2011年3月24日木曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(12)

私がMの内面を聞き続けて思ったのは、おそらくどのような対人恐怖傾向を持った人にも、健全な自己顕示の欲求は当然ある、という当たり前のことだ。Mは治療関係が出来始めたころにこんな話をした。彼は小さいころから目立たず、特に運動も勉強も出来ない子供だったという。そして両親から十分な関心を払ってもらえたということが一度もなかった。そんな彼が小学生のころ、盲腸炎を起こして病院に運ばれるということがあったという。痛みに苦しんでふと見ると、ベッドの周りを医師や看護婦が囲んで自分を見下ろしていた。そのとき痛みに耐えながらも言いようのない心地よさを感じたという。自分の存在を皆が見守っているという感じ。でもその感覚を得るために、彼は普通でいることでは十分ではなく、急病になる必要があったのである。
すでにこのブログにも書いたと思うが、認められること be recognized への欲求を持たない人間はいない。それは通常の意味でのナルシシズムとは別物である。認められる、とはこの世に生きていてもいいよ、という承認を周囲から得るということだ。人は他人より特にすぐれていなくても、特に人の役に立つというわけでなくとも、ごく「普通」に、特に迷惑をかけずに、たくさんの人々に混じって周囲と同じように生きたいというつましい願望を持つのが自然だ。認められる、とは朝「お早う」と挨拶をして当たり前に「お早う」返してもらえるということなのだ。
でも時々幸か不幸かそのような挨拶を返してもらえないことがある。どう頑張っても親の目に映してもらえないという子供がいる。その場合は泣く泣くアピールをする以外にない。そうしてやっと認めてもらえる、やっと「普通」になれるのだ。Mの盲腸炎のエピソードもそのようなひとつだったのだろう。もちろんそれは彼が関心を払ってもらい、認めてもらうために仕組んだことではなかったわけであるが。
Mは若くして結婚し、子供を二人持っていた。奥さんはMには不釣合いな非常に快活な看護スタッフとして同じ病院で働いていた。Mはこの奥さんにもいつも引け目を感じているという話をよくした。二人はいわゆる「でき婚」で、子供が出来なかったら結婚はなかったかもしれない、ということだった。派手好きの奥さんは引っ込み思案で口下手の夫に飽き足らなさを感じ、よく夜一人で踊りに行ったりしていたという。「結局僕には友達がいない。妻も自分を相手にしてくれない。僕の話を聞いてくれるのはあなたぐらいだよ。」と彼はよく言ったものだ。
Mと私とはまたいろいろ「ニアミス」があった。彼の勤める大病院には、私も一時籍をおいていたことがある。私が病棟で大暴れをした患者さんに対して拘束のオーダーを出すと、セキュリティーがすぐに呼ばれて、2,3人の警備員が駆けつけてくる。その中に時々Mが混じっていて、一番後ろで仲間から姿を隠すようにして私の病棟に現れ、照れくさそうな顔をしながら私の前で手馴れたしぐさで患者をベッドに拘束するということもあった。私が彼らにオーダーを出すという立場であるということは、彼に複雑な気持ちをいただかせたようである。私はMのおそらく数少ない理解者であり、また病院ではオーダーを出す強い立場の医師であった。いわば父親的な存在というニュアンスもあった。しかし私は同時に彼より一回りからだが小さく、不慣れな言葉を操る外国人であり、気の弱いM自身の分身という感覚もあったのであろう。「先生と別のところで会うと、とても変な感じだよ」とMはいい、「その感じもわかるよ」と私も応じた。
生まれも育ちも立場もぜんぜん違うMと私との関係はそうやって二年も続いた。彼は初めのころに比べるとはるかにリラックスして自分を表現できるようになっていただろう。奥さんとの関係も、子供とも関係も充実していったように思えた。でもMはやはりMのまま、私はMのおかげでほんの少し治療者としての自信をつけることが出来たが、基本的には引っ込み思案のままだった。アメリカで自分らしい生き方が多少なりとも出来るようになるには私自身もそれから10年近くもかかった。(続く)