2013年5月31日金曜日

精神療法から見た森田療法 (25)

今日は晴れているぞ。やった!もう梅雨の中休みだ!

いわゆる「汎用性のある精神療法」はメタスキルである

さてここで一つ考えてみましょう。この汎用性のある精神療法は、技法、スキルでしょうか? おそらく違うのです。技法だったらそれを文章化してそれに基づきトレーニングにより教えることが出来るかもしれません。しかしそうではないというのが私の考えです。汎用性のある精神療法がどうして提唱されず、また教科書が作られないかといえば、それが技法ではないからです。それは敢えて言うならばメタスキルなのです。昨日の図で、「汎用性のある精神療法(姿勢)」と書いてあったのを覚えていらっしゃるでしょう。スキルではなく一種の姿勢、態度、メンタリティだと言えるのです。メタスキルといえば、既に用語として使われています。それについては既にこのブログで述べています。(18)ということはわずか一週間前のことですが。

「最終的に必要とされるのは「メタスキル」ということになる。それは一種のニュートラリティ、中立性ということとも近い。それはセラピストがおかれたある状態、と言うわけだ。「宿善開発」とか「信心獲得」と言うのは依然としてわからないが、ある種の高みに立って、自分の生の刻一刻を死とのコントラストにおいて体験するという姿勢?メタスキル、という言葉を思い出した。メタスキルはピリチュアリズムの世界ではよく用いられる概念であり、アーノルド・ミンデルの奥方のエイミー・ミンデルの概念であるという。それはスキルを超えた「心理療法家・セラピストとしての『姿勢』」であるというわけだ。メタスキルの定義としては、ネットではこんなことを書いてある。

“Deep spiritual attitudes and beliefs manifest in therapy and in every daily life…. Through their feelings and attitudes, therapists express their fundamental beliefs about life. These attitudes permeate and shape all of the therapists apparent techniques. Conceptually, I raise these essential underlying feelings of the therapist to “skills ” that must and can be studied and cultivated. I call these feeling attitudes “metaskills”.”

治療や日常生活に現れる深いスピリチュアルな姿勢や信念。治療者は彼の人生に関する根本的な信念を表現する。その信念が浸透し、形を成したのがテクニックなのだ。

汎用性のある精神療法の視点から、森田療法を考える

さてそのような視点から森田療法を考えるのですが、やはり特筆するべきなのは、「自然治癒」という考え方ではないかと思います。しかし私は自然治癒を目指すという手法そのものについて言っているわけではありません。自然治癒だけなら、森田療法を受けなくてもいいことになりかねないからです。そうではなくて、その「外し」方です。森田療法を受けにきた人に、「治そうと思うな」ということの逆説性なのです。これは例えばある治療法のテキストを開くと、「こんなテキストを読んで治そうとするな。テキストを捨てよ。」と書いてあるようなものです。これではテキストとしては成り立ちません。おそらく森田療法についてのテキストを書いている方ならだれもが、この種の矛盾や逆説性を感じていらっしゃるのではないでしょうか。「一応書いているけれど、体験してもらわないとつたわらないよね。」みたいな。

2013年5月30日木曜日

精神療法から見た森田療法 (24)

いよいよ梅雨入り。これから数週間が憂鬱である。


いわゆる「汎用性のある精神療法」について
そう、どんな理論を持ってきても、どんな治療技法を持ってきても、実際に患者を前にした臨床家はメタレベルに位置している。だから患者を扱えることが出来る。これがロボットと最も異なる点です。たとえば認知療法を受けに行くと、認知療法ロボットが対応します。しかし患者が「やはり認知療法には抵抗があるんですが、考え直していいですか?」と言えば、ロボットは「それではまた受付ロボットのところに戻ってください。さようなら。」となるでしょう。でも人間の治療者なら、「認知療法には抵抗があるんですね。その抵抗についてちょっと聞かせてくれませんか?」となるでしょうし、その時の治療者は認知療法より上のメタレベルに立っている。「いきなり認知療法と言ってもねえ。抵抗あるよね。誰かから認知療法は良いよ、という話を聞いたの?」となるわけですから。
この臨床場面では学派がなくなる、という現象。面白いと思いますが、私はここでそれをやはり方法論的に洗練されたものにしたいと思います。それはいわば「汎用性のある精神療法」というべきものです。これはあらゆる精神療法的なアプローチの上に立った精神療法ということです。「そんなことできないよ。スーパーマンじゃあるまいし」と言われるかもしれませんが、私の考えは逆です。実はある程度経験ある治療者は皆やっていることなのです。「~療法家」としてふるまう以前に。たとえば森田療法家でも、精神分析家でも、初めて会う患者さんに対してはこれをやっている。あるいは毎日の精神療法プロセスにおいてもこれを行っている可能性があります。さらには「~療法」をやりながら同時にこれを行っている可能性がある。例えば精神分析的な治療を行っている治療者は、「この人にこの分析的な介入はするべきではないな」と思ってそれを控えたとしたら、精神分析と同時にメタレベルの治療、すなわち「汎用性のある精神療法」を行っているということになります。図式に描いてみると、汎用性のある精神療法が土台にあり、その上に「~療法」が載っているという感じでしょうか。わざわざ図に表すほどのことは全然ないのですが。この図で、汎用性のある精神療法の後に「姿勢」とかっこに入れてありますが、これは後で説明します。しかし森田療法をいろいろ検討して、結局これは「姿勢」であるとわかった時の、あの姿勢、という意味です。




2013年5月29日水曜日

精神療法から見た森田療法 (23)


メタレベルに位置する治療者
結局私が柔構造の考えから行き着いたは、面接者は常に高みにいることにより機能が出来るということです。治療的な構造を柔構造として用いるということは、治療構造に対して高みにいることです。いや、このような言い方をすると必ず私のお師匠さんに怒られてしまいます。お師匠さんは、弁証法的な志向が常に患者に対して治療者が高みに立つというニュアンスがあるのが問題だとおっしゃいます。確かにそのようなニュアンスがあるので、私も気をつけたいと思います。高みに立つのではなく、立とうとしている、と言い換えるべきなのでしょう。私はとりあえずここでは「治療者はメタレベルにいる」というような表現をいたしますが、実際にはメタレベルにはもし一瞬到達できたとしてもそこに留まれないのであり、その意味では中立的な治療者、というのと同じニュアンスがあります。厳密な意味での中立性は努力目標、ないし仮想上のものなのです。
 さてどうして治療的柔構造がメタレベルの議論ないしは発想なのかについてもう少し説明します。それは治療者が治療構造という決まりをどのように用いるかを常に考える立場にあるからです。治療時間が終わろうとしている。そのとき大事なことがおきようとしている。それをどのように扱うのか、それを決めるのはそのときの治療者であり、治療構造自体ではありません。治療構造は、原則として治療時間は50分であるという以上のことを伝えてはいないからです。なんとならば、治療者は「50分というのは一つの目安であり、今は緊急事態だからもう少し話を聞こう」となるかもしれないのです。
 このように考えると、治療者は単に精神分析の治療原則に対してメタレベルにいる、というだけではないということがわかります。治療者はそれこそどのような治療手段を用いようか、ということに関してもメタ・レベルにある。治療室に入ってきた患者さんに対して、どのような対処をするのか、どのような治療手段を提供するのか、場合によっては会うことを見合わせるのかということを決めるのは、すべてメタレベルでの決断と言えます。臨床家の在り方は常に構造の上に立って、その構造をどのように扱うかを考える。そしてその構造には治療者としての役割までもが含まれるのです。たとえばたまたま新患としてやってきた人がある事件に関して法廷で争っている当事者であったとしたら、事情を話してお引き取りいただくということもあるでしょう。まああまり起きる可能性のない事態ですが。

このように考えると臨床家の役割とはあらゆる技法や治療を凌駕する形で常に刻一刻と判断を下している存在ということが言えます。そしてそれがその治療者のスキルそのものであるとしたら、実は治療者がどのような学派に属しているかということは非常に大きな影響を及ぼすものの、あまり本質部分ではないということもいえるのです。

2013年5月28日火曜日

精神療法から見た森田療法 (22)

ちなみに治療構造とは、精神療法がおこなわれる際の頻度や回数、料金、時間設定、オフィスの場所やオフィス内の家具の配置などの外的な条件と、そこでの治療者の態度や治療上のルール、習慣や不文律などの内的な条件を総合してそう呼ぶわけです。故小此木啓吾先生が中心になってこの概念が整備されました。本来は精神分析的な精神療法についての言葉だったのですが、もちろんそれ以外のあらゆる療法についても治療構造は存在することになります。たとえば入院森田療法には、一週間の絶対臥褥期、それに続く軽作業期などがありますが、これがそれに相当するでしょう。あとはそのような治療構造をそのような概念として意識化し、治療的に扱い、その維持が重要であるという議論をそれぞれの療法において行うかどうかという違いがあります。
それでは「柔構造」とは何かといえば、日本家屋の構造にみられるように、それ全体がしなり、変形することで外的な力に対して弾力性を示しつつ、その形を保っている構造です。日本建築、特に五重塔などは度重なる震災にも耐えてその形を保っています。それが鉄とコンクリートでできた「剛構造」としての西洋建築と対比されて論じられてきたということがあります。(ちなみに柔構造も、剛構造も、日本語の概念です。)この柔構造という概念を、先ほど述べた治療構造と重ね合わせて論じたのが、「治療的柔構造」の概念です。
 この柔構造を治療構造として考えるということは、言葉を換えればその治療構造を保っている治療者が柔軟性を示しつつ治療を行うということです。たとえば自己開示については、患者の側から治療者のことを知りたいというメッセージが送られてきた際、治療者はそれを厳しく拒絶するでもなく、無制限に伝えるでもなく、心の天秤のバランスを取りつつ対処するということです。心の天秤などという比喩もここに出しましたが、治療構造とは治療者と患者のどちらからも、それを保持したいという願望と、それを破りたいという願望が常にあり、それにバランスを取るところに治療の妙が生じます。
治療構造について私は時々次のような過激なことを言います。「治療構造は、破られてナンボなのだ。」その真意は次のようなものです。治療構造の中で、それを押してみるとぐらぐらしたり、それが一部壊れるということを知って、私たちはそれを扱うことができるようになる。その意味ではちょっとこわしてみる、破ってみるということが許されない治療構造は人間の生活の中であまり意味を持たないことになります。あるいは少なくとも治療的には扱いにくい。
たとえば「赤信号はわたってはいけない」を私は常に絶対に守っているわけではありません。どんなに狭い道につけられた信号でも、車が全然来ていなくても渡らなかったのは、小学校低学年の頃だけです。それ以後は青の点滅でも無理に渡ってみたり、赤信号を無視してタクシーにクラクションを鳴らされたりほかの歩行者から白い目で見られたりしながら、私の中での「赤信号はわたっていけない」が独自の意味を伴って内在化されていきます。もし「赤信号はわたってはいけない」という構造が絶対に破られることがないという「剛構造」であり、たとえば赤信号の間は横断舗道が自動的に遮断されて渡れないという装置が至る所にあるとしたら、赤信号の存在の意味すら分からず、それこそ停電で信号がつかなくなってしまった時の振る舞いが分からなくなってしまいます。(あまりいい例とは言えないなあ。)
治療関係においては、50分で済ますところの面接が12分伸びて、それが許されるということがあって、はじめ50分の意味が内在化されるということがある。剛構造であってはならないのです。

