2018年8月18日土曜日

他者性の問題 6

統合失調症における自我障害

  これについては前に書いたが、復習の代わりだ。そもそもブロイラーが精神分裂病(統合失調症) schizophrenia を言い出した時、その「分裂」」とは結局はスプリッティングのことだったことはあまり知られていない。そしてもっと知られていないのは、ブロイラーが描いた患者像の多くは、解離的であったということだ。当時はDIDという概念も分裂病の概念も明確にはなかったわけだから、彼は両方をごっちゃに見ていた可能性がある。その結果自我が分裂することが統合失調症の主たる病理であるという定説が生まれた。何しろ名前がそれを表しているからだ。
 私が示したいのは、確かに統合失調症では、「自我の分裂」らしきものが起きている。しかし
DIDにおいては、その種の分裂は起きていないということだ。その代りそこでの病理はもう一人(以上)の自我の出現であり、それに対するおそらく「正常な」反応なのである。
 思い出していただきたい。確か一月ほど前だったが、ヤスパースの自我の定義を次のように書いた。
1.  自分自身が何か行っていると感じる「能動性の意識」
2.  自分が単独の存在であると感じる「単一性の意識」、
3.  時を経ても自分は変わらないと感じる「同一性の意識」、
4. 自分は他者や外界と区別されていると感じる「限界性の意識」
 
 これらは「能動性、単一性、同一性、限界性」の4つにまとめることができよう。ところでこんな議論、英語圏でもなされているのだろうか?気になり始めた。ということでネットを探っていくと、ここで英語の文献を見つけた。Harvard Review に載っている (Disordered Self in the Schizophrenia Spectrum: A Clinical and Research Perspective Josef Parnas and Mads Gram Henriksen) という論文 (これも無料でダウンロード可能だ。)
 この論文はヤスパースの論文の英語版を引いている。Jaspers K; Hoenig J, Hamilton MW, trans. General psychopathology. London: John Hopkins University Press, 1997 [1913].これを読んでいくと、出てきた。こんな文章だ。
The basic sense of self signifies that we each live our conscious life as a self-present, single, temporally persistent, bodily, and demarcated (bounded) subject of experience and action.
この下線部が、能動性、単一性、同一性、限界性、に対応することになる。そうか、やはり英語圏でもしっかりヤスパースの議論は紹介されているのだ。ところが一つ気になるのはこの自我障害を、英語では disordered self (自己の障害)としているのだ。え?「自我 Ich 」は、ego じゃないの、ヤスパースはあくまで Ich の障害、として統合失調症を描いていたはずだが。と言いたいところだが、Ich を ego(自我)とするのは、精神分析の決まりごとであり、精神医学ではそうとは限らない、ということらしい。精神医学では一般にドイツ語の Ich self と訳されるらしいということだ。まあこの方がわかりやすいけれど。それとこの文献で書かれていることは、ヤスパースはそもそも統合失調症では、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」が侵されている、と書いてあるというのだ。やはりここも解離の自己の問題とはかなり異質、より深刻、ということになる。ヤスパースにしてみれば、この能動性、単一性、同一性、限界性がすべて問題となっている、深刻な危機的状態が統合失調症、ということなのだろう。
 私が示したいのは、極端な話、自他の区別は解離においてはついている、あるいは統合失調症のような形では冒されていない、ということなのだ。

