2019年9月20日金曜日

発達障害とパーソナリティ障害の微妙な関係 1

ASD(自閉スペクトラム障害)とパーソナリティ障害の関係は微妙だ。特に軽症のASDがなかなか理解されていない。その現れ方が微妙なためにそうと認識されにくい状態を最近の呼び方にならい「BA(ボーダーラインオーティズム)と呼んで置こう。これはASD(自閉症スペクトラム障害)の継承型、ととりあえず理解することができる。
私が注意を喚起したいのは、このBA の状態が、臨床上大きな混乱を伴いやすいという点だ。なぜなら顕著なレベルでの障害を持たないものとして扱われることで、かえってその問題が際立ってしまうという例が多くあるからだ。それはちょうど知的能力がボーダーライン(IQ7085)にある人が普通級で苦労するのに似ている。「明らかな知的問題はない」となれば、成績が振るわないのは本人の努力不足、甘え、あるいは性格のため、という事になり、叱責や指導の対象にさえなりかねない。同様にBA も意図的に人間関係を難しくしていると「誤解」されたりパーソナリティの問題とされたりして当人への風当たりはそれだけ厳しいものとなる。つまりその問題の存在が明らかなASD に比較して、BA は、それを有することで、それとは真逆の見立てや対処の対象となりうる、という皮肉な現実があるのだ。その意味ではこの報告者の記述に見られるような「発達障害というよりはパーソナリティの問題」という理解には、それを用いる側も聞く側もよくよく注意すべきである。それが用いられたとたん、上の皮肉な現実を生み出してしまう可能性があるからだ。
ここで少し概念の整理が必要だろう。パーソナリティ傾向とASDないしBA とはどこが違うのだろうか? 自閉症スペクトラムの特徴は様々に記されているが、なるべくDSM 5 の言葉を用いるならば、他者との自然な情緒的関係の持ちにくさ、文脈に沿った行動を取れないことなどであり、ようするに「空気を読めない」ということだ。これを「他者の情緒を感じ取れない」という問題としておこう。どうしてこれが対人関係上の問題となるのだろうか? 私の臨床感覚からは、それが自然な対人交流を妨げるだけではなく、結果としてASD を有する当人の被害念慮を生むことが大きな原因となっていると考える。彼らは他人との確執が生じた時に、自分の変わった面がどのような感情を起こしているかを実感として持つことが出来ない。その原因を求める努力は「相手は自分に悪意を持っている」という結論に至りやすいらしい。「自分は正しいのに、相手が判ってくれない」となるわけだ。

