2014年2月18日火曜日

恥と自己愛トラウマ(13)

日曜日は対象関係論勉強会だった。司会の藤山先生と「共感」とは何か、ということで討論になった。しっかし・・・。なんでこんなことが論争になるのだろう。


第8章 トラウマ回避のための「無限連鎖型」のコミュニケーション

1.日本人にとって恥はトラウマか? 出発点としてのベネディクト

本章では日本社会での恥や罪悪感に関するコミュニケーションの問題について、私自身の異文化体験をまじえつつ考察する。
従来は日本人のメンタリティはとかく恥の感情と結びつけられて来たが、罪の文脈からも多くの興味深い論点を見出すことができる。そこで日本人における恥と罪悪感の問題を半世紀以上も前に論じたルース・ベネディクト(1967)の著作を議論の出発点としたい。
ベネディクトの名前や業績は、多くの方にとってなじみ深いものであろう。彼女の著した「菊と刀」は、第二次世界大戦の終結直後の1946年に米国で出版されたが、戦時の反日のキャンペーンの一環として書かれたものとみなされる傾向がある。しかしそれは時代背景を考えた場合にはやむをえなかったのであろう。
「菊と刀」は日本文化における恥の意味に注意を向けたという意味で画期的な本であった。しかしそこに示された日本文化の理解は過剰に図式化されたものであった。ベネディクトは、日本人は日本社会では人前で恥をかかされることを極度に恐る傾向があると捉えた。人前で恥をかかされることはトラウマにつながるらしい、という視点であろう。そしてそれを原罪の意味を重んじるキリスト教社会のアメリカと対比させた。わかりやすく言い直せばこういうことである。恥は他人との関係で生じて人間の行動を規制する。それに敏感な日本人は、「人が見ていなければ悪いこともする」というニュアンスがあるのである。つまり日本社会においては本質的な規範や倫理性が欠如していることを示唆しているかのようであった。他方欧米社会においては罪は神との関係で体験されるものであり、内在化された規範、倫理観を意味する。そしてそこには罪の、恥に対する倫理的優位性という前提が見て取れたのである。

ベネディクトへの賛否両論

戦後の日本においては罪悪感や恥をめぐる様々な文化論が提示されたが、そのひとつのきっかけとなったのがこのベネディクトの著作であったことは確かであろう。日本人にとっては人前での恥はトラウマ体験となりやすい、それを回避するために全力を尽くす、という発想は大枠においては間違っていないだろう。しかしそれをあまりに類型化しすぎた耐えに、この議論には数多くの批判がよせられた。
たとえば哲学者和辻哲郎は「ベネディクトの述べている日本人の価値観は一部の軍人にしか当てはまらない」と述べている(和辻、1979)。たしかに昔から武士道や軍人の行動規範には、「武士道に恥じない行動をする」とか「軍人として恥ずかしくない死に方をする」などという表現とともに、恥を極度に恐れ、回避する傾向が見られたという印象を持つ。ただしこれは微妙に論点をずらした議論であったともいえる。一部の軍人だけがそれほど特別なメンタリティを備えていたかどうかは疑問であるし、恥の社会という視点が一部の軍人には実際に当てはまってしまうかのような主張には異論も多かった。
なお高名な精神医学者である土居(1971)のベネディクトへの反論は広範に及び、ベネディクトとの恥と罪の理論の持つステレオタイプの傾向をさまざまな角度から的確に捉えたものといえた。私も読んで胸がすく思いがした。さらにベネディクトの主張に触発された恥の議論については、「恥とは他者との関係において生じるのか、それとも個人の心の中でも単独に生じるのか」という議論に従った作田啓一(1967)や井上忠司(1977)の業績があり、公恥と私恥についての生産的な議論を生んだ。

日本社会における罪の意識

ベネディクトは日本人が恥を回避する傾向に主として注目したが、恥としばしば対比される罪悪感の方はどうであろうか? これに関しては民俗学者柳田國男の反論に注目したい。彼はその著作(1950)で次のように論じている。
「日本人の大多数のものほど『罪』という言葉を朝夕口にしていた民族は、西洋のキリスト教国にも少なかっただろう。」
つまり日本人は罪の意識もしっかり持っている、いや持ちすぎている、というわけだが、私はこの柳田の反論におおむね共鳴する。後の章(  )でも述べるとおり、私は幼い頃から、日本人が頻繁に用いる「すみません」という言葉に、いつも違和感を覚えてきた。そしてそれが日本という文化をかなり明確にあらわしているのではないかとも考えていた。だから日本人ほど謝る国民はいない、とでも言いたげな柳田の意見は私もその通りだと感じる。この柳田の議論が同時に示しているのは、罪もまた対人場面において生じるということであるが、それも正しい指摘であると言える。なぜなら「すみません」とは言葉の上では謝罪を意味し、罪の意識を他者に向かって表現していることになるからだ。人は悪い行いをした場合に、個人として、自らの神との関わりで罪の意識を持つこともあれば、その行いにより傷ついた人を前にして罪悪感を喚起され、謝罪することもある。日本人の「すみません」は「『罪』という言葉を朝夕口にする」(柳田)典型といえるであろう。