2018年8月17日金曜日

解離ートラウマの身体への刻印 22


ポリベイガル、まだ納得していない。一種の流行なのだろうか?でもトラウマの世界で明らかに注目されている。やはり理科系である以上、Porges 先生の原著に立ち戻りたい。何しろネットでただでダウンロードできてしまうのだ。
Porges SW. (2009). The polyvagal theory: New insights into adaptive reactions of the autonomic nervous system. Cleveland Clinic Journal of Medicine, 76:S86-90.
難しい話は省略するとして、彼は心臓に対する迷走神経の二つの相矛盾する作用に気が付き、研究し、結局迷走神経が二つに枝分かれしていることをみつけたらしい。迷走神経とは、何日か前に書いた、第10神経、一本だけ体の奥深く伸びていく(迷走している)神経だ。解剖学の歴史は長く、また肉眼で観察される対象でありながら、こういうことも起きるらしい。ともかく彼が主張しているのは、脊椎動物には迷走神経が存在しているが、基本的には無髄であり、哺乳類になって、有髄の迷走神経が成立した、というのだ。そしてそれも迷走神経核からしっかり出ているという。ポージス先生は、この新しい迷走神経、つまり腹側迷走神経VVCは通常は下位の、つまり古くからある交感神経系やDVC、つまり背側迷走神経を抑制しているが(昔から言われているジャクソン仮説だ)、ピンチの時は、この最新のシステムが最初にやられてしまい、下位のシステムが働き出すという。
ここら辺は分かるんだけれど、私にはどうしても疑問なのが、どうして第5,7,9,11神経まで迷走神経になっちゃったの?という単純な理由なのだ。VVCの枝を追っていくと、ひそかにこれらの神経にも入力していた、とかいう記述があれば、一気に納得するのに。そこでネットで手に入れたもう一本にも目を通して見る。これはずいぶん古い。彼がこの理論を言い出したころだ。
Porges SW1995Orienting in a defensive world: mammalian modifications of our evolutionary heritage. A Polyvagal Theory.
Psychophysiology. 32:301-18.
.これを読んでいくと、それらしい記述があった。「it has been demonstrated that visceromotor functions regulated by the ventral part of NA provide the parasympathetic support for the somatomotor projections from NA and trigeminal and facial nerves.神経解剖学的な研究によると、内臓運動機能は、NA(擬核、迷走神経の出ている核)の腹側部により調節されているが、それらはNAや三叉神経や顔面神経からの身体運動投射に対する副交感神経系のサポートを提供している・・・・・」
ややこしくて漠然としか分からないが、迷走神経と、第5、第7神経(おそらくは同じ感じで第9、第11神経とも)連絡を取り合い、社会生活を営む上での主として顔面における運動と自律神経とが強調するような仕組みが出来上がっている。まあこの文章でなんとなく納得した、ということになるだろうか。