2013年5月27日月曜日

精神療法から見た森田療法 (21)


基本原則とは、「~を守るべし」という掟のようなものです。掟が常に守られるべきとは限らない。例外もあるでしょう。しかし精神分析的な治療原則が守られるべきではないというケースがあまりにも多いのです。というより掟を守るべきかかもらないべきかという判断が、臨床的に非常に重要になるのが、精神療法の世界なのです。こんな掟ってあっていいのでしょうか?
私がこれまで多く論じてきた自己開示ということを例にとってみます。治療者は匿名性を守り、自己開示をするべきではないというのがフロイトの教えです。ただし自己開示が全く禁止されるとしたら、治療者は自分がどのようなトレーニングを受けたのか、どのような治療方針を持っているかということまで伝えるべきではないということになります。しかし現在では精神分析を含むあらゆる療法でインフォームドコンセントが叫ばれ、治療者がどのようなトレーニングを受け、どのような治療方針を持っているかを患者にあらかじめ伝えることが半ば義務化されつつあります。また少し考えるとわかることですが、治療者が患者と会う際に自分の情報について意図せずに伝わってしまうことはたくさんあります。
 すると匿名性を守るとすれば、インフォームドコンセントに従って伝えるべきことを伝えないだけでなく、この自然に伝わってしまう情報までことさら隠さなくてはならなくなります。すると治療者は自分のオフィスの本棚に並んでいる書籍すらも隠さなくてはならなくなりますが、それは非常に不自然であるだけでなく、治療的な意味があるかも非常に疑問です。
匿名性の問題が重要なのは、治療者が自分の情報を患者に伝えないことが重要なのではなく、何を伝えるか(何が伝わるか)、何を伝えないか(何が伝わらないか)を治療場面において十分に配慮するべきかという一点に尽きます。ある非常に重要な治療の局面で、治療者が自分の感情を伝えることも、伝えないことも、状況によっては非常に大きな意味を持つのですから。そして同様の問題は、禁欲原則についても、受け身性にも言えるのです。精神分析が教えてくれるのは、「精神分析的な治療原則を守ることが精神分析である」ではなく、治療原則はことごとく相対的なものであり、治療者がそれぞれの治療場面で判断すべきである、ということです。
治療的柔構造の概念

これらの考えから私が提唱をし始めたのが、治療的柔構造の概念です。これは大野裕先生が最初に言及した概念で、それを基にして私も「治療的柔構造」(岩崎学術出版社)という本を書いたことがありますこれはどのようなことかというと、治療構造、すなわち治療の枠組みというのはおよそどのような治療手段においても存在し、かつ重要なものですが、それが真に治療的に意味を持つためには、それが「柔構造」でなくてはならないということです。

2013年5月26日日曜日

精神療法から見た森田療法 (20)


治療原則への疑問 (すべての治療原則は相対的)
私が特に精神分析理論の中でフロイトが治療原則として掲げた匿名性、禁欲原則、受身性に疑問を持ったことはすでに述べました。私のこの疑問はある意味では非常に単純でわかりやすいことです。それをなるべくわかりやすく言おうと思います。
少なくともフロイトが掲げた精神分析の理論によれば、治療は治療者が受け身的に患者の話を聞き、自分の情報を伝えたり、余計なアドバイスをしたりせず、結果的にある種のフラストレーションを与えつつ、それを梃子のように用いて治療を進めて行くというところがあります。分析系の治療者は多かれ少なかれ、沈黙を守るというスタンスを取り、患者は最初はそれを意外に感じ、治療者とのその様な関係を一種独特なものと感じつつ受け入れ、独特の分析的な治療関係が展開するのです。
 これはメソッドとしては理にかなったものですが、これにより治療が進展する場合と、そうでない場合があるという事実があります。例えば治療者がアドバイスもせずに黙って話を聞いているというスタンスで、自分のファンタジーを話すことが促進される患者さんと、逆に「どうしてお金を払っているのに、治療者は何も言ってくれないんですか?」と怒りだす患者さんがいます。それほどに患者さんのニーズはバラバラで、臨床とはそういうものです。
 従来の精神分析家たちは「いや、黙って話を聞き、患者の無意識レベルで起きていることにコメントをすることが正しいやり方だ」とそのやり方を貫いて来たわけですが、近年ではそうもできない事情が生じてきたわけです。それはそのような治療方針を十分説明されないことに不満を持ったり、説明されたとしても納得しない患者さんの声を無視できなくなってきたからです。というのも昔はそれこそ精神科の薬もなく、精神分析のやり方で患者さんの話を聞くというのが唯一の治療手段というニュアンスがあったわけですが、現代では薬物療法のほかにも様々な種類の治療法が提唱され、精神分析もそれらの沢山の治療手段の一つにすぎなくなってしまったという事情があるからです。患者さんたちは精神分析よりも受けていて治療されているという実感が持てたり、ある種の安らぎを感じる治療法があるならば、そちらに移ってしまうでしょう。それに現代の風潮としては、十分な説明を受けた上で治療を承諾するというインフォームドコンセントという考えは、かなり一般の人々に浸透しているのです。
 ここでどうして精神分析的なアプローチの意義について説明されることが少ないかといえば、そうすることが既に精神分析的な受身性を逸脱してしまうという考え方をする分析家が多いからです。それにそうすることが患者さんに余計なバイアスを与えることになり、治療者の手の内を見せるという意味では匿名性の原則も侵食してしまうという考え方もあるでしょう。あるいは「説明して欲しい」という患者の願望さえも禁欲原則の対象として考える、という傾向もあります。とにかく患者さんにはくだくだしく治療について説明するのではなく、まず体験してもらう、という考え方が精神分析の世界では支配的だったのです。
 私が精神分析のトレーニングを受けながら感じたのは、これらの精神分析的な原則に固執することは、そのようなメソッドに上手く乗れる人にはいいのですが、そうでない場合には逆効果になるであろう、ということでした。匿名性にしても受け身性にしても、必要に応じてそれを緩める、あるいはそれと正反対の事をする必要もる。しかしそうすると、一体精神分析における基本原則とは何か、ということが問題になって来るのです。

2013年5月25日土曜日

精神療法から見た森田療法 (19)



今日から口調が変る。
私が森田療法に対して抱いている親近感はどこから来るのかを考えながら、この発表内容を考えました(ナンの話だ?)。最初に私の精神分析的な考え方の推移と、その中から出てきた「治療的柔構造」ないしは「メタスキル」の考えについて述べたいと思います。
 私は経歴上はアメリカで精神科医として働きつつ、精神分析の正式なトレーニングを積み、精神分析家としての資格を取得して帰国したということになっています。そしてさまざまな意味で本場のアメリカで本格的な分析家たちの姿を見れたと言うことはよかったと思います。すくなくとも「これは本当の精神分析なんだろうか?」と考えるときに「正真正銘の精神分析家がどのように考え、治療を行なっているか」についての参照枠が得られたからです。そうでないといつまでも「本場のアメリカでの精神分析はこんなもんじゃない」と言うような考えと永遠に戦っていかなくてはならないからです。そしてその家庭で自分自身の精神分析観が出来上がってきたのですが、それは伝統的な精神分析のスタイルからはかなり変ったもの、現在のアメリカの関係精神分析という流れに近いものになっていったという経緯があります。
 私がアメリカでの精神科医として、そして精神分析家のキャンディデイトとして体験したことはたくさんありますが、一番大事なことは、治療プロセスは、基本的には予想不可能であると言うことです。それは患者さんとの関係性にしても、患者さんが日常体験することにしても、そして薬物の効果にしてもです。私たち臨床家は一生懸命精神医学を勉強して、分析理論を勉強し、患者さんのヒストリーを詳細にとってその動きをつかもうとする。でも結局はわかりきれない。私はそこに二つの理由があるように思いました。一つには私たちが患者さんをわかろうと言う願望に歯止めが利かないからです。だから少しわかると、今度はもっとわかろうとして、結局わからないところまで行き着いてそれから先にいけないということがあります。それからもう一つは、私たちが非常に強いスプリッティングの傾向を有し、その結果として日常的に患者を、そして自分たちをABかの考えに押し込めようとする傾向です。私が精神分析の理論を学んでいて一番窮屈に感じたのは、それが心というつかみどころのないものを懸命に説明し、公式に当てはめようとして、しかもそれがうまく行っていないという印象を受けたときです。ただしもちろんこれは精神分析に限らない。認知療法にしてもDBTにしても、理論がこみいればこみいるほど現実の臨床と離れていく。森田理論の話をしていて、結局理屈ではなく、一種の「姿勢」ないしは「世界観」だと理解すると納得した、というあの話ともつながります。
治療原則への疑問
私が特に精神分析理論の中でフロイトが治療原則として掲げた匿名性、禁欲原則、受身性に疑問を持ったことはすでに述べました。

