴か、どちらが強者でどちらが弱者か、という相対的な位置関係のようなものだが、どちらにもそれなりの満足感が伴い、それぞれを個別に求める傾向が私たちの中にあるというわけだ。
単純な図式だけに、いろいろな文脈に当てはめることができる。精神分析的にいえば、我執とはエディプス葛藤で父親を打ち負かしたいという願望や衝動に関係し、没我とは父親にひれ伏して受身的女性的態勢をとる方向性に関係する。エディプス葛藤とは、このどちらかに引き裂かれてしまっている状態だ。また対人恐怖の文脈ではすでに説明したように、我執とは「自分は誰も怖くない。何事も恐れずに自分を表現する」ということであり、没我とは「自分には表現すべきものはない。自分はわが身を隠したい」ということだ。対人恐怖においては、この両者に引き裂かれていて身動きが取れない。
この双方の状況に共通しているのは何だろうか?それはこの相克ないしは葛藤を象徴としてではなく、極めて具体的なものとして体験していることだ。もともとこの葛藤には最終的な結論は出ず、ある意味ではどちらでもいいのだ、という姿勢が取れないのである。
ところが私たちが日常生活でかかわる他者との関係を考えればわかるとおり、他者との上下関係や強弱の関係は、いわば約束事であり、現実の強弱を反映しているものではない。会社の上司との関係を例にとってみよう。立場上は上下関係がある。上司にはかなりひどい小言を聞かされても部下としては耐えなくてはならない。何をするにも上司にお伺いを立てなくてはならない。でもそれは上司との本質的な優劣を決定しているわけではないことがわかっているから、部下は耐えられるのであろう。
慧眼な読者なら、この没我性と我執性の相克という問題が、私が本シリーズの(2)で示した図式、すなわち理想自己と恥ずべき自己の図で表した問題と結局は同じことであるという点にお気づきであろう。そのとき対人恐怖症状の深刻さはこの両自己像の隔たりに反映されていると説明した。対人恐怖においてその隔たりが継続しているひとつの理由は、当人がその両方の自己像を直視しないことにあるといっていい。対人恐怖の人は、自分を恥ずべき存在と見做す際は、徹底して自分を貶める。手が震えたり声が震えたり、赤面している自分は、それを見たら誰もが軽蔑したりあまりの悲惨さに言葉を失ったりするような姿であると感じている。それらの人に欠けているのは、おそらく人前で緊張をしたり、パフォーマンスを前にしてしり込みをしたりするのはごく普通の人にもおきることであり、特別なことではないこと、そしてその姿を他人に見せたからといって二度と人前に出られなくなったり社会的な生命が奪われたりするわけではないということである。そして人前での緊張や引っ込み思案は、他人に自己主張や発言のチャンスを与え、いわば謙譲の美徳にも裏打ちされているということを理解するということだ。そしてそれを体験することが治療関係なのである。
つまり気弱でいいのだという開き直りが突破口のひとつとなるのである。ということで私のブログの題は、「気弱な精神科医」なのだ。(実は本の編集者が勝手に決めた。私は反対しなかっただけだ。つまり治療的だったというわけである。)

2011年3月19日土曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(7)

今日町を歩いていて感じたのだが、車が少ない。気のせいだろうか?でもあれだけガソリンが貴重だと、気楽に運転する気になれないであろう。これって二酸化炭素削減の最大の切り札かもしれない。ガソリンが希少になり、あるいは高価になること。そして電気自動車の時代になったら、電力が規制されること。もちろん電力の供給が可能なかぎりはその制限は至難であろうが、原子力発電への見直しが進んだとしたら、深刻な電力不足に陥るかも知れない。町のネオンが半減して思うのだが、これってそんなに悪くない。夜道が暗いって、むしろ自然ではないか。計画停電で一番変わったのは、人の就寝時間らしい(当然早くなった)。それもまた悪くないのではないか?

・・・という風にしてB先生とAさんの治療は続いていくのであるが、「これだとまるでCBTじゃん」、といわれてもしょうがない。私としては「精神分析的なCBT」という書き方をしても、気のきいたCBTの治療者だったら言いそうなことばかりである。っていうか、「分析的って何?」ということがまたまた問題になりそうだ。現在の精神分析の最大のジレンマ、というより日本における精神分析というべきか、は精神分析が非常に大きな希望を背負っていると同時に、その根幹の部分が空洞化しつつあることを、人は知らないということだ。禁欲原則の遵守、受身性、転移の解釈、無意識的な内容の意識化、探索的な手法(支持的、ではなく)、といった精神分析の根幹の部分が、相対的な形でしか意味をなさない以上、(つまり禁欲原則は、それが必要な場合に用いる、転移解釈はそれが適切な場合に用いる、ということ)「これは分析的です」、ということの内実が実に曖昧になっている。実はそこが精神分析が最高に面白いところなのであるが、そのためには「新しい精神分析理論」の待望ということになる。私の思い描く新しい分析理論は非常に未来志向的で創造的なものである。それでいて人が自らの心のある部分を隠しておきたい、見ずにおきたいという力動に最大の注意を払い、それを必要に応じて扱っていく。意識レベルでも、無意識レベルでも。ただその手法として、自由連想はほんの一つにしか過ぎないというわけだ。
ということで対人恐怖の(私流の)精神分析的アプローチに加えたいことを、忘れずに書いておく。

対人恐怖傾向のある人の持つ控えめさ、謙虚さの美徳についても扱う

これは米国の「恥ずかしがりを克服しようOvercome your Shyness!」的な本を読んでつくづく感じることだが、社交恐怖症がDSM-Ⅲ(1980年)に乗じてデビューしてからのアメリカの恥ブームは、恥をなくすべきもの、克服すべきもの、という論調に終始している。それはそうだろう。アメリカで恥ずかしがっていたら、いつまでたっても発言が出来ない。人に好かれさえもしないのだ。自分自身で体験した。だからアメリカ人は控えめさ、謙虚さの意味もよくわからないし、社交恐怖が美徳に繋がるなど考えない。しかし私は内沼幸雄先生の「対人恐怖の人間学」に目を見開かれた人間であるから、それが実は「滅びの美学」に結びついていることを常に忘れないようにしている。そして対人恐怖傾向にある人が、おおむね人の気持ちをわかりすぎ、他人を優先し、人に尽くす傾向にあることに注意を払うこともまた重要であると考えている。もちろん対人恐怖の人には、他人に対する恐怖や不安が手伝った結果として過剰に注意を払いすぎて、自らを情けなく思うという傾向があるのはもちろんである。しかし彼らの人格構造を全体として捉えた場合は、自分の存在を主張することへの恐怖や不安が、他人に喜びを与える感覚(贈与の感覚)と結びついているという点を無視するわけにはいかない。世の中には「自分が、自分が」という人たちがたくさんいる。数としては多くないのであろうが、そういう人たちが社会の支配層を占める傾向にあるために、余計に目だって腹立たしい。でもそれは他方でそれらの人たちに喜んで道を譲る心優しい対人恐怖予備軍の人々がいるから可能なのである。問題は彼らが単に道を譲るだけに満足するのではなく、譲りすぎることへの不甲斐なさや自らもまた主張したいという願望のために大きな葛藤を体験していることにある。
私は対人恐怖の根幹にある力動は、この人に譲りたいという気持ちと裏腹の自分を主張したいの葛藤、内沼先生が表現するところの 没我と我執の葛藤にあると思うし、それを扱ってこそ分析的なアプローチと考えるのである。