2019年9月19日木曜日

河合隼雄と多重人格 2

河合隼雄の多重人格に関する言及のもうひとつは、KAWADE 夢ムック「河合隼雄 こころの処方箋を求めて」(2013年、pp64-86)に収められている哲学者鷲田清一氏との対談に出てくる一節である。
・・・・・
鷲田:昔だったら人間は、人生何かある仕事ひとつで生涯を貫くことが尊いとされた。漁師生涯竹一竿でしたっけ? そういう生き方をすると、会社に行って会社に自分を全部預けて定年を迎える、本当にピッと終わりますね。けど若いときに会社の勤務中にエスケープして映画見に行ったりとか、あるいは五時になって、あとはオートバイの仲間と遊んでたりする、そういう、若いときからいろんなチャンネル持ってる人は、別に定年が来ても一つのチャンネルがなくなるぐらいですむ。僕の友人なんか見ていても、パンと存在感のある人って優等生タイプの人じゃなくて、結構いろんなところを渡り歩いてきた人そういう方が、五十すぎてくると、これは絶対もてるなあという感じの存荘感持ってくるんですね。そういう多様性というのは大事ですけど、多重人絡というと統一性をつなぐもの事体がなくなって、非常に苦しいというのはわかるんですけども、多様性ということを本当にいいだすとすれば、それのほうがいいんだという言い方もできるものなんでしょうか?
河合:それは、これからの、あらゆるところにある、すごく大きな疑問じゃないでしょうか。私にとってもすごく大きな問題で、ずっと考えていることです。まず多重人格の方ですが、実際本当に太変です。多重人格の特徴は、お向いに関係がない、あるいは一方だけ知っている。二重人格の場合はわかりやすいですけど、不思議なことに第一人格はよい人怖で第二人格は悪い人格です。第一は第二を知らないんです。第二人格は第一人格の存在を知っていることが多いんです。第一は第二を知らないんです。悪いやつの方が上手なんですね。すごく興味深いですけどね。それはともかくとして、今おっしゃった多様性のことですが、会社のこともやっているけれど、オートバイもやっている、ぐらいだったらいいけれど、たとえば教室の中では「皆、さぼってはいけません、しっかりやりなさい」と言っておいて、教室から外へ出たら悪いことをする教師。これは多様性があるというのか、離しくなるでしょう。だから、多様な中の統一というか、そういうことは誰でも言うんです。でもいくら早いこと統一しようと思っても、多様はなくならんですよ。そこのところで西洋人は多様をインテグレートすることを考える。
鷲田:統合する。
河合:われわれ日本人はハーモニーだと思うてる。インテグレートはされてなくても、ハーモニーがある。違うんちゃうかと。日本人には調和の感覚は美的感覚としてありますわね。日本人は倫理観という場合、美的感覚がすごく大事になってくるんじゃないか。向こうは一神教でしょう。だからやはりインテグレーションといいたいし、どこかに一なるものがあるんですよ。一なるものまで統合されていく。こちらの場合は一なるものがなくて、いろいろあるんだけど、ハーモニーがある。だから僕はそのハーモニーの感覚を身につけて生きていく、これがいいんじゃないかと思っているんですけどね。
鷲田:おっしゃられるように、まさに人格もユニティ(統合)であり、ユニット(単位)ですからね。統一されて始めて人格が成り立ち、人格が一つ一つのユニットになって、国家を形成していく。そこでもユニティがユニットになって、ヨーロッパの世界国家、世界性を考えたりというふうに統合されていくという秩序。だから一般の社会、共同体というのを考えるときに、何らかの集合体がいるわけですよね。信仰を共有するとか、信念や思想を共有するとか、それは宗派でも政治集団でもそうだし、国家でもそうだし、集団ができるときにはいつも、何かある共通のものを共有するというかたちで共同体が作られる。一番大きくなると人類は神という共通のものを共有し、それぞれが神と繋がるかたちでひとつのまとまりができる。ヨーロッパの現代的思想でも、何かを共有するかたちでないような共同体は、どうしたらできるんだろうか、というのが最近問題になっています。共有しないものは、外部になってしまう。ヨーロッパの人が他者といっているのも、外に排除するんじゃなく.しかも共有できるものがなくて共存できる共同体とはどういうものなのか、と。
河合:面白いね。多重人格というのはアメリカでものすごく出てきたんです。一神教の世界だから。ところがアメリカ社会は突然ああいうふうに急に拡張してきたから、いろんなことが起こる。ところがユニットの中に人らないものはほっぽりだすんです。その、入らないやつが今度は人格を形成する。日本の場合は、放り出さずに曖昧にくっついているから、多重人格にならずに、まあ多重人格的に保たれてる。向こうは完全に多重人格になる。多電人格をどうやって治療するか。アメリカでは治療者が、一人ひとり呼び出すんですよ。今第一だから、第二は引っ込んくれと。次、第二の人出てください、次、第三、と。三と二は一緒にならへんかとか、一人ひとり話し合いをしていく。それでだんだん一人にしていく。僕は絶対それはあかんと。僕の方法は、一が出ようが三が出ようが、ふわーと会っている。あまり区別せえへん。
鷲田:決まりをその人につくらせるんじゃなしに、相手方に。
河合:そう。だんだん繋いでいくから、それは向こうに任せといたらいい。そやけどこっちは一人ひとりとしっかり会うて、真剣に話さないかん。ちょっとおれいいか、と出てきても、はいはいと。アメリカはそんなわけはない、明確にしろと。でもアメリカの方は本当に、今、失敗してきでるんですよ。日本の方で、アメリカ式にやる人がいるんですよ。一と二と三と四と会って、とうとう一つになるんですよ。喜んどったら、一日後に自殺。
鷲田:統合されて。
河合:統合に無理があったんでしょう。統合といってるけど、誰か死ぬわけですよ。その誰かにしたら殺されてる。二も三も四も生かして一人にするって、すこく難しいじゃないですか。一人ひとりを呼ぴ出しているということは、人格も認めているわけやからね。いったん人絡を認めながら、一人になれなんて、それは無茶な話ですよ。僕の方法は、時間はかかるけど、皆が自然に一つになっていくのを待つのです。
(以下略)


2019年9月18日水曜日

河合隼雄と多重人格 1

河合隼雄が多重人格について述べているいくつかの論考がとても参考になる。著書のコピーからOCR認識で文章化してみたが、あちこちに文字化けがありそうだ。しかしあえてこのままで紹介しておく。原典は『精神療法』一巻六号、1995年12月、金剛出版刊 である.


