2013年7月31日水曜日

日本におけるセクシュアリティのあり方 (3)

見るなの禁止は誘惑を意図したものか?

まずは非常に原則的なことから論じよう。世の法律に「~してはならない」という禁止事項は膨大に記載されているはずだ。そしてそれは禁止することで余計人々を誘惑することを意図しているわけでは決してない。当たり前の話であろう。為政者は、覗き、盗撮を禁止することで一般市民を誘惑する(「劣情をあおる」)ことを意図してはいない。たとえば
軽犯罪法第1条:左の各号の一に該当する者は、拘留又は科料に処する。
23号 正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所、その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者。
ただし最近頻繁にニュースをにぎわす「盗撮」は刑法で定められた罪名ではなく,地方自治体で制定されるいわゆる「迷惑防止条例」で取締りが行われる。
この盗撮がどうして最近増えているのであろうか?携帯電話の録画機能が高まるにつれて盗撮の件数は増加傾向にあると考えるべきであろう。女性の露出が増えて盗撮が容易になる分だけ、盗撮の件数が増えているという可能性はどうか?
これを書いている途中に思い出した。先日、728()は札幌で外来精神医学会のシンポジウムに参加する機会があったが、そこで榎本クリニックの榎本稔先生が司会をしておられた。榎本先生はアルコール依存症のほかにも性犯罪の加害者の治療にも携わっていらっしゃるが、その先生がおっしゃっていたことが興味深かった。彼によれば日本でしばしば報道される盗撮については、諸外国では問題にならないという。諸外国においては性犯罪はさらに深刻な加害行為(強姦、そのほか)という形を取ることが通常であり、迷惑防止条例で問題にされるような犯罪はむしろ少ないという。そして日本においては相対的に強姦が少ないといわれる。
(以下略)

2013年7月30日火曜日

日本におけるセクシュアリティのあり方 (2)

おとといの日曜日は、札幌で外来精神医学会に参加。夏の札幌っていいなあ。でもどの景色を見ても、「冬はここに雪が積もっていて、凍結していて…・」と思ってしまう。素直にすがすがしい気候を楽しめないのだ。冬のカンザスの辛さがよみがえるのだろう。カンザス州の冬は、ちょうど札幌の冬と同じくらい冷えるのだ。帰りは漱石の「硝子戸の中」を読んだ。


1.「見るなの禁止」とセクシュアリティ

「見るなの禁止」とは世界的に有名な日本の精神分析家北山修氏が提唱している概念である。日本の神話には主人公が「な見たまいそ(見てはいけない)」とい禁止を破ってのぞき見することから悲劇(離別など)が訪れるというパターンが多くみられる。浦島太郎の玉手箱などはその一番ポピュラーな例だろう。北山先生が特に用いるのが「夕鶴」の例である(北山 :見るなの禁止 北山修著作集1 日本語臨床の深層 岩崎学術出版社、1993年。)。
与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、綺麗な織物を作る。これが「見るなの禁止」というわけである。つうが織った布は高値で売られ、与ひょうは仲間からけしかけられて、つうに何枚も布を織らせるが、つうとの約束を破り織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうのもとを去り、空に帰っていくというストーリーである。
 北山先生はここから日本人の原罪のあり方を説いていくわけであるが、彼の一門下生としての私は、これを少し別の文脈から読みたくなる。それはつうの側からの誘惑という文脈である。もちろんつうが与ひょうを誘惑したというわけではない。ただ「見るなの禁止」は強烈な誘惑の源になり、それを男性の主人公が破ってしまうのではないか。言い表すならば、「見るなの禁止」は「見よの誘惑」とも考えられるのである。これもまた文化を通して普遍的なテーマではないかと思うのだ。なぜならば日本では見る、見られるということにまつわる恥や羞恥の問題がしばしば問われるからだ。
(以下略)

2013年7月29日月曜日

日本におけるセクシュアリティのあり方 (1)

2003年の日本語臨床研究会で発表したまま文章化していないものがある。それが「見る名の禁止とセクシュアリティー」という発表である。当日はちょっとだけウケたのを記憶している。ここでちょっとまとめてみよう。
まず抄録としてはこんなものを出した。 
「見るなの禁止」とセクシュアリティ
 「本発表では、北山修の「見るなの禁止」の概念をセクシュアリティの観点から論じる。なぜ多くの日本の民話において「見てはいけない」という禁止が課せられては破られるというテーマが繰り返し登場するのだろうか?おそらく「見るなの禁止」という概念は、この問いに対する直接の答えを提供するというよりは、むしろそれぞれの論者から数多くの答えを引き出すことを最大の目的としているのだろう。私はこの概念は様々な悲劇や罪悪感以外にも、私たちの願望やファンタジーの問題を豊富に含んでいるものと考えている。セクシュアリティはそれを典型的に表しているといえる。

(以下略)
 

2013年7月28日日曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(7)

 5.結局一種のフォビア(恐怖症)ではないか

さて、最後の章になってようやくこの小論の本題に入るというのはいかにも最初の構想が不十分だが、ブログだから、ま、いいか。あとで手直しをするとして・・・・・。
私が現代型うつとは一種の恐怖症ではないかという考えを抱くようになったのは、ここ1,2年である。昨年仙台でこのテーマで講演をする機会があった時に、最後にそのような結論に至ったことを覚えているので、その頃はもうそんなことを考えていた。
 会社に行けなくなった患者さんのかなりの部分が、上司とのやり取りでトラウマを背負っている。ひどく暴言を吐かれたり、夜中近くまで詰問されたり。抑うつ気分や倦怠感、仕事に対する意欲を失い、欠勤がちになって医師をもとを訪れる。医師は診断を下すとしたらまずはうつを考える。その際もちろん抑うつ症状はあるのである。しかし同時に会社での仕事の環境に対する不安を抱いている。これは漠然とした不安というよりは、上司や同僚とのかかわりによって体験されたトラウマに基づくもので、職場に戻ることを考えたり、それを思い出させるような状況に遭遇した時に不安に襲われるのだ。
 トラウマとは不思議なもので、その当座はさほどインパクトを持たなくても、その場を離れてしまうと逆に恐怖感が増すことがある。休職になった後は、それまで毎日通っていた職場に行くこと自体に強烈な不安がともなうことがある。離婚した後前夫(前妻)に対して、その後にさらに恐怖感が増大していき、その持ち物に触れなくなる、ということもよくある。
このような状況を考えると、実は現代型うつにおける症状のかなりの部分を説明できる。なぜ休職中はうつが改善するのか。なぜ5時以降は元気を取り戻すのか。それは彼らの示す症状がうつというよりは不安、さらにはある特定の状況に対する恐怖症として説明できるのだ。
この状況はうつというよりは、登校拒否の児童に似ている。学校に行けなくなった子供は、通常は同時にそれに対する強い後ろめたさを感じている。すると学校が引ける夕刻までは外出することに抵抗を覚える。行き交う人々が、自分が学校を休んでいるという自分の存在を知っていて、それを責めてくるような気がするのだ。しかし下校時間以降や週末などは違う。あたかも世界が違ったかのように解放された気分になるのだ。登校拒否については従来は「学校恐怖症 school phobia」 とも呼ばれていたが、この名前はもっともなのだ。

現代型うつではこの登校拒否と似たような状況が起きているのだが、それが「現代の若者が未熟になった」という議論に結び付けられるかはわからない。しかしおそらく現代の若者の傷つきやすさが絡んでいることは否定できないだろう。新入社員として入っても上司から少し小言を言われただけで落ち込んでしまう、逆切れしてしまうという状況はあるのかもしれない。これを「わがまま」と取るか、「未熟さ」と取るか、あるいは脆弱さや打たれ弱さと見るかは立場により違うだろうが、ともなく現代型うつが発症する一つの条件と言えるだろう。でもともかくも職場がこわくなっている。そして自宅療養を申し出て精神科医を受診しても、精神科医はこれを「甘え」や一種のうつ、としてみる以外の方針を持たない。だから「うつ状態により今後〇〇習慣の自宅療養を必要とする」という診断書を出す。しかし本人は本格的なうつではないから、休職中はそれなりに動けるし、職場のことを忘れようと、旅行やカラオケや飲み会に参加する。しかし復職の時期が近付くと不安が募り、医師に診断書の延長を求める。しかしこれはなまけというよりは、恐怖症の発症としてとらえるべきなのだと思う。

2013年7月27日土曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(6)