2011年3月18日金曜日

大震災の爪跡 (6)

久しぶりに何も書く気になれない。今日も大部分のクライエントが来院。それぞれが震災のストレスを被っている様子。3月11日の震災そのものというよりは、それから続く余震の恐怖、福島原発に関する不安、買い占め、ガソリン不足、そして後ろめたさ。震災の瞬間は恐怖というよりは驚き、興奮。その瞬間は倒れそうな本棚を抑え、あるいは必死の思いで建物から脱出し、高揚感すら体験しても、その後が延々と続くストレスと復興に向かう長い道のり。これがボディブローのように効いてくるのであろう。
今日は私がもっとも大切に思っていた先生の訃報を伝えられた。でもインターネットでその先生の名前を検索しても訃報は何も伝えられていないから、まだ誤報ではないかとさえ思ってここには書けない。歳を取ることは、それまで偉大な先輩として直接間接に接していた人々を次々と失っていくプロセスである。吉田哲雄先生、小此木啓吾先生、土居健郎先生とお見送りした。でも昨日亡くなった先生は私にはとても大きな意味を持っていた。精神科医でありながら、精神病理学者でありながら[この「ありながら」というのは余計だが)非常に慎み深く、謙虚な先生であった。合掌。

2011年3月17日木曜日

大震災の爪跡(5) + 社交恐怖の精神分析的なアプローチ(6)

あすで震災から一週間。まだまだ日常を取り戻したには程遠い。でも余震は今日は少なかった気がする。自分がある程度役割をはたすことを予定されていた集まりが次々とキャンセルになっている。そのせいか時間の余裕ができている。その分本を読み、原稿書きに費やす。診療は今日などは大多数の患者さんは外来にいらっしゃる。皆さん震災のせいか体調がすぐれない。まず尋ねることは、この一週間の様子。怪我はなかったか、家族は無事だったか。帰りは銀座線が止まっていた。いらだちを隠せないひとが多い。外は春には程遠い寒さ。青山通りを帰る。いつもよりずっと暗く、ネオンも見えない。立ち寄ったコンビニに、少しは品は戻ってきている印象。しかしガソリンスタンドにはどこも長い列。むろん東北地方の惨状はいやでも耳に入ってくる。そのたびに心が痛む。福島原発は3号機への放水が始まったばかり。まだ先が見えない。

手が震えるという訴えの40代前半の女性Aさんの話であった。B先生はCBT(認知行動療法)的な要素を取り入れようとしていた。あの有名なCBT、保険の点数にも加えられることになった治療法である。精神分析的なオリエンテーションを持つB先生にとっては、CBTはいわばライバルのような治療法である。しかしそのような手法もAさんには必要だと考えていた。しかしB先生のCBTの導入の仕方は、やはりどこか「精神分析的」であった。
B先生のCBTの導入は、ある意味ではごく自然な発想に基づくものであった。それは治療状況で「手が震えやすい環境」を作り出し、Aさんにそれに慣れる練習を一緒にしよう、という提案だった。これまでの私の説明では、治療環境は、それが安定したものであればあるほど、対人恐怖を起こす可能性のある「パフォーマンス状況」がおきにくいということであった。しかし、だからこそ治療状況は手の震えを再現するのに最適なのである。なぜならB先生との治療状況においては、パフォーマンス状況を作り出すことは恐れを抱かせるものではないからだ。あえて言えばむしろ照れくさいもの、違和感を覚えるようなものだからである。
B先生はこんな提案をした。「ここではどんなことを話してもいい、という状況は同じですが、ここであなたの手の震えそのものに付いても目を向けてみませんか。」
そしてまずAさんに、治療室で練習できるような課題を考えてもらった。Aさんはそんなことを提案されたことがなかったので、少し当惑した。そこでB先生は手助けをして、一緒にその課題を考え、Aさんは面接中にコーヒーカップに入れた水を飲みながら話す、という課題を考えることで落ちついた。B先生はそれに合意し、ちょうどそれに使えるようなコーヒーカップをクリニックのキッチンから借りて来ることが出来た。B先生はクリニックの給湯室にあったインスタントコーヒーを二人分淹れて、カップの8分目くらいになるくらいに注いでAさんに渡す。セッションはオフィスにあるデスクをはさんで行うことにした。こうすることでAさんもB先生もカップを目の前におくことが出来る。
B先生は言う。「おそらくこんな状況はAさんが体験したことがないと思いますよ。」それに対してAさんは言う。「でも先生、これが結構あるから困るんです。最近では気の置けない友達と喫茶店でお茶を飲むことも出来ないんですよ。仕事に関係するミーティングなどで飲み物が出てもほとんど手をつけることが出来ません。」「そこが違うんですよ」、とB先生はにっこり。「Aさんはご自分が手が震えるのが怖いということを、友達にさえもおっしゃっていないんでしょう?仕事の関係のミーティングではなおさらですよね。でもここでは治療者である私はそれを知っています。私の前では、手の震えを隠す必要はないわけです。むしろどのように震えるか、自分の手の震えを『真似して』みてくれてもいいんですよ。」

2011年3月16日水曜日

「東北関東大震災」の爪跡(4)

ここ数日を暗い気分で過ごしている。いつ来るとも知れぬ余震。そして原発に関する不安。どうして1号機から4号機までやられるの?スリーマイル島の事件でも一基だけだったのに。でも原発全体が浸水するなんてことが起きたことはきっと初めてなのだろう。だから1号機から6号機までの全てに異常が生じてしまったのだろう。
そもそも果たして原発は安全なのか?厳密な意味で安全なはずではない。というより厳密な意味では三陸海岸沿いに住んでいる事自体が決して安全ではないということがこの津波でわかったことになる。それにもし関東を大地震が襲って東京都民に多くの犠牲者が出たとしたら、東京に住んでいること自体が危険行為だったということになる。考え出すとなにもかも安全性の保証のあるものはない。車に乗る事自体、道を歩いている事自体常に交通事故のリスクを背負っていることになる。実は地球上に住んでいること自体危険だということになる。
それでも私達が毎日平気で生きていられるのは、そのリスクがあまりに少ないので、心のなかでそれをないものにしてしまっていられるからだ。普段は無視しているその危険を、災害にあった際などにはいちいち意識し始めることになる。だからそれが慢性的な不安となって表れる。ということは私達の日常は、いかに危険を否認することで成立しているか、というわけだ。
今日気がついたこと。テレビで震災以来初めてバラエティー番組を見かけた。お笑い芸人も遠慮がちに出ていた。それと震災以来、コンビニの棚に菓子パンの類が並んでいるのを初めて見た。まだほとんど売り切れ状態に近かったが。巷では人は水やティッシュペーパーなどの買い占めに走っていると聞く。さすがにそれをやる気になれない。被災者に何もしてあげられないのだから、そんなセコい事をすると益々後ろめたくなるではないか。
神さんは、チビさえいなければ東北地方にボランティアに行きたいのに、と言っている。ちなみに個人のボランティアは足手まといになるだけだということも十分分かっているようだ。私は東京で診療がある以上、それが自分の本分だと思っているが、やはり後ろめたい。だから神さんの節電の努力には協力している。ウチは夜はいつも真っ暗である。

