フロイト全集24巻を始め、これまでたまっている書籍をPDF化し始めてもうかれこれ半年。持っている本のかなりの量をスキャンし終えた。本棚はおそらく半分近くがからになっている。ところが今朝、とてもヒヤッとする出来事があった。これまでにスキャンし終えた量は約100ギガぐらいにはなっている。それを外付けハードディスクにためているわけであるが、それをなんと全部消去してしまう、という愚行をしてしまった!ウィンドウズでファイルを削除するとき、ゴミ箱に移したとしても、今度はゴミ箱自体をからにしない限りは、そこにファイルが残っているものである。だから私たちは「間違って捨てても拾ってくればいい」程度に考えてしまう。ところがそれはコンピューターの内蔵のディスクの話である。外付けハードディスクにたまったものを「すべて選択」にしてリサイクルビンのアイコンに移すと、そのまますっかり消えてしまい、どこをどう探しても跡形もなくなってしまう、ということを忘れていた。私は16ギガのUSB メモリーを空にするつもりだったが、私のマウスはその隣の外付けハードディスク(320ギガ)をしっかりクリックしていたわけだ。あれほど時間をかけてスキャンして蓄積した膨大な書籍のデータがほんの一瞬で消えてしまった・・・・・・。
さいわい仕事先のオフィスにもうひとつの外付けハードディスクを持っていて、そこにせっせとバックアップをしていたので事なきを得たが、こうやって失敗が起きるということをまざまざと体験した。(早速もうひとつ、今度は640ギガの外付けハードディスクを注文した。2重のバックアップを取るためである。)
コンピューターやインターネットの技術が進むと、ヘンなことばかり起きる。ほんのわずかな操作がとてつもない事件を生む。ワシントンの政治家たちを恐怖におののかせている例のウィキリークスの事件。一人の人間がコンピューターにある簡単な操作をするだけで、膨大な機密情報が発信され、国家の威信が吹っ飛び、機能が停止しかねないということが起きる。
原発の問題も、コンピューターとは直接関係はないとしても、技術の革新により得られた恩恵とは裏腹に、ほんのちょっとの誤操作がとてつもない悲劇を生むという例といえるだろう。
テクノロジーの発展に依存するということは、同時にセキュリティーを何重にもかけることの必要性を学ぶということか。