2013年5月24日金曜日

精神療法から見た森田療法 (18)

昨日から福岡に来ている。学会発表のためだ。福岡の街を歩いた感想。自転車が多い。東京より堂々と、車道を走っている。歩行者は押され気味、という感じ。それとタクシーの運転手さんたちが威厳がある。2度使ったが、二回とも、降りるときに客である私が「ありがとうございました」といったが、特に返事はなかった。自分の職業にプライドを持つことは素晴らしい・・・・。

このブログの森田療法のシリーズ、もう17回も書いているのに、とんでもない方向に向かい始めている。つまり森田療法の本質は、いわく言いがたし。結局は非言語的な体験なのだ、一種の宗教的な体験に近いのだ、という方向性だ。まあそこにいたるまでに2週間強もかかったと言うことなわけだが。という子とはめたスキルの部分でつながっていると言うわけだろうか?実は私が一応専門としている力動的な精神療法でも、最終的に必要とされるのは「メタスキル」ということになる。それは一種のニュートラリティ、中立性ということとも近い。それはセラピストがおかれたある状態、と言うわけだ。「宿善開発」とか「信心獲得」と言うのは依然としてわからないが、ある種の高みに立って、自分の生の刻一刻を死とのコントラストにおいて体験するという姿勢?メタスキル、という言葉を思い出した。メタスキルはピリチュアリズムの世界ではよく用いられる概念であり、アーノルド・ミンデルの奥方のエイミー・ミンデルの概念であるという。それはスキルを超えた「心理療法家・セラピストとしての『姿勢』」であるというわけだ。メタスキルの定義としては、ネットではこんなことを書いてある。

 Deep spiritual attitudes and beliefs manifest in therapy and in every daily life. Through their feelings and attitudes, therapists express their fundamental beliefs about life. These attitudes permeate and shape all of the therapists apparent techniques. Conceptually, I raise these essential underlying feelings of the therapist to skills that must and can be studied and cultivated. I call these feeling attitudes metaskills.
治療や日常生活に現れる深いスピリチュアルな姿勢や信念。治療者は彼の人生に関する根本的な信念を表現する。その深遠が浸透し、形を成したのがテクニックなのだ。みたいな。森田療法にしてもある種の姿勢を言葉を変えていろいろ言っているわけだが、言葉から入ると、つまり5つのガイドラインと4つのスキルに従えばいいのか、などと考えると、全然大事な部分が伝わってこない。
 そこでセラピストがある種の姿勢を身に付け、あとは自然体で患者に接するという風に考えると、森田療法もわかるような気がする。森田療法ではそれを無理に言葉にすると、「とらわれを捨て、あるがままでいよ」となる。でもそれを具体的に考えていくと、結局はよくわからなくなる。中村先生の5つのガイドライン、4つのスキルも、それを敢えて言葉ににしたというところがある。でもそれはまるで三次元の立体が、2次元の紙の上に影を落としているように、言葉では伝わらないものなのだ。もちろん中村先生もそれをよくご存知だと思う。
 メタスキル、すなわち姿勢として森田療法を考えた場合、その内実を言葉にすることは出来ないながらも、それを言い換えることは出来るだろう。細かいことに拘泥せず、あらゆる現実を端然と受け止める姿勢。とすれば・・・・結局このシリーズの第一回目に戻ってしまう。
17日前に私は書いた。
私が最近考えているのは、諦念、受け入れ、受容といったことに近い。もちろん受容という問題はおよそあらゆる文脈で扱われるわけだが、それでも自分の中にこのテーマに関する新しさを覚える。このテーマは例えば、対人関係においてみると説明しやすいかもしれない。人と知り合い、親しくなる。でもその関係は、将来必ず終わるのだ。親しみということが実は幻の上に成り立っている。夢の世界と言ってもいいかもしれない。もちろんそれは楽しいし学ぶことも多い。そこで生きがいも感じるだろう。でもそれが深まり、進行していけば必ず終わる運命にある。
いろいろ考えても戻ってきてしまったことになる。

2013年5月23日木曜日

精神療法から見た森田療法 (17)

高みに立って自らを見おろすための精神療法


 まあ終活の話はともかく・・・。私がこれまで森田療法の論文などを参照して感じたことは結局、言葉や概念ではない、ということだろう。森田療法は一種の体験であろう。それを中村先生は言葉に直し、私たちもそれを言葉で受け取るが、本質部分は伝わらない。「とらわれ」も「あるがまま」も体験であり、前者から後者に至る過程も実は言葉では言い表せない。でもおそらくそのプロセスは森田療法だけのものではない。森田療法的な用語でそれを言語化したのが「森田療法」なのだ。(トートロジーだな。)

私が森田的な要素をセラピーに応用するとしたら、それは人生を俯瞰する時間を提供する機会、あるいは一種の「身調べ」に近くなる気がする。ただし内観療法で一般的に言う身調べとは異なる。内観では、例えば母親に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」 について考えるという。そして父親や兄弟や配偶者へと移っていくのだ。しかし母親にしてもらったことと同様に人々が拘っているのは「されたこと」でもある。これは物事の片面しか見れない。
  とらわれからの解放は、他者のもつとらわれの受容なしには起きえない。他者が持つとらわれを許容しないことは、他者に対する恨みや不満を持ち続けることになる。一個の人間として見た場合の親は、自分と同じように数多くのとらわれを抱えた人間でしかない。
  私流の「内観」は自分が死すべき運命であることへの再認識を出発点とするしかない。私たちが日ごろとらわれによって抑圧しているもの。それが自分の命には何時か終わりがあり、そこに向かって刻一刻と歩んでいるという事実である。そして自分が持つとらわれを見つめる。とらわれはしばしば他人を巻き込んでいる。「あの人が私を無視する」「あの人の存在が嫌でしょうがない」など。そこでその人のとらわれを想像する。時には人のとらわれは想像を超えていることの認識を持つ。

こんなのまるで宗教ではないか、と言われるかもしれない。確かにそのような気もしてくる。そもそも身調べがたしか浄土真宗か何かだ。ということで調べて見る。

ここで思いきってウィキを引用する。

内観の前身は、浄土真宗系の信仰集団、諦観庵(たいかんあん)に伝わる「身調べ」であった。なお一部に身調べが浄土真宗木辺派に伝わる修行法と紹介されているが、これは誤りである。また「隠れ念仏」「隠し念仏」とも誤解されるが、いずれとも無関係である。禅宗の修行法などという解説もあるが、論外である。

「身調べ」は断食・断眠・断水という極めて厳しい条件の下で自分の行為を振り返り、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べるというものだった。また、秘密色が強く、身調べの途中は親が来ても会わせないという閉鎖的なものだった。これにより、「宿善開発(しゅくぜんかいほつ)」または「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」という一種の悟りのような体験をして、阿弥陀仏の救済を確信するというものだったという。吉本は1936年(昭和11年)から4度にわたる身調べを繰り返し、1937年(昭和12年)11月、宿善開発を達成する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E4%BC%8A%E4%BF%A1

「宿善開発」とか「信心獲得」というのは全くわからないが、「自分の行為を振り返り、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べる」というのは少しわかる。こんな風にも言えないだろうか? もし天国、地獄を信じるならば、日々の行為は常に「こんなことをすれば地獄に落ちるな」「これにより天国への道に一歩近づくな」という観念と結びつくことになる。これはある意味では日常を死すべき運命と結びつけているということにはならないだろうか。

2013年5月22日水曜日

精神療法から見た森田療法 (16)



 ところでこの話は、橋下さんをテレビで目にした時の感想から脱線しているのであるが、一応はなしを「とらわれからあるがままに」へと戻そうと思う。
そのためにメモを取り出す。
5つのガイドライン:1.「感情の自覚と受容を促す」2.「生の欲望を発見し賦活する」3.「悪循環を明確にする」4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」
4つのスキル: 1.共感と普遍化、2.メタファーとリフレーミング、3.症状の脱焦点化、4.日記療法である。
「死に対する恐怖」にさいなまれている人を考える。森田正馬その人がこれに病んでいたというのでいい例であろう。そのために「感情の受容」すなわち自分は死を恐れているという事実を受け入れる。そしてその背後にある生の欲動を賦活する。すなわち「私が死を恐れるのは、それだけ生きたいという願望があるからだ」と言い聞かせる。さらにそこに存在する悪循環を明確にする。すなわち「死の恐怖から逃れようとあがけばあがくほど、その恐怖にとらわれてしまう」という状況を理解する。その上でそのような恐れは実は人間が皆持っているということをしり、その上で「死の恐怖」から視点を逸らす。このようなプロセスを患者と繰り返し行うのが森田療法というわけである。そしてそれがあるがままの境地へと至ることになる・・・・・・。
別に私がそれに反対というわけではないのだ。ただしなにしろ森田療法に対して門外漢ということもあり、やはり消化しきれていない。私としてはむしろもう少し具体的な修練をここに加味したい。それは自分の死ということをとことん見つめ、考えるという方針だ。森田の5つのガイドラインのうちの1.「感情の自覚と受容を促す」一本でまず行きたい気がする。その例がいわゆる「終活」。お聞きになった方も多いだろう。
ウィキペディアにも申し訳程度の解説がすでに立っている。
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略であり、人間人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。主な事柄としては生前のうちに自身のための葬儀などの準備や、残された者が自身の財産相続を円滑に進められるための計画を立てておくことが挙げられる。これは週刊誌『週刊朝日』から生み出された言葉とされており、2009(平成21年)に終活に関する連載が行われた時期以降から「終活本」などと呼ばれるこれに関する書籍が幾つも出版されるなどといった風潮と共に、世間へこの言葉が広まってきており、2010年の新語・流行語大賞にもノミネートされた。また、これをサポートする社団法人も存在する。 以上ウィキペディアから引用。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%B4%BB
あるいは「生前葬」という手もあるかもしれない。

2013年5月21日火曜日

精神療法から見た森田療法 (15)