2011年3月15日火曜日

「東北関東大震災」の爪跡(3)

昨日の夕刻は東北地方の被災者に関して次々と報じられるニュースに暗澹たる思いになった。一緒にニュースを見ている神さん(ママ)は泣き通しで、食事ものどに通らなくなっている。私は涙が出るまでは行かなかったが、これに思い入れたら気持ちが暗くなって大変なことになる、と思って我慢している。直視しようとしていないからだ。町の人口の半数以上が消えてしまうという事態。陣頭指揮を取るはずの町長が行方不明の事態。もともと100年に一度津波が押し寄せてきて押し流される場所に、でも人は住み続けた。これは人の側の責任なのだろうか?
他方福島県の原発の報道も目が離せない。刻一刻事態が推移して、いつ余震があるか、という不安と似たような性質の重圧になっている。
昨日は枝野さんの話をした。今日はこんなニュースだ。(サンケイニュース、Web版)
「菅直人首相は15日午前、東京・内幸町の東京電力本社を訪ね、福島第1原発の爆発事故の連絡が遅れたことについて「一体どうなっているんだ」と強く批判した。・・・首相は「テレビで爆発が放映されているのに、首相官邸には1時間くらい連絡がなかった」と東電の対応に苦言を示した。さらに「撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい。撤退したときには東電は100%つぶれる」と厳命した。」
なんら具体性のない、威嚇にしか過ぎない発言。「覚悟を決めて欲しい」、とはどういうことだ?「撤退したときには」とはどういう意味だろう? 「東電は100%つぶれる」とは?東電がつぶれるつぶれないという問題では今はないはずだ。人命の問題なのだろう。それなのに自分にきちんと報告がないことで激怒する首相。報告がない何らかの事情があることを察して、自分から連絡を入れればいいのではないか?神さん(ママ)も言っていた。菅さんの話を聞いていると不安になる。枝野さんの話なら落ち着く、と。
ところで石原さんも失言。 「石原知事は14日、『日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う』と述べた。」 石原さん、何考えてんの?彼と菅さんを一緒にしたくはないが・・・・・・。


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2011年3月14日月曜日

「東北関東大震災」の爪跡(2)

昨日までは、新聞のテレビ欄はあって無きが如し、という感じで、どのチャンネルも示し合わせたように、結局コマーシャル抜きの地震関連の報道だった。しかし今日起きてみたら、テレビはすこし「普通に戻って」いた。5時半にいつものように6チャンネルをつけると、みのさんの「朝ズバ」をやっていた。コマーシャルもちゃんと流される。フーン、こういう風に日常に戻るのか、と少し感心したと同時に少し安心。こんなどうでもいいことでも、見慣れたものが戻ると安心するものである。しかし今度は輪番制の停電とかで、朝から千葉駅のシャッターが下りている、とか京成電鉄が運転を「見合わせる」とか言うニュースである。これで大混乱。そして結局停電の方は混乱を招く、とかいうことでいまだに決行されていない。(混乱を招くなんて、最初からわかっていたじゃん!)ここら辺、東電や政府の対応を批判すればきりはないけれど、難しいんだろうな。でもある意味では電気というライフラインが止まることで、マグニチュード7の余震が襲ったのと同じくらいの混乱や同様を庶民は体験しているのも事実。
今日の午前中は、「福島第一原発3号機で水素爆発」でひと騒ぎあった。本当に恐ろしい。一歩間違えれば、チェルノブイリの悪夢である。原子力発電ということの危険性について根本的に考え直さなくてはならないだろう。もうひとつ午前中の余震で津波が来るのではないかという報道もあり、これも不安をあおった。
ところで枝野官房長官のブリーフィングを見ながら、一人で感心している。彼が総理の「器」があるかどうかは知らないが、こういう人は総理の職にある意味では適任ではないかと思う。(少なくとも過去約数名の方々よりは。)きわめてわかりやすい解説。適切な言葉を使った記者への対応。昨日は菅さんが声明を発表した後すぐひっこんだ後に、枝野さんが自分の言葉で、という感じでブリーフィングし、しっかり菅さんをサポートし、最後まで質問に答えた。その態度は淡々とし、冷静沈着、奇をてらったところはなく、とにかく情報をわかりやすく、的確に伝えることに専念しているという感じ。聞いていて安心する。こういう人に任せたら、これまで二世議員たち(阿部さん、福田さん、麻生さん、鳩山さん・・・・)と菅さんが起こしていたような舌禍事件を回避してそつなく総理大臣の仕事を進めることが出来るのではないか?枝野さんには、他の総理に見られたような邪念があまり感じられない。もちろんいろいろ野心とか猜疑心とかはあるのだろうが、目の前の仕事にはとりあえず持ち込んでない、という印象あり。やはり一番いけないのは邪念だね。何事も。
それにしても枝野さんて、いい意味で優秀そう。学生時代は「また枝野君が模試で一番か・・・」とか言われていたことを想像する。枝野さんを私はほめすぎか?いや彼をほめているというよりは、彼は普通であり、これまでの何代かの総理たちがいかに普通でなく不適格か、と言いたいだけなのだが。あるいは「普通のおじさん」レベルでは総理の職は無理、ということか・・・・・。
相変わらず題に比べて内容のないブログ。「どこが爪跡じゃ?」

2011年3月13日日曜日

「東北関東大震災」の爪跡 (1)