内界の人物像と多重人格     河合隼雄

二重人格より多重人格へ
最近アメリカにおいて多重人格の症例の多発が報告されている。それも十六重人格とか、まったく考えられないほど多くの多重人格が出現する。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、深層心理学が急激な発展を遂げたときに、多くの二重人格の症例が発表された。当時、自分自身も症例を発表しているピュール・ジャネは、百例をこえる程度の発表があったと述べている。
カール・ユングも早くから二重人格の現象に注目していたが、そのような現象を単に「病的」とか「異常」とかの観点から見るのではなく、二重人格として生じるものは、新しい人格の発展の可能性が何らかの特殊な事情によって妨害され、その結果として障害が生じていると見ようとしたところが特徴的である。彼が一九〇二年に発表した博士論文に、つとにこのような考えを指摘しているのは注目に値する。二重人格や夢中遊行のなかに「目的をもった意味」を見出そうとしたのである。
 今世紀はじめに多くの二重人格の症例が発表され、それもだんだん少なくなってきた頃、 一九五七年にセグペンとクレツクレーによって『イヴの三つの顔』という題で劇的な症例が発表された。これはイヴ・ホワイトと名づけられる第一人格に対して、それとまったく逆の性格をもつ第二人格のイヴ・ブラックが存在する症例である。これは治療経過の詳細が報告されている点もあって多くの人によく読まれ、映画化されたりもした。以上のような今世紀前半までによく出現した二重人格は、ユングによる「影」(shadow)の考えによって説明すると、わかりやすいと思われる。ユングはもともと夢分析の実際経験から、この考えをもつようになった。つまり、夢分析をはじめると、夢を見る人と同性で、何らかの意味で本人と性格が反対の傾向をもつ人物が現われ、その人物との関係から得るところがある、という夢を見ることが多いことに気がついた。ユングは、そのような人物像を shadow image と名づけ、各人は夢の分析を通じて、自分の shadow の存在の realization(何らかの実現を通じての体験的認知)に努めることが必要であると考えた。ところが、ある人にとって、このような shadow realization の道がまったく閉ざされ、一面的な堅い人格ができあがってしまうと、shadow も一個の人格として機能しはじめて、時には第一人格と入れ代わるようなことが生じるのではないか、と考えられる。これは自我によるきわめて強い抑圧の結果である。二重人格の症例は今世紀の後半になって少なくなり、きわめて稀なことになった。ところが、最近になって急に多重人格の症例がアメリカで発表されるようになった。これは、しかし、先に述べた二重人格とは異なる心的メカニズムをもつものと考えられる。その一番大きい点は、多重人格のなかに異性が含まれる、ということである。たとえば、十六重人格のシビルの場合、第一人格は女性であるが、その多重人格のなかに、マイクとシドという二人の男性が含まれている。治療者はマイクとシドに向かって、彼らの身体が女性の身体であり、男性とは異なることを一所懸命に説得しようとするが、二人とも承服しない。そのうちに変わってくると主張している。
   このことを報告して著者は、「彼女の例が性差の境界を超えて反対の性の人格を発生させた唯一の多重人格だ」と述べているが、その後の多重人格においては、異性も生じることが報告されている。つまり、これまでの二重人格とは異なる現象が生じたのである。
  現在において多発している多重人格は、抑圧よりも分裂 splitting の機制によるものであると考えられる。アメリカに行ったとき、多重人格の症例を聞く機会があつたが、その生活史を見ると、性的虐待などあまりにも強い心理的プレツシヤーがあり、 一個の人格として存続し続けることが不可能のように感じられた。そんなときに、splitting の機制によって、何とかその重圧を逃れて生きてきたと考えられる、したがつて、二重人格のような、自と黒、善と悪といった類の対比はそれほど鮮明ではなく、それぞれの人格が状況に応じて出現してきている、という印象を受ける。
夢のなかの人物
人間は毎晩夢を見る。そのなかに実に多くの人物が登場する。と言っても、人間は夢をすべて記憶するのではないから、夢を見ないと言う人もあるが、最近の夢に関する研究から考えて、すべての人が夢体験をしていると推論していいだろう。それは人間が生きていく上で必要であるようだ。夢には、時にまったく思いがけない人物が登場する。日常的には忘れ去っている小学校の同級生が登場し、話し合ったりする。あるいは、父親だと思って話し合っているうちに、父親が友人に変わっていたり、極端な場合は、人間ではない事物になったりする。それは椅子なのだが、それが「父親」であることはわかつており、夢のなかでは何ら不思議に思わない。それと、非常に大切なことは、夢のなかの人物は、それぞれの自立性をはっきりと持っていることである。自分が考え出した話であれば、そのなかの人物を自分の考えで動かすことができる。
しかし、夢では一般にそうはいかない。相手が何を考え、何をするかはまったく予想がつかない。しかし、それは自分の夢なのである。
夢のなかで体験するもうひとつの非常に大切なことは、自分自身が他人や他の事物になりながら、それを自分であるとはっきり認識している現象である。夢のなかでは異性になることもある。あるいは、動物や事物になるときもある。つまり、「私」という存在は、通常に考えているよりも、はるかにあやふやなものなのである。あるいは、夢のなかでは、自分が「もう一人の私」に会うこともある。自分が自分に出会うのである。自分は一人ではなく、もう一人いるのだ。