2018年8月16日木曜日

解離ートラウマの身体への刻印 21

ということでこのポリベイガル理論、もう少し調べてみる。これはこれで少なくとも英語圏では熱烈な支持者がいるらしく、いろいろなサイトがあるし著書もある。ポリベイガル理論とは、重複迷走神経説、多重迷走神経説、多層迷走神経説などの呼び方がすでにあるらしい。そして昨日書いた VVC (腹側迷走神経系)、は最近では社会神経系 social neural system という呼び方をされているらしい。自律神経が社会機能を担っている、という論点がポージスの理論ではユニークな点ということになっているらしい。ちょっと調べたら、すでに2001年に、ポージス自身が論文にしている。
 Porges SW (2001) The polyvagal theory: phylogenetic substrates of a social nervous system. Int J Psychophysiol. 42:123-46.
という論文だ。勿論論文を購入するにはお金がかかるので、抄録しか読めないが。抄録は以下の通り。
Abstract
The evolution of the autonomic nervous system provides an organizing principle to interpret the adaptive significance of physiological responses in promoting social behavior. According to the polyvagal theory, the well-documented phylogenetic shift in neural regulation of the autonomic nervous system passes through three global stages, each with an associated behavioral strategy. The first stage is characterized by a primitive unmyelinated visceral vagus that fosters digestion and responds to threat by depressing metabolic activity. Behaviorally, the first stage is associated with immobilization behaviors. The second stage is characterized by the sympathetic nervous system that is capable of increasing metabolic output and inhibiting the visceral vagus to foster mobilization behaviors necessary for 'fight or flight'. The third stage, unique to mammals, is characterized by a myelinated vagus that can rapidly regulate cardiac output to foster engagement and disengagement with the environment. The mammalian vagus is neuroanatomically linked to the cranial nerves that regulate social engagement via facial expression and vocalization. As the autonomic nervous system changed through the process of evolution, so did the interplay between the autonomic nervous system and the other physiological systems that respond to stress, including the cortex, the hypothalamic-pituitary-adrenal axis, the neuropeptides of oxytocin and vasopressin, and the immune system. From this phylogenetic orientation, the polyvagal theory proposes a biological basis for social behavior and an intervention strategy to enhance positive social behavior.
 大事な部分を翻訳すると、次のようになる。
 「系統発生学によれば、神経制御のシステムは三つのステージを経ている。第一の段階は無髄神経系による内臓迷走神経unmyelinated visceral vagus で、これは消化を司るとともに、危機が迫れば体の機能をシャットダウンしてしまう。第二の段階は交感神経系である。(中第三の段階は、有髄迷走神経 myelinated vagus で、これは哺乳類に特徴的で、環境との関係を保ったり絶ったりするために、心臓の拍出量を迅速に統御する。哺乳類の迷走神経は、顔面の表情や発話による社会的なかかわりを司る頭蓋神経と深く結びついている。自律神経は系統発達とともに形を変え、ストレスに対処するほかの身体機能、つまり副腎皮質、視床下部下垂体副腎系、オキシトシンとバソプレッシン、免疫系などと共に進化してきた。
 ここでわからなくなってきた。一応医者だから解剖学は医学部で教わっている。しかしだれも第5神経 (三叉神経)、第7神経 (顔面神経)、第9神経 (舌咽神経)、第11神経 (副神経神経が、結局は全部迷走神経だ、とは教えてこなかったぞ。だって迷走神経は第10神経だ、というのが解剖学の常識なのだから。いったいどうなっているんだろう?というよりいつから迷走神経はそんなに偉くなったんだ? 聞いてないぞ、オイ。
 そこで Wiki 様をひいてみると、結構ヤヤコシイが、どうやら迷走神経は私たちが思っていた以上にストレス反応に関与していることが分かってきたという。VDK さんは、この理論が、なぜ優しい声や表情をかけられるなどの社会的なやり取りがストレスを軽減するのかを説明しているというのだが、私にはまだいまひとつピンと来ていない。先ほどの社会脳とのつながりのことを言っているらしいのだが。もうちょっと時間をかけて読んでみよう。夏休みだし。

2018年8月15日水曜日

他者性の問題 5

人格の複数化という視点の弱さが、他者性の減債につながっているというのが私の主張であるが、その原因の一端は精神分析にあるだろう。というのも精神分析ではスプリッティングという概念を用いることで、「心が分かれる、という考え方はもうすでに十分取り入れていますよ。他に何が必要なのですか?」というエキュスキューズを与えてしまっているわけなのだ。オニール先生は、Brook (1992) の説を引用し、フロイトにおいては心が分かれるという発想が三つみられるという。そのうちの第一が解離的なスプリッティング。これはフロイトが早くから棄却してしまっている。自分はそんなもの見たことがない、と。だから論外だ。この第一の候補を捨ててしまっている点で、精神分析の世界に本当の意味でのスプリッティングは存在しないことになる。
私は思うのだが、人格の複数化の一番の根拠は、その同時存在性ではないか。ある話題について話していると、別の人格が突然訂正に入って再び引っ込むということは、話している人格と、それを聞いている人格が二つ、同時進行していると考えざるを得ない。これは二つの心が葛藤している、両価的である状態とは似て非なるものである。両価的である場合は、話者が交代することはない。Aと考える、しかしそれとは逆のB という考えもありうる、という状況への困惑を体験するのは通常一つの主体である。しかし解離の場合には、Aを主張している主体は、Bを持っている別の主体の気配を感じるのであり、次の瞬間にはそちらの主体への移行が起こる。これは両者の同時進行的な性質を表しているのである。
結局何が言いたいかと言えば、分析的なスプリッティングの概念は、人格の複数化 multiplication とは全く異なるものなのだ。しかし人格の分割化 division を解離の主体とした場合は、一つの心が二つに分かれるという意味では、分析的なスプリッティングとかなり似てくる。「だってもともとのAさんが、A’さんとA’’さんに分かれただけでしょ? 解離のスプリッティングも分析的なスプリッティングと同じじゃないですか?」 と言われてしまうと、この問題について特に深く考えていない人にとっては、「そういうことか・・・・」で終わってしまいかないのだ。これが解離についての理解の弱さを決定的なものにしてしまっているのである。