2年前に書いたブログとかなり重複している。

4.結局うつはうつである― 張賢徳氏の見解
 ところでこのシリーズは現代型うつ病とは、その正体は一種の恐怖症だ、という主張を行うことである。(というか、題名を見れば明らかであろう。)しかしそのテーマにはまだ至っていない。この4までは、「仮にうつ病だとしても本物として扱うべきだ」という主張を行うことにしている。
 てこの現代型うつ病に関して、精神科医の張先生のご意見は、私が賛同するものである。上述の精神神経誌の同じ号に掲載された彼の説を私がまとめてみよう。
 張先生によれば自殺者の90パーセントが精神障害を抱えており、過半数がうつ病であったという。そして「うつ病患者は増えているのか」という本質的な問題については、二つの可能性について論じている。ひとつはうつ病が受診するようになったから、もうひとつはうつ病概念が拡散したから。その上で彼はやはりうつ病は実数が増加しているという立場を取る。
 そして先生の結論はさすがである。「内因性でも、それ以外でもうつはうつだ。自殺は起きうるではないか。ちゃんと対応しなくてはならない。」
 私も同感である。わが国での自殺人口は去年(2012年)は2万7千人台であり、15年ぶりに3万人を切ったとはいえ、先進国の中でも若者の自殺は依然として高い傾向にある。そして若者を中心に広がっていると言われている現代型うつの年齢層が自殺に関しても高い率を示している以上は、たとえ「現代型」「仕事中だけうつ」だとしてもうつとして扱うしかないであろうと思う。
 ここで現代型うつは「なまけ病」であるという主張についての私見をまとめておこう。そもそも人は好き好んで「怠ける」わけではない。健全な人の場合は、仕事への意欲をなくして怠けたくなっても、興味は別の方向に向かうものである。それがより安易で快楽的な活動に向かうか、より困難で苦しみを伴うものなのかは別として、「何もしなくなる」(怠ける)方向には向かわない。趣味やゲームに熱中したり、酒や性におぼれたり、突然山に修行に出かけたり、お遍路さんに出かけたりするなど。いずれもこれらは「怠ける」とは形容されない。
 もし純粋に「怠けている」様に見えるとしたら、それはその人の活動レベルが、それまでに高すぎたために、いったん休む必要が生じたということになるが、これは怠けではなく必要な「休息」をとっているということになる。
 結局「怠け病」に見える状態はたいていは、うつ病や精神病による欲動の低下、身体の不調による活動低下という、それ自体が疾患に伴うものであることが多い。
 しかしそれでも人は活動が落ちて仕事や通学が出来なくなった人々を「怠け」や「甘え」と真っ先に決め付ける傾向がある。これはなぜなのだろう?
 人の心には常にある種の弁証法が働いていて、二つのモードが綱引きを演じる。一つは「あきらめ・怠けモード」。もう一つは「イケイケ・モード」。前者を目にして人は後者を刺激されるようにできているのではないか?人(特に日本人?)は、「怠け」や「甘え」を容認することに対する後ろめたさが強いのではないか、と考える。
 ただし・・・・以下の点は考慮すべきであろう。① 現代は忍耐についての価値観の変化が生じ、仕事(学習)への嫌悪や不安がより自覚されるようになったのではないか? ② 現代において人はより他責的になってはいないか? ③「怠け」の手段が多彩になり、より快楽的になってきたのではないか? 
 実はこれらの傾向は、「現代型うつ病イコールなまけ病」説を支える心情としてはかなり理解できる部分がある。これはこれで事実として押さえておかなくてはならない。2年前のブログでも出した例である。ネットでこんな例を拾った。

 重体患者より「先に診ろ」…院内暴力が深刻化(2011年2月20日11時24分読売新聞)

 香川県内の医療機関で、職員が患者から暴力や暴言を受ける被害が深刻化している。先月には県内で、傷害や暴行の疑いで逮捕される患者も相次いだ。 これらの「院内暴力」に対処するため、ここ数年、専門部署を設置したり、警察OBを常駐させたりする病院も増えている。・・・ 県も今年度、暴力の予防に重点を置いたマニュアルづくりに乗り出しており、医療現場での対策強化が進んできている。 ・・・ 県によると、県立の4医療施設では、2~3年前から医師や看護師への暴言が目立ち始め、次第にエスカレートしているという。最近では、被害に悩んで辞職した看護師も出ている。担当者は「理不尽な暴力にじっと耐えている職員も多く、把握できているのは氷山の一角。本当の被害は計り知れない」とため息を漏らす。・・・

 私はこれはあるともう。ある塾の講師(40代女性)は、ここ数年になり急に保護者のクレームが多くなったとしみじみ語っていた。学校での親のモンスター化が言われるようになったのもここ10年程のことである。私自身も以前だったら考えられないようなクレームを患者さんからいただくことが起きている。(もちろん私は悪くはない、という意味では言っていない。私の至らなさを以前は患者さんたちはあまり口に出さずに我慢していた可能性がある。) 引きこもりの増加と同時に、クレイマーの増加は実際に起きているのだろう。これは了解できる。理由は分からないが。ただこれと、日本人の未熟化や、新型うつ病と結び付けるところが納得がいかないのだ。
 確かに日本人は人との接触でまずいことがあった場合に、激しくクレームをつけるようになったのだろう。しかし私はこれは未熟さとは無関係であると思う。なにも現代社会のあり方を最も敏感に表現しているはずの若者についてそれが起きているというわけではないのだ。おそらくモンスター化している親の年齢や、救急医を困らせる患者の年齢としては、30代、40代の中年層なのだろう。そしてその他罰傾向が、職場でのうつの際にも現れていて、それが現代人は都合よくうつになる!という印象を与えている気がする。つまり以前のように静かにうつになるのではなく「職場のせいでうつになりました」と声高に主張することで、会社側も心証を害し、苦々しく思うであろうからだ。
 ただこれは日本人の行動パターンが、少し変わってきたからであると考えたほうがわかりやすいように思う。何度も例に出して恐縮だが、私がアメリカから帰って体験した逆カルチャーショックの際は、日本人が依然として「理由もなく我慢する」傾向が強いことを改めて感じさせられた。いまそれが少しずつ変わりつつあるということだろう。つまり日本人は理由もなく我慢することを止めつつあるのだが、ただどのように自己主張をしたらいいかがわからない。だから時々突然怒りをぶちまける。すると対応する側もどうしたらいいかわからないで戸惑っているのだろう。サービスを共有する側(病院、学校、医師、など)が今度は「理由もなく我慢する」立場になっているのだ。
 アメリカ社会の場合は分かりやすい。患者さんが声を荒げると、あっという間にスタッフが「911」をダイアルして警察を呼ぶ。あるいはその前段階として警備員が呼ばれる。(少し大きなビルで、警備員が配置されていないことはない。大声が聞こえた直後には、すでに警備員の姿が見えることが多い。)かの地では、声を荒げることはverbal aggression (言葉の暴力)であり、すでに身体的な暴力と同様にご法度だからだ。それがわかっているから市民はよほどのことがない限り怒鳴らない。
 ところが病院などでは、患者さんが怒鳴り散らすのを前にして、職員が平身低頭、ということがよくある。まあアメリカと違い、患者さんがいくら声を荒げても、まさか米国のように懐から銃を取り出す、ということは起きないから、職員のほうもタカをくくっているというべきだろうが。

2013年7月26日金曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(5)

3.「仕事の時だけうつ」はあり得るのか?なまけではないのか?

 現代型うつ病を論じるうえで一番のキーワードは、「なまけ」である。私たちは(特に日本人は、というべきだろうか?)なまけということに敏感だ。「自分はなまけているんじゃないか?」と常に自分に問いただしていると言うところがある。あるいは人に「なまけてるんじゃないか?」と思われているのかと常に気を緩めないようにしている。
 みなさんの中に、学校を休む時に「これは病気ではなくてなまけではないのか?」と自らに問うたことはないだろうか?それでも体温計で熱が8度代以上だと、休むことに後ろめたさをあまり感じずにすむ。病気である、具合が悪い、ということを数値で客観的に示すことができるからだ。ところがうつ病のような気分の問題は、それが数値化されないだけに厄介である。現代型うつ病がこれほどネガティブなトーンで語られるのも、それが「実は本物のうつ病ではなく、なまけである」という可能性を示唆しているからだ。確かに彼らの行動には、「病気による休職期間に旅行に行く」とか「就業時間の間は元気がないのに、それを過ぎたら嬉々として飲み会に出席する」などの行動が見られることが報告される。するとそれが「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」(香山リカ先生、講談社)となってしまうのである。 
 しかし実際は、一切のことに興味を失うのは重症のうつの場合で、うつが軽度の場合は、いろいろな中間状態が起きうる。あるうつの患者さんはこう言った。「うつになると、楽しんでやれるということが非常に限られてくるんです。」「友達と会っている時は精いっぱい笑顔を作り、盛り上がるようにします。そして帰るとどっと落ち込むのです。」これらの言葉は、うつ病の人が外からは生活を楽しんでいるように見えても、案外内情は複雑であることを示していると思われるであろう。
 そこで2年前にこのテーマについて論じたときに、ちょっと当たり前の図を作ってみた。再びここに掲載しよう。縦軸は、ある行動の量、横軸はうつの程度を示す。


   そして行動としては、快楽的な行動(自分で進んでやりたい行動)と苦痛な行動(義務感に駆られるだけの行動)を考え、それぞれがうつの程度により低下する様子を示した。うつの深刻度が増すとともに、快楽的な行動も、苦痛な行動もやれる量が下がってくる。ただその下がり方にずれがあるのだ。うつでない場合(Aのラインに相当)は、快楽的な行動だけでなく苦痛な行動も、それが必要である限りにおいては出来る。うつが軽度の場合(Bのラインに相当)は、苦痛な行動は取りにくくなるが、興味を持って出来ることは残っている。うつがさらに深刻になると(Cのラインに相当)両者とも出来なくなるわけだ。
  行動を、快楽的なものと苦痛なものにわける、という論法は、故安永浩先生の引用するウォーコップの「ものの考え方」理論に出てくる。苦痛な行動は、私たちがエネルギーの余剰を持つ場合には、エネルギーのレベルを持ち上げることでこなすことができる。賃金をもらうためにだけ行う単純な肉体労働であっても、「ヨッシャー、ひと頑張りするか!」と自分を鼓舞することで、若干ではあっても快楽的な行動に変換できるからだ。(つまり行動自体は苦痛であっても、それをやり遂げて達成感を味わうための手段にすることで、それは幾分快楽的な性質を帯びることになるわけだ。「やる気を出す」、とはそういうことであり、うつの人が一番苦手とすることである。)
  私が特に注意をしていただきたいのは、Bのラインの状態であり、好きなことは出来ても義務でやることは出来ないという状態だ。このような場合、好きなことを行うのは、自分のうつの治療というニュアンスを持つ。うつが軽度の場合、例えばパチンコを一日とか、テレビゲームを徹夜でする、とかいう行動がみられる場合があるが、これはそれによる一種の癒し効果がある場合であり、うつの本人にとっては、「少なくともこれをやっていれば時間をやり過ごすことができるからやらせてほしい」という気持ちであることが多い。しかしそれを見ている家族や上司は実に冷ややかな目を向けるのである。「あいつは仕事にもいかないで一日中ゲームをやっていてケシカラン。やはりなまけだ・・・・。」

2013年7月25日木曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(4)