 私は臆病だといったが、死をあまり恐れない人は、この種の臆病さが少ない人かもしれないと思う。豪胆な人、というべきであろうか。あるいは自分が消えることで皆が困ることを想像し、自分の存在の大きさを感じて楽しめる余裕のある人、と言えるかもしれない。その意味で自己愛的な人。三島由紀夫だってそうだったかもしれない。いや彼も自殺の前日にきっちりと「豊饒の海」の最後の章を編集者に渡したのだ。しかし彼の場合は、編集者に迷惑をかけないように、というよりは彼の作品を完結させて彼の自己愛的な世界を描き切ることの方が大切だったのではないか? うーん、人の死に方を考える時、三島の自決の仕方は自己愛という文脈からは非常に興味がある。もちろんすでにいろいろ研究されつくしているかもしれないが。
死の恐怖を克服する一つの手段としては、死を美化し、死そのものを快楽的にするということだろう。三島は神話となることで、真に武士道精神を具現した人として将来にわたって崇拝されるということをもし本当に考えていたとしたら、それは自己愛的な人にとっては自死へのモチベーションとなるのだろう。同様のことは自爆テロについてもいえるわけだ。特に彼らの場合、来世を信じ、アラーの神から72人の処女を与えられるというのであれば、死はもはや死ではなく、再生そのものということになる。死の恐怖への究極の防衛ということになるのであろう。
死後の世界を私は信じないが、来世を信じるくらいに強力な防衛を私は考えている。ここだけの話だが、書いてみよう。それは時間の体験が死に向かって限りなく緩徐になっていくという現象を想定するのだ。いわゆるパノラマ現象の一つと考えるといい。松本雅彦先生がどこかで書いていたが、彼はフランスで崖から車ごと落ちていったとき、これを体験したと書いてあった。これまでの人生が走馬灯のように。一瞬の出来事のはずなのにかなり長い時間に感じるという。一種の解離現象なのだが、「アキレスと亀」のように、時間の感覚が死に向かってどんどん乗数的に伸ばしていくのだ。人は永遠に死に到達しない。少なくとも体験上は・・・・・。まあ主体的な体験の話だから、それが起きえないということを証明はできないのかもしれないが、まず無理だろうなあ。

2013年5月20日月曜日

精神療法から見た森田療法 (14)


 さて中村先生の論文を読みおわったところで、また森田療法のテクストから外れる。後は私が自分で考えていくわけだ。しかし森田の骨組みを与えられたので少し安心した。と同時にテクストで与えられていない分を自分で補充していけばいい(するしかない)ということもわかった。
ところで518日(土曜日)の朝、日テレのみのもんたの番組に橋下さんが出てきた。彼の主張は別として、彼がある種の存在感を示し続ける一つの重要な要素があることをそのとき私は感じた。それは彼は「自分の主張が受け入れられなければ、自分はこの立場を退く」という覚悟を感じさせるということである。彼は弁護士であり、職業政治家ではない。私がしばらく前に書いた西郷ドンと同じである。「捨て身」といっても言い。また捨て身だからこそ、自分が心から思っていることがいえる。橋下さんは自分の人気が一時的なものであり、そのうち忘れ去られるかもしれないこともよくわかっているのだろう。
自分の行動について、これが最後かもしれない、といつも思うこと。それでもいい、というわけではないが、そうなることを覚悟しておくこと。それはある種のとらわれから私たちを自由にしてくれる。私は死ぬ直前でもジャケットのボタンを気にする、と書いたが、それは最後の瞬間まで「自分がどう見られているか」を意識せざるをえないということだ。人知れず死んでいく場合にはそんなことはどうでもいいことだろう。大勢の前での発表も、これでだめならもう一切講演を引き受けないまでだ、と開き直れれば億劫さや不安は軽減されるかもしれない。そう、何事に関しても、それに対する不安を軽減するのは、「うまくやろうとしない」ということではなく、「これが最後だという覚悟を持つ」であるように思う。少なくとも私にとってはそうだ。政治家なら、「うまく立ち回らないと、次の選挙で落選する」と思うことが問題である。「これで民衆が耳を貸さないのなら、落選をしてもかまわない」と思えることだ。
もちろんこう書くと次のように言われるだろう。「橋下さんは弁護士があるからいいでしょう。西郷さんは帰郷して耕す田畑があるからいいでしょう。でも職を失ったら給料がもらえず、家族が路頭に迷うサラリーマンにそんな覚悟は無理です。」
そう、その通りなのである。また職を失う覚悟で上司にたてつき、結局クビになり、一家を養えなくなるようなサラリーマンは最低ということになる。自分が誰かを支えている状態というのは、「だめなら職を去るまでだ」という覚悟を持つことができない。この世に係累をもつということは、とらわれを作ることであり、神経症的な不安を持つことなのである。
ところで係累ということについて言えば、私にとって死の恐怖は、かなりの分が「迷惑をかけることの恐怖」である。私は30人の患者を予定している外来を一日休むことは、一種の恐怖である。どうしてだろう?30人の患者が不自由を感じる。受付はたくさんの患者にスケジュール変更の連絡をしなくてはならない。それを想像するのが怖い。ただし同時にわかっていることは、そんなことはこの世で日常茶飯事だということだ。医師がインフルエンザにかかり、一日50人の患者のアポイントメントがフイになるというのはよくある話だ。そうでないと医師は病気にすらなれないことになる。また自分が患者の立場で、病院に行ったら休診といわれたらどうだろうと考える。それは不自由や苛立ちを感じるだろうが、この世の終わりというわけではない。かつて千葉から東京に通勤していたころ、帰宅時に突然東西線が運休になり、困ったことが何度かあった。同じような感じだろう。しかし自分がそれを人に及ぼすことが耐えられない。人に優しいというわけではなく、また私が自分のことをそれほど大事だと思うような自己愛的な人間というわけでもなく、ただ臆病なのだ。
自分が死ぬことで講演の予定がフイになる、授業が行えない、などなどで多くの人が迷惑をこうむる。もしそのような事態を避けたいならば、誰でも代わってもらえるような仕事につき、人知れずひっそりくらすしかない。でもそうすることは、私が死への恐怖を軽減する最良の方法なのだ。もちろん人との交流は続けたいが、最近はインターネットという便利な手段がある。

2013年5月19日日曜日

精神療法から見た森田療法 (13)



  3.症状の脱焦点化。これも極めて森田らしい方法といえる。これは中村先生によれば、症状不問(症状の訴えを細かく取り上げない)と同義として説明される。森田療法の報告に接するとよく出てくるのが、この症状不問の問題だが、実際には悩ましい問題が伴うらしい。「外来治療においては、症状を扱うことなしには初期の治療は成立しないため、症状不問に治療者があまり拘泥する必要がない」とまでおっしゃっておられる。

これはある意味よくわかる。森田療法は何よりも症状に苦しむ病者に対する救済であり、これまでに紹介した1,2.のテクニックも、いずれも症状をめぐるものだった。たとえば2.のリフレーミングで、人前での発表を不安に思う人に対して、「それをうまくやりたいという気持ちが強いのですね。」と伝えるときも、結局はその不安という症状を扱っていることになる。まさに「症状を問うて」いるわけだ。それでいて3.として「症状不問」を掲げてくるのは、ある意味では矛盾している。3.を重んじることは、逆に1、2を無意味なものにする危険もあるのだ。しかし私にはこれは一種の禅問答のような気もする。生前の森田にこのことを問うたら、「そう、そこがわが療法の難しいところじゃよ、は、は、は、」と笑われてしまうだろうか?後は残された私たちが考えるべきことなのだ。「あまり生真面目に考えるな。時には森田以外の療法も試みよ」と彼は天国で言っているような気もする。「症状、症状といっても死ねばみな終わりじゃよ」とも。そう森田は「外し」にかかっているのだ。
さてその次は4.日記療法。しかしこれもテクニックというよりはねえ。いやとても有効なことはわかる。とくに受動的に患者の訴えを聞く、というスタンス以外には二の足を踏む治療者にはこのようなツールもあるのだ、ということを知り、実際に用いてみることに意味はある。認知療法でも同様の介入があるわけだ。
中村論文はそれからまとめに入って終わる。そこでも「とらわれからあるがままへ」のための5つのスキルと4つのテクニックが紹介された、とある。もう一度復習だ。
5つのガイドラインとは、1.「感情の自覚と受容を促す」2.「生の欲望を発見し賦活する」3.「悪循環を明確にする」4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」
4つのスキルとは1.共感と普遍化、2.メタファーとリフレーミング、3.症状の脱焦点化、4.日記療法である。
さて私はこれらを学ぶことで「捉われからあるがままへ」と患者を導く方法を会得したのだろうか?答えは、イエス・アンド・ノーである。

2013年5月18日土曜日

精神療法から見た森田療法 (12)