2018年8月13日月曜日

解離ートラウマの身体への刻印 20

ポリベーガルセオリー、または自律神経系への刻印

ところでこれまでは、転換症状に関係するのは、運動神経と感覚神経であるということにしていた。だからこれらの病変を扱う神経内科に患者さんはまず送られるのである。しかし最近それ以外の神経系、つまり自律神経系もまたトラウマに深く関与しているという説が提唱されている。これは少し前 VDK先生の本を読んでいたら出てきた。こんな風に私は書いた。(コピペじゃないか!

1994年、ポージスという学者が考え出したこの理論。もともとはダーウィンの理論に端を発しているという。自律神経とは要するに交感神経と副交感神経だが、この二つは常にバランスを取っている。私も良くやるが、息を吸い続けていると脈拍が上がり、ゆっくり吐くと今度は下がる。吸気時には交感神経の刺激、呼気時にはその反対。これが常に綱引きをしている。HRVという値が在り、要するに脈拍数がどのように呼吸などにより変動するか、という値だが、これは高いほどいい、という。つまりいつも脈拍が一定、というのは、一見健康そうで、実は交感神経、副交感神経の綱引きがちゃんと行われていないという意味では不健康だという。ボリベーガルセオリーの説明に、ここから説き起こすというのは、VDK先生はさすがだ。ボージス先生の発想も、最初は心拍数がどうして迷走神経によっても強く支配されているのか、という疑問だったという。

 そうか、ここでこの本の説明は止まっていたんだ。それではその続きを読もう。1994年に、メリーランド大学のポージス先生がこの理論を打ち立てた。ポリベイガル polyvagal とは迷走神経 vagal nerve がいくつも分岐しているということだ。ダーウィンがすでにそんなことを言っていたという。 とにかくポージス先生の理論のキモは、腹側迷走神経(VVC)という概念である。迷走神経をよく調べると、腹側に枝分かれをしている、というわけだ。彼が発見したのだろうか? なぜこんなに大事な部分が1990年代まで発見されずにいたのかはわからない。大体マクロ解剖学の世界に、発見されるべきものなど残っていたのだろうか。(後で調べよう)。ともかくもVVCは人が通常は警戒しつつも生きていくうえで大切な部分であり、特に社会生活の中で発達して行ったという。そして危機が訪れると、交感神経系を興奮させ、闘争逃避反応を起こす。しかしそれでも逃げられないとなると、背側迷走神経(DVC)が登場し、体をフリーズさせ、解離を起こさせるという。つまり今、目の前で起きていることに耐えられずにスイッチしてしまう状態とは、このDVCが刺激されている状態というわけだ。ということはスイッチングの決め手になるのもまた迷走神経、ということなのだろう。つまり正常な状態におけるトラウマを回避するための行動も、いよいよトラウマが避けられなくてピンチに至った時の行動も、いずれも迷走神経が関係しているというのがポージス先生の理論である。迷走神経も、これで株を上げたわけである。