 私は中安先生は、DSMの大うつ病の概念を全面否定することに性急なあまり、理論的な整合性を犠牲にしてしまっているのではないかと思う。先生はかねてからDSMの「成因を問わない」という「操作主義的」な点を痛烈に批判なさる。しかしDSMのそのような性質は、もちろん多くの問題を含んでいるものの、精神医学の歴史の流れの上である程度の必然性をともなってできたものであり、その価値を白か黒かで決められないと考える。中安先生は輝かしい業績のある、日本の精神医学の頭脳とでもいうべき存在ではあるが、DSMに対する反発や怒りが、彼の臨床観察の精度を落としているように思えてならない。
 うつをひとつの症候群とみなして、「不眠、抑うつ気分、食欲の減退、自殺念慮・・・・などをいくつ以上満たしたら、うつ病と呼ぼう」という約束事はやはり必要と思う。なぜなら何をうつ病と呼ぶかが、人によりあまりにも異なるからだ。うつを内因と心因に分けるという発想自体が過去のものになりつつある。それが内因性でも心因性でも、症状が出そろえばうつはうつ、なのである。一見心因性と思われたうつが、結局長引いて深刻なうつになる、ということが実際に起きるからだ。そうすると脳に直接働く抗鬱剤も効くようになる。それほど心因性の疾患という概念は曖昧な点を含んでいる。何が心因かが結局は主観的な問題でしかありえないということを、この四半世紀のあいだの外傷理論の変遷が示しているのだ。

2.現代型うつは、従来の「非定形うつ」(DSM)に非常に近い
 さて私は現代型うつという概念にやや批判的なのであるが、それは中安先生の意見とは異なる意味でそうなのである。それは現代型うつと呼ばれるうつのタイプは昔から存在してたということだ。DSM-III(1980年)以降記載されてきた非定形うつ病の概念や、従来日本で記載されてきた「抑うつ神経症」は、現代型うつ病として記載されているものにかなりにかなり近いのである。つまり現代型は現代になって急に現れたというわけではないのだ。
 「でもこのタイプのうつが最近急に目立ってきたという意味で『現代型うつ』と呼んでもいいのではないか?」と言われればそれに真っ向から反対するつもりはない。しかし少なくとも「最近は非定形うつが増えてきた」という表現の方が正確ではないかと思う。それをわざわざ「現代型うつ」と呼ぶことで、そこに独特のカラーを施し、センセーショナルに喧伝するという一部マスコミの意図がうかがわれる。マスコミの論調は「現代型うつは、単なる怠けであり、現代社会人の未熟さを露呈させている」的な論調である。
 ちなみにDSMによる非定形うつとは、以下のような診断基準により表される。
気分反応性(好ましいことがあると気分がよくなる)がある。
さらに次の症状のうち2つ以上がある。
1.著しい体重増加、または過食
2.寝ても寝ても眠い(過眠)
3.手足に鉛がつまったように重くなる、激しい疲労感(鉛様麻痺)
4.批判に対して過敏になり、ひきこもる(拒絶過敏性)
つついて抑うつ神経症である。これは従来次のような考え方が主流を占めていた。
  更に抑うつ神経症についても見ておこう。
①精神病的でないこと。つまり、抑うつ気分はあっても現実検討力(空想と外的な現実とを識別吟味する自我の働き)は保たれ、自分が病気であるという自覚(病識)はあり、幻覚や妄想を欠いていること。
② 軽症であること。うつ病の症状が全部出そろうことはなく、睡眠、食欲、性欲などはあまり強く障害されない。また内因性の徴候とされる日内変動や強い抑制(おっくうさ)や
焦燥感(いらいら感)がなく主観的な気分の異常が主となる。
③ 他の神経症の症状がみられる。すなわち、自律神経症状をともなう不安、心気、強迫、
離人症状など。
④ 外的な負荷(反応性)ないし内的な葛藤(心因性)によって起こる。誘因はきっかけにすぎず、性格上の問題とからんで発症する。
⑤ 性格に起因する。具体的には病的な自己愛、依存傾向など。

もう一つついでに。有名な木村・笠原分類での第III型(「葛藤反応型うつ病」)もこれに近い。
「未熟依存的自信欠如的な性格の上に、持続的に葛藤状況(主として対人的葛藤)が加わって生じるタイプ。」

結論から言えば、現代型うつは従来の非定型うつ病、抑うつ神経症、あるいは「葛藤反応型うつ病」としてれっきとして存在していた。この事は常識的な専門知識を有する精神科医なら当然把握していることである。



2013年7月24日水曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(3)


さて私はこれまで「現代型」のうつ病について何度となく講義で話したり、講演をしたりしましたが、概して精神科医からの受けはよろしくない。「現代型うつ」なんてマスコミがでっち上げたものであり、まともな精神科医が論じるべきではない、という話もよく聞く。しかしすでにみた「それは『うつ病』ではありません!」や「それってホントに『うつ』?」や「『私はうつ』と言いたがる人たち」、「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」といった著書を書いているのもれっきとした精神科医達なのである。
その中でより格調高く、アカデミックな色彩が整えられており、精神科医がまともに議論しているのが、「ディスチミア親和型」(うつ病)という概念で、樽味伸、神庭重信といった精神科医達が提唱している概念である。(「うつ病の社会文化的試論-とくにディスチミア新和型うつ病について 日本社会精神医学会雑誌  13:129-136, 2005神庭重信先生は九州大学大学院の教授であり、この概念の名付け親は、九州大学大学院生の樽味伸(たるみ しん)という方である。(2005年7月、33歳で死去なさったそうである)。
 このディスチミア新和型うつ病については、これはもともとメランコリー親和型といわれる、ドイツのテレンバッハという精神病理学者が主張したうつ病の性格特性の考え方が下敷きになっている。メランコリー親和型とは、生来几帳面で責任感が強く、対人関係でのストレスを打ちに溜め込みやすい性格である。ところが現代型うつに特徴的な性格傾向はそれとはむしろ逆な、責任を他人に転嫁するようなタイプと考えたのである。そしてそれをディスチミア新和型の性格傾向と捉え、それを持つ人がなりやすいうつ病をディスチミア新和型うつ病と呼んだのである。ただしその内容を読んでも現代型うつ病や新型うつ病とほとんど変わらない。ただ精神医学的な体裁が整っているという点が違うという印象を受ける。
ちなみにこのブログでは2011年の2月にこの議論を一度している。そのときも掲載した表だが、今回もしてみる。ディスチミア親和型の性格特徴を見ると、まさに現代型うつ病そのものであるということがわかるだろう。






ところでこれらの現代型うつ病の概念に真っ向から反対する精神医学者もいる。その代表として中安信夫氏が上げられる。中安先生は私が昔ご指導いただいた先生で、高名な精神病理学者である。彼はDSM反対論者としても知られるが、ある論文(中安信夫、ほか:「うつ病の広がりをどう考えるか」日本精神神経学雑誌、2009年の第6号)で次のように主張している。
「そもそも伝統的には、うつ病は次のように分類されていた。内因性と、反応性(心因性)と。これは基本的には妥当な分類だ。後者は抑うつ反応と、抑うつ神経症に別れるが、ある種の出来事に対する反応という意味では似ている。両者の違いといえば、「時が癒す」ことが出来れば抑うつ反応。「時が癒し」てくれなければ抑うつ神経症。つまりもともと性格の問題があると、時間が経っても体験の影響を受けつづけると考えられるからだ。ところが最近のDSMはこの基本的な分類を混乱させている。特に「大うつ病 major depression」という概念が問題だ。そもそもDSMの「成因を問わない」という方針が大間違いであり、従来の診断からは当然抑うつ反応や抑うつ神経症になるべきものが、「大うつ病」に分類される。なぜなら症状をカウントして9項目中8項目を満たす、などと機械的に診断を用いることで、簡単に大うつ病になってしまうからだ。従って「新型うつ病」という新しいうつ病も存在しない。それは本来は、心因反応や抑うつ神経症という診断をつけるべきものであり、それがDSMにより大うつ病と誤診されたものであるに過ぎない。その診断書をもって休職届けを出す人が増えた、というだけの話である。」
さて中安先生の見解に対する私の意見である。私は伝統的な、内因性か反応性(心因性)かという分類が、明確には出来ないというケースが多いという事情が問題なのであり、彼の理論はその点を考慮しているとは言いがたいと思う。この内因性か反応性か、という分類については、前者が私のいう「脳のうつ」、後者が「心のうつ」に大体相当するといっていいが、うつの難しい点は、後者が前者に移行し、前者は後者の体裁を取りつつ発症することがあるというところにある。

2013年7月23日火曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(2)


1.果たして「現代型」、「新型」か?