以上のような夢は必ずしも「異常」とは言い難い。稀ではあるが、ともかく健常者の夢に生じてくる。その夢によって「異常」になる、というのではない。つまり、人間の内界においては、いろいろな人物がいろいろと不思議なドラマを演じており、そのなかでは人物や事物の同一性が比較的保たれていないのである。これは、現実生活において、われわれが「同一律」を非常に大切にして生きているのと好対照をなしている。おそらく、このような世界によって支えられないと、われわれの日常生活は成立しないのであろう。
夢のなかの人物と外界の人物はどのように関係するのだろうか。これは時に不思議な一致を見せる。たとえば、夢のなかで人物Aが死ぬと、Aが実際に死んだり、Aの訪間を夢のなかで受けると、それがそのまま翌日の現実になったりする。このようなことは、一般に稀である。とすると、夢のなかの人物は、いったい誰なのか。端的に言えば、夢を見た人の何かである。私が残酷な人物Xについて夢を見るとき、それは私のなかのXを示している。というより、Xは私のなかに生きている、というべきである。「私にも残酷なところがあるなあ」と考えるのではなく、「残酷な人間が生きている、住んでいる」しかもそれは「私の支配に屈しない自律性をもっていると考えるべきである。
このように考えると、一個の人間として同一性を保持し、この世に生きているということの大変さがよく認識できる.
しかし、実はこれは「私」一個の力ではない。そんなことは不可能である。実は他の人々の協力によってそれはできているのだ。他の人々が私に対してもつ期待、信頼、拒否、その他もろもろのものの総和のなかで、ある程度の一貫性をそなえた「私」というのがつくられているのだ。言うなれば、そのような「私」を保持するために、人間は相当な無理をしている。「無理」という表現が気に入らないのなら、「大変な努力」と言ってもいそこで、観点を変えて言うなら、「私」というのを非常に広くとると、夢のなかに出てくる「私」および他の人物すべてが「私」なのだ。それら全体が「私」を構成している。実際に、夢に出てくる人物の一人一人を「私」だとして考えてみることは意味あることだ。しかし、そのように言ってもそれは通常の「自我」(つまり、覚醒時に「私」であると意識し得る存在)から見ると、近いと感じるのと遠いと感じるのがあるのも事実である。
そのときに一般論として、同性よりは異性を遠く感じるものである。この点について、ユングは「影よりもアニマ・アニムスの統合の仕事の方が、はるかに難しい」ことを強調している。アニマ、アニムス像とは異性像のことを指している。
「統合」ということは、確かに困難である。しかし、統合を放棄して各人物像がバラバラに存在しているとすると、これらの内界の人物像が外界に現われて、多重人格になるというのは可能ではなかろうか。たくさんの人物がいるなかで、常に「私」が一貫して出現するのではなく、人が入れ代わって出るとなると多重人格になる。このようなことも考えられるのである。
自我と私
そもそも「私」というのは、いくら考えてもわからない難物である。インドの説話に次のようなのがある。ある旅人が小屋に一人で泊っていると、鬼が死体をかついでやってきた。そこへもう一匹の鬼が来てその死体は自分のものだと言う。そこで二匹の鬼が旅人にどちらが正しいか判断せよという。旅人が最初に来た鬼のものだと言うと、後から来たのが怒って旅人の手をち切って食べてしまう。最初の鬼は死体から手をち切って旅人につけてくれる。ところが怒った鬼は旅人をどんどん解体していくので、最初の鬼はつぎつぎと死体の部分をとってつけてくれる。そして、最後のところでは旅人と死体との「体」はまったく入れ変わってしまった。そこで、旅人は「いったい私は誰だろう」と嘆くのである。
 この話の結果はどうなるのか。旅人は「いったい私は誰だろう」という難問を抱いて、坊さんに会いにいくが、その答えは「そもそも『私』などというのは、いろいろな要素が集まって仮にできているのだから、そんなことを心配しなくともいい」というのであった。ここには仏教の教えが端的に示されている。「私」などというのが絶対にあると思うから、人間はいらぬ苦労をする、というわけである。
このような仏教の考えに立つと、多重人格の治療など簡単なものである。いったいどれがほんとうの私でしょうなどと言っても、本来「私」などというのは寄せ集めの仮のものだから、何の心配もいらないわけである。仏教の考えにまったく対照的なのが、近代自我の考えである。「私」というのは全体として考えはじめると上述したようにきわめてあいまいな存在になってくるのだが、デカルトの「我思う故に我在り」という言葉に示されるように、自分が思考していること、意識していることを根拠として、「自我」の存在を明確にし、それを「私」と規定するのが西洋近代の考えである。こうすると、実に多くのことが明確になってくる。「私」の責任、「他人」との関係など。それに何と言っても、このことによって自然科学やテクノロジーが急激に進歩し、その体系化が進む。このためには、自我は自分自身の能動性、単一性、同一性、外界と他人と区別された存在としての自我、を認識していなくてはならない。これによって人類は実に多くの仕事をするようになったが、これを「自然」の方から見ると、途方もない無理をしていることになる。
