2018年10月31日水曜日

パーソナリティ障害はまだ・・・・・ 18


Dutton さんの本、もう終わりに近い。そこで問題になっているのは、すでに述べた聖人とサイコパスの関係性である。この両者は意外な共通点を有する。それは感情に揺らぐことがなく、いつも冷静なところである。Noble Eightfold Path 「高貴な八つの道」にも書いてあるそうだ。心を何も他に逸らさないこと。周囲におきていることにとらわれないこと。現在起きることに注意を向けること ・・・・。エー、これって結局マインドフルネスみたいではないか。
 ここで言う聖人には熟練した外科医や禅の高僧なども含まれる。彼らが言うことは、心を今、現在につなぎとめよ、そうすれが不安は襲ってこない、というのだ。確かにそうかもしれない。不安とは、将来のことを考えるからだ。このままでいいのか、締め切りまでに原稿はかけているのか、将来カミサンに逃げられたらどうしよう、などである。また過去を思い出すことで慙愧の念が押し寄せてくる。ということは現在に焦点を当てよ、という教えは心の健康にかなり貢献する可能性がある。しかし重要なのは、それは否認を伴っているかもしれないということでもある。そしてサイコパスの人はこれがごく自然に出来、凡人は修行によりその境地に至る、ということかもしれない。

2018年10月30日火曜日

脳の絵 

今日はこれを描いていたら終わった。dynamic core (Edelman) の図(下)を簡略してみたのである。







(Edelman による)

2018年10月29日月曜日

PD推敲 3


三番目はスキゾイドPDについてである。DSM-5の近年の自閉症スペクトラム障害(以下、ASD)についての研究が進むにつれ、それとスキゾイドPDのオーバーラップの問題が多く論じられている。言うまでもなくASDは発達障害に数えられ、PDとは異質のものとして扱われているが、第二軸の定義である「パターンは安定し、長期にわたって持続し、その始まりは遅くとも思春期や早期成人期にさかのぼることができる。」ましてや幼少時にさかのぼるとしたら、発達障害は第二軸に入らないこと自体が矛盾するとも論じられている(Lugnegård, T,et al, 2012)。その意味でDSM-5で多軸診断が廃止されたのも納得できよう。
Lugnegård, T, Hallerbäck,MU, Gillberg, C. (2012) Personality disorders and autism spectrum disorders: what are the connections? Comprehensive Psychiatry.v53: 333-340.
ともかくもこの研究では、ASDの基準を満たす54名の早期青年期の人々を対象にして研究した。すると14人がスキゾイドPDを、7名が回避性PD10名がOCPD(強迫性PD)1名がスキゾタイパルPDを満たし、ボーダーライン、自己愛、依存性、反社会性、演技性PDを満たした人はいなかったという。つまりASDの中でスキゾイドPDの診断基準を満たす人々が一番多いということになる。
この件に関しての私の考えは、それぞれ由来の違った二つの障害(一方は統合失調症に近縁のものとして出発したスキゾイドPD、もう一方は深刻な自閉症ほどではないものの、その軽症型として見出されるようになってきたアスペルガー等のASD)が徐々に接近し、臨床的には区別がつかなくなっている状態といえる。さらには個人的には、従来考えられていたスキゾイドPDの大部分が実はASDを見ていたのではないかと考える。人に関心がない、感情を欠いた、スタートレックのミスター・スポックのようなスキゾイドは、実はきわめて稀少ということである。一見スキゾイドPDに見える人々は、実は物や秩序により大きな関心を持ち、人は複雑でわずらわしいためにあまりかかわりを持とうとしない (でも同時にすごくさびしがり屋の)ASDが大半ではないか、と考えるのである。

2018年10月28日日曜日

CPTSDについて もう推敲 2


ここでWHOICD-11に関する公式ホームページの記載をもとに、CPTSDの診断基準について検討してみる。
 定義としては「逃れることが難しかったり不可能だったりするような、長く反復的な出来事(たとえば拷問、奴隷、集団抹殺 genocide campaigns、長期にわたる家庭内の暴力、幼児期の繰り返される性的身体的虐待)への暴露により生じる」とされる。そしてそれによりある時点でPTSDのすべての症状が見られ、またそれに加えて以下の症状により特徴づけられる。
1) 情動調節に関する深刻で広範な障害。severe and pervasive problems in affect regulation;
2)
自分自身が卑小で打ちひしがれ、無価値であるという信念と、それに伴う深刻で広範な恥の感情。persistent beliefs about oneself as diminished, defeated or worthless, accompanied by deep and pervasive feelings of shame, guilt or failure related to the traumatic event
3) 関係性を維持し、誰かと近しい関係にあるという感覚を持つことの困難さ。 persistent difficulties in sustaining relationships and in feeling close to others.