2018年8月12日日曜日

他者性の問題 4


極めて大きな錯誤であった「意識のスプリッティング」という理解
 
 ところで一つの問題がある。精神医学の歴史を辿ると、
van der Hart, O, Dorahy, M, History of the concept of Dissociation, (In) Dell, Paul F. (ed.)  Dissociation and the Dissociative Disorders - DSM-V and beyond., Routledge (Taylor and Francis), pp.287-325.1800年代の半ばになり、催眠とヒステリー現象が共に、意識のスプリッティグとて理解されるようになった。ジャネでさえそうだった。彼は精神の力が遺伝的に弱いので、統合できなくなっていると考えた。なぜこのようなことになってしまったかはわからない。
ただしこれに異を唱えているのが、オニール先生である。彼は(”D” bookのp.298あたりに記載)解離は複数化的 multiplicative か divisive 分割的か、改めて問う。この違いはお分かりだろうか。前者は増えていくという方向での複数になること、後者は一つのものが分割されていくという形で複数になることである。そしてオニール先生は、「自分ならそれは複数化的、という方を取る」、という。つまり意識が分かれるのではなく、増える、ということだという。そして前者は多重人格をよりよく説明し、後者は機能的な解離を説明するという。
 <精神分析的な伝統>
ところでオニール先生の論文が面白いのは、この人格の複数化、という問題は精神分析では絶対ありえないこととして扱われているという事情である。それ以来メインストリームの精神分析は、解離の問題はいかに取り入れるかよりはむしろ除外するか、ということにエネルギーが費やされているという。そういえば精神分析で解離を論じているスターンやブロンバーグの議論もこちらの方に近いかもしれない。その中で一人気を吐いていたのがクラフト先生だという。そしてここが重要なのだが、スターンやブロンバークも、Beth Howell (最近よく引用させていただいている分析家)もIPAに所属していないという。知らなかった。やっぱりそうか。精神分析の家元は、解離から距離を置いているのだ。

2018年8月11日土曜日

解離ートラウマの身体への刻印 19


「 刻印」の持つ恣意性
ところでこの転換症状という現象への新たな理解は、本論で扱っている「トラウマの身体への刻印」という意味を大きく変えてしまいかねない重要な問題をはらむ。フロイトは転換症状において生じる現象、すなわち「リビドー的なエネルギーは身体的なinnervation 神経支配に転換される」という現象について述べたが、これは実は仮説的な説明であり、「本当のところは分からない」のであった。ある歌手に生じた失声は、「歌うことへの葛藤」により説明されるとは限らない。実際にこの例に見られるように、その大部分のケースにおいて、力動的な理解によるアプローチを拒絶し、それによる症状の改善に導くことはない。その多くは突然明確な理由なくして始まることが多く、極めて認知行動療法的な、あるいは神経学的な経路を取って改善を図るしかない。その場合、ではその症状(この場合は失声)は何を刻印しているのか?ここでこれをまったく不明と言い切ることは出来ないが、極めて恣意的であると理解するしかないのだ。
ここで少し図式的に書いてみる。
運動前野 ⇒ 高次運動野 ⇒ 一次運動野 ⇒ 脊髄 ⇒ 筋肉運動
まず運動前野には、~を歌おうという情報が、前頭前野や頭頂連合野などの連合野から送られてくる。おそらくここは正常に機能しているであろうし、だから「~の歌を歌おうとする」ところまでは行くだろう。(もしこの部分で抑制がかかったら、そもそも何の歌を歌おうか、というアイデアさえ浮かんでこなくなるはずだからだ。もちろんそのような形での転換性障害もあるかもしれないが、とりあえずそこはクリアーしていると考えよう。) 次に高次運動野は、歌を歌うというために必要なさまざまな運動、つまり肺から息を吐き出す(そのために横隔膜を弛緩させたり腹筋を緊張させることで腹圧をかける、など)、声帯を閉じる、声帯を調節する様々な筋肉を順番に緊張、ないし弛緩させて音程を変え、それをメロディーに乗せる、口の形を複雑に変えることにより歌詞を発音する・・・・・。おそらく何十という筋肉のコントロールをしなくてはならないために、この高次運動野が使われる。しかしここの部分にも邪魔は入らないのではないかと思う。この歌手はベテランであり、復帰した時は普通に歌えたのであるから。すると高次運動野から一次運動野への経路のあたりにおそらく邪魔が入り、信号が伝達されないか、余計な筋肉が同時に収縮することで「歌えない」という現象が起きる。ただしこのプロセスはほとんど皮質下、つまり無意識のプロセスである。誰も歌を歌う時、「エーッと、声帯のこの筋肉をここで緊張させて・・・」、などと考えないからだ。ということはここで生じる障害とはほとんどそれをどこにも辿ることが出来ず、その由来を知る由もないということになるだろう。