さて論文では、次に森田療法で広く用いられるスキルについての説明になる。それらは1.共感と普遍化、2.メタファーとリフレーミング、3.症状の脱焦点化、4.日記療法、とある。これらを一つ一つ見ていく。
1.共感と普遍化。共感はとくに説明の必要はないだろう。普遍化については、「患者の体験が自然な、それゆえ避けることのできない感情や欲望であることを伝える」とある。そしてそのために治療者は「私たちは…」などと一人称複数形で話す、必要とあらば治療者は自己開示を行うことも薦められている。この1.については、おそらく普遍化の部分に森田療法的な要素が含まれている。そこには病苦は人間にとって自然なことであり、その人だけに起こっているのではないという点を伝えることである。ただし認知療法的には、「誰にでもあること」というメッセージは「面接者は自分の問題を『誰にでもあること』と一般化、矮小化している」という印象を与える可能性についても注意すべきであろう。実際にそのように言われてしまうことがけっこうあるんだな。でもまず病気を受け入れよ、という森田らしさが出ている。
2.メタファーとリフレーミング。森田正馬先生は比喩が好きだったらしい。「一波を持って一波を消さんとす、千波万波やってくる」などの例が紹介されている。でもまあこれは通常の診療にももちいられるし。何か「これがモリタだ!」と思えるのがほしいなあ。リフレーミングの方は、患者の不安を、その裏にある欲望に読みかえるという。例えば「他人から悪く思われないかと不安」を「他人からよく思われたいのですね。」とリフレーミングし、「病気ではないかと不安」な人に「健康でありたいのですね」と言い換える。これは一種の認知療法的なアプローチということができる。ただし認知療法にこのようなアプローチが具体的なテクニックとして教えられているかはわからないが。
でもこのリフレーミング、聞く患者側としてはどうだろう。例えば私が「他人に恥をかかされるではないかと不安になります」と伝えて、私の治療者が「あのね、それはあなたがうまくやりたい、と強く願っているということなのですよ。」といわれる。その際に私の心に起きることは何か? 
ちょっと真面目に思考実験をしてみる。自分を患者の立場において想像してみるのだ。私もある発表をする際には恐れがある。実際にはそのためにカウンセリングを必要とするほどではないが、いかに自分の考えをまとめて短時間の間にまとめて話すかは、私の生活の中で重大な関心事である。今年も年末までに、大きな会場で考えを発表する機会は10回以上ある。そのために常に心の準備をし、話の内容をまとめることが私の関心事のかなりの部分を占める。その私がカウンセリングを受けたとして、カウンセラーに言われるのだ。「それはあなたがうまくやりたい、と強く願っているということなのですよ。」
そしてその線で考えてみる。確かにそれらの発表は、私が楽しみにし、かつそれをおそれ、かつストレスに感じている。発表を考える時、「こんな考えを伝えてみよう」などと計画を練るのは割と楽しい。しかし「それをうまく表現できるだろうか?」と懸念する部分は、決して楽しいものではない。むしろ苦痛かもしれない。そしてその苦痛な部分は、しかし「うまくやろう!」という部分にかなり連動している。「うまくやろうとすれば、それだけ不安になる」は森田の言う通りなのだ。
そこでうまくやろう、ということが恐れとどう関係しているのだろうかを考えてみる。ひとつにはそれが未知の場面での発表だということだ。例えば週に何回かおこなっている大学院での講義では、私はとくに不安や緊張感を覚えない。そしてそれは場所も聴衆もお互いにすでに慣れ親しんでいるし、そこで何が起きるかを予測できるからだ。それは決して大した授業ではないことはわかっている。もう何年も同じよう話をしているのだから。しかしとんでもない、箸にも棒にもかからないような内容ではない。そこそこである。
ところが私がこれから10回以上行う発表は、場所もほとんどが一度も訪れたことがない会場だし、聴衆も私の知らない人たちばかりである。しかも内容は基本的にオリジナルである。それがどのように私の口からで、聴衆にどのように受けいられられるかを考えるのは、それが初めてであるだけに怖いのである。ちょうど歌手が新曲を初めて披露する際には緊張する、というのと似ているかもしれない。それまで自分のレパートリーを何曲か平気で歌っていても、新曲の番になると彼らは緊張する。それはその歌を歌っている時の自分に慣れていず、聴衆の反応も予測がつかないからである。
「うまくやりたいと思うほど緊張する」は「だからうまくやろうと思うな」という示唆をすでに伴っている。それが役立つという人も少しはいるかもしれない。しかし「うまくやりたい」は、むしろ未知の場で発表をすることの不安からきている。恥をかかないためにはうまくやろう、というわけだ。それを解決するためには究極的にはそれに準備をして、なれていく以外にない。森田療法的なリフレーミングはその意味では私にとってはあまり有効でない気がする。
むしろ私自身にとって意味があるとすればそれは、「慣れない発表をするのがこわい、ということは大部分の人にとってあるので、異常なことではない」というメッセージではないかと思う。それは不安や恐怖は、それとして受け入れるしかないが、それは人間みなやっていることである、ということである。不安を直接取り去るわけではないが、不安を持っていることのうしろめたさから救ってくれるというところがある。言い換えれば、とらわれから自由になることはない、それを受け入れよ、というメッセージだ。

2013年5月17日金曜日

精神療法から見た森田療法 (11)


 そして次に、いよいよ技法的な話に移っていく。森田療法には5つのガイドラインがあるというのだ。うれしいではないか。(私たちは、3つの、とか5つの、と聞くと何か実質的な内容をもらう気がする。)それらは1.「感情の自覚と受容を促す」2.「生の欲望を発見し賦活する」3.「悪循環を明確にする」4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」の5つだ。中村論文は次にそれぞれの項目についての説明へと移っていく。
1.「感情の自覚と受容を促す」
  神経症においては、不安や恐れを除去しようと努めるが、それを扱うためにはまず、それらの存在を受容しなくてはならないという。具体的には「あの時どのように感じましたか?」という質問を繰り返す。そして感情はやがて収まる運命にあり、それを「感情は天気、不安は一時の雨模様」というメタファーで表現するという。
 私の文脈では、気分といえども人間の心に起きた自然現象であり、「平均への回帰」の原則に従うということである。
2.「生の欲望の発見と賦活」
 生の欲望という概念は森田に特徴的といえるかもしれない。中村論文によれば、これには二つある。症状に結び付いたものと一般的なもの。たとえば社交恐怖の症状の裏側には「人からよく思われたい」がある。しかし治療が本格的になれば、症状とは別の欲望に焦点があてられるという。そして「治ったら何をしたいのですか?」等の問いかけをする。
 ちなみに私も診療場面で趣味や生きがいについて、よく患者さんと話す。私は基本的には精神障害、特にうつ病圏をその人の人生における報酬刺激の少なさとして理解する。だから好きなことに専念することはその人の精神衛生を向上させる上でいい。きっと脳の中でBDNF(Brain-derived neurotrophic factor)なども分泌されるのだろう。また「楽しいことをしてはならない」という超自我的な制縛を自らにかけている人はそれを他人から指示してもらえることで実行しやすいということがあるだろう。
3.「悪循環の明確化」
 これが「精神交互作用」や「思考の矛盾」を取り払うという試みだが、これはおそらく森田療法の要であり、またおそらく一番困難なものだろうと思う。人前に出て「もっと堂々としなくてはならない」と考えることはその例だが、この考えを打破するために「堂々としなくてはならないと考えなくていい」と思うことはおそらくさらなる悪循環となるのだろう。中村論文ではこの問題については詳しく論じていないが、これはおそらくとらわれについていかにそれと向き合うかという、私が第8回目あたりで論じた「とらわれから逃れることはできるのか?」という問題に関連するものだ。結局森田療法でもこの部分が核心ということではないだろうか?
 こうなると4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」等はむしろ補足的な部分という理解が出来るだろう。4.は患者が生の欲望に従って意欲的に行動の範囲を広げて行くことを助ける。5.は「かくあるべし」という姿勢に従った生活上のパターンを見直すという作業を患者と共に進める。

2013年5月16日木曜日

精神療法から見た森田療法 (10)



  何かもうあまり出てこなくなりつつある。議論はこれから先堂々めぐりになる気がする。これまでの主張を簡単にまとめればこういうことだ。Hoffman の言うとおり、人間は生きている限り、トラ我(←究極の変換ミス。もとい)とらわれから逃れられない。とらわれとは、刻一刻と生きていることとほぼ同義だからである。(死ぬ瞬間まで、私はジャケットのボタンがブラブラしているのがいやだ。死刑執行の直前になっても、受刑者は頬に止まろうとするハエを追うだろう、など。) あるいはとらわれを「葛藤」と言い換えるならば、それは期待と失望、不安からなるが、それからも逃れることが出来ない。人は生きている限りは未来に向かって何かを期待することをやめないからだ。(せめて苦しまずに逝きたい…、など)。その意味ではいかに死を覚悟しようとも、「精神的な苦痛」から自由になることが出来ない。「常世」には生きている限りはけっして到達できないのだ。それこそ洗脳でもされない限り。「精神的な苦痛」は生きている限り私たちをさいなむ。私たちはそれを「精神的な労働」へと変換することしか出来ない・・・・。
ここら辺で中村敬先生の力を借りる。「森田療法のスキルとは」精神科、21(3):302-306、2012の論文を読んでみる。
中村先生は、森田療法によれば、神経症は「とらわれの機制」に由来するとする。とらわれとは、森田療法的には、心臓のドキドキをなくそうとして注意を向けるとかえってドキドキする、赤面すまいとするとかえってするという心の働きで、これが「精神交互作用」と呼ばれるものだ。そこでとらわれを打破する為に「あるがまま」の心的態度を導くことになる。それは基本的には症状を排除しようとするはからいをやめること、つまり注意を払わないことであり、「不安の裏にある生の欲望を建設的な行動として発揮する」ということであるという。
ここまでが中村論文の冒頭の「はじめに」という部分のさわりだ。ここの下線の部分、実は私にはイマイチわからないところだ。もちろんこの種の説明はこれまでに何度か読んだことがある。森田療法の基本中の基本、というよりは公式のようなもので、ここら辺のロジックをいじってはいけません、みたいな。憲法の条文みたいだなものかもしれない。とりあえずここはそのまま受け入れて先に行こう。とにかく森田のキーワードは、「とらわれからあるがままへ」、である。

2013年5月15日水曜日

精神療法から見た森田療法(9)

問題の橋下発言。素朴な考えの発言であろうが、まず身内で言って見てブレインたちの反応を見るべきだろう。ブレインたちが沈黙したり頭を抱えたであろうような発言は、リーダーとしては慎まなくてはならないだろう。そうでなくては周りに絶大な迷惑がかかる。