まずは現代型うつ病とは本当に現代型、新型なのかという議論から始めたい。結論から言えば、同様の病態は古くから知られていたということである。例えば「逃避型抑うつ」(1977年、広瀬徹也氏)、「退却神経症」(1988年、笠原嘉氏)
「現代型うつ病」(1991年、松浪克文氏)「未熟型うつ病」(1995年、阿部隆明氏)、「擬態うつ病」(2001年、林公一氏)、「ディスチミア親和型」(2005年、樽味伸、神庭重信氏)などはその例である。
これらのネーミングからわかるとおり、「本当のうつ病」とは少し違うもの、何かそこに性格的な未熟さや、怠け心などの疾病利得の追及が見え隠れするもの、というニュアンスはあった。
これらの概念を早くから提唱した一人の笠原嘉先生は今でもご健在だが、彼が1980年代からすでに、現代の「新型うつ病」の概念を先取りしていたことがわかる。彼はこう書いている。

 [退却神経症は] 単なるなまけ病ではないか?それがどうも違うのである。どちらかというと、よくやる人たちだった。「退却」などという軍隊用語を借用したのは、そのことを言いたかったからだ。まじめにやっていた人たちの、突然の戦場放棄である。(退却神経症(P8~9) (笠原嘉 1988年)
さらに
「少し暗い感じはするが、立派な青年である。・・・ところがちょっと気になることがある。2,3日の休みを断続的に繰り返しているのだが、自分はなやんでいるはずだ、と思っていたのに、彼自身はけろっとしている。・・・周りの人が大変心配しているのに、ご本人は意外に「ヌケヌケ」している。・・・(p27)」退却神経症 (笠原嘉 1988年)
「もしうつ病なら、現代の精神医学はかなり効率の高い治療法を提供できるからである。・・・これに対して退却神経症の治療法は、うつ病のときほど画一的ではない。・・・退却神経症はノイローゼなので、つまり社会適応への挫折なので、治療は人それぞれであらざるを得ない。(p59)」
ところでこのように「新型」の特徴をとらえているにもかかわらず、笠原先生の概念だけ、「退却神経症」という、鬱以外の診断名を考えているというのも興味深いところである。これは私の「現代型とは結局はうつというよりは一種の恐怖症である」という主張とも重なる。云うまでもなく恐怖症は神経症の範疇に属するのだ。

笠原先生は実は1970年代には、いわゆる登校拒否の問題を扱うようになってきている。そして同様の心的メカニズムが、若者の出社拒否についてもあるであろうと考えている。そしてその背景にある概念が、その頃米国ではやったいわゆる「アパシー・シンドローム(apathy syndrome)」の概念であった。これはハーバード大学の精神科医R.H.ウォルターズ(R.H.Walters)によって提起された概念である。簡単に言えば青年期における発達課題である『自己アイデンティティの確立・社会的役割の享受』に失敗した時に発症リスクが高まるとされる。ただし現代の米国精神医学ではあまり聞かれないのだ

2013年7月22日月曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(1)

昨日は小寺財団主催で「関係精神分析」のセミナーを開催した。院生も参加してくれた。和やかに進行。内容には自信があるのだが、参加者の数はいまいちであった。とにかく参加していただいた方々には感謝したい。

現代型うつ病という言葉を昨今よく聞く。臨床でもしばしば出会う(ことになっているが、私にはよくわからない。普通のうつが依然多い気がする。)概念は一種の流行といっていいし、それなりに誤解されているような気がする。この件についてちょっと考察を加えてみたい。
現代型うつ病の概念が知られるようになったのはこうだ。最近若者が仕事を放り出して安易に会社に休暇願を出す。特に病気でもなさそうなのに、医者は「うつ病」の診断書を書き、それを聞きとして提出する。何かおかしい。現代の若者に特徴的な病気ではないか?鬱は鬱としても「現代型うつ病」とでもいうべきであり、その本態は鬱ではなく、単なる怠けである・・・・。本屋で見かける関連書籍も似たような論調で書いてある。
●それは「うつ病」ではありません! 林公一先生 宝島社新書
●それって本当に「うつ」? 吉野聡先生 講談社α新書
l  「私はうつ」と言いたがる人たち 香山リカ先生 中公新書
l  仕事中だけ「うつ病」になる人たち 香山リカ先生 講談社

2007年の「こころの科学 #135」はこの問題を特集したが、サブタイトルがまた同じトーンである。「職場復帰 うつかなまけか」
この書の冒頭で編集を担当した松崎先生が書く。
「『本当にうつ病なんですか? なまけなんじゃないんですか?』こうした人事担当者の問いに窮する企業のメンタルヘルス関係者が増えてきた。近年、企業内で増えているのは、従来のような過重労働のはてにうつになる労働者たちではなく、パーソナリティの未熟などに起因する「復帰したがらないうつ」である。
従来のうつの場合は、治療早期にもかかわらず、早く復帰することを焦るケースが多かった。ところが近年では寛快状態となり職場復帰プログラムを開始しようとしても「まだまだ無理です」と復帰を出来るだけ回避しようとするタイプが増えてきている。」(松崎一葉)

さらに「人事担当者には、外見上の元気な姿や友人と楽しく語るさまを見れば、「なまけている」としか映らない。会社を長休職していることに「申し訳ない」という気持ちは少ない。主治医の診断書は「うつ状態にてさらに一ヶ月の休養を要す」と毎月更新される。「いったいいつまで休むつもりなのか?」と人事担当者や上司は苛立つ。時には、このような状況が就業規則で定められたギリギリの休職期限まで続く。」(松崎一葉)

2013年7月21日日曜日

こんなのいつ書いたっけ (18)

とても土居先生へのオマージュとはいえない文章である。私も「斬られた」感がある・・・

精神分析研究542010年) 所収
「斬る名人としての土居先生
土居健郎先生は私にとって恩師であり、様々な意味でお世話になった方である。先生に対する感謝の気持は別の企画による追悼文集(1)に寄せた一文にしたためた。再び先生について書く機会をいただいた本稿では、私が個人的に知ることの出来た土居先生の人となりについて少し書いてみたい。
土居先生のことを思い浮かべると、その優しさと同時に、あの独特の厳しさも蘇ってくる。土居先生は筆まめで、面識すらない一介の医学生だった私の、手紙による他愛のない質問にも、ていねいにお返事を下すった。弟子や後学者に常に声をかけ、アドバイスをくださるという優しさを示してくれたのである。
しかしそれとは別に、議論の時の先生の舌鋒は鋭かった。特に公開の場での土居先生は歯に衣着せぬところがあった。適切なたとえではないかもしれないが、切れ味の鋭い刀で相手をスパッと斬るような感じであったと思う。分析で言うならば、極めて父親的な面を持った先生であった。それは先生の持つあまり日本人的ではないイメージとも重なる。そのような時の彼の立ち居振る舞いには、周囲への過剰な配慮や気遣いは、あまり感じられなかった。ものごとの判断や行動が素早く潔く、そのスタンスは非常に個人主義的であった。彼の英語がとても堪能だったことも、何か偶然ではない気がする。
こんな話を聞いたことがある。土居先生が確か1980年代に米国のメニンガー・クリニックで講演をなさった時のことである。メニンガーといえば、アメリカでの有数な精神病院であり、かつて多くの日本人の精神科医が留学したという歴史がある。先生はその先駆者で、1950年にメニンガーに留学しておられたが、ご家族の病気という事情のために2年ほどで帰国された。それからかなり経ってメニンガーで講演をなさったわけだが、先生は50年代と比べて感じるアメリカ人の変化や堕落について語ったという。そして集まった聴衆を前にして、著しく肥満している人の数が増えていることを例にあげた。すると聴衆の中で名指しされたと感じた一部の人々が憤然として席を立ち、会場を去っていったということである。おそらく先生は平然とそれを見送られたことだろう。いかにも「斬る名人」土居先生らしいエピソードである。
実際に土居先生に公の場で厳しい指導を受けた諸先輩方も多かったらしい。精神科医として駆け出しの頃、私は複数の先輩から次のような話を聞いた。土居先生は時々学会などで衆目の前で、発表者に容赦無い厳しい指導をなさる。当然言われた方は落胆して恥じ入る。しかし土居先生は精神的なフォローを忘れない。その発表が終わった後、傷心の発表者にそっと近づき、優しい言葉で力づけてくれる、というのである。それが土居先生の後輩への配慮の仕方であるとのことだった。この時は他人事のように聞いていたが、自分自身が同様の体験を持つことになるとは思わなかった。
それから20年近くも経ったある学会でのことである。私は指定討論演題という部門で発表する機会を持った。その指定討論を引き受けてくれたのは、学会の顔ともいえるA先生であった。そして私の発表の後、A先生は最初はやんわりと、そして途中から真っ向から私の論点を否定する発言を行なった。私は学会の大御所からの厳しい意見に背筋が凍る思いであった。そのセッションの司会を勤められたB先生は議論に少しバランスを取り戻そうと、私の主張の一部について代弁をなさったのだが、そのとき土居先生がおもむろに手を挙げて、非常に短いコメントをおっしゃった。
「いまここでディスカッションを聞いていたが ・・・・・ 僕はやはりAクンの方が正しいと思うね。」
私は今でもそのときの感覚が忘れられない。A先生の厳しい討論内容のあとだったので、二人に左右袈裟斬りされた、という感じであった。特に大衆の面前での、しかも偉大な土居先生からの駄目出しである。反論する気力など出ようはずがない。それにこのような時は気が動転してしまい「何を指摘されたか」という一番重要な点に頭が回らないものである。
そしてその日の昼食時に、私に近づいてこられた土居先生は、おっしゃった。「さっきは君の立場を支持できなくて悪かったね・・・・。」「僕は物事に白黒つけてしまうような議論には反対するんだよ。」私はこの時は先生の言葉の意味を十分に受け取る余裕もなく、ただひたすら恐縮したものだが、少し後になってから、このことにだけは思い至ったのである。「あの先輩達の話とあまりにも似ている・・・・。私もとうとう土居先生からの洗礼を受けたのだ」。
私が土居先生を「斬る名人」と表現することで、誤解を生まないよう気をつけなければならない。相手を叱ったり教え導く目的で厳しい言葉を掛けるということは、現代社会に生きる私たちにとってかなり難しいことといえる。私たちは相手にたいして異なるメッセージを発する時、しばしばそれが相手を傷つけることを懸念し、また報復をされてしまうことを恐れる。昨今では逆にパワハラと言われかねないこともあり、いかに相手の感情を損ねないかばかりを考えてしまい、伝えたいメッセージのインパクトは薄くなる傾向にある。
ところが土居先生は厳しい指導や指摘が必要な際に、結果を案じることでその機会を失うことは潔しとしなかったところがある。そしてその効果はいつも見事だった。実際にそのような土居先生の一言を必要としている人たちもいたのだろう。私たちは先達から言葉により斬られることでそのメッセージを受け取ると同時に身を引き締め、居住まいを正すことがある。その瞬間は辛いが、あとから振り返れば重要な体験だったりするのだ。一昔の我が国では、それはむしろどこでも見られる光景だったのかも知れない。
しかしそれにしても、その土居先生の思考が常に立ち戻るテーマが「甘え」であったという事実とどう繋がるのだろうか?「甘え」は許しやいわたりに繋がるであろうし、それは「斬ること」により相手を否定することの反対に位置するかのようである。ちょうど去勢を迫ってくる父親と、優しく包み込む母親の機能を先生は同時にお持ちだったことになる。私はしばしばこのことを考えるが、いまだに納得のいく考えには至っていない。しかし以下のことだけは言えるように思う。
土居先生は心に対する尽くせぬ興味をお持ちであった。人間への優れた観察眼を持っていた夏目漱石の作品に対する先生の限りない敬愛にそれは表れている。そればかりか先生は直接人に関わりを持つこともお好きだった。晩年の先生はたくさんのお弟子さんと優しいご家族に囲まれてさぞお幸せだったのではないか。少なくとも傍目にはそう見えた。先生一流の斬れ味の鋭い指摘や批判のせいでお弟子がさんたちが去ってしまったという話も私は聞いたことがない。それは先生の手厳しい言葉が憎しみや攻撃性とは程遠かったからであろう。
先生が若くして得られた地位や威厳も加わり、言葉による切断は、後学者を指導するために重要な手段となると同時に、先生一流のメッセージの伝え方へと磨きがかけられたのである。先生により斬られる理由がたとえその時は不明であったとしても、そこには生きた触れ合いが生じているのであり、そのようなやりとりは簡単には忘れないものなのだ。私自身にもあの学会のことはほとんど土居先生とセットになって懐かしく思い起こされるのである。
この短い文章で私が土居先生について言いたかったのは次のとおりである。斬る名人としての先生の根底にあるのは、指導することへの熱意であり、人間愛であり、甘え、甘えられの関係を含む人とのかかわりへの希求であった。土居先生は自分が「斬る」ことによる指導や主張の威力を十分に分かっておられたであろうし、それだからこそ多くの先輩方が、そこに土居先生の愛情や人間味を感じ、彼の死を悼みに集ったのだと思う。斬れ味の鋭い先生の言葉は、甘え、甘えられの人間関係に加えられた先生ならではのスパイスではなかったかと思うのである。