. 私の異文化体験から  英語でほめられるという体験と罪悪感

以上のベネディクトと柳田の見解の両方にそれぞれ何らかの正当性があるとすると、日本人は恥の体験を恐るだけでなく、罪の意識も頻繁に表明していることになる。しかしそれでは日本人と米国人は同じように罪悪感を体験していると言えるのだろうか? 私はやはりそこには大きな差があると考える。ただしそれは日本人とアメリカ人が罪悪感をどのように実際に体験しているかという点ではなく、いかに言葉で表現するのか、というレベルにおいての違いなのである。つまり罪悪感の他者への伝達のされ方に日米の違いがあるというのが私の考えであり、本章で最も強調したい点である。
罪悪感や恥を表現した際、周囲の人々にも様々な反応を生むものだ。謝罪したり恥じ入ったりする人を前にして、私たちは同様の感情を持ったり、逆に自分たちが罪や恥の感情を他人に負わせているのではないかと心配したりする。それらの言語的な表明が過度に行われた場合にはそれだけ大きな情緒的反応を相手に及ぼすであろう。また逆にそのような効果を狙ったうえで表現されることもある。それが私が考える罪悪感が持つコミュニケーションとしての意味なのだ。そしてこの考えに至った経緯を説明するためには、まず私の個人的な体験に触れなくてはならない。

英語においてほめられること

私の正式な「異文化体験」は実際に渡米した時から始める。1987年のことだ。最初の頃大きな違和感を覚えたのが、人にほめられたり、人に謝罪するという体験だった。英語ではほめられた際に、原則として相手に対して「thank you(有難うございます)」と返す。これは初歩的な約束事といえる。しかしいざ実行する段になると大変勇気がいることなのだ。それはまさに自分の中にないものが、無理やり言葉により表現させられるという体験だったのである。
たとえば人前で簡単な挨拶やスピーチをしたとしよう。そして「あなたのお話はとても面白かったですよ。」などと言われた場合、日本語なら「いえ、お恥ずかしい限りです」などと応じることになるだろう。しかし英語では「有難うございます」となる。つまりそのほめ言葉をいわばいったん引き受けることになる。言葉の上で「真に受ける」わけだ。これは日本語でのコミュニケーションとはまったく異なるメンタリティに基づいたものであるように思えた。
ほめ言葉を「真に受け」て感謝の言葉で返すアメリカ人やイギリス人の態度は、日本人のそれに比べてよりいっそう洗練されているのだろうか、それとも逆なのだろうか? 私にはその答えをいまだに得ていない。しかし少なくとも英語圏の人々の反応には素朴な自己肯定に基づいた単純明快さと率直さがある。私はそこに好感を覚えた。
英語圏では人が誉められた際のこの「率直な」この反応は、「有難うございます」には留まらないこともある。「ありがとう、お気に召していただいてうれしいです Thank you. I’m glad that you liked it.」「そんな風に言っていただいてありがとうThank you for telling me that.」「ありがとう。私も頑張りましたからThank you. I did my best.」と言い継ぐアメリカ人も多い。
これらの「率直な」反応の特徴は、それらの表現により会話がそこで一区切り付くことである。一方が他方を褒め、他方がそれを率直に受け止めたことを表明し、そこでコミュニケーションがとりあえず完結するのだ。手紙とかEメールのやり取りなどを考えればわかるとおり、これが通常の意思伝達のあり方である。
翻って日本語ではどうか? この「一区切り」が明確でないのだ。私たち日本人はほめ言葉を率直に受けることを得意としない。そうすることにとてつもない居心地の悪さを感じてしまう。結果としてほめ言葉をすぐに否定し、相手に押し返してしまうのである。
スピーチなどで「あなたのお話はとても面白かったですよ。」と言われた際の、私たち日本人としての反応は、先ほど述べた「いえ、お恥ずかしい限りです」以外にも、「いやいやとんでもございません」とか「お耳汚しなものをお聞かせしました」(これも考えてみればすごい表現であるが)などいくつものバリエーションがある。しかしこれらの反応に対しては、たいていは最初にほめてくれた相手は「またご謙遜を」とか「いや、本当に素晴らしかったですよ。お世辞ではありません。」と言ってくれるだろう。つまり向こうもまた「真に受けて」くれないのである。そしてほめられた方は「そうですか、そんなによかったですか・・・」などとそれを受け入れることはありえない。「いやいや、とんでもありません・・・・」などと繰り返すであろうが、このやり取りを延々と続けるわけには行かないから、少しずつ声の調子を落としていき、最後まで相手のほめ言葉を受け取ることなく終わるのである。これが私が以下に「無限連鎖型」と呼ぶ、おそらく日本語に非常に独特のコミュニケーションなのである。お互いに決着をつけない、どちらが正しいかということを決めない、お互いに恥をかかない、かかせない、というコミュニケーションなのだ。