という題でしばらく書いていくしかないのだろうか? 今はちょうど日曜(3月13日)の正午だが、さっき民放で「はじめて」コマーシャルを聞いた。というのも金曜(3月11日)の午後の震災以降、テレビはずっとどの局もコマーシャルなしの震災関係の報道だからだ。はじめは固唾を飲んでNHKを見守っていたが、当然ながら同じ映像を繰り返し流す。少し変わった報道も聞きたいと別の局にもチャンネルを回すのであるが、結局はそこでも同じ映像を流し続ける。そのうち不謹慎な話だが「もう見たくない」という気持ちになってくる。ところがそう考えることは「実際に被災した人々に申し訳ない」という気持ちにもなり、ニュースを見ないことも許されないという気にもなるのだ。
やはりおとといから日常が失われたという感じはある。他のことが手につかない。いつまでも緊張が続いている。一つの原因は、この余震なのだろう。いつまでも続いている。いつ終わるかもわからない。いつ、あれほど都民が恐れている東京大震災に繋がるのかもわからないのではないかと思ってしまう。東京湾は津波の被害は少ないと言われていても、東京湾に近いところに住んでいる人たちは決して心地よくはないだろうし、都内でも高台に引っ越そうと考える人がいてもおかしくないだろう。
このブログも対人恐怖について書いていたが、今はそれどころではないという感じ。Kairiken のMKで岩井圭司先生が、「不謹慎とは思うが、どこか民放でお笑いでもやって欲しい」と言っていたが、たしかにそう思うだけでも不謹慎と感じるのがわれわれの自然な反応なのだろう。国全体が喪に服しているようだ。
こんな時、人はわけの分からない思考をするようだ。私の例。「東北関東大震災」という名称が付けられたことについて。安心した。「関東」も入れてもらったおかげで、恐れていた震災はもう終わったのだ、と。もう心配しなくていい、と。(おそらく地震学的には根拠がないだろう。)またこのような形で震災を体験したことで、少なくともこの震災についての話が出た時に、少なくとも自分は部外者である、と感じなくていい、その意味でこれも「幸運」であった。(それでいて自分はまったく無傷に帰宅したことには、依然として後ろめたい感じがしているのだ。しかし1995年の阪神淡路大震災の際は、私はアメリカにいたので、同じトラウマ臨床の仲間がそれについて話すときに、なんとなく後ろめたさを感じていた。その時よりは、日本の歴史の一つを国民として体験したという事は言える。)
今回のこの大震災、先ほど修正されたのはマグニチュード9.0という。地球規模でも最大級の地震という。しかもこれから3日間にマグニチュード7.0以上の余震が起きる確立が70%だという。これではむしろ緊張が続いているのは当たり前ということだろう。

2011年3月12日土曜日

地震お見舞い

もしこのブログに、公的に私の意見を述べるという性質があるなら、ここで自身の被害にあった方々にお見舞いを申し上げたい。私は昨日は地震のあったときは診察中であったが、不思議と動揺はなかった。東京大地震をいつも考えているせいか、「今回もそうではなかったか・・・・」と一応は安心したが、揺れかたは長周期でずいぶん長く続いた。病院のロビーのテレビで、東北地方が進言と聞いて、これは相当大きい物が襲ったのだろうと知り、その被害の甚大さを思ったわけである。病院が都心にあり、しかも交通機関は全て止まり、間もなく帰宅時期になり、大きな通りは人人人・・・であった。私は歩いて45分くらいの距離を歩き出し、途中で迎えに来てもらった神さんの車に乗ったが、全然進まず、1時間近くかかって帰宅した。関西にいる息子にも、千葉の両親にも電話は通じず、ただただインターネットやメールは快調に使えた。インターネットは世界をカバーしている通信網なので、一地方の災害によっては影響を受けがたいというレジリエンスを感じた。
私にとっては今回の災害に一番近い体験が、2001年のニューヨークのテロ攻撃(9月11日)であった。私はアメリカ「本国」のトピーカという小さな町にいたが、そこで一番高いビル(と行っても10階くらい、全然大したことはない)にも飛行機が突っ込むのではないかと、皆が心配した(このことはどこかに書いた気がする)が、国がひとつの事件で機能を半ば停止してしまった体験としては今回に似ている。
とにかく今回の災害でなくなった方、被害を受けた方にお見舞いの気持ちを表明したい。

A major disaster in Japan, still developing…..

Just in case that my friends overseas visit my blog. Our family is safe as Tokyo never was really hit hard, so far. What is strange and sinister about these quakes is that seemingly the epicenters are shifting to South. Yesterday afternoon, the major first one attacked Tohoku, a northen part of the Mainland of Japan, then a while later in Ibaraki, a bit closer to Tokyo. After these, afterquakes are occring very frequently, and today, new quake (not a major one) occurrs in Nagano, the central part of Japan. We might be dealing with a cluster of quakes covering the wide area of Japan and I really hope that it would not lead to the Tokyo Major Quake, a hypothetical disaster that we are expected to have sooner or later, based on the periodicity of the quakes attacking Tokyo area. (the last one was in 1912, and we are supposed to have them every 7 years……

Ken

2011年3月10日木曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(6) 架空の症例呈示

症例Aさん(架空)
手が震えるという訴えの40代前半の女性Aさん。夫を数年前に病気で亡くしてからは、パートで給食関係の仕事をしつつ、中学生の一人息子を育てながら生活している。それまで2年間ある心理士からカウンセリングを受けていたが、あまり効果を感じられずに、別の心理士B先生が担当となった。それまでの2年間のカウンセリングではAさんの極端に低い自己価値観が主たるテーマとして扱われていた。担当心理士は精神分析的なオリエンテーションを持っていたが、深層の解釈に特にこだわることなく、むしろ淡々とAさんの日ごろの悩みを聞いていくことが多かったという。Aさんはまた母親との葛藤に満ちた関係についても話した。Aさんは幼い頃から母親から否定され、無視されることが多く、それが自分自身の引っ込み思案な性格や自信のなさに関係していると感じていた。B先生との治療によりそれによりAさんの自己理解はたしかに深まり、自分が母親に抱いていた強いネガティブな感情について洞察を得ることが出来た。こうしてAさんは治療により精神的に支えられることも多く、毎週のセッションには熱心に通ってきてはいたが、それでも症状は依然として続いていた。Aさんは同僚の前で手が震え、給食に用いる容器を落とすのではないかと心配になり、仕事に行きたくなくなるなどの問題は変わらなかったという。そこで転居を機に新しい治療者B先生にかわることになったのだ。
そこでB先生が行ったのは、CBT的な要素の導入であった。さてその手法とは?