(1) 土居健郎先生追悼文集 ― 心だけは永遠 土居健郎先生追悼文集編集委員会 (2010年)


2013年7月20日土曜日

こんなのいつ書いたんだろう (17)

そろそろ一冊分かな?

金剛出版「精神療法」特集「自己愛性障害の精神療法」vol.33, No.3. p330-334

恥の倫理から見た自己愛問題 

  
はじめに

この論考のテーマは「恥の倫理から見た自己愛問題」である。いわば恥と自己愛という二つの概念の橋渡しを試みることになる。このテーマになじみの薄い 方には、両者の関係性は見えにくいかもしれない。しかし恥の視点からみた自己愛の議論はすでに米国ではひとつのまとまった流れを形成しており、私も個人的に大きな影響を受けた経緯がある。
そこでまず私がこの「恥と自己愛」というテーマにかかわるようになったいきさつをたどってみたい。
もう二十年以上も前のことであるが、私は精神科医となって間もなく、精神分析とともにいわゆる精神病理学の領域にも大きな関心を持った。しかし統合失調症に関する精神病理学的な考察については私自身の哲学的な素養がないことも災いし、その理解は非常に限られたものだった。ところが同じ精神病理学の中でも、対人恐怖に関する理論には不思議と親近感を持ち、自分自身の体験とも照らして比較的抵抗なく読み進めることができた。内沼幸雄 (1977)、笠原嘉、藤縄昭 (1972) の諸先生方による論考からいろいろ刺激を受けたのを覚えている。
私が恥や対人恐怖に関するテーマに興味を持ったのは、それが単なる病理の記述にはとどまらない、およそすべての人間が持つ心の基本的なメカニズムに関わった議論だからであった。そしてそれは日本文化論とも直結した幅広い視野を提供してくれるようにも思えた。恥は奥ゆかしさや他者への時には過剰ともいえる配慮に関係した、きわめて文化的な色彩の強いものとして何人かの識者により描かれていたのである。
後に渡米してからも、対人恐怖についての興味を持ち続けることが、私の日本人の精神科医としてのアイデンティティを維持する上で大きな支えとなった。しかし恥の問題を自己愛というテーマにそって考えるようになったのは、米国における精神分析の流れの中でその視点に出会ってからである。


「恥は自己愛の裏の面である」という提言

およそ一世紀前に欧州で生まれ、第二次大戦後は米国においても隆盛をみせた精神分析理論に、恥の概念に関する議論は事実上姿を表さなかった。もちろん精神分析が扱わなかったテーマは他にもいくらでもあっただろう。しかし分析理論においては本来人間の体験するさまざまな感情が中心的なテーマとして扱われてしかるべきである。たとえば罪悪感や怒り、攻撃性や性愛性に関連した情動が頻繁に扱われたことを思えば、この恥に関する議論が一切なされなかったことは看過し得ない。
恥の萌芽ともいうべき人見知りの現象は、正常な情緒発達のかなり早期に見られることは古くから観察されていたはずである。ダーウィンの基本情動の理論を継承したというトムキンスTomkins, S.1963の所説によれば、恥は生まれつき人間が備えた感情のひとつに数えあげられる。フロイトがこの感情についてまったく論じていないことそのものが、精神分析理論の限界をあらわしているとも考えられるだろう(岡野,1998)。そしてこの恥を無視する傾向は、精神分析とは一線を画す形で発展した米国の一般心理学にも同様に見られたのである。現在あたかもその反動のような形で、恥を中心とした「自意識的感情self-conscious emotion」についての研究が盛んになされているが、それも比較的最近のことである(Tangney,et al,1995)
精神分析の流れで恥のテーマを正面から取り上げたのが、モリソンMorrison, A.(1989)だった。モリソンはコフートKohut, H. (1971) の理論を引き継ぎながら、次のような主張をする。
コフートは自己愛についての彼の考察を深める中で、フロイトとは異なる仕方で人間の感情の問題を捉えた。コフートは人から共感され、自分の存在を肯定されることにより発達する健全な自己愛を、人が生きていくうえで最も重要なもののひとつであると考えた。そして恥は人から共感を得られず、自己愛の傷つきが生じた際に生じる感情として捉えることが出来るとした。モリソンはこのように恥を「自己愛の裏の面underside of narcissism」として捉え、コフートの自己愛理論は事実上恥の理論であるとまで言い切っている。同様の視点は、精神分析の文脈ではネイサンソン(Nathanson, 1987)ブルーチェック(Broucek, 1991)らによっても支持されている。
モリソンらの理解に従った恥は、いわば反応性の感情ということが出来る。人から評価され、認められることにより本来生まれるべき陽性の感情を自己愛として捉え、それが遮断された際の反応として恥を考えるのである。このように理解された恥には、一種の外傷のニュワンスが伴っていることに気づかれよう。恥の感情はもっぱら共感能力に欠けた他者によりもたらされるのであり、非は他者の方にあると言わんばかりなのである。恥の体験は決して「恥ずべき」体験ではなくなるのだ。
恥の体験に対するこのような見方の推移は、自己愛の病理の理解が変化したこととも関係していた。自己愛を精神病と連続したものとするフロイトの捉え方においても、以下に述べるカンバーグ流の理解の仕方(Kernberg, O. 1985)でも、その病的な側面がもっぱら強調されていた。そしてコフートにより提唱された自己愛理論は、これらとは非常に対照的であった。
カンバーグの描く自己愛人格は誇大的で傍若無人であり、他人を自分の自己愛願望を満たすために利用するといった性質を持っていた。そしてその病理の中核部分に境界性人格障害と同様の、生来の羨望や攻撃性が考えられたのである。しかしコフートのいう自己愛人格はむしろ他人の評価に敏感であり、常に傷つきやすさを備えたものとして記述されていた。コフートのそれはむしろ人間の健康な側面を含むものであり、いわばこの自己愛の復権と共に、恥もまた汚名を返上された上で登場したのである。
ちなみに私がこの自己愛に関連付けられた恥の理論に特別に興味を覚えたのは、そのころ臨床や日常生活で怒りや攻撃性の由来について考えさせられることが多かったからである。私たちが臨床場面や日常生活で遭遇する怒りの大部分は、生まれつきの攻撃性の発露というよりは、著しい自己愛の傷つきに対する反応である事を痛感していたのだ。その当時勤務していたカンザス州の州立精神病院の思春期病棟では、怒りを暴発させる患者達を毎日目にしていた。彼らは仲間から揶揄されたり疎外されたりすることに極めて敏感であり、そのことによる恥の体験をしばしば激しい怒りに転化させていたのである。

(以下省略)

 

2013年7月19日金曜日

こんなの書いたなあ (16)

2006年の論文のデータをやっと見つけた。

児童心理.847118111859月号、2006年 所収
怒りについて考える-精神分析の立場から. 