3.日本語における罪悪感と「無限連鎖型」のコミュニケーション

これまでは英語のほめ言葉への対応に苦労したという私の体験についてのべたが、次に日本語による罪悪感の表現について考察する。
私はほめ言葉に対して「有難うございます」と返すことの居心地の悪さを、最初は「気恥ずかしさ」のせいだと考えていた。しかし気恥しさなら、すでにほめられた時点で生じているはずである。ところがほめ言葉にまつわる居心地の悪さは、そのほめ言葉に対する否定の言葉が口から出るまでの一瞬、つまりほめ言葉をいったんは受け取ったままでいる状態に生じるようなのである。そしてこの居心地の悪さは、結局は罪悪感と同類の感情と理解するようになった。なぜならほめ言葉を「真に受け」たままでいる状況は、自分が優れた存在、強い存在であるという前提に立つということであるが、それはまさに罪悪感を引き起こすような状態なのだ。ただしここでの罪悪感とは私がかねがね用いていた定義によるものだ。その定義とはすなわち「自分が他人より多くの快(より少ない苦痛)を体験する際に生じる感情」(*)と言うものであった。そこで本章ではこの罪悪感の問題に踏み込んで考察を深めたい。

(*)私は罪にしても恥にしても、他人との関係で体験されるものと自分に対して感じるものとは独立し、平行して存在してしかるべきと考えてきた。つまり両者とも「社会的感情 social emotions」でありかつ「自意識的感情 self-conscious emotions でもありうるという点では共通しているのである。しかし罪と恥の共通した特徴について考察を進めていくうちに、その区別が必しも容易ではなく、文献的にも十分に満足のいくような区別がなされていないと感じるようになった。そこで私はかねてより恥と罪の意識について私なりに定義し、両者を区別する試みを公にしてきた(岡野、1997年)。そして恥とは、「対人関係において自分の弱さ、不甲斐なさの認識に伴う感情」 ( ←→ 弱、ないし優 ←→ 劣の軸)にあり、罪とは、対人関係において自分が他者に不快や苦痛を与えたという認識に伴う感情(善 ←→ 悪、ないし快 ←→ 不快の軸)という理解を示したのである。そしてこのうち罪に関して、それが生じる状況をさらに一般化し、「(罪悪感は)自分が他人より多くの快(より少ない苦痛)を体験する際に生じる感情」、ないしは「自分が他人より少ない苦痛(多くの快)を味わう際に、それにともなって体験される感情」としたのである。
この考え方は私としては常識的な定義と考えるが、このような区別を設けておくことで、それらの感情が対人関係で生じるかどうかについての議論を当然のこととして省略することが出来る。なぜなら上の過程は自分の心の中でも、直接の対人場面でも同様に生じるからである。

アメリカ人は本当に謝るつもりがあるのか?

まず欧米人の罪悪感の表現について考えてみよう。私はアメリカに住んでいる間じゅう、彼らの謝罪の仕方がかなり「淡白」で、重みが感じられないことが多いという印象を持っていた。もちろん一般常識として欧米人が簡単には謝罪しないという先入観を持っていたこともたしかである。渡米前からよくこんなアドバイスをもらったものだ。「欧米人は車の接触などの事故が起きても決して謝罪しようとしない。罪を認めたら訴訟で負けてしまうからだよ。それに比べて日本人は簡単に謝ってしまうから、気をつけなくてはならない。」もちろんそのような場合には深刻な利害を伴った駆け引きが必要とされるために、簡単に謝罪の言葉を口にしないのもやむを得ないのかもしれない。ところが通常の日常生活において謝罪の言葉を聞いた時でも、英語ではその重みが余り感じられないことが少なくなかったのである。
日本語の謝罪の言葉「すみません」に一番近い英語としては、まず「I’m sorry」が考えられる。しかし「すみません」に比べて「I’m sorry」はそのニュアンスがかなり異なるのだ。アメリカ人の謝罪の言葉を聞いても、「本当に謝っているつもりなのだろうか?」と疑いの気持ちを持つこともあった。(実は欧米人だけでなく、アフリカ圏やアジア圏の人々に関しても同様の印象を持つことが多いというのが最近の私の実感であるが。)
もちろんI’m sorryが自らの落ち度に対する率直な謝罪の意を表すことはある。それを取りあえずI’m sorryの元の意と考えておこう。しかしそれ以外にも、「遺憾である」、つまり必ずしも謝罪の意図を含まない、単に「残念である」という気持ちの表現である場合もあるということを日常会話の中で知ったのである。たとえば ”I’m sorry to hear that”. という言い方を聞くと、これは「そのことを聞いて残念に思う、かわいそうに思う」という意味であり、これは既に謝罪の原型からは遠いことが分かる。