2011年3月9日水曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(5)

社交恐怖への精神分析的なかかわりの話である。(まあ、そんな大げさなものでもないが。)もし精神分析のかかわりの本質が、治療関係の深まりとそこで生じる転移を重んじるという点にあるとしたら、社交恐怖の場合にはどのような転移を考えるべきか?一昨日は「対人恐怖転移」などという概念を持ち出したが、これを起こさせるのが治療の目的であると考えることは出来ない。対人恐怖症状ははある意味では関係が出来ていない時に最も顕著に表れるのだから。しかしそうではなくとも、治療関係が何らかの形で自己像の分極化(つまり理想自己と、恥ずべき自己の隔たり)を顕在化させ、その為に治療状況の中で扱うことのできるものとなるような治療関係を考えよう。私はそれは結局はコフートが言うところの「自己対象転移」に近い形になるのであろうと思う。つまり治療者に認められ、あるいは無視されたと感じることでその性質が動くような治療関係である。そこではコフート的な意味での自己愛の満足ないしはその破綻が疑似体験され、そこで両極化された自己像が顕在化することになる。 人は他者から認められ、その存在を確認してもらうことを常に望んでいる。そのニーズはあまりに日常的で、あまりに普遍的でありながら、あからさまに語ったり認めたりするには恥ずかしく、またウザッたがられるのがわかっているからそうしないだけである。あるいはそれを日常の対人関係の中で、表面に表さない形で陰で満たしていたりする。ケアをする側の人間が、ケアされる側からの感謝やねぎらいという形での自己愛的な満足を欲していたり、暗に要求したりする。それを得られないと、その失望体験から相手に見放されたと思ったり、相手を恨んだりする。
同様のことは対人恐怖を生みやすいような状況でも実は如実に体験される。駆け出しの芸人は、舞台に立った時の聴衆からのちょっとしたクスクス笑いに敏感に反応して「俺ってウケているかもしれない…」と思い、自分を「まんざらでもないのかも・・・」と感じ、スムーズな話芸を披露できるモードになるかもしれない。ところが目の端で居眠りしている聴衆を捉えると「俺の芸ってやはりつまらないんだ・・・・」と落ち込み、たちまち噛んでしまってその後はボロボロになってしまうかもしれない。相手の反応により自己像の在り方が反転する傾向にあり、それは治療者との関係でも顕著に生じることになる。
社交恐怖における治療関係とは、おそらく患者の基本的な自己愛のサポートが提供されることは前提条件と言えるであろう。その様な環境で、治療関係によりさまざまに動く患者の心境に焦点を当てた治療となるのだろう。それは基本的には支持的で、古典的な分析状況とはかなり異なるものとなるはずだ。

2011年3月8日火曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(4)治療の原則-社交恐怖の「二重性」を視野にいれる



コレもいいかも


 昨日述べたように社交恐怖を精神分析的に位置づけたとはいえ、そこからすんなり治療方針が決まるというわけではない。分析的な方針に従った治療を受けても少しも症状が改善されないという場合もある。それはおそらく社交恐怖の持つ二重性が関係していると思われる。ここでの二重性とは、社交恐怖が症状を有する神経症という側面と、一種のパーソナリティ上の特徴および障害という側面を併せ持つということである。社交恐怖の発症にはさまざまなパターンがあるが、もともと他人の目にさらされると萎縮しやすく緊張しやすい、という性格的な素地があり、その上で顕著な対人緊張症状(赤面、声の震え、どもりなど)が出現することも多い。たとえばDSMで言えば、多くの社交恐怖の患者さんは、回避性人格傾向、ないしは回避性パーソナリティ障害を有する。
このような性格上の特徴については、森田療法の森田正馬画「ヒポコンドリー性基調」と呼んで論じている。精神分析で扱うのはこの性格的な基盤のほうであろうが、患者さん自身は症状に何よりも苦しんでいるということがある。そして症状自身についてはむしろ認知行動療法的なアプローチが必要とされるであろう。この両者の組み合わせが必要とされることになる。
さきほど精神分析的な方針に従った治療、とサラッと流したが、もちろんこれについては説明を要する。私が示した方針のとおり、社交恐怖はそこにある二つの分離した自己像の問題を扱うことが、私の言う分析的治療である。ただし従来古典的な精神分析においても、社交恐怖を扱う試みは多少はなされていた。その例を挙げるならば、たとえば半世紀前のオットー・フェニケル(1963)の例がある。その理論は本当にブンセキ的である。従来の精神分析では抑圧という障壁の左右にポジをネガに、ネガをポジに捉えるところがあるから社交恐怖的な心性の背後にあるのは、抑圧された露出的衝動ということになる。フェニケルは「舞台恐怖 stagefright」 (いわゆる「あがり症」)について、それが無意識的な露出願望および,それが引き起こす去勢不安とが原因になって生じるものとして説明した。(うーん、例によってわかりにくい!)舞台に立つ人は,自分の露出願望のままに振舞うよりは,そのような願望を持つことについて懲罰されることの方を選び,その場合聴衆は超自我ないし去勢者として機能し,そこに聴衆を前にした恐怖感が生まれる,という説明である。
この説によれば対人恐怖的な現象は幼児期の葛藤の再現であり,無意識的な欲動に対する防衛として生じるものとして理解されたのである。(実はここ、私の本「恥と自己愛の精神分析理論」の該当部分の丸写し。)この露出願望というのは一見極端に思えるであろうが、実は患者さんの持つ自己愛的な側面、自分をよく見せようという願望を捉えているという意味では全く的が外れているわけではないであろう。ただ対人恐怖の人をつかまえて、「あなたは実は(性的に)露出したい、目立ちたいという願望を抑えているから赤面するんですよ」といっても、理解が得られない可能性が高い。
そこで私が提唱する分析的な理解に立った治療は、どのようなものになるのだろうか?(続く)

2011年3月7日月曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(3) 「対人恐怖転移」??

先週土曜日のNHKの「追跡A to Z」(2011年3月5日 放送 広がる “新しい心の病” ~混乱する精神科医療~ )も「どうだかなあー」という出来栄えだった。精神科の患者があまりに多くの薬物を処方されている、という問題についての「追跡」だったが、趣旨はわかる。指摘したい点もある程度妥当だと思うが、相変わらず「勧善懲悪」的だ。「善き」精神科医と「悪しき」精神科医が登場するが、本来どちらが正しくどちらが間違っていると決められない問題なのに、そこに白黒をつけようとしている。もちろんそうしないと番組が面白くならないのはわかっているが。
私はこの種の問題を取り上げる姿勢は、両者の言う事を聞いてみると、なるほど簡単には善悪を決められない複雑な問題なのだ・・・とレポーターがため息をつく、というような落とし方が一番妥当なのだと思う。少なくとも扱われている分野の専門家が見て、「どうだかなー」と思うような論じ方は、やはり問題なのである。私は真面目に精神科の診療をしているつもりだが、それでもすごく薬の数が多い患者さんがいる。たいていはほかの医師から引き継いだ患者さんだが、自分で処方薬の数を増やしていった患者さんも中に入る。引継ぎの段階で数が多くても、それで病状が安定している場合には特に大きくいじろうとはしない。不用意にひとつ抜いたら、「先生に代わってから眠れなくなりました!」という訴えを聞くこともたまにあるものだ。
番組で指摘されていた問題として、抗不安薬の複数の使用が挙げられた。確かに問題なのはよーくわかる。私もほかの医者の処方を見るとそのような印象を持つことが多い。しかし私の印象には特に米国の経験が大きく影響している。彼の地では、たとえ一種類の抗不安薬でも、定時薬(つまり、朝夕一錠ずつ、など)として処方されることにはすごい抵抗がある。人は日本人の10倍くらい簡単に依存症になってしまうという印象がある。(何しろ安定剤と似たような作用を及ぼすアルコールの中毒患者が、日本に比べて一桁違うのだから。)だから抗不安薬が3種類出ている場合には、患者さんに「これって、ビールと焼酎とワインを飲んでいるようなものですよ。」と説明して、合計量が多いことを指摘することが、それが3,4種にわたっていることの指摘に優先される。(つまり合計のアルコールの量が多いのは問題にするが、それがビールと焼酎とワインのちゃんぽんであることは第一番に問題にすることではない。ただし合計のアルコール使用量が多くなるひとつの原因は、何種類かのアルコールを飲むことにある、というのは、それはそれで確かなことである。)
またもうひとつこのNHKの番組の中で言われていた問題、つまりアメリカでは単剤使用の傾向が強いというのは確かにそうだが、そうではない場合も沢山ある。そのため最近では「多剤併用polypharmacyはよくないが複合的な薬物治療combination threapyはよい」(この言い方自体は、半分冗談めかしたものである。なぜなら結局複数の薬を使うという点では変わらないからだ。)などといいつつ、多くの種類の薬物の使用を認める傾向もあるくらいだ。
アメリカ人の精神科医が、たとえば抗精神病薬はリスパダールしか使わない、というのも何種類かの抗精神病薬の効き味の違いをあまり問題にしない、いわば味覚音痴的な側面があることは向こうにいて知ったことである。第一アメリカのやっていることは正しい、というのが気に食わない。(けっきょくコレか!)もちろん日本の精神科は薬を出しすぎの傾向がある、患者さんの症状に対応するうちにずるずると種類が増えていったというのは確かにそうだ。しかしマイナーの出しすぎを指摘するのだったら、不必要に抗精神病薬を出されてその副作用で生ける屍のようになっている患者さんのほうに目を向けて欲しかった・・・・・。