ここで注意を惹くのはCPTSDの原因としては、まず拷問や奴隷の状況が記載されており、小児期のトラウマはその次に登場している点であろう。つまり CPTSD は成人のトラウマによっても生じることになるのだ。さらにCPTSDの関連論文を読むと次のようなことが書いてある。
CPTSDPTSDDSOdisturbances in self-organization 自己組織化の障害)との二つのコンポーネントからなるという。そしてこのDSOは上に帰した1)~3)の部分が相当するが、それらはより簡略化して、以下のように表現される。AD: affective dysregulation 情動の調整不全 
NSC: negative self-concept 否定的な自己概念
DR disturbances in relationships 関係性の障害
つまりDSOとはトラウマによりその人の感情や関係性や自己概念にかなり長期化する変化を被っているのであり、それは Herman が最初に提言したことでもある。
さて、最近は疾病概念が正当な構成概念 valid construct なのかをより厳密に問うが、ある研究(Brewin et al, 2017)では、CPTSDの人と、深刻なPTSDだけれどCPTSDではない、という人がはっきり異なるグループの患者として存在することが分かったという。結局PTSDを満たす人とCPTSDを満たす人の違いについていろいろな研究がDSM-5の発刊された2013年以後も行われた結果として、このCPTSDICD-11では正式の採用となったようである。
Thanos Karatzias, et al2018 PTSD and Complex PTSD:ICD updates on concept and measurement in the UK,USA, Germany and Lithuania European Journal of Psychotraumatology,Eur J Psychotraumatol. 2017; 8(sup7): 1418103.


2018年10月27日土曜日

関係論と自己愛 2

何日か前に一度書き出したが、もう一度仕切りなおしだ。

関係精神分析における自己愛パーソナリティ障害の問題

自己愛の問題は精神分析を学ぶ私たちにとって極めて重要なテーマであり続けるが、その内容は歴史的に確実に変化している。その始まりにおいてフロイトはリビドー論に根ざした一者心理学的な自己愛を論じたわけであるが、その後の自己愛理論は関係性の中で捉えなおされて来ていると言っていい。その意味で自己愛についての理論の変遷は、精神分析理論の変遷と歩調を合わせてきたといっていいだろう。そのいわば最終形であり最先端に位置しているのが関係論的な自己愛理論ということが出来る。
関係論的な自己愛の理論の一つの特徴としては、それを病理の表れとみなすことには消極的であるという点があろう。そもそも私たちが通常考える自己愛パーソナリティ障害(以下NPD)はとてもpejorative(見下した)な概念である。そこには境界性パーソナリティ障害ほどではないとしても、当事者を非難し脱価値化するというニュアンスがある。治療者の解釈を受け入れず、自分についての関心事を優先的に語る患者に対して、臨床家は自己愛的というラベルを貼りたがる。ところがそのような姿勢に現れている可能性のある臨床家自身の自己愛的な問題については、通常は問われることはない。その意味で自己愛の問題ないしNPDは臨床家にとってかなり好都合な概念になってしまいかねない。その意味で患者の自己愛の病理について論じる際は、臨床家は自らの逆転移を慎重に秤にかけながら進める必要があるだろう。言葉を変えればNPDの診断を下すことそのものに、その臨床家の関係論的な姿勢が問われているのである。
ただしここで私が想定しているNPDはあくまで一般的に論じられているものであり、DSM的な定義に近い、あるいは「カンバーグ的」なそれである。すなわち自己中心性や誇大的な自己イメージ、あるいは他者を自己のために利用する態度が特徴とされるものである。しかしHeinz Kohut (1971)の自己愛理論の登場により、自己愛は関係論的な文脈で論じなおされる素地が築かれたということができる。
Kohut, H.: (1971) The Analysis of the Self. Int. Univ. Press, New York.(水野信義、笠原嘉監訳、自己の分析、みすず書房、東京、1994)
 Kohutによれば、人間は自己の存在を照り返し、また自らが理想化の対象となるような存在を必要としている。養育環境においてそれを十分に提供されなかった場合には自分の存在に自信が持てず、安定した確かな自己イメージを持てないでいる人々が自己愛の障害を有することになる。それも便宜的にNPDと表記するとしたら、それはこれまで論じたDSM的なそれとはニュアンスが大きく違ってくる。両者はある意味で対極的な意味を持つといっていいだろう。Kohutの自己愛理論の登場により、自己愛の問題は恥の議論を含みこむこととなった(Morrison, 1989)。後にGlen Gabbard (1989)が自己愛を「無関心型」と「過敏型」とに分類して論じたが、それに従うならば、DSM的なそれが前者であるのに対して、Kohutのそれは後者に相当する。自己愛は自己愛でも「薄皮の」(thin-skinned, Broucek, 1991)自己愛なのだ。つまり自己を少し出しただけでもう周囲の反応を敏感に感じ始める。ある意味では自己が出される以前に、すでにもうそれ以上出すことを躊躇し始めている。だからコフート的なNPDは外からはぜんぜん自己愛的に見えないということにもある。ただその心の中をのぞくと、自意識だけは過剰なほどに持っているということがわかるだろう。
Morrison, A. (1989) Shame. Underside of Narcissism. The analytic press. Hillsdale, New Jersey.
Gabbard, G.(1989)  Two subtypes of narcissistic personality disorder. Bulletin of the Menninger Clinic. 53 (6).
Broucek, F.( 1991) Shame and the Self. The Guilford Press, New York,.