私がこの自由連想的な文で向かおうとしているのは、Hoffmanに言わせればKohut のいう宇宙的な自己愛 cosmic narcissism に似ている。最終的な安寧の境地。葛藤がなく、極楽浄土に至近距離にあり、何の心配もなく、安定した精神状態。全てを受け入れ悟りきった状態。しかし「受け入れ、悟る」事の中には、人間は生きている限り葛藤に身を置かなくてはならない、ということも含まれている、と Hoffman は強調する。結局は死への恐怖や葛藤からの防衛として、ある安住の地を夢想しているだけ、というわけだ。
ここでの葛藤をこれまでの言葉を使って表現するならば、とらわれと、そこからの解放、西郷ドンの例では、「ムカーッ!おいどんを誰だと思っているでごわす!」(鹿児島弁を知らないので、不正確かもしれない。)という気持ちを治めて「いやいや、ひき返しもそ」という、労苦を伴った心の運動である。
ちょっと飛躍であるが、私は「精神的な労働」と、「精神的な苦痛」との区別をを考える。「精神的な労働」と「精神的な苦痛」、というのと違う。精神の苦痛はそれが抑圧を伴い、心にとってのストレスであり、精神的な病を引き起こす可能性のあるものである。「精神的な労働」は、面倒なだけであり、それ自身が抑圧を伴っているわけではなく、精神的病には結びつかない。人間は葛藤を抱え続けるが、その葛藤自身を避けられないもの、誰にでも起きるものとして受け入れることで、それを一種の労働に還元することが出来るのではないか。西郷ドン(この呼び方が定着してしまった)は、隘路を馬を後ずさりさせながら道を譲る時、怒りを抑圧して後になって胃に穴が開くような体験をしているわけではないだろう。でも鼻歌を歌っていたわけではない。きっと「難儀」「シンドイ」体験だったと思う。
ちなみに「精神的な労働」って肉体的な苦痛と言い換えることはできるのではないか、と問われるだけだろう。しかしそうではない。コンピューターを操作することの多い現代人にはわかるだろうが、昔のある特定のメールを探すというめんどくさい仕事ために行うキーボードの操作は、肉体労働としては皆無に等しい。でも精神的労苦、特に抑圧を伴うわけではなく、その意味で精神的な害とはならないまでもめんどくさい作業である。あるいはコンピューターの作業の例を持ち出す前でもなく、人前で無理に挨拶をしたり「ありがとう」を言ったりすることも、すごく「重労働」だったりする。
せめて生きている限り捉われ続ける葛藤を、「精神的な労働」にまで昇華(かなー?)出来ないものか?それでもこれは一種の防衛なのだろうか?


精神療法から見た森田療法 (8)



とらわれから逃れることはできるのか?

愚直なまでに謙虚だった西郷隆盛。道を譲るように乱暴に要求されてすごすご引き下がった西郷隆盛。彼に「とらわれ」はなかったのか?ここで「とらわれ」という言葉を使わせてもらうが、私がここで言う「とらわれ」とは日常の些事において、死すべき運命にある自分がたまたま生きていられる事の幸せに鑑みてそれを受け入れる、ということができない状態、生に執着している状態ということを意味するものとする。池波正太郎の描く西郷隆盛は身なりに一切かまわず、政務につく際にも、破れた衣服から体の一部がのぞいでいるのを注意されるほどであったという。でも現在の世の中でいかに清廉潔白な人間でも西郷のような身なりをする人はいないだろう。
私は実は20代後半で社会に出るまでは「これほど身だしなみを気にしない人間がいるのか?」と呆れられることがよくあった。(もちろん自分では気にならなかった。)でも死は怖かった。結婚したら神さんが事実上の風紀係になり、身だしなみはかなり改善されたと思う。今の私はジャケットの上のボタンが取れそうになっていると、それを苦にしてうちの風紀係に改めて付け直してもらうほどだ。それほど身だしなみに関する些事にクヨクヨするようになり、いわばとらわれが増した私だが、死は昔ほど怖くはなくなっている。
私は清廉潔白に生きと思うが、ジャケットのボタンがぶらんぶらんしているのはコマる。ボタンがポロッと落ちた瞬間に、「こうして生きていられて、身にまとうものがあるだけで幸せじゃないか。ボタンの一つや二つが取れただけで、何をくよくよしているんだ・・・・」とはならない。西郷ドンならそう考えただろうか? 私は永久に西郷隆盛のような人間になれないのだろうか?
当たり前の話だが、生きることは、つまりこの現実の世界で呼吸をし、人と交わり、仕事をすることは、とらわれを引き受けることでもある。とらわれは私たちが日常レベルで体験する快不快にかかわる。とらわれから解放されるためには、通常私たちが感じる快不快のスイッチを切ることが出来なくてはならない。しかしそれは不可能なことなのだ。もしスイッチを切ったとしたら、それこそ死を背景にしてより鮮明に感じられるはずの生きている充足感もまた奪われてしまうだろう。結論から言えば、「おい、じじい」と百姓に呼ばれ、引き返すように言われた西郷は、一瞬ムッとしたはずなのだ。崖の細道を引き返すのは骨が折れる。西郷ドンだって人間だからそれを苦痛に感じ、「えーい、面倒な」くらいは思ったはずである。しかしそこからの立ち直りは恐ろしく速いのであろう。あっという間に「なーに、自分が引き返せばそれで済むこと・…」となる。
結論から言えば、とらわれから永遠に解放されることは、生きている限りはない。生きることは捉われることなのだ。問題はどれだかとらわれから身軽でいられるのか、恬淡としていられるかということなのである。

2013年5月13日月曜日

精神療法から見た森田療法 (7)



この書の中で西郷は、当時高まりつつあった東アジアで諸国の間の緊張を和らげ、かつ自国の正当な立場を主張すべしと唱え、自分が特使となって朝鮮にわたることを申し出る。そして当時の政府内の権力者である岩倉具視や大久保利通らの反対にあう。それでも彼は自分の考えを主張し続けるのであるが、これは一種の政争とはまったく違った意味合いを持っていた。政争の場合、政治家同士が腹の内を探り合いながら自らの政治生命は温存しつつプライドや権力へのダメージを最小限にしつつ折り合いをつけていく。ところが西郷はこの自分の主張が通らなかった場合には政府内の役職を捨て、鹿児島に帰り農業に専念するという。これはしかし単なる脅しやブラフではなく、真剣にそのような選択肢を持ちつつ挑戦への特使の道を探ったのだ。西郷はいずれは自分の政治的な力はおろか、生命そのものが尽きることを予知する。彼は少なくともそれを恐れ、回避するのではなく、その時期を自らが選択したことになる。それが自らの主張が通らなければすべてを捨てて鹿児島に帰る、という行動であり、実際自分の主張を岩倉らに聞き入れられなかった西郷は桐野らを従えて鹿児島に引き上げてしまった。
潔い決断、ともいえるが彼の頭の中ではすべてが最初から想定内であったといえる。そこに大きな葛藤はなかったのであろう。
西郷の謙虚さを示す逸話を紹介することになっていた。「人斬り半次郎」(賊将編)415ページから。
・・・雀ヶ宮の長瀬戸という崖に挟まれた細い道で、西郷は向こうから来た百姓とぶつかってしまったことがある。二人とも馬を引いている。すれ違うことのできぬ狭い道だし、どちらかが譲って引き返さなければならない。
百姓は若い。「おい、じじい」と言った。「はアい」西郷が頭を下げ、「お前さアが引き返した方が早よごわす。」とていねいに答えると「うるさい!!」百姓が怒鳴りつけて、「何言うちょっか。じじいが下がれ。おいは急ぐんじゃ。先へゆずれ、先へ引きかえせエ」わめいた。
これに対して西郷は「それじゃ、引き返しもそ」若者の怒声を浴びつつ、引いた馬を後ずさりに苦労してもとに引き返したそうだ。・・・
このエピソードがどこまで作者(池波正太郎)の創作によるものかは知らないが、この西郷の覚悟ということと実人生の中で見せた愚直なまでの謙虚さとは実は結びついているというのが私が主張したい点だ。大いなる決意を持って物事にあたる、常に決死の覚悟で物事を選択する、ということは聞こえは勇ましいがどこまで実を伴っているのかは定かではない。政治家が「不退転の決意で」「背水の陣で」「一兵卒に戻り」などと言っても、それはむなしい掛け声に過ぎない。しかしそれがどの程度その人の内面からの真の決意を表すかは、彼らがどの程度各瞬間に自らの生を死を背景にしたものとして享受できているかによるのだ。「水に溺れてしまう境遇に陥った多田富雄先生のように。そしてこちらのほうは極めて見えやすいことになる。その人が日常生活で生じた些細な不都合にどのように対処しているかを見ればいいことになるからだ。

精神療法から見た森田療法 (6)



私は故・多田富雄先生の「寡黙なる巨人」を読んで大きな影響を受けた。彼は60代の終わりに脳こうそくを患い、仮性球麻痺といわれる状態になり、ひと口の水にも「溺れる」までに嚥下機能が低下する。それから懸命のリハビリが始まるが、その半ばにして今度は前立腺癌に冒されて結局世を去る。私は読みながら何度も彼の体験を自分の身に引きつけて考えた。誰でも彼のような病魔に侵されれば、物を飲み込むということすらできなくなり、「冷たい水を飲む」などごく当たり前のことのできる人が限りなくうらやましくなる。もし私たちが想像力を働かせてただ先生のような状態になったイメージを持てたなら、普通に生きて生活をしていることだけでも大満足になるだろう。
ただし私たちはそれを容易にはできないのも事実である。脳梗塞の苦しみについて克明に描かれた「寡黙なる巨人」は、それをより生々しく想像する上で大きな助けとなるであろう。そして確かにこの本を読むと、多くの読者は自分がいかに恵まれた境遇にあるかを知るのだ。ただし多くの場合、それは独語の一瞬で終わってしまうかもしれない。
私たちが一瞬の幸福感を忘れてしまうのは、例えば自分が多田先生のような状況になるという可能性を考えた場合、それが極めて低いという事実を認識するからだ。実際に脳こうそくになる確率は高くはなく、彼のような球麻痺症状を呈する確率はさらに低くなるだろう。それが自分に起きるという実感を持つことは難しい。そのうちにすぐ現実は押し寄せてくる。「寡黙なる巨人」を読んで自分がいかに恵まれているかを実感した直後には、もう日常で生じる些細な出来事が私たちを苛む。横断歩道が見えてくると、すぐ青信号が点滅を始める。シャツのボタンは取れかかって応急処置が必要だ。雲行きが悪くなり、外出前に出したままの洗濯物が急に気になってくる・・・・。(先日、現実とは身体に囚われの身になっているといったが、こうあげてみると、身体を含めた現実の具体的な事情に囚われている、と言い代えた方がよさそうだ。)生きるとは要するにそういうことだ。
私たちが多田先生のように脳梗塞にさいなまれる可能性はおそらく低い。しかし私たちが将来死ぬことは確実な出来事である。(←将来画期的な研究がなされ、テロメアの短縮が起こらない生命体が出来たら、ひょっとすると不老不死ということもありうるのかもしれないが・・・・)しかもまじかに迫った死という状況を本当の意味で覚悟をした時から、おそらく少なくともいま生きていることそのものが喜びを感じさせることになるかもしれない。するともはや日常の些事にもあまり惑わされることはないのかもしれない。信号はいつでも待つ気になれるし、ボタンが一つくらいとれていても愛嬌に思えるし、洗濯物がぬれても、そのままほっておいて明日乾いてから取り込めばいいように思えるのかもしれない。とすると、私たちが生の喜びをそのまま享受することができず、日常の些事におぼれているのは、この死する運命mortality を生き生きと感じる機会を持つことなく、むしろそれを否認していることにはならないだろうか?
この間ブログで紹介した「人斬り半次郎」(賊将編)に、西郷隆盛が何度も登場するが、彼も半次郎(のちの桐野利秋、陸軍少将)も死を恐れない人間として描かれている。その西郷の描写に次のようなものがあった。(と書いても、うちに帰って調べなきゃ、引用ができない。明日に回そう。)