十九世紀後半においては、このような白我が単純な道徳律に従って、「善」なる自我をつくりあげると、どうしてもそこに無視された「悪」の方が集まって第二人格をつくりやすいという傾向が生じた。フロイトの精神分析をはじめ深層心理学の諸派は、近代西洋のもっとも大切と考えた「自我」に対して「無意識」も考慮に入れることを提唱した。このことは相当に一般に受け入れられて、単純な二重人格の症例は急に少なくなった。
 二十世紀の後半になると、とくにアメリカにおいて、子どもの体験するストレスが急増した。このことの第一の原因は、各人が「自我」を大切にしつつ、「自我」と他人の「自我」との結びつきをどのようにもつのがいいのかについて、その配慮に欠けるようになったからである。西洋の自我の成立の背景にはキリスト教という宗教があり、その信仰を保ったまま、自我の確立を行うときは、神を介することによって、個々人の自我は深いつながりをもつことができる。しかし、近代自我の在り方そのものに、キリスト教をそのまま信じ難い点を内包しているところがあって、なかなかそれを両立させていくのは難しい。
信仰抜きで「自我」の確立と発展のみを考えることに、大人が熱心になるとまず被害を受けるのは子どもである(子どものみならず、社会の「弱者」が被害を受けるのだが、ここでは、子どものことのみを考える)。子どもに対する心理的ストレスが極端に高まるなかで、子どもが上記したような「自我」をもとうとするならば、その場面、場面によって異なる「自我」を顕在させる方法によってしか、存続することはできないのではなかろうかこれは二重人格の場合とまったく異なる、こま切れになった分裂の状態である。しかし、分裂病のように自我意識にまで大きい障害を受けるのではなく、おそらくそのことを回避するために、個々の自我はある程度健常に機能しているが、それぞれ別個の人格に分裂することによって、ストレスの直撃を受けぬようにしている、と考えられる。その人間の内界に住む人物を総動員して、事に当たっているということができる.
 おそらく日本では、もちろん都市文化のなかで、子どもの虐待や多重人格は発生してくるであろうが、文化差の問題があるので、アメリカほど多発しないのではないか、と筆者は考えている。表層の文化はすぐに変化するが、深層の方は非常にゆっくりと変化していくものである。
新しい「心」の構造
二重人格の現象に対して、ユングはその肯定的な面を見出そうとした。彼がそのときに考えた重要なことは、人間存在の「全体性」ということと「統合」ということであつた。われわれは、彼にならって、多重人格の現象のなかに肯定的な面を見出すことができるであろうか。ユングは単純な道徳観に基づく近代自我のもろさを、二重人格の現象に見出し、その欠点を克服することを現代人の課題と考えた、ということもできるが、われわれが多重人格の現象から学ぶことは、おそらく近代自我からの脱却の必要性ということであろう。すでに述べたこととの関連で言えば、内界に住む多くの人物をすべて「私」と考えるのなら、そのなかで「自我」だけを、あまりに特別扱いするのをやめよう、あるいは、「唯一の自我」に固執するのはやめよう、ということになるのかもしれないと言って、すべての人が「多重人格」をそのまま生きるとなると、社会は混乱し破減するだろう。ユングにしても、すべての人が二重人格者として生きよと言ったのではない。彼は、二重人格として顕現している側面をできる限り第一人格に「統合」することを主張した。このために、彼は常に「悪」の問題について考え続けることになった。
多重人格の場面も、第一人格への「統合」を目指すと考えてよいのだろうか。筆者の考えでは、ここに「統合」ということを持ち出すのは無理がありすぎる。二重人格から多重人格への移行の過程を考えるべきであるし、そもそも、夢のなかで自分は内界の人物たちを「統合」しているかどうかを考えてみて欲しい。内界の人物について考えるのが難しい場合は、外界の人物について考えてみてもいい。誰しも、外界の人すべてを好きとか、すべての人と人生観が同じなどということはないであろう。嫌いな人もいるし、倫理観も相当に異なる人もいる。しかし、人間はうまく共存して生きている。嫌いな人とはなるべくつき合わないようにする、
しかし、必要とあれば慎重につき合う。このように考えると、人間は実にうまく生きている。しかし、そこに「統合」などということはない。うっかり「統合」などを考えはじめたら、争いが起こって仕方がないのではなかろうか。
内界においても同様に考えてはどうであろう。「統合」を考えずに「共存」をはかる。ただ、ここでわかりにくくなるのは、自我が内界のいろいろな人物との共存をはかり、親しくつき合うようになるとき、その人物を外界から見ている人にとって、どれほどの「一貫性」あるいは「アイデンティティ」が感じられるのか、という点である。それは、ほとんど「多重人格」に見えるのではなかろうか。しかし、「多重人格であること」と「ほとんど多重人格に見えること」との間には、重大な差があると言えないだろうか。何だか話が途方もないことになってしまったようだが、もし自分が多重人格の症例に会って治療をするとなると、ここまで考えねばならないように思う。どのようなクライアントにしろ、その人と会うことは自分自身の人生観を揺すぶられることになる。アメリカにおいて多発している多重人格は、われわれが現代に生きる上において、実に重要な問題を提出しているように、筆者には思われる。したがって、文化比較のことにまで筆が及んだりして、話が広がってしまったし、ここに述べたことは、まったくの試論というべきものである。今後この問題をもっと追究していきたいと思っている。