             
本稿では怒りについて精神力動学的な立場から考察する。
従来の怒りについての心理学的な理解はストレートでわかりやすかった。例えばひと時代前のある心理学辞典で「怒り」の項目を引くと、T. Ribotの説をあげて「欲求の満足を妨げるものに対して、苦痛を与えようとする衝動」と定義している(1)。この種のストレートな理解は、精神分析理論においても見られた。フロイト以来怒りは破壊衝動や死の本能と結び付けられる伝統があった。それはファリックで父親的であり、力の象徴というニュアンスがあったのである。
しかし近年になって見られるのは、怒りをその背後にある恥や罪悪感との関連から捉える方針である。怒りをこれらの別の感情に引き続いて生まれるものとする考え方は、いわゆる「二次的感情」や「自意識的感情」という概念とともにますます一般化しつつある。無論この考え方にも限界があろうが、怒りを本能に直接根ざしたプライマリーなものとしてのみ扱うよりははるかに臨床的に価値があるものと考える。

基本的な視点

怒りについての私の関心は、恥に関する精神分析的な考察を進める中で生まれた。その経緯についてはすでに別の機会に論じたことがあるので、少し長くなるがここに引用しておく。本稿における考察は、ここから先ということになる。

人の怒る仕組み - 怒りの二重構造
まず怒りが起きるメカニズムに関する私の説明はこうである。人が腹を立てる際には、一連の典型的な心理プロセスがある。それはまず自分のプライドが傷ついたことによる心の痛みから始まる。そして次の瞬間に、自分のプライドを傷つけた(と思われる)人に向かう激しい怒りへと変わる。このプロセスはあまりにすばやく起きるために、怒っている当人も、それ以外の人もこの二重構造がほとんど見えない。
このプライドを傷つけられた痛みは急激で鮮烈なものである。そしてそれこそ物心つく前の子供にはすでに存在し、老境に至るまで、およそあらゆる人間が体験する普遍的な心の痛みだ。人はこれを避けるためにはいかなる苦痛をも厭わないのである。しかしこのプライドの傷つきによる痛みを体験しているという事実を受け入れることはなおさら出来ない。そうすること自体を自分のプライドが許さないのだ。
かつてコフートという精神分析家は「自己愛的な憤りnarcissistic rage」という言葉を用いてこの種の怒りについて記載した。最初私はこの種の怒りはたくさんの種類の一つに過ぎないと思っていた。ところが一例一例日常に見られる怒りを振り返っていくうちに、これが当てはまらないほうが圧倒的に少数であるということを知ったのである。
それこそレジで並んでいて誰かに横入りされた時の怒りも、満員電車で足を踏みつけられたときの怒りも、結局はこのプライドの傷つきにさかのぼることが出来る。自分の存在が無視されたり、軽視されたりした時にはこの感情が必ずといっていいほど生まれるのだ。たとえレジで横入りした相手が自分を視野にさえ入れていず、また電車で靴を踏んだ人があなたを最初から狙っていたわけではなくても、自分を無の存在に貶められたことがすでに深刻な心の痛みを招くのだ。
ましてや誰かとの言葉のやり取りの中から湧き上がってきた怒りなどは、ほとんど常にこのプライドの傷つきを伴っていると言ってよい。他人のちょっとした言葉に密かに傷つけられ、次の瞬間には怒りにより相手を傷つけ返す。するとその相手がそれに傷つき、反撃してくる。こうしてお互いに相手をいつどのような言葉で傷つけたか、どちらが先に相手を傷つけたかがわからいまま、限りない怒りの応酬に発展する可能性があるのだ。「気弱な精神科医のアメリカ奮闘記」(2) 

以上の論旨を一言でいえば「怒りには、自己愛が傷つけられたことによる苦痛、すなわち恥が先立っている」ということになる。ちなみにここでは引用の中のプライドという表現を、もう少し一般的な「自己愛」と言い換えてある。
これまでは攻撃性や男性性と関連付けられる傾向にあった怒りが、実は恥や弱さへの防衛という意味合いを持っているというこの議論は、従来の精神分析理論からのかなりの逸脱を意味する。引用文中にもあるように、この視点は精神分析家H. Kohutにより端緒がつけられたが、そこにはA. Morrison (3)D.L. Nathanson (4), C. Goldberg (5) 19801990年代の多くの分析家の貢献があった。特にMorrisonは「Kohutの理論は、恥の言語でつづられている。」とし、Kohutの「自己愛的憤怒narcissistic rage」についての理論を恥の文脈に導入するうえで大きな貢献をしたのである。

いわゆる自意識的感情self-conscious emotionの議論

怒りに関する同様の再考は、近年一般心理学の分野でも見られた。そこでは怒りは恥や罪悪感その他の「自意識的感情」との関連で捉えなおされることとなった。この分野の先駆者の一人であるTangney (6) は、怒りは恥の感情に対して二次的に生じてくるものという見方を示した。
怒りに関するこの種の新しい捉え方は、米国の臨床場面ではすでに広く受け入れられているという印象を受ける。米国ではさまざまな治療施設で「怒りの統御anger management」と名づけられた認知療法的な治療プログラムが行われているが、それらのマニュアル等を参照しても、怒りに対する同様の理解に基づいていることが多い。すなわち「自らの怒りをコントロールするためには、その際に自分の心におきている恥などのさまざまな内的感情に耳を傾けよ」という方針である。
さらにTangneyらは、恥の感情を強く持つ傾向のある人がどのように怒りの感情を処理するかについての調査を行っている。それによれば恥に陥りやすい人ほど、怒りを破壊的な形で表現する傾向にあるという結果が示されている。

健全な自己愛、病的な自己愛

さて私は現時点では、以上の論旨に若干の理論的な補充が必要だと考えている。確かに怒りの防衛的な意味合いについては一応強調出来たつもりである。私たちは怒りの背後にある自己愛の傷つきを自覚することで、自分が他人に向けている感情の正当性に疑いを差し挟むことが出来、結果的に怒りを鎮めることができる場合もあろう。そしてその怒りが表現されてしまった場合に不本意な形で他人の自己愛を傷つけ、さらなる怒りの連鎖を招くといった事態もある程度は防げるかもしれない。しかしこの種の自覚を深めることで人は最終的には怒ることがなくなり、社会は平和になるのだろうか? おそらくそうではないだろう。多くの防衛機制について言えることだが、それには何らかのより本質的な存在理由や必然性が伴うことが多い。怒りの必然性や正当性についても検討しておかなければあまりに不十分な議論といえる。 
自己愛を正常範囲まで含めて考えるのは現代の趨勢でもある。一つの連続体として自己愛を考え、そこには中心に健全な部分を持ち、周囲に病的に肥大した部分を持つというイメージを考えればよい(1)。ここで健全な自己愛とはわが身を危険から守るという一種の自己保存本能と同根だと考えればよい。そしてその具体的な構成要素としては、自分の身体が占める空間、衣服や所持品、安全な環境といったものが挙げられよう。
 また周囲の病的に肥大した部分には、偉い、強い、優れた、ないしは常に人に注意を向けられて当然であるという自分のイメージが相当することになる。
この自己愛の連続体を考えた場合、怒りとは、そのどの部分が侵害されても生じることになろう。病的に肥大した自己イメージの部分が侵害された場合についてはすでに論じたが、正常の自己愛が侵害された場合には、自己保存本能に基づいた正当な怒りが生じる。その際は恥よりもさらに未分化な、一種の反射ないしは衝動が怒りに転化するのだ。そしてこちらは一次的な感情としての怒り、と考えるべきなのである。
ただしここに問題が生じる。自己愛が連続体である以上、それが侵害を受けたと感じたのが健全な部分が病的な部分かは、しばしば当人にさえも区別がつかないことがある。
混んでいる電車で足を踏みつけられた時の怒りという例を再び取り上げよう。その人が自分の存在を無視されたと感じ、大して痛くもないのに踏まれた相手に大げさに咬みつくとしたら、これは病的といえるだろう。しかし実際に足の甲に鋭いヒールが食い込んだ際の耐え難い痛みのために、反射的に声を上げて相手を突き飛ばしてしまう場合もあるだろう。こちらは誰の目にも正当な怒りに映るはずだ。以上の例は両極端でわかりやすいが、大概の場合、足を踏まれて腹を立てた際の私たちの怒りはどちらの要素も伴った複雑な存在であることが多い。

(以下略)

2013年7月18日木曜日

こんなのも書いたぞ (15)

罪の日本語臨床 北山修 (), 山下達久 ()  創元社、2009年 に所収


日本語における罪悪感の表現について
           

1.はじめに出発点としてのベネディクト

この論考で私は日本社会における罪悪感の問題について、私自身の異文化体験をまじえつつ考察を行う。
従来は日本人のメンタリティはとかく恥の感情と結びつけられて来たが、罪の文脈からも多くの興味深い論点を見出すことができる。そこで日本人における恥と罪悪感の問題を半世紀以上も前に論じたルース・ベネディクト(1967)の著作を議論の出発点としたい。
ベネディクトの名前や業績は、多くの方にとってなじみ深いものであろう。彼女の著した「菊と刀」は、第二次世界大戦の終結直後の1946年に米国で出版されたが、戦時の反日のキャンペーンの一環として書かれたものとみなされる傾向があったのは、その時代背景からやむをえなかったのであろう。
「菊と刀」は日本文化における恥の意味に注意を喚起したという意味で画期的であったが、そこに示された日本文化の理解は過度に図式化されたものであった。ベネディクトは日本社会においては人前で恥をかかされることを回避する傾向が極めて強いとし、原罪の意味を重んじるキリスト教社会のアメリカと対比させた。それは恥は他人との関係で生じて人間の行動を規制するということを意味し、「人が見ていなければ悪いこともする」というニュアンスを伝えていた。つまり日本社会においては本質的な規範や倫理性が欠如していることを示唆しているかのようであった。他方欧米社会においては罪は神との関係で体験されるものであり、内在化された規範、倫理観を意味する。そしてそこには罪の、恥に対する倫理的優位性という前提が見て取れたのである。

ベネディクトへの賛否両論

戦後の日本においては罪悪感や恥をめぐる様々な文化論が提示されたが、そのひとつのきっかけとなったのがこのベネディクトの著作であったことは確かであろう。そしてこの議論には数多くの批判がよせられた。
たとえば哲学者和辻哲郎は「ベネディクトの述べている日本人の価値観は一部の軍人にしか当てはまらない」と述べている(和辻、1979)。ただしこれは微妙に論点をずらした議論であったともいえる。一部の軍人だけがそれほど特別な心性を備えているのかも疑問であるし、恥の社会という視点が一部の軍人には実際に当てはまってしまうかの主張にはそれはそれで異論も多かった。また精神医学者としての土居(1971)の反論は広範に及び、ベネディクトとの恥と罪の理論の持つステレオタイプの傾向をさまざまな角度から的確に捉えたものといえた。
さらにベネディクトの主張に触発された恥の議論については、恥が他者との関係において生じるのか、それとも個人の精神内界においてのみ生じるのか、という論点に従った作田啓一(1967)や井上忠司(1977)の業績があり、公恥と私恥についての生産的な議論を生んだ。

