2011年10月28日金曜日

精神神経学会でのシンポジウム

昨日は、精神神経学会(ようするに精神科医の集まり)の解離のシンポジウムに出席した。思った以上に人が集まり、精神科医の間でもこのテーマへの関心がそこそこあることが分かった。シンポジストはそれぞれ内容のある発表をできていたと思う。個人的には柴山雅俊先生。一人であの体系を作り出していること、借り物ではないこと。進む方向は違うが素晴らしいと思う。北山先生と同じようにあっぱれである。柴山さんは、普段はチャランポランな雰囲気なので、そのギャップがまたいい。
それはそうと・・・・。お台場(学会の開催場所)って遠いね。自宅から4回乗り継ぎ。会場についたときには疲れ切っていた。終わって職場の大学院についたときにはもっと疲れていた。昼ごはんのアイスを食べたら少し落ち着いた。午後は院生さんたちの発表の予行演習を聞き、少し持ち直すことができた。(今回もいい加減な更新である。)

2011年10月24日月曜日

一仕事終わった

半年間の「仕事」が終わり、比較的爽快な気分である。昨日は夏の名残を思わせる陽気で春日通りをぶらぶら歩きながら帰国してからの6年半について振り返る。ひとつ変ったのは、そろそろ「もう年配だから勘弁してもらう」という口実が使いやすくなってきているということだ。社会的責任はこれ以上増えないだろう(つまり職場での位が上がる、そのほか。その予定はない)。しかも50台の半ばといえば、学会などでの活動は「そろそろ若い人に・・・・」と言えるのだ。
それとは別に自分の興味に従い活動を続けている人たちのなんと元気なことか?ここで紹介をした北山先生を始め、トラウマ学会の金吉晴先生やわれらが心理学専攻の専攻長であられる亀口憲治先生など、脂が乗り切っている、という印象を受ける。

私には彼らのエネルギーの10分の一ほどもないが、またしばらくこのブログで他愛もないことを書くことが増えそうだ。

2011年10月16日日曜日

北山先生のコンサート(久しぶりの更新)

久しぶりの更新となる。「丸ごと一冊英訳」のつもりで5月のはじめから欠かすことなく続けた英語のブログも、めでたくあと数日で一区切りつきそうである。一日二十行(以上)というペースがよく続いたものだ。
昨日は北山修先生の「悲しみを水に流さず」というコンサートの対談者という役で、銀座のコレドという場所で舞台に出た。私にとってはまったく分不相応な場所。しかも例によって舞台とは私には異様な空間だ。舞台の上からはスポットライトで照らされるために客席が見えない。額に手をかざせばようやく客席の人々の顔がわかるのだが、そんなおかしな格好を続けているわけにはいかない。北山先生の話をさらに盛り立て、引立て、しかし自分の考えを言うという役回りが私にとっては至難(というより不可能)だったためか、非常に緊張した。大体私がそこになぜいるのかがピンと来ない。私自身先生の思考の全体を見渡せないレベルにしかいないので、偉そうにコメントできる立場にないことは重々わかっている。しかし北山先生という類まれなる才能を持った人間(私が研究者の能力として最も評価する独創性という点で、彼ほどそれを発揮している人は、私が知っている世界ではちょっと思いつかない)が渾身をこめて行うレクチャーに、対談者として呼ばれるということがいかに名誉かということはよく自覚している。そして彼の学説にあえて何かをコメントしなくてはならない立場に迫られて、初めて自分の中に生まれた発想もあったことは確かである。とにかく一生忘れられない思い出となることは確かだろう。
もうひとつの収穫は、杉田二郎さんと言葉を交わす機会に再び恵まれたことである。北山先生が「あなたという人は、表も裏もいい人なんだね」と舞台でおっしゃっていたことを思い出す。素顔の杉田二郎さんは飾らない、きわめて腰の低い、おそらく何千回となく歌ったであろう歌の歌詞カードをそれでも用意して、楽屋でギターのリハーサルをする実直な人であった。それにしても特に彼の若い頃の天性としか言いようのない声。個人的に聞いたところでは、年をとるにしたがってその声域は低いほうに移ってきたということである。