2019年9月17日火曜日

フェレンチ再考 6


ラックマンはこの論文でフェレンチが患者と性的な関係にあったことを示唆するエピソードは二つあるという。一つはエルマ・パロスとの関係、そしてもう一つはクララ・トンプソンの「フェレンチ・パパはいくらでもキスをしていい、と言ったのよ」という言葉だ。この問題で業績の多い André Haynal はしかし、彼は患者との性的な接触は結局は持たなかったという主張を繰り返している。
という事でラックマンの論文はセバーンとの相互分析の話に入っていく。フェレンチの相互分析は、彼がコントロールを失ってしまったという一つの証拠として論じられることが多い。彼女はフェレンチの「臨床日記」ではRNとしてしょっちゅう登場する。フロイトはサバーンのことを知っていて、彼女についてジョーンズやトンプソンから伝え聞いてとてもネガティブな感情を持っていたという。もちろんフェレンチも彼女のむずかしさを自覚していた。彼女は米国で分析を受けて失敗に終わっている。オットーランクは彼女にコンサルテーションを行ったが、フェレンチに分析を受けたらどうかと言ったという。この頃のフェレンチは、難しいケースを扱うという事で知られていたのである。結局分析は1925年から33年まで行われた。その間サバーンはブタペストで働いていたのである。1933年の2月に分析が終結となったのは、フェレンチの悪性貧血による健康状態が悪化したからだ。サバーンはこの終結を不服とする手紙を娘に送っている。そして結局フェレンチは1933522日に没している。この頃同時にフェレンチの分析を受けていたトンプソンは、サバーンがフェレンチの時間とエネルギーを吸い取っていく様子を見て非常に腹立たしく思ったと言われる。
さてラックマンはそれから7段階に分けて詳しくフェレンチとサバーンの分析を解説する。第1段階は敵意の感情により特徴づけられるという。それはフェレンチがサバーンについて、とても強引で気が強いという印象を持ったことが書かれている。そしてそれに続いて第2段階は「症状の展開」とされる。つまり分析により不眠や呼吸困難が生じ、昔の傷跡が刺激され、叫んだり雑言を吐いたりという時期が訪れたのだ。そしてサバーンは、トラウマはそれが繰り返されることで回復するのであれば、繰り返されるべきだとも言ったという。とにかく「あなたは私に十分な関心と共感を向けてくれない」と不満を言い続けたという。そしてサバーンは特にフェレンチのネガティブな逆転移について指摘したという。もちろんフェレンチにとっては、それを持つことも、それを指摘されることも無理のない話だったわけだが。