2018年10月26日金曜日

PD 推敲 2


ICD と DSM は今後近い関係になっていくことが予想されていたし、またそれが望ましいのであろうが、実際にはこのPDの分類に関しても袂をわかってしまった形になっている。

PDの類型分類に関する個人的な不満

さてここからはこれらのPDの診断基準の移り変わりにある意味では翻弄される一臨床家としての感想である。
  まずDSM に見られるような10の類型分類については、特に不満があったわけではなかったが、実際にはBPD (ボーダーライン), ASD (反社会性), NPD (自己愛性)、依存性、回避性の5つのPD以外には、あまり臨床的に出会わないという印象があった。(これに関しては DSM-5 に掲載された代替案で、境界性、反社会性、自己愛性、回避性、強迫性、統合失調型が残されて、あとは消えるところだったことを考えると、あたらずとも遠くはなかったように思える。
まず私が個人的に体験したのは、BPD に関する捉え方の変化である。臨床を続けていくうちに徐々にカンバーグ流のBPD の概念に疑問を感じるようになった。治療者側に手のかかる患者にBPD という診断を下す傾向が目に付くようになった。またトラウマを受けた患者の自傷行為や解離症状もアクティングアウトと捉えてBPD のラべリングが行われる傾向も行き過ぎの感を強くした。そうしてもう一つ、ボーダーさん的な振る舞いをする人の一部はそれが継続し、一部はそれを卒業していった。ボーダーさんの一部は人生の一時期それらしい振る舞いをするものの、それらしさが影をひそめることが少なくないのである。そこで Gunderson Zanarini らの研究、つまり数年後に大多数のBPD の患者は寛解するという研究を知り、やっぱりね、ということになった(Zanarini, et al, 2003)。またそれをもとに、私たちの多くは人生の岐路で一種の反応「ボーダーライン反応」(岡野、2006)を起こすが、それをBPD と決め付けることはできないという趣旨の発表を行ったことがある。
Zanarini MC1, Frankenburg FR, Hennen J, Silk KR (2003) The longitudinal course of borderline psychopathology: 6-year prospective follow-up of the phenomenology of borderline personality disorder. Am J Psychiatry. 2003 Feb;160(2):274-83.
岡野憲一郎(2006) ボーダーライン反応で仕事を失う . こころの臨床alacarte 25:65-69 
 次にNPD(自己愛パーソナリティ障害)についてであるが、これも人生早期から見られるものというPDの定義とは裏腹に、後天性のもの、社会で一定の地位を得ることで起きてくる状態が知られるようになったひとが獲得する、いわゆる傲慢症候群 hubris syndrome (OwenDavidson, 2009) に類似するものと捉えるようになった。そしてそれは私の「自己愛は制限するものがなければ肥大していく」という「自己愛の風船モデル」(岡野、2017) とも重なった。
David Owen Jonathan Davidson (2009)Hubris syndrome: An acquired personality disorder? A study of US Presidents and UK Prime Ministers over the last 100 years. Brain, Volume 132, Issue 5, 1 May 2009, Pages 1396–1406,
岡野 憲一郎 (2017) 自己愛的(ナル)な人たち 創元社