社交恐怖の続きであるが、例の「理想自己」と「恥ずべき自己」の分極および相克、というテーマで昨日は終わっていた。この分極についてひとついえるのは、この分極の幅が、その病理の深刻さにつながるということだ。昨日の図の、二つの「自己」の距離ということである。なぜなら恥多き人ほど、「自分はこんなになりたい!」と夢見ることが多く、それは現実とかなりかけ離れたものであることが多いからだ。また恥多き人ほど「自分はなんて駄目なんだ!」と思うときの下げ幅が尋常ではないのだ。「こんな駄目な人間は生きている資格がない」、とまで思ってしまう。傍目からは大したことではないのに。だからこそ「理想自己」は高く位置し、恥ずべき自分はとことん低く位置してしまい、両者の距離が大きくなるのだ。
ちなみに対人恐怖的ではない人の場合は、両者の距離はあまり開いていないといえる。だからスピーチにしても、プロのレポーターなどなら「自分はこんなもんだろう」というレベルがあり、それを特に超えることも、それが極端に裏切られることもない。こんなもんだろう、というレベルも特別高くはなく、だからこそ自分に対する期待値も大きくならず、したがってそれだけ失望も少ないということだ。プロのパフォーマーは自分がそこそこ自分たちがやれると思っているし、その姿をビデオで撮って再生して見直してみても、自分がイメージしていたものと全く異なる自分の姿をそこに見ることはない。つまり「理想自己」から「恥ずべき自己」への転落はおきにくいのだ。ところが対人恐怖傾向のある人間は、自分の姿を写真で見ることすら強烈な恥の感情が沸き起こるものである。それは自分がこうあって欲しい、こうであったことにしておこう、と思っていたイメージがどうしても理想自己に近づき、それが写真を見ることにより失望体験を生むということが常習化しているからだ。

「対人恐怖転移」??
ところで昨日の図式を見ると、まるで自分という枠組みの中だけで二つの自己像がくるくる入れ替わっているというイメージを与えるかもしれないが、実は非常に「対象関係論的」な現象のである。それはどういうことか?
たとえば一人で部屋で文章を音読していていて、対人恐怖症状で声が震えるということがあるだろうか?何かを録音しているような場合を除いては、そんなことは起きないだろう。対人恐怖症状が起きるためには、目の前に対象がいなくてはならないのである。対人恐怖症状は対人場面で生じる。たった一人の存在でも動揺を与え、声の震えやどもりを引き起こすことがあるのだ。その意味では両「自己」の分極は対象関係により大きく変化する。
では対人恐怖症状を引き起こしやすいような関係性はあるのか?たとえば「対人恐怖転移」などというものは考えられるのだろうか?そこが興味深いところなのだ。普通転移関係は治療関係の深まりとともに発展していくというところがあるが、「対人恐怖転移」は治療者がまだ見知らぬ、あるいは出会ったばかりの場合にはその転移はもっとも深刻となり、それから徐々に軽減していく類のものだ。治療関係が出来上がり、ラポールが形成されたころにはゼロに近くなってしまうかもしれない。なぜなら患者が緊張する最大の機会は、初対面の場合だからである。これは非常に面白い点であり、そもそも「対人恐怖転移」という概念に意味があるのか、という議論にもつながる。
しかしこの点に関しては異論もあろう。対人恐怖は「半見知り」でもっとも引き起こされやすいとも言われる。全くのアカの他人でも、非常に親しい身内の人でも起こしにくく、その中間のレベルの人、つまりちょっと知っている人、あまり話したことのないクラスメート、顔見知り程度の人たちを前にして起きやすいともいえる。しかしそれなら自分がこれから関係を作っていくという想定のもとに出会う治療者は、すでにこの「半見知り」のカテゴリーに入っているのかもしれないという考え方も成り立つ。

2011年3月6日日曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(2)

対人恐怖とは「自己と他者と時間とをめぐる闘いの病」と表現することが出来る。対人恐怖は自分と他者との間に生じる相克であり、そこに時間の要素が決定的に関与している。それはどういうことか。私たちは自分自身の中で他者への表現を積極的に行う部分と、なるべく隠蔽しておく部分とを持っている。社会生活とは、前者を表現しつつ、後者を内側に秘めて他人とのかかわりを持つことである。それを時間軸上で行うのが、パフォーマンスである。これは順調に繰り広げられるのであれば問題はない。しかし時にはそれが裏目に出て、表現すべき自己は一向に表されず、逆に隠すべき部分が漏れ出してしまうという現象が起きる。そこで時間をとめることが出来ればいいのであるが、大抵はそうはいかない。だから時間との戦いなのである。
対人恐怖に苦しむ人は、通常ある現象に陥っている。それは出すべき部分と同時に隠すべき部分が漏れ出すという現象である。対人恐怖とは、良かれ悪しかれ、これに固着した病理なのである。これを総合的に扱わなくてはならない。アプローチは認知行動療法的であり、分析的である必要がある。
ごく簡単な例をあげてみよう。人前でのスピーチである。人前で話すことが苦手で、それにおそれを抱いたりそのような機会を何としてでも回避したいと願ったりしている人達は多い。もちろん人は自分のいいたいことをスムーズに言えればいいのであるが、言葉が使えてり口ごもったりどもったりして、肝心の言いたいことは一向に表現されず、そのかわり無様な話し方や内心の動揺を示すものばかりが口から出てきたらどうだろう。しかも一度口ごもったりどもったりした言葉は、もうすでに目の前の人の耳に届いていて、決して取り戻すことが出来ない。
ただし対人恐怖はこれにとどまらないところがある。それは他人に対する恥や負い目を常に持つところであり、人との接触に際して相手を過剰に意識してしまうという、恥多きパーソナリティ構造である。それが基礎にあり、そこから症状の形として生じるのが対人恐怖といえる。
読者はこの定義を聞いて、「どこが精神分析か?」と思うかも知れない。たしかにこの記述にはどこにも無意識という言葉は出てこないし、エディプスコンプレックスも姿を見せない。
私がそれらの伝統的な精神分析の概念の代わりに持ち込んだのが、二つの自己イメージの葛藤という図式である。ヒトは自分を理想化して持つイメージと、恥ずべき自分というイメージの二つを持つことが多い。そのイメージがかけ離れている場合に、この対人恐怖という現象が生じるという説明である。
先程のスピーチの例では、非常にうまくスピーチをしている自分のイメージと、言葉につまり吃っている恥ずべき自己イメージが大きく分極し、「ああ、自分は駄目だ!」という思いと共に、理想自己から恥ずべき自己への転落が起きる。それが著しい恥の感情をうみ、それが対人恐怖の病理の中核部分を形成する、と考えるのである。