2019年9月16日月曜日

フェレンチ再考 5


フェレンチの悪名高き「相互分析」
私自身はフェレンチに対して相当寛容であり、味方であったと思っていたが、いろいろ読んでいくうちにそれでも彼に対する偏見があったと思わせられる。米国でフェレンチの復権に大きな貢献をしている分析家 Arnold Rackmanの論文を読むうちに特にそう感じさせられる。彼はフェレンチ研究センターのボードメンバーだが、彼が「フェレンチは実は性的な逸脱をしていなかった」と主張をしているのを読んでも、「ほんとに?」という感じだったのだ。
おそらくフェレンチの悪名の極めつけは、「相互分析」だろう。患者さんと分析をしあったというエピソードだが、大部分の精神分析家は「そこまでやっちゃあ、おしまいだね。」「やはり晩年のフェレンチは悪性貧血で頭をやられていたんだね。」となってしまうのだろうし、私もそんな感じを持っていた。しかし少し話が違うようだ。
長くなるが事の顛末を追おう。まずフロイトの1910年の論文「『乱暴な』分析について observations on Wild Psychoanalysis」という論文がある。「素人がよくわからずに分析をしてもよくないですよ。」「よい子はまねしないでね」的な、正しくない分析のやり方に警鐘を鳴らす内容の論文だ。しかしそこでフロイトが出す例は実はあまり「乱暴」という感じではない。
たとえば極度の不安症状を抱える中年女性の例。ある若い分析家が、時期尚早の解釈を加えたというのだ。それは女性が離婚したあとに性的な満足を得られないことが不安の原因だという解釈であり、その結果としてその女性の不安は治まるどころかより高まったという。そこでその若い分析家はフロイトのもとにやってきてコンサルテーションを請うたという。フロイトはこれは間違った技法の用い方であり、患者の抵抗や抑圧や関係性を考慮していない、としている。つまり正しいやり方をしなかったから効果がなかったのだというわけである。
私の考えでは、この女性の反応はひょっとしたら「なんですって?私の性的欲求不満が不安の原因ですって? ワケわからないわ!」というものであったのかもしれないが、フロイトによれば「解釈自体は正しい、でも早すぎたのだ。(もっと受け入れるための準備や素地が必要なのだ」ということらしい。想像するにフロイトはおそらく同様の疑問を呈されたことがこれ以外にもあったのかもしれないのだろう。「先生の言ったとおりにやってもうまく行きませんよ。」という不満が弟子たちから聞かれたのかもしれない。フロイトは内心ひどく驚き、プライドを傷つけられる。そして「いやいや・・・・」となったわけで、フロイトは解釈を受け入れることへの抵抗という考えを進めていかざるを得なくなる。解釈は正しくても、否、正しいからこそ、患者はそれを受け入れることに抵抗する。だから扱うべきはまずこの抵抗である、という風に彼の思考は進んでいった。
さて問題はこの乱暴な分析への警告が高まった1925年から33年の期間は、ちょうどフェレンチが難しい患者の治療に着手し、その独自の手法をいろいろ試すという動きと重なっている。そしてフェレンチが「乱暴な分析」の申し子となってしまったということである。