2018年10月25日木曜日

パーソナリティ障害はまだ ・・・ 17

 またダットンさんの本に戻ってきた。しつこく読み続ける。もう200ページは超えているが、まだ面白い話が出てくる。
 株のトレーダーには、一ドルたりとも負けたことがないというツワモノがいるそうだ。ダットンさんはそのうちの一人とのインタビューをしたというが、それが面白い。その人は自らを「サイコパス」と呼んでいて、サイコパスのテストをしてもやはりスコアが高かったという。その人の話によると、プロの有能なトレーダーたちは、彼も含めて株の売買に関して、一切感情を株の売買の決定プロセスに持ち込まないという。それらの人は一日の取引が終わって帰宅するときも、決してその日に何億も負けたからといって落胆したり、逆に何億稼いで意気揚々としていたりはしない。いつも同じ表情だという。これがアマチュアだと一喜一憂してしまい、それが悪影響を及ぼす。たとえばものすごく勝った日などは、早々と「今日は終わりにしよう、これ以上やると負けるから」と切り上げてしまう。ところがこのような人は「過去に生きる」人であり、結局は最終的には勝てない。このような人は勝ってうれしい、という気持ちにとらわれてしまっているからで、逆に負けると熱くなって、負けを取り戻そうとして傷を深めることになるのだ。
これを書いているうちに「機能的なサイコパス functional psychopath」の意味がわかってきたぞ。自在にそのモード、現在を生きるモードに入っていける人だというわけだ。何日か前に書いた、百戦錬磨の戦士 Andy のように。
 しかしここでまたわからなくなる。サイコパスはその時々の快楽で生きているように描かれているが、するとどうして彼らが有能なトレーダーになれるのだろう?彼らは衝動的に無茶な売買をして金をスッてしまうのではないか。いや、ここで有能なサイコパスとそうでないサイコパスが分かれるのだろう。有能なサイコパスほど報酬を先送りできる。彼は最終的に大きな報酬を得ることが目的だ。そしてそのためにはいくらでも無慈悲になれるし、目先の小さい快,不快には頓着しないということか。ちょうど少しの罰など頓着しないサイコパスたちのように?
 でもここで私はますますわからなくなる。サイコパスは鈍感で、かつ快楽主義的という、相矛盾した部分を備えているということだろうか。ここら辺を明らかにするためにこの本を読んでいるのに、まだわからないでいる。
サイコパスの世界も奥が深いものだ。

2018年10月24日水曜日

PD 推敲 1


何がどこまで進んでいるのかが分からなくなってきた。しかしDSMとICDの齟齬は続いていることはよくわかる。ついでに日本語訳の齟齬も起きている。detachment (距離を置いていること、他人事のようになっていること) はDSMの訳では「離脱」で、ICDだと「離隔」になりそう。もういっそのこと「デタッチメント」でいいのではないだろうか? ダメか・・・・。

パーソナリティ障害(以下PD)の概念について、これまでの私自身の臨床経験から再考を加えたい。
他の多くの疾患概念と同様、私たちは日常臨床の中でPDをあたかも実体が伴ったものであるかのように扱う傾向にある。PDの概念は常に臨床家がその意味を問い直し、その限界を意識しながら用いるべき概念であるということだ。
私たちは一般に人の性格にはいくつかの特徴があり、それにしたがってある程度の分類ができると考えている傾向にある。DSM-IVPDについて以下のように定義していた。
「その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った,内的体験および行動の持続的様式(認知、感情性、対人関係機能、衝動の制御から二つ以上)。」
そしてそれが持続的である以上、そこにある遺伝的な素因、あるいは幼少時の成育環境がその重要な決定要因だと考えるであろう。
PDの分類は大きく分けて二つある。ひとつはそれをいくつかの類型に分ける方針であり、もう一つは特性論、すなわち人格がいくつかの特性により構成されるものとみなし、それぞれの量的差異からそれを示す、いわゆるディメンショナルモデルである。前者はたとえばシュナイダーに見られ、DSMに引き継がれたような類型型の分類であり、シュナイダーはそれを10に分けた。それらは意志薄弱者、発揚者、爆発者、自己顕示者、人間性欠落者、狂信者、情緒易変者、自信過小者、抑鬱者、無気力者である。
 1980年のDSM-IIIに掲載された10のPDの分類は、基本的には2013年のDSM-5にも受け継がれた。それらは大まかにその人の行動上の特徴を特に有するもの、感情の特徴を有するもの、思考の特徴を有するものという三つのクラスターに分けられた形で、DSMの改訂が今後10年は出版されないとすると、なんと50年間この10のPDは変わらないということになる。それなりにうまく作りこまれたPDの記載であるということはわかるだろう。またICD10の段階ではこのDSMの累計型に準じたPDが記載されていた。
他方の特性型に関しては、DSM-5の準備段階では、類型型に変わって掲載される公算が強かったが、実際には巻末の「新しい尺度とモデル」の章に、「パーソナリティ障害群の代替DSM-5モデル」として提示されるにとどまっている。それによると基準Aとしてパーソナリティ機能における障害の程度を評価し、それは「自己」に関して、同一性と自己志向性、「対人関係」に関して、共感性と親密さを構成要素として示し、それらの重度について0から4までに分類される。また基準Bの病的パーソナリティ特性personality traitとしては、否定的な感情negative affectivity(9)、離脱detachment(6)、対立antagonism(6)、脱抑制disinhibition(5)、精神病性 psychoticism (3)の5つの特性領域についてであり、それぞれが()内に示された数だけの、重複を省くと総計25特性側面facetを有している。ただしこれだけだとあまりに複雑なので、反社会性、回避性、境界性、自己愛性、強迫性、統合失調型の6つの特定のパーソナリティを挙げてある。ちなみに2018年に発刊されたICD-11 では、PDはこの特性モデルに大幅に全面改訂されており、否定的感情negative affectivity、脱抑制disinhibition、離隔detachment、非社会性dissociality、制縛性anankastiaに分かれ、それとは別個にボーダーラインパターンborderline pattern が掲げられている。


