昨日の安永先生のお通夜のことを思い出す。ご家族にとっては、安永先生はとても落ち着いてびくともしないという面と、電話を掛けるのを許している患者さんにしょっちゅう電話口で怒鳴っていたというような感情的な面を持ち合わせていたしたという。ただ患者に向き合う治療態度には非常に誠実なものがあった。先生は昨年の暮にクリニックの忘年会に出られないことをお許し願いたいという旨の手紙を奥様に託したということで、それが朗読された。それは治療者である自分が病気とは言え、臨床を退くことへの後ろめたさが縷々述べられていて、そこでは「患者さま」という表現が繰り返し用いられていた。先生は小児科医であったお父様から「赤ひげ精神を受け継がれた」という紹介もあったが、さもありなんと思った。それともう一つ印象深かったのは、中学校の体育の教師という一人息子のご子息が、ある意味では安永先生とまったく異なるタイプでいらしたことだろうか。安永先生がある種紛れもない天才肌の精神医学者であったために、この遺伝子がどのように受け継がれるのだろうか、という興味はおそらく多くの人の心にあったであろうとおもうが、ご子息は先生の野球好き、スポーツ好きを受け継がれたようだ。
我執性と没我性の葛藤という図式が心理学のいろいろな場面に出てくるという話をしたが、伝統的な精神分析における対人恐怖の理解も、その路線で考えることが出来る。このシリーズの(4)で紹介したのが、オットー・フェニケル(1963)の例であった。彼は「舞台恐怖 stagefright」は無意識的な露出願望とそれが引き起こす去勢不安とが原因になって生じるものとして説明した。つまり対人恐怖の人々は「自分を見せたい、表現したい」という願望を抑圧しているというわけだ。これはフェニケルの時代に遡るのであれば、当然性的な意味合いを持つ。(フロイトがすごく具体的に性的な意味付けをしていたのであるから、これはやむを得ない。)つまり自分の性器を露出したいという願望と同等ということになる。だからこそ性器を切断されるのではないかという去勢不安を生むということになるが、のちの精神分析はこの種のあからさまな考え方を取らずにより象徴レベルのそれとして扱うことになる。つまり私が書いたように、露出願望とは「自分を見せたい、表現したい」という願望のことを指すと考えるのである。
ところがこのように考えると私が理想自己と恥ずべき自己の相克として提示している図式と近い関係にあることがわかるだろう。理想自己とはいわば、人に自慢したい自己、見てほしい自己である。これが強烈だからかえって人目を意識してしまい、「恥ずべき自己」の肥大してしまうと考えると、フェニケルの説の象徴的な理解とほとんど変わらなくなってしまう。
ただしここで重要なのは、フェニケルの説では、露出願望をプライマリーなものと考えるという点である。それがおそらく対人恐怖の人々の体験とかなり違う場合が多い。むしろ彼らの場合は、ごく普通に自分を表現することが突然難しくなってしまったという体験を持つことが多いのである。
実はこの問題、一つの悩ましい問題点を提起している。それは、対人恐怖者は本来は露出願望が強いのかどうか、あるいは少し言い方を変えると、自己愛的なのか、ということである。対人恐怖を自己愛の病理として捉えるか否か。結論から言えば、これから述べる、米国における社交恐怖の分析的なアプローチは、端的に言ってコフート的なのである。恥の病理も、自己愛の病理と重ねあわせて考えることになる。私が分かりやすく定義できずにこのブログで苦しんでいる「セイシンブンセキ的にどうやって対人恐怖を扱うのか?」は実は、精神分析的 → コフートによる自己心理学的 と置き換えることで簡単に済ませてしまうこともできる。