2013年5月12日日曜日

精神療法から見た森田療法 (5)



 ところでなぜこの死の問題が出てくるのか。それは死の問題が私たち存在にとって常に否認 disavowされたものだからなのだ。人間の心理を探求するものとして(いちおうそうそのつもりです)この問題をちゃんと扱うことは避けられないという考えがある。それとわれわれ心の専門家(一応、そういうことにしています)としては、死の問題の否認を超えたところに一つの人間のより充足した在り方があるという理解を持っている。例えば自らの死を覚悟した時に生の喜びを初めて体験するという現象をどのようにとらえるのか。運命を受け入れる時ににどうして私たちはあるとらわれから解放されたと感じるのか。フロイトもこんなことを言っている。「人間はあきらめることで真の幸福を得ることができる。」(要典拠)
高校一年の時、友達Aに誘われて水泳部に入った。しかし健康上の理由で、ひと月足らずで私だけやめざるを得なかった。その時の辛い思いを思い出す。自分にとって水泳部での活動がすごく大切かといわれればそうとも思えない。水泳がそれほど好きというわけではない。Aに誘われてたまたま入ったのだ。しかしそこで記録の競争をし始め、毎日お互いにタイムが少しずつ縮まるのが楽しくなり始めていた。私は医者に水泳を止められたときに非常に悔しかったが、それは主としてAとの関係においてであり、それだけなのに、これほどつらいというのが興味深かった。Aと私は小学校時代からの親友で、二人とも運動はあまり得意ではなかった。しかしたまたま二人とも水泳ではまあまあの成績を残すことができていたのである。スポーツで活躍して目立ちたい、というのが私たちにとっての共通の夢だったので、高校の水泳部に興味を示したAに引っ張られる形で私も入ったのだ。その時の私の辛さは、Aが水泳部で記録を伸ばしていき、スポーツマンとして自分とは違う世界に入っていくことを受け入れるだけでよかった。(その後Aは大学に進んでそこの水泳部のキャプテンにまでなった。後になってたまたま一緒にプールで遊んだ時、彼は見事なスイマー体型になっていたAを私はまぶしく眺めたのである。)
私たちは日常的にさまざまなことにとらわれ、自らの運命を不満に思うことが多い。それは私たちが持っているものを当たり前と思い、持っていないものを不幸と感じるからだ。もし持っているものに感謝をし、持たないものを当たり前だと思うことが出来たら、私たちの人生はもっと感謝に満ちたものになる。これは非常に当たり前のことであり、しかしその境地に到達することは非常に難しいことでもある。私たちが自らの生を感謝することができるのは、それを死という背景とともに意識する場合でしかない。死という「地」を背景にして、生という「図」は浮き上がってみえる。生を当たり前のこととして(つまりは死を否認して)生きる以上、決して生を享受することはできない。死はいつまでも不幸や恐怖の象徴のままに留まるのである。

2013年5月11日土曜日

精神療法から見た森田療法 (4)



 全く行く宛もなく、森田療法の旅が続いている。ほとんど自由連想だ。どこかに行きつくまで続けるしかない。

 ところでいつも不思議に思うことがある。これは2003年に恩師小此木先生が逝去された時に思ったことだが、人はあの華々しい人生の終わりをどうして暗く悲しみに満ちた雰囲気の中で締めくくるのかということだった。もちろん小此木先生にはもっともっと長生きをして欲しかった。頭の切れからいったらあと20年くらいは現役でおられたかもしれない。彼はたしか72歳でこの世を去ったのだが、もちろん平均寿命よりも早い死ではあったが、日本の精神分析界に限りない影響を及ぼした。彼の人生はまさに華々しいものだったのだ。彼の人生全体を見渡した場合、まさに祝福されるべきものだったといえるだろう。しかし人はもちろん葬式をそのような祝賀ムードにすることはない。たとえ100歳で亡くなった人に対しても、人は悲しみに暮れる儀式を演出する。
 ただしこれは多分に生き残った者たちの都合という気がする。「○○さんの人生を祝う会」という名目で、集まった人たちがその人の人生の終わりを記念するという形で「献杯」ではなく「乾杯」をするという会はなかなか開けないのである。
 同様の事は尊厳死についても言える。病者の意識が薄れたり、判断力がある程度低下した段階になると、本人の治療についてかわって判断するのは家族である。いよいよ最期になり、「もう点滴は中断しますか?」 「痰の吸引は止めますか?」 と家族が聞かれる。もちろん家族は本人の苦しみを減らす方向を選ぼうとするが、同時に余命を短くする可能性のあるあらゆる手段に対してゴーサインを出すことに抵抗を感じる。これは残されたものの気持ちの問題という面もある。状況によっては抗がん剤治療なども同じだ。家族は少しでも助かる可能性があるのなら、と積極的に抗がん剤による治療を促したり、手術をすすめたりすることがあるが、それがかえって本人の苦しみを増し、場合によっては寿命を縮めたりする。
 米国の病院では、年長の患者さんたちのカルテによく「DNR」と大きく書かれていた。これは「蘇生術不要do not resuscitate」を意味し、人工呼吸などの積極的な延命行為を行わないということである。これは生前に自分は延命治療を望みませんという書類にサインした患者さんたちに書かれたものであるが、これにより意識があるとしたら間違いなく苦痛を伴いながらわずかの時間だけ命を長らえるという可能性を除去する。日本ではあまり聞かれない。DNRはグーグルで調べてもあまり出て来ないが、米国では私が研修した1980年代にはすでに病院で頻繁に見かけた。
 これらの傾向には死を想定内にしたもの、というよりはそれを不可避的ではあっても避けたいもの、出来るだけ意識化したくないものという私たちの傾向が表れている。しかし例えば人生を一つのドラマや小説としてとらえたらどうだろう。面白いドラマの時間が終わるとそれを皆悲しむだろうか? 小説を読み終えたくなくて最後の章を読むことを躊躇することがあるだろうか? (←ここらへん、書いていて、比喩としておかしいような気もする。まあいいや、自由連想だし。)



2013年5月10日金曜日

精神療法から見た森田療法 (3)



 Hoffman言わせれば、私たちの存在そのものが二つの世界の相克の中にあり、それは基本的には生と死との相克に帰着することになる。自分は死ぬことはないという幻の世界と、自分はいずれは死ぬという現実の世界とに人間は常に引き裂かれる運命にある。ただしここでの幻と現実、という言葉の使い方は少し紛らわしい。一般の人にとって、現実の毎日こそ、死や関係性の終わりを忘れさせるものだから。そして関係の終わりや死はむしろ遠い世界で起きること、いわば一種の幻のように感じるのである。私は森田的には死を忘れた現実こそが、森田の言う捉われだと思うのだが。まあ、それはいいとして。
ちょっと古い言葉を用いると、今現在の世界としての「現世」と未来永劫に続く「常世」の間に私たちはある。私たちはその二つの間をさまよっているのだ。そのさまよい方は複雑だ。現在の世にありながら、常世を信じる。現在に没頭すればするほどだ。ところが現世が反映しているはずの現実とは、死すべき運命に他ならないのである。
私たちは死ぬことを頭では知っている。しかし今生き、呼吸をし、心地よさや眠気を感じ、時には急に襲う腹痛におびえるのは私たちの身体のせいであり、生きている限りはこの身体から逃れることが出来ない。身体は今現実の苦痛の除去や心地よさの追求を止めることはない以上、私たちに生への没頭を強いるのだ。死すべき運命にあることはわかっていても、生に忙しくてそれどころではないのである。
たとえば明日自殺することを覚悟したとする。それでもお腹が空いてきて、食べ物がほしくなる。あるいは疲れてくれば横になりたくなる。あるいはパニック発作に襲われて救急車を呼びたくなるかもしれない。明日は死ぬのに、である。

2013年5月9日木曜日

精神療法から見た森田療法 (2)