2018年10月23日火曜日

CPTSDについて もう推敲 1


書きあがっていないが推敲を始める。
Complex PTSDの概念は Judith Hermanに由来する。彼女は1992年の著書「トラウマと回復」で「長期にわたる繰り返されるトラウマに続く症候群にはそれ自身の診断名が必要であるThe syndrome that follows upon prolonged repeated trauma needs its own name. 私はそれをcomplex PTSDと呼ぶことを提案したい.」と記している。このcomplex を日本語にした場合に、複合的とするか、複雑性とするかは議論の余地があるが、本稿では「CPTSD」として論じたい。
このCPTSDの概念をいかに臨床に応用するかについては、これまでに様々に議論されてきた。Hermanの盟友ともいえるVan der Kolk DESNOSDisorder of txtreme stress, not otherwise specified他に分類されない、極度のストレス障害)を提唱していたが、その趣旨はCPTSDに非常に近いものと考えられる。DSM-IVにおいてはこのDESNOSが導入されることが真剣に検討されたが(van der Kolk, et al, 2005)、ご存知のように2013年のDSM-5には採用されなかった。それが2018年に発表されたICD-11ではCPTSDとして採用されることとなった。ICDDSMCPTSDをめぐって大きく袂を分かったということになる。

van der Kolk BARoth SPelcovitz DSunday SSpinazzola J. (2005) Disorders of extreme stress: The empirical foundation of a complex adaptation to trauma. J Trauma Stress. 2005 Oct;18(5):389-99.

DESNOSPTSDとかなり症状が重複していて、またPTSDBPD、MDDとも重複しているから、改めて疾病概念として抽出する必要はなかったとされる(Resick, 2012)DSM-5PTSDの診断基準は、DSM-IVのそれに比べてかなり加筆されているため、それ自身がCPTSDの一部をカバーしている可能性がある。DSM-5PTSDの診断基準で新たに加わったのは、D基準(認知と気分のネガティブな変化)であるが、更に具体的には、
D.心的外傷的出来事に関連した認知と気分の陰性の変化。心的外傷的出来事の後に発現または悪化し、以下のいずれか2(またはそれ以上)で示される。
(1) 心的外傷的出来事の重要な側面の想起不能(通常は解離性健忘によるものであり、頭部外傷やアルコール、または薬物など他の要因によるものではない)
(2) 自分自身や他者,世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想(:「私が悪い」、誰も信用できない」、「世界は徹底的に危険だ」、「私の全神経系は永久に破壊された」)
(3) 自分自身や他者への非難につながる,心的外傷的出来事の原因や結果についての持続的でゆがんだ認識
(4) 持続的な陰性の感情状態 (: 恐怖、戦慄、怒り、罪悪感、または恥)
(5) 重要な活動への関心または参加の著しい減退
(6) 他者から孤立している、または疎遠になっている感覚
(7) 陽性の情動を体験することが持続的にできないこと(:幸福や満足、愛情を感じることができないこと)

Resick PABovin MJCalloway ALDick AMKing MWMitchell KSSuvak MKWells SYStirman SWWolf EJ. (2012) A critical evaluation of the complex PTSD literature: implications for DSM-5. J Trauma Stress. 2012 Jun;25(3):241-51.

 更にDSM-5PTSDにはいわゆる「解離タイプ」が新たに記載されている。すなわち離人感や現実感消失体験を伴うものは、「解離症状を伴う」と特定されることとなった。
このようにDSM-5ではCPTSD を導入する代わりにPTSDの基準自体を重たくし、さらに解離タイプを加えたことで対応を行ったつもりでいたことになる。しかしその後に進められた臨床研究の産物として作られたCPTSDは臨床概念として意義深いものと考えられる。