2011年3月5日土曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(1)

「社交恐怖の精神分析的なアプローチ」は今年の5月の末が締め切りの依頼原稿だが、ここを利用しないとどうしても書き出せない。というのもどうにもモティベーションが湧かないからだ。社交恐怖(しばらくは対人恐怖と同義として用いる)には興味はある。(自分がある意味ではそうだ。)それに精神分析にも興味がある。(これでもブンセキカだ!)しかし「社交恐怖の精神分析」となると、とたんに何を書いていいかわからなくなるのである。
ただ某学術誌(「●神●学」)の編集者が私に原稿を依頼して来た理由はわからないでもない。私は「精神分析における恥」というテーマの三部作をかつて「精神分析研究」誌に寄稿したこともあるくらいだからだ。1992~1994年くらいの話だ。ただその論文では、「精神分析的に恥の病理としての社交恐怖を扱うことにはかなりの限界がともなう」、ということを書いたはずである。ある意味では伝統的な精神分析への内部批判といってもいい。その路線を踏襲すればいいということだろうか?いくらなんでもそれは気が引ける。
実はその路線で書いた本が1998年の「恥と自己愛の精神分析理論」という本である。本まで出しながら遠慮してもしょうがないので原稿を引き受けることにしたが、同書の発表以来あまりまとまってこのテーマについて考えることはなかったから、一つのいい機会といっていいだろう。
「精神分析における恥」のテーマで論文を書くアイデアを得た頃は、まだ留学して4年くらいしかたっていず、米国での居場所がやっと少しずつわかってき始めた頃だった。その頃向き合っていたテーマは、簡単に言えば、「精神分析って、対人恐怖を扱う素地がないんじゃないか?例えば対人恐怖の基本的な病理としては恥の感情があるが、恥はそもそも精神分析では実に過小評価、ないしは無視されているという事情があるのではないか?」というものだ。「精神分析の限界を見つけたぞ!してやったり」的な雰囲気もあったことは認める。
しかしこの考えは私のオリジナルともいえなかった。ヒントを与えてくれたのが、当時の米国の精神分析界におけるいわゆる「シェームニック」(恥の議論の愛好者)たちの活躍である。その筆頭がアンドリュー・モリソンという分析家で、それ以外にもドン・ネイサンソン、レオン・ワームサー、フランク・ブルーチェックたちが名を連ねていた。その中でもブルーチェックはトピーカの精神分析協会に講義をしに来ていたために交流を持つことが出来た。彼らは一様にコフートの影響を受けていて、「コフートが問題にしていたのは恥の病理だったのだ」と主張した。自己愛の病理とは言い換えれば恥の病理であり、フロイトがまったく無視していたテーマだ、という主張である。
この理論の流れと、ちょうど同じくトピーカで私が謦咳に接することが出来たグレン・ギャバードのナルシシズムの二類型に関する研究が私の中で一致した。米国における対人恐怖の議論の欠如 → 最近のコフート理論に影響を受けた分析家たちの「恥の病理」への関心 → 自己愛の病理の一類型としての社交恐怖の捉えなおし というあたりでこのテーマが私の中で一つの形を成していった。それともう一つはアメリカのDSMにおける社交恐怖の公式な扱いという追い風が重なった。(続く)

2011年3月4日金曜日

後半を書いた

いや、秘策というのは実はない(というより昨日からの「つなぎ」の意味で書いただけだ)が、医師は時間がなければ、クリニックのスタッフに精神療法を発注してはどうか、と言いたいのである。精神科のクリニックには(臨床)心理士以外にもMSW(精神保健福祉士、ソーシャルワーカー)、ナース等が働いている。このうち(心理士さん達は心理療法を自らの職分と思っていらっしゃるから問題ないが、精神科のナースやPSWは、心理療法家としての能力を潜在的に持ちながら、そもそもケースを持たされないということがある。彼らに応援を頼むのだ。

そもそも考えてみよう。精神科医として新患を担当する際、薬物療法以外にも話をゆっくり聞いてあげられる環境を提供したくなる場合は多い。というより新患の大半はそうなのだ。しかし精神科医は何しろ「一時間に12人」の世界に生きている人が多いので、ほとんどそのニーズに応えられない。だから精神科医の通常のあり方は、常に患者さんの精神療法のニーズを常に満たすことしかできないで、薬物療法にのみ対応できるという、慢性的なフラストレーションを抱えていることになる。そこにそれを行なうことのできるスタッフがいたとしたら、大変ありがたいことなのである。
そこでこんな疑問を持つ人がいるかもしれない。「精神科のナースやPSWはトレーニングをしていないのにいきなりケースを持つことはできるのだろうか?」その懸念を持つのはわかるが、では果たして精神科医は精神療法のトレーニングを経てから患者さんを持つのだろうか?私自身は5分間の薬物療法も一種の精神療法だと思っているから、精神科医が外来デビューをするときは、精神療法家としてのデビューでもあると思っているが、彼らが精神療法をいきなり始める(あるいは始めたつもりになっている)のは、それが自分の職務だと思っているからだ。PSWもナースも、患者さんと1,2週に一度、30分ないし50分のセッションを持つことが自分の仕事だと思い始めれば、最初の2,3ケースに戸惑うくらいで、後はぐんぐんできるようになっていくものである。(そもそも精神療法は座学ではない。)
もちろんすべてのPSWとナースが精神療法が実際にできるとは言っていない。そうやってケースを任せていくうち、PSWとナースの中に、精神療法に向いていて、これからも任せることができる人とそうでない人が見えてくる。それを精神科医の頭の中で選別して、後はできるナースにケースを振っていく。後は精神科医は短い再来にそのナースを交えるなどして、そこで起きていることを把握していけばいいのである。
このPSWとナースに精神療法を任せる素地はちょうど整っている。何しろ通院精神療法は、もともと誰に任せてもいいのだ(あるいは誰に任せてもいけないのだ??)。だって本当は医師本人がやっているはずのことなのだから。それにケースを担当したPSWとナースの中には、それにやりがいを見出して、精神療法家として開花する人はたくさんいるだろう。精神療法のケースを持つとはそういうことだ。ちょうど米国でPSWがケースを持つようになって、また家族療法ではまさに彼らの独壇場ということになって、やりがいを見出すことになったPSWがたくさんいたのと同じである。