“I’m sorry”はまた、謝罪と遺憾(いかん)の意の中間の役割りを持つこともある。遺憾の意、とはよく政治家が使うあの言葉だ。謝っているようで謝っていない、いわば「条件付きの謝罪」とでも呼ぶべきものだ。たとえば英語には、誰かを怒らせた時などに “I’m sorry if I hurt your feeling.”(もしあなたの気持ちを傷つけたとしたら、ごめんなさい)と返す事がある。これは率直な謝罪というよりは、「それに傷つくあなたにも問題がありますよ」というメッセージがこめられている可能性もある。
このように通常は謝罪の表現であるはずの”I’m sorry”は、その後にthat 構文を従えることで純粋な謝罪ではなくなってしまうわけだが、後に何も続かない”I’m sorry”そのものが謝罪以外に用いられる状況に出会って感慨深かったことがある。あるネイティブ同士の会話で、一方が “My mother passed away......” (私のお母さんが亡くなりました。)と言うと、それを聞いたもう一人が “Oh, I’m sorry.......”(まあ、お気の毒に) というのを聞いたことがある。もちろんこれは”I’m sorry to hear that…”の省略と考えるのが普通であろうが、これなどもまさに遺憾の意、なのである。

日本人型の謝罪・・・そこまで謝るのか? 何を恐るのか?

次に日本人の謝罪について考えてみると、こちらのほうは逆に過剰さが特徴ではないかと思う。私たちは日常生活でも、かなり頻繁に「すみません」を口にする傾向にある。そして「すみません」の持つ過剰さは、その頻度だけでなく、その言葉の意味そのものにある。「すみません」とか「申し訳ありません」の本来の意味を考えると、「自分のしたことは、いくら謝っても謝り尽くせません」と言っていることになる。「すみません」は、「決して罪滅ぼしをして済ますことはできるだろうか、いや出来ない」を、「申し訳ありません」は「言い訳をすることはできるだろうか、いやできません」を意味し、いわば反語的な表現といえる。それを用いることで謝罪の気持ちを強調する修辞的な表現なのだ。そこに過剰さがあるのである。
同様の事情は、感謝の意を伝えるような場合にも当てはまる。「ありがとう」は、「有難い」、つまり「これはありえないほどの恩恵をいただきました」という意味である。あるいは「すみません」も「申し訳ありません」という本来は謝罪のための言葉も、贈り物を受け取る際に頻用されることを考えれば、日本語においては謝罪も言葉だけでなく、感謝の言葉も同様の過剰さを持っていることになろう。
過剰な謝罪や謝意は多くのバリエーションを持つ。たとえば「なんとお礼を申し上げていいか・・・・」、「お詫びの言葉もありません・・・・」、「お目汚しですが・・・」、「なんとお礼を申し上げていいか・・・・」などはいずれもそうである。そしてこのバリエーションが「過剰さ」の微妙な違いを含んでいるといえよう。
このような謝罪や感謝の過剰な表現を受けた相手の反応はどうだろうか。必然的にそれを否定する形で返すことになる。極端な謝罪や感謝をそのまま受けるわけには行かないからだ。しかし同じ日本語である以上、その否定もまた過剰に行われるだろう。こうしてこの種のやり取りは延々と続くことになる。私が先ほど「無限連鎖型」と呼んだこの種の日本語のやり取りは、日本語の謝罪や謝意の表現が持つ過剰さと関係していたのである。
「無限連鎖型」のやり取りは、行動面についても見られることがある。たとえば会食をした後には「私が払います」「いやいや、私が・・・。」というやり取りが、レジの前で一種の儀式のような形で繰り返される。あるいは日本人同士お辞儀による挨拶は、あたかもどちらがより深く相手に頭を下げたかを競い合うような形で繰り返される。この無限連鎖的なやり取りは、お互いに明確な優劣や雌雄を決することを永久に回避する装置のようなものといえよう。それは優劣や責任の所在を明確化する傾向にある欧米人のやり取りとは非常に対照的なのである。
これらの無限連鎖型のコミュニケーションの役割は何か? 私はその主たる目標は相手に対する謝罪や感謝が不十分であることで相手を傷つけることへの恐れの回避ではないかと思う。相手にトラウマを与えることへの恐れ、というべきであろう。