森田のほうに話題が行きそうになるのをもう少し抑えて・・・・・。
 関係性の終わりが最も耐え難いのは、親子の間柄かもしれない。あれだけ密な時間を過ごした親子が分かれていく。他人同士になるのだ。親のほうに特に子離れが難しい。すでに私はどこかにも書いているが、特に母親にとって、多くの場合子供は永遠に片思いの対象である。自分にとってかけがえのない特別な存在。どんなに子供が成長し、年を重ねても「かわいい~チャン」のままで目に映る。親元を離れても、遠くからいつも眺め、心配し、考えている。あれほど無力で何もできない存在からあれだけ自分が手をかけて育て上げた子供。特に要求はしなくても感謝くらいはしてもらってもおかしくないはずだ。ところが運が悪ければ子供は自分を憎み、一刻も早く自分のもとを去っていこうとする。時には「私はお母さん(お父さんでもいい)に一生を台無しにされた」とまで言い募る。お互いにもう顔を合わせないことが最善の選択肢だったりする。実際世の中の親子関係の中には、お互いを他人として眺めるようになることがもっとも望ましいという場合が少なくない。それも今後永久に。
 そうなったときに当然あせるのは親のほうだ。「何がいけなかったのだろう?」「あの子は何を誤解しているのだろうか?」そして和解の手立てを探して悪戦苦闘する。ところがそれを求めないことが最大限の親の愛情表現だ、などとカウンセラーや精神科医に言われて愕然としたりする。「子は天からの授かりもの」という言葉を思い出して、あの子は今までは預からせてもらったのだ、と思うしかない。
 親としては子に愛情を注ぐのが仕事のようなものだ。そしてその気持ちは子供が成長したからといって急に止まるわけではない。それに子供の方も孝行息子(娘)だったりすると「やはり親子の絆は永遠だ。これこそが本来の姿だ。」などと親は考える。普通子供は徐々に疎遠になり、自分の家庭を守ることに忙しくなるが、たまに親の顔を見に里帰りをするだろう。そのうち親も歳を取り、衰え、最期を迎える。こうして親子の仲は特に大きな波乱を経ることなく、最後まで続く。死が両者を隔てただけだ。そのどこがいけないのか。
 このように考えると、人間はいやおうなしに二つの極に引き裂かれた存在だということが分かる。一つは関係性は永遠に続く、という幻の世界であり、もう一つは関係性は終わるという現実である。どちらにも引っ張られる根拠がある。関係性が永遠に続くという幻想は、時には親子が共有したいものだからだ。しかし関係性は終わるという現実は、深刻な意見の対立や口論の中にすら垣間見られることがある。もう二度と口をききたくない、縁を切りたいという、積極的に関係を終わらせたいという衝動として一瞬ではあれ体験されるかもしれない。そして子供が親から離れようと死に物狂いの努力をする際は、事態はさらに深刻なものにならざるを得ない。そして親は思うのである。「今までこどもと過ごした月日は一体なんだったんだろう?」

2013年5月8日水曜日

精神療法から見た森田療法 (1)


 「精神療法から見た森田療法」ってどうするんだろう? 唐突じゃないか? 何も出てこないよ。でもこれについて考えをまとめないと何となく人に迷惑がかかる事情がある。オトナの事情だ。しかしよりによって……。例の「精神分析と家族療法」よりもっとムチャブリだと思うのだが・・・・。
 実は話を持っていきたい方向はあるが、どのように繋げるかが問題だ。そこでウォーミングアップとして論文を読んでみる。森田療法と言えば押しも押されもせぬリーダー中村敬先生である。
 
 と、ここで方針を変えることにした。私が持っていきたい方法とは何か?これを最初に探ってみよう。まだ自分でもはっきりとは見えていないが。
 私が最近考えているのは、諦念、受け入れ、受容といったことに近い。もちろん受容という問題はおよそあらゆる文脈で扱われるわけだが、それでも自分の中にこのテーマに関する新しさを覚える。このテーマは例えば、対人関係においてみると説明しやすいかもしれない。人と知り合い、親しくなる。でもその関係は、将来必ず終わるのだ。親しみということが実は幻の上に成り立っている。夢の世界と言ってもいいかもしれない。もちろんそれは楽しいし学ぶことも多い。そこで生きがいも感じるだろう。でもそれが深まり、進行していけば必ず終わる運命にある。
 もちろん永続的な関係のようなものは体験される。「彼とは小学校時代からずっと友達だ」、ということもあるだろう。でもそれはまだ終わっていないだけなのだ。まだ終わらないうちに、どちらかが死ねば、「一生いい友達だった」となる。あるいは友人関係が一定以上の反応を起こさないように、そう、制御棒が入ったままで凍結されている感じ。夫婦の間だって、制御棒が入りっぱなしで維持されていたりするのだ。それはそれで幸せなことかもしれない。
 「永続的な関係がない」という言い方が極端なら、それは「例外的に起きる」、くらいにしてもいい。いきなりトーンダウンだな。それでも関係はいずれは終わるという前提を常に持つべきだと思う。永続的な関係が真の関係、本来の関係であると信じることからくる弊害の方がはるかに大きいからである。およそあらゆる対人関係上の問題は、その関係がかりそめのもので、やがては終わるという現実を受け入れていないことから起きるように思えてならない。それはお互いに不幸なことであろうと思う。それよりは、対人関係は必ず終わるという前提で楽しむ方が精神衛生上いいような気がする。
 必ず終わる、という言い方が誤解を招くとしたら、二人はいずれ離れていく、という言い方にしようか。まだこだわっているな。
 実は同じことは自分自身の「生」についても、心についても、身体についてもいえる。やがて必ず滅びる。それを前提にしないことが様々な不幸を生む。
 
実はこの数週間バイジーさんと翻訳を進めている分析家Irwin Hoffman がそんな事ばかり書いている。というよりHoffmanがこの問題を扱った章に、今かかりっきりになっている。ある意味では死生観を根底から揺さぶるような理論が展開されている。そしてその視点から彼は治療を論じている。
 森田の「あるがまま」にはそれと近い匂いを感じる。病気をよくするとか、関係を改善するとかは、すべて幻の世界、夢の世界での話である。夢の世界は終わりを前提としない。そのまま続いていくのだ。強引に何らかの力で覚まされない限り。そこで患者も治療者ももがき、苦しむ。その時森田の声はどこか違う方向から聞こえてくるようだ。それは彼が病苦の苦しみを経て到達した現実のとらえ方に基づく教えかも知れない。
 森田の理論は欧米でも評価が高いが、同様の理論は昨今の「マインドフルネス」の文脈にも通じる。多くの理論化が同様のことを言っている。しかし言い尽くされることはないし、人は本当に理解することがない。生きることは捉われで、それから抜け出すことが出来ないからである。

2013年5月7日火曜日

DSM-5とボーダーライン(9) 最終回

今日からまだ仕事である。

ところでここでDSM-5BPDの診断基準を論じる際に、私はAPA(米国精神医学会)が2012年に発表している DSM-IV and DSM-5 Criteria for the Personality Disorders”というものを参照しているが、ひとつ気になるのは、ここには AntisocialAvoidantBorderlineNarcissisticObsessive-CompulsiveSchizotypal6つしか記載されていないということだ。つまりhistorionic(演技性), schizoid(スキゾイド), dependent(依存性), paranoid(妄想性)が消えているのだ!!!まあこれもカテゴリカルな診断に対する反対論の結果として起きてくるわけか。 しかし歴史的にもPDの代表の一つと考えられるスキゾイドが消えてしまうとは・・・・。
 ところでネットですごい論文を見つけたぞ。ガンダーソンらの執筆による、BPD10年にわたる予後調査。2011年だからまだまだ新しい。これについてまとめておしまいにしよう。だいたい一本分になるだろう。(ナンの話だ?)
 Ten-Year Course of Borderline Personality Disorder Gunderson, J et al. Arch Gen Psychiatry 68:827-837.2011 
 なんとネットでタダでダウンロードできるぞ。ネット社会万歳!誕生祝いだ。(ナンのことだ?)
この研究のエッセンスは次のとおりである。175人のBPDの患者を10年間フォローした。第うつ病、その他のPDをコントロール群とした。BPD10年後に85%の患者が寛解したが、それは大うつ病よりも遅かった。またほかのPDに比べても完解はやや遅かった。12%のBPDは再発したが、それも第うつ病や他のPDよりは少なかった。BPDの診断基準の低下の仕方は似たようなものだった。社会機能のスコアは、厳しく、統計的には意味があるが最小限の改善を見せただけであった。第うつ病、他のPDに比べて機能レベルは低いままであった。
ここで二枚の図を掲載する。いずれもこの論文から。図1は寛解率。図2は機能レベルの改善である。


図1 寛解率 (BPDは黄緑色)


図2 機能回復 (BPDはオレンジ色) 



 


2013年5月6日月曜日

DSM-5とボーダーライン(8)


と思ったのだが、実はマクリー・コスタのビッファイブとやっぱり関係があったのだ。ちなみにビッグファイブを忘れた方にサービス。
1)経験への開放性 (Openness to Experience) (2)勤勉性 (Conscientiousness) 3)外向性 (Extroversion) (4)協調性 (Agreeableness) (5)情緒不安定性 (Neuroticism)  の5つである。

昨日見た5つ、つまり陰性感情傾向 Negative Affectivity、疎遠さDetachment、敵対性 Antagonism 脱抑制 Disinhibition 精神病性Psychotism はそれぞれ、ビックファイブの裏返し、ないし言い換えというわけなのだ。説明して進ぜよう。こんな感じだ。
Negative Affectivity (vs. emotional stability 情緒安定性)
Detachment (vs. extraversion 外向性)
Antagonism (vs. agreeableness 協調性)
Disinhibition (vs. conscientiousness 勤勉性)
Psychoticism (vs. lucidity 清明さ)
ここで真ん中の3つはちょうどビッグファイブのうちの3つと表裏になっている。ではnegative affectivity はどうか。これってビッグファイブのうちのneuroticism (情緒不安定性、と訳される)に似ているのだ。なぜならneuroticismって不安 anxiety, 気分屋 moodiness, 心配性 worry, 羨望 envy 嫉妬 jealousyで特徴付けられると説明されているのだから。したがってnegative affectivity = neuroticism とみなしていいだろう。とするとこれは表表の関係だ。では psychoticism 精神病性はどうか?これはエキセントリシティ、認知の調節の失敗、常識的でない思考という風に説明されている。とするとこれはビッグファイブの中の「Openness to Experience 経験への開放性」を極端にしたようなものだ。これも一種の表表の関係だろう。やったー。ちょっとわかったぞ。
それにしても性格傾向としてのビックファイブをPDの文脈に組み込もうと言う試み、うまく行くんだろうか? PDの分類を真面目にしっかりやろう、というのはわかるが、あんなに診断基準が長ったらしくなったら、臨床家はついていけるのだろうか?