2011年3月3日木曜日

原稿の書きかけ

ある専門誌から、ある原稿の依頼が舞い込んだ。しかも「タイトルは自由」ということなので、書き出してみた。

・・・・・ 私が日ごろから口にしたいと思っていたことを述べたい。ひとつは医師と精神療法との関わりということである。私が精神科医として活動を始めてからなんと30年近くも立ってしまったが、その間に精神科医の間に見られた変化のひとつとしてあげられるのが、彼らがあまり精神療法に興味を持たなくなり、むしろ薬物療法により興味を示すようになったということらしい。これはあまり若手の精神科医の接触がない私の職場ではあまり実感のないことであるが、私がかかわりを持っている精神分析学会でも、精神科医の参加は年々少なくなってきていることは、その現われのひとつと見ていいであろう。
私個人としては、精神科医になることと精神療法に興味を持つことはほぼ同じようなことを意味するし、もう少し言えば、薬物療法に対する興味と精神療法に対するそれとも矛盾しない。それはどういう意味か。
患者が問題を抱えて医師のもとを訪れる際、医師はそれを理解し、解決するという使命を帯びている。その問題のほとんどが、患者の人生におけるある種のきっかけと、患者自身の中枢神経に起きている何らかの異変の両方をうかがわせる。前者については医師からのある種の言葉かけと問題解決のための共同作業により多少なりとも改善する可能性がある。これはそれがどのような形をとるとしても、精神療法の範疇に入ると見ていいだろう。後者は主として生物学的な治療、特に薬物療法が該当することになる。
このように整理すると、精神科医が精神療法に興味を持たない、あるいは薬物療法にのみ興味を持つということはかなり不思議な現象ということになる。なぜなら患者との共同作業による問題解決に興味を持たないとしたら、精神医学を専門とする意味がそもそもないことになる。また後者に関しては、それが問題解決のひとつの方法に過ぎないとしたら、やはり同様に前者にも興味を示して当然だからだ。かつて精神分析のトレーニングを受けることに情熱を燃やしていた精神科医である友人がいる。彼が精神分析のトレーニングを続けることに対する興味を失いつつあるときに、それはなぜかを聞いてみた。すると「精神療法には興味を持つけれど、それ以外にもやるべきことが沢山あるからね。たとえば薬物が効いて患者さんがよくなった時の感動も、精神療法によりよくなった場合と変わらないから。」この言葉を今でも思い出す。
さて精神科医の中にはこんなことをいう人もいるだろう。「いや、精神療法には興味があるけれど、何しろ時間がなくて・・・・」それはわかる。しかしそのためにある秘策があるのだ。(続く)

2011年3月2日水曜日

Sometimes I feel like discussing issues in English …..

The thing I did sometimes in the old version of my Home Page, that I’ve never done since I started blog in this format, is to write in English to the potential American readers that I left in Topeka Kansas. When I communited via Email to some of my old collegues sometime ago, I promised that I would occasionally update them on my current life and activities, but I never really followed through with that promise. Writing in English is a bit risky for me as the likelihood of my misspelling could be sky-high, but it is advantageous as no Japanese readers would seriously attempt to read through as it would be time-consuming, and perhaps energy-wasting. One thing I have in my mind is to send some of my messages overseas in the future, particularly regarding scientific as well as clinical issues which could be of intrest for English speaking audience. Another advantage is that I think I can share things that I cannot do normally in Japanese, as people has so much easy access to my entries, and thus I have some semi-closed audiences when I discuss some controversial issues. Anyway, let me see how things would go.

2011年3月1日火曜日

テレビ局って、どうだかなー(3)

無事に?(誰にもほとんど気づかれることなく、自分でも知らずに)テレビ出演が終わったわけだが、次にこういうことが起きた。実は番組制作会社のA氏から、放映の2,3日前に短いメールが来た。テロップに流す私の所属先を確認するという内容だった。私はそれに対して次のように返した。
「[所属先は]それで結構です。ところで申し上げにくいことではありますが、大切なことです。取材料についてお尋ねします。」
私の「怒りの芽」が出てきたのは、A氏が私のこのメールをスルーしたからである。数日間返事を待ちながら、私は[やっぱりね・・・]とあきらめつつも、つぶやいた。「自分たちの都合でならメールをしてくるのに、こちらが取材料について遠慮がちにたずねたのに対する返信をしないって、あんまりじゃ・・・・」
数日たって「再送」をすると、こんな返事が返ってきた。「先日は、御出演頂きまして、誠に有難う御座いました。出演料ですが、お渡しの仕方、金額の目安等ありましたらご連絡の程、宜しくお願い致します。」
つまり最初から出演料などということは考えていなかったが、繰り返して請求されたので、「ではいくら欲しいんですか?」と返してきたというわけだ。こりゃあんまりだ。
結局私が次のようなメールを出してこの一件は終わった。「誤解をされないように言いますが、私はギャラが目的ではありません。だからギャラはいただきません。ただ最初にノーギャラであることをおっしゃったら、出てはいなかったと思います。この件はもういいです。番組の記録(DVD)でも送っていただければ結構です。」
結局こんなことが起きているらしい。テレビ局や番組制作者の立場からは、出演者は、「出れば満足というところがあるから、ギャラなど要求してこないだろう。こちらとしては出たい人には困らないから・・・・。」
たしかにそうなのかもしれない。でも私のようにシャイな人間は、顔の出る媒体に出ることは基本的には勘弁して欲しいという方である。そこのところをわかって欲しい。それから「取材し逃げ」というようなやり方についてもやめて欲しい。これまで少なくとも2回、私は別の番組制作会社から精神医学的な問題について相談を受け、2時間ほどオフィスで話をして(もちろん無料で)、その後なしのつぶてということを体験している。普通番組制作会社からインタビューを申し込まれた私たちは、「いいですよ、でもギャラは?」とは聞かないものだ。そんなのハシタないじゃないか。でもそれをうまく利用されている、という気がどうしてもしてしまう。そんなシステムで成り立っているテレビ業界って問題じゃないか・・・。
これを読んだ読者の方はどんな印象だろうか?少なくとも私の気持ちは「テレビ局ってナンボのモンよ・・・・」なのである。