別れのトラウマを回避する日本人の振る舞い

この無限連鎖型のコミュニケーションは、優劣や責任の所在だけではなく、分離や別離のプロセスにも見られる。そこでは挨拶が反復され、繰り返されることで、別離の痛みや辛さを否認したり和らげたりする形で用いられるのである。ここで臨床状況を例示しておきたい。
私は日米の精神科外来の臨床を比較して、特に患者さん達が診察を終えてオフィスを去る際のふるまいの違いについて興味深く思うことが多い。私は日本に帰国して外来で患者さん達と会うようになり、面談後の別れのプロセスがかなり込み入っていることに気が付いた。彼等は椅子から立ち上がって別れの挨拶を口にし、こちらもそれに返す形でかなり正式な別れの挨拶をした後、戸口から姿を消す際に、必ずといっていいほど、別れの挨拶を繰り返すのである。診療が終わった時点から、互いが視界から姿を消すまでにいくつかのステップがある場合、例えば患者さんが部屋の隅に置いた荷物を取り上げ、簡単な身支度を整えるプロセスが入る場合には、挨拶は合計3回を数えることになる。日本人が別れの際に何度もお辞儀をするというプロセスが、こうして臨床場面でも繰り返されるかのようである。
外来診療は次から次へと患者さんと会う必要があり、特に時間が押している場合などは、臨床家としてはできれば早く次の患者さんとの話に取り掛かりたいという焦りの気持ちが起きる。その際は患者さんが戸口に立った時点でもう一度向き直ることを予想してそのタイミングを待つことにもどかしさを感じるのは私だけではないだろう。
ところが米国における臨床では、事情はかなり異なることになる。患者さんは椅子から立ち上がる際にひとこと別れを告げて、大概はそれでおしまいなのだ。彼らは一度別れの挨拶をすれば、もうそれぞれ別個の世界に帰っていくのが当たり前であるかのようである。そして私も彼らが戸口を出て行く際に見送る必要を感じずに、次の患者さんのカルテの用意を始めることになる。
ただしアメリカ人の患者さんたちは、オフィスを去る際に戸口で時々こう尋ねてくるのである。「扉を閉めますか、あけたままにしますか?」 そしてこれは日本人の患者からはまず聞かれることがないのだ。この「扉を閉めるかどうか」という問いかけは、一つのエチケットという感じがするが、日本での別れの挨拶とは異なるものである。というより逆のものなのだ。なぜなら彼らは私がどのような形で対象と分離をして個人に戻るかの選択を助けてくれようとしているからだ。「ドアを閉めてひとりっきりになりますか、それともあけておいて他の人が入ってくるのに任せますか?」と問うているわけである。
ある老境のアメリカ人の女性の患者さんは、セッション中涙を流して一人暮らしの寂しさを訴えた。彼女は私との数年間の治療関係において、私に対して若干依存的になってきていることが見て取れた。私は彼女が終了の時間になってもオフィスを出て行くのが難しいのではないかと想像した。ところが時間になり終了を告げると、意外にも気持ちを切り替えるようにしてさっさと立ち上がり、戸口に向かい、言ったのである。「ドアは開けたままにしておきますか?」
私は多少依存的になっていた彼女が苦手な別れに際して、自らを奮い立たせるようにして逆に私に気遣いの言葉を発しているというニュアンスを感じたものである。こちらは別れのトラウマを強気に乗り切る方法と考えられるかもしれない。



参考文献)

ベネディクトR, 長谷川松治訳(1967):「菊と刀定訳」 現代教養文庫 A 501
社会思想社
土居健郎 (1971):「甘えの構造」 弘文堂
作田啓一 (1967):「恥の文化再考」 筑摩書房
井上忠司 (1977):「世間体の構造」日本放送出版協会
柳田國男著 (1950):「尋常人の人生観」 民族学研究 第14巻、4号
岡野憲一郎 (1997):恥と自己愛の精神分析理論 岩崎学術出版社 


2014年2月16日日曜日

恥と自己愛トラウマ(11)