2019年9月15日日曜日

日本における母子関係 3


結論から言えば、SSPの研究はこれから下火になって行ったわけである。どうしてだろうか?日本でAがゼロで、Cが少し多かったという三宅の研究は、要するにそれが愛着の失敗を表しているというよりは文化差を表現しているという事になった。という事はこの研究の前提が崩されるというニュアンスがあった。要するにそれほど期待を持つべき手法ではない、という事になったのだ。またSSPを施行することそのものが子供にとってストレスであり、好ましくないという事も言われるようになった。結局日本の母子密着の議論はどうなっているのだろう?
 ところで私の子育ての話は途中だったが、私が妻と息子の密着度を見て心配になっていた時期から数年ほどして何が起きたかを話さなくてはならない。
(以下略)

 私の考えでは、子供は思春期を経て別の人間になってしまうのである。もちろんしっかりもとの癖や思考パターンを持っている。そしておそらく親と密着したいという願望を親の側から拒否されたという体験はない場合も多く、そうなるとむしろ「もう関わって欲しくない」というのが正直なところではないかと想像する。言い換えればこうである。愛着の問題に関しては、子供はそれを十分に提供してもらえなかったという気持ちを引きずりながら大人になるよりは、過剰な機会があり、食傷気味になって自分から出ていく、というパターンの方がより健全ではないか、という気がする。

2019年9月14日土曜日

フェレンチ再考 4

ところでAron, Harris が強調しているのは、フロイト・フェレンチ関係において、フェンチは後の精神分析に向けて極めて重要な問題を提起しているという事だ。経験か洞察か、主体性か理論か、共感か解釈か、二者心理学か一者心理学か。もちろんフェレンチはこれらのうちそれぞれ前項を強調する立場だ。そしてそこにはさらに深い問題があった。フェレンチはフロイトの患者に対するやや蔑視的な態度にいら立ちを覚えていた。たとえばフロイトが「患者は rabble だ」と言ったことを問題にしたという。この rabble という単語、どうも意味がつかめない。辞書的には「暴徒、やじ馬、大衆」などと出てくる。それほど悪いニュアンスはないが、まあリスペクトに欠けるというところか。もちろんフェレンチもフロイトから同じように思われていたのではないかという事を気にしていたのだろう。そしてフロイトはいつも自分は正しい、という姿勢を崩さない。それに対してフェレンチは、そういうフロイトを変えようとして、なんと「先生、私が先生を分析いたしましょう」と申し出たわけだが(A,H, p16)、プライドの高いフロイトが受けるはずもない。もちろんフェレンチにとっては悪気があろうはずはない。先生も分析を受けることで一介の市井人となって私たちのもとに下りてきてください、というわけだ。これはフェレンチにとっては当然の発想だったが、フロイトにとってはとんでもないという事になる。これではフロイトにウザがられるのも仕方ないというべきか。
ところでフェレンチの功績として Harris たちが挙げているのは、逆転移を必ずしも病的なものとは考えないという姿勢である。これはフェレンチが始まりと書いてある。そして後にウィニコットなどを通じて広がって行ったという事だ。この流れで言えば、フロイトは逆転移は病的なものであり、自らに逆転移が存在するという事は受け入れなかったという事になる。フロイトはその意味では「精神分析以前」の状態であったと言える。
ところで技法上フェレンチと同様フロイト流の精神分析に反対していた同時代人は言うまでもなくオットー・ランクである。彼らはベルリンでアブラハムやザックスのフロイトの教えを守るべし、という影響を嫌っていた。そのランクとフェレンチは、彼は理論的なことではなく、まず実践を重んじた。フロイトがだんだん分析家の卵たち(すなわち一応は社会適応を遂げた神経症レベルの患者達)を分析したのに比べ、フェレンチはあくまでも重い患者さん、BPD の患者さんの治療に徹したのだ。
フェレンチが治療論を展開していったプロセスは私にもとても納得が行くものである。彼は要するに精神分析的な手法がいかに迅速に効果を発揮できるかを考えた。最初は患者にフラストレーションを与えるという事をもっと迅速にやろうとした。いわゆる「積極療法 active technique」というわけだが、これを試みた気持ちはよくわかる。私も精神分析を学び始めた時は、治療者の受け身性や中立性、ほとんど応答をしないという態度が患者のフラストレーションを助長するという事が、実は治療の決め手になるのだという印象を持ったが、フェレンチも当然そう考えた。ところがこれがうまく行かないことに気が付き、今度はその逆へと向かった。ここら辺がフェレンチの極端で向う見ずなところだ。そしてその後彼は弾力性 elasticity つまり積極療法と弛緩療法の間のバランスを考えるようになった。これも素晴らしい考えだ。