日本社会における罪悪感の問題

そこで本考察において主要なテーマとなる罪悪感の意識はどうであろうか? これに関しては日本社会においては罪悪感が体験されにくいとするベネディクトに対する柳田國男の反論に注目したい。柳田はその著作(1950)で次のように論じている。
「日本人の大多数のものほど『罪』という言葉を朝夕口にしていた民族は、西洋のキリスト教国にも少なかっただろう。」
この柳田の反論は私がおおむね共鳴するものである。次の章でも述べるとおり、日本人が頻繁に用いる「すみません」という言葉に、私は常日頃から違和感を覚えてきた。そしてそれがわが国の文化を端的にあらわしているのではないかとも考えていた。柳田の議論が示唆しているのは、罪もまた対人場面において生じるということであるが、それも正しい指摘であると言える。なぜなら「すみません」とは言葉の上では謝罪を意味し、罪の意識を他者に向かって表現していることになるからだ。人は悪い行いをした場合に、個人として、自らの神との関わりで罪の意識を持つこともあれば、その行いにより傷ついた人を前にして罪悪感を喚起され、謝罪することもある。日本人の「すみません」は「『罪』という言葉を朝夕口にする」(柳田)典型といえるであろう。


. 私の異文化体験から  
英語でほめられるという体験と罪悪感

以上の考察は、恥や罪の感情そのものをベネディクトが行ったような形で文化に従って類型化すべき根拠は希薄であり、柳田の主張に見られる通り、日本人は対人場面において罪の意識も頻繁に表明するという事実を示すものである。しかしそれでは日本人と米国人は同じように罪悪感を体験していると言えるのだろうか? 私はやはりそこには大きな差異が存在すると考える。ただしそれは日本人とアメリカ人が罪悪感をいかに体験しているかという点ではなく、いかに言葉で表現するのか、というレベルにおいての違いなのである。つまり罪悪感の他者への伝達のされ方に日米の違いがあるというのが私の考えであり、本稿で最も強調したい点である。
罪悪感や恥はそれが表現された際に周囲の人間にも様々な反応を生む。謝罪したり恥じ入ったりする人を前にして、私たちは同様の感情に駆られたり、逆に自分たちが罪や恥の感情を他人に負わせているのではないかという懸念を抱いたりする。それらの言語的な表明が過度に行われた場合にはそれだけ大きな情緒的反応を相手に及ぼすであろう。またそれらの表現は他者に及ぼす影響を考慮した上で、あるいはそれを目的として行われることもあるだろう。それが私が考える罪悪感が持つコミュニケーションとしての意味なのである。そしてこの考えに至った経緯を説明するためには、まず私の個人的な体験に触れなくてはならない。

私は罪悪感や恥の意識については、以前から人一倍興味を抱いてきたが、その興味や関心は米国での生活を経ることで新たな洞察を得ることができたと考える。
私の「異文化体験」は、ある意味では留学前にはすでに始まっていた。私にとっては日本で出会う外国人は様々な想像を掻き立てる存在であった。彼らは日本人とはまったく異なる存在として私の目に映っていた。特に欧米人は人前で緊張したり恥ずかしがったりすることが非常に少ないように思われた。彼らは常に堂々とふるまう一方では、相対する日本人は圧倒されてすぐに恭順や謝罪の態度を示すように見受けられたのである。
実際日本の街かどで欧米人に英語で話しかけられた日本人は、それに満足に対応できないのは自分たちの落ち度であるかのような後ろめたさを感じているようであった。それでもカタコトの英語で答える人はまだいいほうで、初めから外国人に話しかけられることをあからさまに敬遠する日本人も少なからず見受けられたのである。
当時テレビで「ウィッキーさんのワンポイント英会話」というのを時々目にした。「ウィッキーさん」が道行く人に英語で話しかけると、日本人は多くの場合恥ずかしがり、戸惑う様子を見せる。時には逃げまどう日本人を追いかける「ウィッキーさん」の姿をテレビカメラが追うというシーンがあり、実に情けないと思うと同時に、でも自分だったらきっと真っ先に逃げる口だろうと思ったりした。(ちなみに最近テレビを通して再開した「ウィッキーさん」は、かなり強いアクセントのある英語を話すスリランカ人であった。私は留学前には、彼のことを訛りのない英語を流暢に話す欧米人だと思い込んでいたのである!)。

英語においてほめられること

私の正式な「異文化体験」は実際に渡米し、英語の環境に身をおくことにより始まった。その際最初に大きな違和感を覚えたのが、人にほめられたり、人に謝罪する際の対応であった。英語ではほめられた際に相手に対して原則として「thank you有難うございます」と返すのは、初歩的な約束事といえる。しかしいざ実行する段になると大変勇気がいることなのだ。それはまさに自分の中にないものが、無理やり言葉により表現させられるという体験だったのである。
たとえば人前で簡単なプレゼンテーションをしたとしよう。そして「あなたのお話はとても面白かったですよ。」などと言われた場合、日本語なら「いえ、お恥ずかしい限りです」などと応じることになるだろう。しかし「有難うございます」と返す英語では、そのほめ言葉をいわばいったん引き受けることになる。言葉の上で「真に受ける」わけだ。これは日本語でのコミュニケーションとはまったく異なるメンタリティに基づいたものであるように思えた。
ほめ言葉を「真に受け」て感謝の言葉で返すアメリカ人の態度は、日本人のそれに比べてよりいっそう洗練されているのだろうか、それとも逆なのだろうか? 私にはその答えをいまだに得ていない。しかし少なくともアメリカ人の反応には素朴な自己肯定に基づいた単純明快さと率直さがある。
英語圏では人が誉められた際のこの「率直な」この反応は「有難うございます」には留まらないこともある。さらに「お気に召していただいてうれしいです I’m glad that you liked it.」「そんな風に言っていただいてありがとうThank you for telling me that.」「ありがとう。私も頑張りましたからThank you. I did my best.」と言い継ぐアメリカ人も多い。
これらの「率直な」反応の特徴は、それらの表現により会話がそこで一段落することである。一方が他方を褒め、他方がそれを率直に受け止めたことを表明し、そこでコミュニケーションがとりあえず完結するのだ。手紙のやり取りなどを見ればわかるとおり、これが通常の意思伝達のあり方である。
翻って日本語ではどうか? この「一段落」が明確でないのだ。私たち日本人はほめ言葉を率直に受けることを得意としない。そうすることにとてつもない居心地の悪さを感じてしまい、ほめ言葉をすぐに否定し、相手に跳ね返してしまうのである。
プレゼンテーションなどで「あなたのお話はとても面白かったですよ。」と言われた際の私たちの反応は、先ほど述べた「いえ、お恥ずかしい限りです」以外にも、「いやいやとんでもございません」とか「お耳汚しなものをお聞かせしました」(これも考えてみればすごい表現であるが)などいくつものバリエーションがあるが、たいていは最初にほめてくれた相手は「またご謙遜を」とか「いや、本当に素晴らしかったですよ。お世辞ではありません。」と言ってくれるだろう。しかしそれでもほめられた方は「そうですか、そんなによかったですか・・・」などとそれを受け入れることはありえない。「いやいや、とんでもありません・・・・」などと繰り返すであろうが、このやり取りを延々と続けるわけには行かないから、少しずつ声の調子を落としていき、最後まで相手のほめ言葉を受け取ることなく終わるのである。これが私が以下に「無限連鎖型」と呼ぶ、おそらく日本語に非常に独特のコミュニケーションなのである。
  
3.日本語における罪悪感と「無限連鎖型」のコミュニケーション

.では英語のほめ言葉への対応に苦慮したという私の体験についてのべたが、この.では日本語による罪悪感の表現のあり方について考察する。
私はほめ言葉に対して「有難うございます」と返す際に感じる居心地の悪さの正体を、当初は「気恥ずかしさ」として捉えていた。しかし気恥しさなら、すでにほめられた時点で生じているはずである。ところがほめ言葉にまつわる居心地の悪さは、そのほめ言葉に対する否定の言葉を発するまでの一瞬間、つまりほめ言葉をいったんは受け取ったままでいる状態で生じるようなのである。そしてこの居心地の悪さは、結局は罪悪感と同類の感情と理解するようになった。なぜならほめ言葉を真に受ける状況は、自分が相手より優れた存在、強い存在であるという前提に立つということであるが、それは私自身がかつて設けた罪悪感の定義にまさしく当てはまるからである。その定義とはすなわち「自分が他人より多くの快(より少ない苦痛)を体験する際に生じる感情」(*)と言うものであった。そこで本章ではこの罪悪感の問題に踏み込んで考察を深めたい。
  
(*)私は罪にしても恥にしても、他人との関係で体験されるものと自分に対して感じるものとは独立し、平行して存在してしかるべきと考えてきた。つまり両者とも「社会的感情 social emotions」でありかつ「自意識的感情 self-conscious emotions でもありうるという点では共通しているのである。しかし罪と恥の共通した特徴について考察を進めていくうちに、その区別が必しも容易ではなく、文献的にも十分に満足のいくような区別がなされていないと感じるようになった。そこで私はかねてより恥と罪の意識について私なりに定義し、両者を区別する試みを公にしてきた(岡野、1997年)。そして恥とは、「対人関係において自分の弱さ、不甲斐なさの認識に伴う感情」 (←→弱、ないし優←→劣の軸)にあり、罪とは、対人関係において自分が他者に不快や苦痛を与えたという認識に伴う感情(善←→悪の軸)という理解を示したのである。そしてこのうち罪に関して、それが生じる状況をさらに一般化し、「(罪悪感は)自分が他人より多くの快(より少ない苦痛)を体験する際に生じる感情」、ないしは「自分が他人より少ない苦痛(多くの快)を味わう際に、それにともなって体験される感情」としたのである。
この考え方は私としては常識的な定義と考えるが、このような区別を設けておくことで、それらの感情が対人関係で生じるかどうかについての議論を当然のこととして省略することが出来る。なぜなら上の過程は自分の心の中でも、直接の対人場面でも同様に生じるからである。


(以下略)

2013年7月17日水曜日

こんなの書いたなあ (14)

こんな論文、書いたことすら覚えていなかったとは、どういうことだろうか?