読者(いたらね)には済まないと思う。この話題、このブログでは3回目である。ただし細かくリライトはしているわけだが。


第6章 職場でのトラウマと「現代型うつ病」(リライト)
「現代型うつ病」や「新型うつ病」という言葉を昨今よく聞く。マスコミでは2006、7年あたりから扱われることがより顕著になったようである。この概念は一種の流行といっていいが、それなりに誤解されているような気がする。そこでこの概念について考察を加えてみたい。ここで浮かび上がってくるのは、私たち日本人が職場で体験する様々なトラウマである。
「現代型うつ病」という概念には独特のネガティブな色がついている。それは次のようなものである。
最近若者が仕事を放り出して安易に会社に休暇願を出す。特に病気でもなさそうなのに、医者は「うつ病」の診断書を書き、それを聞きとして提出する。何かおかしい。現代の若者に特徴的な病気ではないか?うつはうつとしても「現代型うつ病」とでもいうべきであり、その本態はうつではなく、単なる怠けである・・・・。
2007年の「こころの科学 #135」はこの問題を特集したが、サブタイトルがそれっぽいトーンである。「職場復帰 うつかなまけか」。この書の冒頭で編集を担当した松崎一葉先生(筑波大学)が書く。
本当にうつ病なんですか? なまけなんじゃないんですか?」こうした人事担当者の問いに窮する企業のメンタルヘルス関係者が増えてきた。近年、企業内で増えているのは、従来のような過重労働のはてにうつになる労働者たちではなく、パーソナリティの未熟などに起因する「復帰したがらないうつ」である。
従来のうつの場合は、治療早期にもかかわらず、早く復帰することを焦るケースが多かった。ところが近年では寛快状態となり職場復帰プログラムを開始しようとしても「まだまだ無理です」と復帰を出来るだけ回避しようとするタイプが増えてきている。」
さらに「人事担当者には、外見上の元気な姿や友人と楽しく語るさまを見れば、「なまけている」としか映らない。会社を長休職していることに「申し訳ない」という気持ちは少ない。主治医の診断書は「うつ状態にてさらに一ヶ月の休養を要す」と毎月更新される。「いったいいつまで休むつもりなのか?」と人事担当者や上司は苛立つ。時には、このような状況が就業規則で定められたギリギリの休職期限まで続く。」(松崎一葉)

本屋で見かける関連書籍も似たような論調で書いてある。目につくものだけでもこれだけあるのだ。

l        林公一 擬態うつ病 2001年 宝島社新書
l        林公一 それは「うつ病」ではありません! 宝島社新書 2009年
l        吉野聡 それってホントに「うつ」?  講談社α新書 2009年
l        香山リカ「私はうつ」と言いたがる人たち 中公新書  2008年
l        香山リカ 仕事中だけ「うつ病」になる人たち 講談社 2007年
l        植木理恵「うつになりたいという病」集英社新書、2010年
l        中嶋聡「新型うつ病」のデタラメ  新潮新書、2012年
l        香山リカ 雅子さまと「新型うつ」 朝日新書、2012年。
l        吉野聡「現代型うつ」はサボりなのか 平凡社新書 2013年

林公一先生の著書を除いてここ数年で出版されたものばかりであるが、ある意味では林先生の先見の明を示しているのかもしれない。そして林先生の本(「擬態うつ病」)の論調がまさに冒頭で示したとおりである。

1.果たして「現代型」、「新型」のうつなのか?

まずは現代型うつ病とは本当に現代型、新型なのかという話から始めたい。結論から言えば、同様の状態は古くから知られていたということである。いくつかの概念が提唱されてきた。それらは例えば「逃避型抑うつ」(1977年、広瀬徹也氏)、「退却神経症」(1988年、笠原嘉氏)「現代型うつ病」(1991年、松浪克文氏)「未熟型うつ病」(1995年、阿部隆明氏)、「擬態うつ病」(2001年、林公一氏)、「ディスチミア親和型」(2005年、樽味伸、神庭重信氏)などである。
これらのネーミングからわかるとおり、「本当のうつ病」とは少し違うもの、何かそこに性格的な未熟さや、怠け心などの疾病利得の追及が見え隠れするもの、というニュアンスはあった。ただし笠原先生の「退却神経症」は例外である。こちらは「神経症」つまりノイローゼというカテゴリーで論じていることになる。このの概念を提唱した笠原嘉先生は今でもご健在だが、彼が1980年代からすでに、現代の「新型うつ病」の概念を先取りしていたことがわかる。彼はこう書いている。

