2011年3月13日日曜日

「東北関東大震災」の爪跡 (1)

という題でしばらく書いていくしかないのだろうか? 今はちょうど日曜(3月13日)の正午だが、さっき民放で「はじめて」コマーシャルを聞いた。というのも金曜(3月11日)の午後の震災以降、テレビはずっとどの局もコマーシャルなしの震災関係の報道だからだ。はじめは固唾を飲んでNHKを見守っていたが、当然ながら同じ映像を繰り返し流す。少し変わった報道も聞きたいと別の局にもチャンネルを回すのであるが、結局はそこでも同じ映像を流し続ける。そのうち不謹慎な話だが「もう見たくない」という気持ちになってくる。ところがそう考えることは「実際に被災した人々に申し訳ない」という気持ちにもなり、ニュースを見ないことも許されないという気にもなるのだ。
やはりおとといから日常が失われたという感じはある。他のことが手につかない。いつまでも緊張が続いている。一つの原因は、この余震なのだろう。いつまでも続いている。いつ終わるかもわからない。いつ、あれほど都民が恐れている東京大震災に繋がるのかもわからないのではないかと思ってしまう。東京湾は津波の被害は少ないと言われていても、東京湾に近いところに住んでいる人たちは決して心地よくはないだろうし、都内でも高台に引っ越そうと考える人がいてもおかしくないだろう。
このブログも対人恐怖について書いていたが、今はそれどころではないという感じ。Kairiken のMKで岩井圭司先生が、「不謹慎とは思うが、どこか民放でお笑いでもやって欲しい」と言っていたが、たしかにそう思うだけでも不謹慎と感じるのがわれわれの自然な反応なのだろう。国全体が喪に服しているようだ。
こんな時、人はわけの分からない思考をするようだ。私の例。「東北関東大震災」という名称が付けられたことについて。安心した。「関東」も入れてもらったおかげで、恐れていた震災はもう終わったのだ、と。もう心配しなくていい、と。(おそらく地震学的には根拠がないだろう。)またこのような形で震災を体験したことで、少なくともこの震災についての話が出た時に、少なくとも自分は部外者である、と感じなくていい、その意味でこれも「幸運」であった。(それでいて自分はまったく無傷に帰宅したことには、依然として後ろめたい感じがしているのだ。しかし1995年の阪神淡路大震災の際は、私はアメリカにいたので、同じトラウマ臨床の仲間がそれについて話すときに、なんとなく後ろめたさを感じていた。その時よりは、日本の歴史の一つを国民として体験したという事は言える。)
今回のこの大震災、先ほど修正されたのはマグニチュード9.0という。地球規模でも最大級の地震という。しかもこれから3日間にマグニチュード7.0以上の余震が起きる確立が70%だという。これではむしろ緊張が続いているのは当たり前ということだろう。