こころの科学154 境界性パーソナリティ障 害(2010年) 所収

医原性という視点からの境界性パーソナリティ障害
はじめに
本稿は「医原性という視点からの境界性パーソナリティ障害(以下BPDと表記する)」というテーマで論じる。ここで医原性のBPDとは、医師ないしは治療者により二次的、人工的に作り上げられたBPDという意味である。ただしここでいう「作り上げられる」には、以下に述べるように実際の病理が作られてしまうという意味と同時に、もともとあった病理がさらに悪化したり、実際はBPDとはいえないものが、そのように誤診ないし誤認されてしまうという場合も含むことにする。
BPDの臨床を考える上で、この医原性の問題は非常に重要なテーマである。後に述べるとおり、現在の精神医学におけるBPD のあり方を考える際にも医原性の問題は現代的なテーマとなりつつある。しかしこの問題はまたBPD という概念がネガティブなイメージや差別的なニュアンスを担い始めた時に、すでに存在していたとも考えられる。歴史的には、類似の例として「ヒステリー」の概念があげられるだろう。ヒステリーは「本当の病気ではないもの」、「気のせい」、「詐病」、あるいは「女性特有の障害」として、やや侮蔑的な意味で用いられたという経緯があり、治療者側のそのような偏見が、ヒステリーという診断の下され方に大きく影響していた可能性がある。そして現代においては BPD が同様の役割を背負わされているというところがあるのだ。
BPD の患者は治療者の間でしばしば「厄介者」のように扱われる傾向にある。スタッフ同士の会話の中で「あの人はボーダーだね」という表現がなされる場合は、過剰な感情表現や行動面での奇抜さ、治療者への批判的態度、自傷行為などのために扱いが難しいケースを指し、その患者が厳密な意味でBPD の診断基準を満たしているかどうかはあまり問われない傾向にある。すなわち治療者の主観がBPD の診断や理解に非常に大きな影響を与えているということになる。そしてそれがBPD が人工的に作りあげられたり、治療者のかかわりがその症状をかえって悪化させたりするという問題を生んでいると考えられる。それはBPDを治療する環境を著しく阻害することにもつながりかねない。
この問題についてもう少し詳しく論じるにあたり、筆者自身が BPD について、論じてきた内容に立ち戻りたい。筆者はかつて「ボーダーライン反応」という考え方を示したことがある(1)。そこでの筆者の主張は、以下のとおりであった。
BPD は私たちが持っている、対人関係上の一種の反応形式が誇張されたケースである。人はみな心のどこかに、「自分は生きている価値などないのではないか?自分はだれからも望まれたり愛されたりしていないのではないか?」という疑いを持ち、日ごろはそれを否認しながら生きている。しかし時々人から裏切られたり、仕事で失敗を繰り返したりした際に、この疑いが再燃する。すると人は不安に耐えられずに、自分を受け入れない人々を攻撃したり、他人にしがみつき、つなぎとめたりすることに全力を奮うのである。
簡単にいえば、人はだれでも精神的に危機的状況ではBPD 的にふるまう可能性がある、という主張である。このBPD的な振る舞いとは、原始反応にもなぞらえることができるであろう。身体的な侵襲に曝された際には、人は理性的な判断に従う代わりに、より本能に根差した反応を見せる。その代表がいわゆる「闘争逃避反応」(2) であるが、ボーダーライン反応もそれとニュアンスが似ている。人は精神的な危機状況に立たされた時に、それを回避するために、結果を省みない唐突な行動を起こすのだ。ただし 闘争逃避反応が 天敵への反応だとすると、ボーダーライン反応においては対人関係における危機、例えば恥をかかされる体験、人に去られる体験、あるいは対人関係上の外傷一般への反応として生じることになる。
この問題にどうして医原性のテーマが絡むかといえば、この対人関係における危機は、治療者患者関係の中でしばしば尖鋭化された形で再現される可能性があるからである。そして治療者はまた、その患者に診断を下す一番身近な距離にあると言えるのである。

治療者という名の権威者
「医師という仕事は少し経験を積むと、診察室の癖が身について、相手を少々見下す姿勢になりやすい」とは、ある熟練の精神科医の言葉である(3) 。そしてこのことは医者に限らず、臨床現場で患者に向きあう心理士や看護師等の治療者一般についてもかなりの程度言えることだろう。治療者は自分でも意識しないうちに、患者より高い立場の人間として、すなわち権威者としてふるまうようになる事が多い。それにつれて治療者の自己愛が膨らんでいくと、患者が示す僅かな抵抗や反発も、自分に対する挑戦や、自分のプライドを傷つける行為に感じられ、それが治療者の心に恥や怒りの感情をさそうことがある。
このような治療者の感情的な反応は、精神分析的には逆転移感情として理解し、処理すべきものといえる。しかしこれについて治療者自身の気付きや自覚が十分でないと、治療者はそれを行動化により表現してしまう可能性が高まる。例えば治療者は「おとなしく私の治療方針を受け入れないと、あなたとの治療を中止する」というメッセージを暗に与えることになるかもしれない。するとそれは患者の側に深刻な怒りや恐れの感情を生み、患者に先述の「ボーダーライン反応」を引き起こすかもしれない。それを見て治療者は患者がいよいよ実際のBPDであることを確信してしまうこともある。このようなプロセスを経て生まれた「BPD患者」はまさに医原性のものと言えるだろう。
臨床場面でよく聞く言葉に、「操作的 manipulative 」がある。これは「あの患者はあの看護師に私の悪口を言って、私を悪者にしようとしている。操作的な態度だ。」という風に使われる。そして同じような文脈でやはりよく聞くのが、「スプリッティング splitting 」である。こちらは「患者は治療チームを自分の敵と味方にスプリットしようとしている」という風に使う。どちらも患者の振舞いを端的に抽出していると言えなくもないが、同時にこれらの言葉ほど濫用されるものはない。
筆者は日頃学生や心理療法家たちに「患者さんの操作的態度とか、スプリッティングとか言うが、操作やスプリッティングを患者にされてしまう側にも問題がありますよ」と言うことが多い。治療者は自分が患者に感情的に動かされるような気がして不安に感じた時に、「あの患者は操作しようとしている、だからボーダーラインだ」、と考える傾向にある。このような概念を多用する治療者には、実は操作やスプリッティングはする側とされる側があって初めて成立するのだ、という視点が希薄なようである。というのも治療者の方がどっしりと構えていれば、簡単に操作され動かされる筈はなく、「この人は操作的だ」、というような発想もそれだけ少なくなるからだ。
たとえば小さい子供が父親に対して「これ買ってくれないと、もうパパと口なんかきかないからね。」とか「パパなんて嫌い。ママなら買ってくれるって言っていたから、ママにきいてみる」と言ったとしよう。しかし「この子はすでに5歳で、親を操作しようとしている。実に末恐ろしい」などとは思わないだろう。それは親が事態に余裕を持って対応できるために、そのような子供の意図をあまり問題にする必要がないからだ。ところが治療者の方がその余裕が奪われ、実際に患者さんの望むとおりに動いてしまたことに気がつくと、たちまち患者さんのことを「操作的」と判断することになるのだ。
治療構造と医原性のBPD
伝統的な精神分析理論に従った教育を受けた治療者は、結果的に医原性のBPDを生む関わりをしてしまう可能性も指摘されている。この点は後に見る Gunderson Fonagy らの主張に通じている。そしてそこでしばしば問題となるのが、治療構造の概念である。
精神分析において特に価値がおかれるいくつかの概念があるが、治療構造はそのひとつである。フロイトがその概念の基本を提出し、わが国では故・小此木を中心に論じられた治療構造 (4) の概念は、分析的な精神療法において必須であり、患者および治療者に安全で治療的な環境を提供するものとして理解されている。
もちろん治療構造自体があまりに硬直化したものである場合には、それが非治療的となりうる、という主張を受け入れる治療者は少なくないであろう。しかし治療構造自体があいまいで、境界が不鮮明だったり、それを守るべき治療者の態度にブレが生じた場合の弊害に関する主張に比べれば、ほとんど聞かれないのが現状であろう。
治療構造論をライフワークの一つとした小此木の生前の言葉に「僕は、治療構造をちゃんと守らないところがあるから、あえてあのような理論を作り、自らを戒めたのだ。」というものがあった。この言葉に見られるのは、やはり治療構造はきちんと定め、それを遵守することが最善であるという考え方であろう。しかしこの治療構造の重要さを強調する分だけ、治療構造を遵守できない、あるいはその維持に抵抗を示す患者を問題視し、そこに病理性を見出す傾向も強くなる。
治療構造を重視する臨床家に大きな葛藤を生むのが、患者の求めに従う形で治療構造の維持に例外を設けることである。ある患者が通常の定期的な面接の枠組み以外に突然現われ、治療者に面談を要望したとしよう。何か特別の事情があるらしいことが伺える。そのような際に分析的なオリエンテーションを重視する治療者は、その要望の唐突さやアクティングアウト的な要素に注意を奪われて、緊急の面談要求を拒否する可能性がより高いであろう。あるいは簡単に事情を聴く程度のことは行っても、要求どおりにセッションを設ける可能性は少ない。もちろん臨時のセッションを提供する時間的な余裕がない場合は論外だが、たとえあったとしても、治療構造に例外を設けることに対する懸念からその要求を拒否する可能性がある。
しかし患者の側にはその拒否の理由が即座には理解出来ない場合が少なくない。そして「治療構造を守ることが大切である」という治療者の側からのメッセージは、治療者にとっては半ば当然のことのように思えるのに、患者の側からは理解できないという事態が生じることになりかねない。筆者の臨床経験では、このような経緯による治療者患者間の理解のずれもまた、治療者が患者の態度を必要以上に「操作的」で挑戦的な態度とみなし、そこにBPD的な要素を見出す原因として大きいという印象を持つ。

(以下省略)