 [退却神経症は] 単なるなまけ病ではないか?それがどうも違うのである。…どちらかというと、よくやる人たちだった。「退却」などという軍隊用語を借用したのは、そのことを言いたかったからだ。…まじめにやっていた人たちの、突然の戦場放棄である。(退却神経症(P8~9) (笠原嘉 1988年)
さらに
「少し暗い感じはするが、立派な青年である。・・・ところがちょっと気になることがある。2,3日の休みを断続的に繰り返しているのだが、自分はなやんでいるはずだ、と思っていたのに、彼自身はけろっとしている。・・・周りの人が大変心配しているのに、ご本人は意外に「ヌケヌケ」している。・・・(p27)」退却神経症 (笠原嘉 1988年)
「もしうつ病なら、現代の精神医学はかなり効率の高い治療法を提供できるからである。・・・これに対して退却神経症の治療法は、うつ病のときほど画一的ではない。・・・退却神経症はノイローゼなので、つまり社会適応への挫折なので、治療は人それぞれであらざるを得ない。(p59)」
ところでこのように「新型」の特徴をとらえているにもかかわらず、笠原先生の概念だけ「退却神経症」という、鬱以外の診断名を考えているのは興味深いところである。これは私が後ほど述べる、「現代型とは結局はうつというよりは一種の恐怖症である」という主張とも重なる。云うまでもなく恐怖症は神経症の範疇に属するのだ。
笠原先生は実は1970年代には、いわゆる登校拒否の問題を扱うようになってきている。そして同様の心的メカニズムが、若者の出社拒否についてもあるであろうと考えている。そしてその背景にある概念が、その頃米国ではやったいわゆる「アパシー・シンドローム(apathy syndrome)」の概念であった。これはハーバード大学の精神科医R.H.ウォルターズ(R.H.Walters)によって提起された概念である。簡単に言えば青年期における発達課題である『自己アイデンティティの確立・社会的役割の享受』に失敗した時に発症リスクが高まるとされる。ただし現代の米国精神医学ではあまり聞かれないのだ。

さて私はこれまで「現代型」のうつ病について何度となく講義で話したり、講演をしたりしたが、概して精神科医からの受けはよろしくない。「現代型うつ」なんてマスコミがでっち上げたものであり、まともな精神科医が論じるべきではない、という話もよく聞く。あるいは先ほど述べたように、同様の概念は遥か昔からある、という議論も多い。しかしすでにみた「それは『うつ病』ではありません!」や「それってホントに『うつ』?」や「『私はうつ』と言いたがる人たち」、「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」などの著作とともに、この「現代型うつ病」というテーマで本を書いているのもれっきとした精神科医の先生方なのである。
その中でより格調高く、アカデミックな色彩が整えられており、精神科医がまともに議論しているのが、「ディスチミア親和型」(うつ病)という概念で、樽味伸、神庭重信といった精神科医達が提唱している概念である。(「うつ病の社会文化的試論-とくにディスチミア新和型うつ病について 日本社会精神医学会雑誌  13:129-136, 2005」神庭重信先生は九州大学大学院の教授であり、この概念の名付け親は、九州大学大学院生の樽味伸(たるみ しん)という方である。(2005年7月、33歳で死去なさったそうである)。
 この
ディスチミア新和型うつ病については、これはもともとメランコリー親和型といわれる、ドイツのテレン
バッハという精神病理学者が主張したうつ病の性格特性の考え方が下敷きになっている。メランコリー親和型とは、生来几帳面で責任感が強く、対人関係でのストレスを打ちに溜め込みやすい性格である。ところが現代型うつに特徴的な性格傾向はそれとはむしろ逆な、責任を他人に転嫁するようなタイプと考えたのである。そしてそれをディスチミア新和型の性格傾向と捉え、それを持つ人がなりやすいうつ病をディスチミア新和型うつ病と呼んだのである。ただしその内容を読んでも現代型うつ病や新型うつ病とほとんど変わらない。ただ精神医学的な体裁が整っているという点が違うという印象を受ける。
ちなみにこのブログでは2011年の2月以来この話をするのは3回目であるが、そのときも掲載した表だが、今回もまた掲載する。ディスチミア親和型の性格特徴を見ると、まさに現代型うつ病そのものであるということがわかるだろう。


ところでこれらの現代型うつ病の概念に真っ向から反対する精神医学者もいる。その代表として中安信夫氏が上げられる。中安先生は私が昔ご指導いただいた先生で、高名な精神病理学者である。彼はDSM反対論者としても知られるが、ある論文(中安信夫、ほか:「うつ病の広がりをどう考えるか」日本精神神経学雑誌、2009年の第6号)で次のように主張している。
「そもそも伝統的には、うつ病は次のように分類されていた。内因性と、反応性(心因性)と。これは基本的には妥当な分類だ。後者は抑うつ反応と、抑うつ神経症に別れるが、ある種の出来事に対する反応という意味では似ている。両者の違いといえば、「時が癒す」ことが出来れば抑うつ反応。「時が癒し」てくれなければ抑うつ神経症。つまりもともと性格の問題があると、時間が経っても体験の影響を受けつづけると考えられるからだ。ところが最近のDSMはこの基本的な分類を混乱させている。特に「大うつ病 major depression」という概念が問題だ。そもそもDSMの「成因を問わない」という方針が大間違いであり、従来の診断からは当然抑うつ反応や抑うつ神経症になるべきものが、「大うつ病」に分類される。なぜなら症状をカウントして9項目中8項目を満たす、などと機械的に診断を用いることで、簡単に大うつ病になってしまうからだ。従って「新型うつ病」という新しいうつ病も存在しない。それは本来は、心因反応や抑うつ神経症という診断をつけるべきものであり、それがDSMにより大うつ病と誤診されたものであるに過ぎない。その診断書をもって休職届けを出す人が増えた、というだけの話である。」
 
中安先生の意見をまとめると、DSMは本来深刻なうつではない状態を、うつ病という診断にしてしまうという問題がある、ということだ。それに対する私の意見は以下のとおりである。私は伝統的な意味でのうつ病とは言えない、中安先生のおっしゃる意味での継承のうつ状態が増えてきているという事実はやはり認識するべきではないかと思う。それはたまたまDSMを使うと深刻なうつ(大うつ病)と診断されてしまい、混乱を招くが、この敬称のうつ病が増えているという可能性自体は否定できないであろう。課題はなぜそのようなうつが増えているか、ということである。
私は中安先生は、DSMの大うつ病の概念を全面否定することに性急なあまり、理論的な整合性を犠牲にしてしまっているのではないかと思う。先生はかねてからDSMの「成因を問わない」という「操作主義的」な点を痛烈に批判なさる。しかしDSMのそのような性質は、もちろん多くの問題を含んでいるものの、精神医学の歴史の流れの上である程度の必然性をともなってできたものであり、その価値を白か黒かで簡単には決められないと私は考える。中安先生は輝かしい業績のある、日本の精神医学の頭脳とでもいうべき存在ではあるが、DSMに対する反発や怒りが、彼の臨床観察の精度を落としているように思えてならない。
 うつをひとつの症候群とみなして、「不眠、抑うつ気分、食欲の減退、自殺念慮・・・・などをいくつ以上満たしたら、うつ病と呼ぼう」という約束事はやはり必要と思う。なぜなら何をうつ病と呼ぶかが、人によりあまりにも異なるからだ。うつを内因と心因に分けるという発想自体が過去のものになりつつある。それが内因性でも心因性でも、症状が出そろえばうつはうつ、なのである。一見心因性と思われたうつが、結局長引いて深刻なうつになる、ということが実際に起きるからだ。そうすると脳に直接働く抗鬱剤も効くようになる。それほど心因性の疾患という概念は曖昧な点を含んでいる。何が心因かが結局は主観的な問題でしかありえないということを、この四半世紀のあいだの外傷理論の変遷が示しているのだ。
 
2.いっそ、うつ病と考えないほうがいい?

さて私もまた現代型うつという概念にやや批判的なのであるが、それは中安先生やそのほか精神科医の意見とは異なる意味でそうなのである。私は現代型うつと呼ばれるうつのタイプは昔から存在してたということ以外にも、その病態はあまり典型的なうつ病とは言えない以上、あまりうつ病と考えないほうがいいのではないか、むしろ笠原先生のように「神経症」の部類として捉えるべきなのではないか、という意見をもっている。ただし単なる神経症というわけではなく、ある程度の抑うつ傾向を伴った神経症であり、会社での不適応状態が主たる原因である場合が多い。うつ症状としては軽度だから、仕事の時間以外ではむしろ元気が出るということも生じる。しかしそれは彼らが「怠けている」と決め付ける根拠にはならないのだ。
そもそも現代型うつ病を論じるうえで一番のキーワードは、「なまけ」であった。私たちは(特に日本人は、というべきだろうか?)なまけということに敏感だ。「自分はなまけているんじゃないか?」と常に自分に問いただしていると言うところがある。あるいは人に「なまけてるんじゃないか?」と思われているのかと常に気を緩めないようにしている。
 みなさんの中に、学校を休む時に「これは病気ではなくてなまけではないのか?」と自らに問うたことはないだろうか?それでも体温計で熱が8度代以上だと、休むことに後ろめたさをあまり感じずにすむ。病気である、具合が悪い、ということを数値で客観的に示すことができるからだ。ところがうつ病のような気分の問題は、それが数値化されないだけに厄介である。現代型うつ病がこれほどネガティブなトーンで語られるのも、それが「実は本物のうつ病ではなく、なまけである」という可能性を示唆しているからだ。確かに彼らの行動には、「病気による休職期間に旅行に行く」とか「就業時間の間は元気がないのに、それを過ぎたら嬉々として飲み会に出席する」などの行動が見られることが報告される。するとそれが「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」(香山リカ先生、講談社)となってしまうのである。 
 しかし実際は、一切のことに興味を失うのは重症のうつの場合で、うつが軽度の場合は、いろいろな中間状態が起きうる。あるうつの患者さんはこう言った。「うつになると、楽しんでやれるということが非常に限られてくるんです。」「友達と会っている時は精いっぱい笑顔を作り、盛り上がるようにします。そして帰るとどっと落ち込むのです。」これらの言葉は、うつ病の人が外からは生活を楽しんでいるように見えても、案外内情は複雑であることを示していると思われるであろう。
そこで2年前にこのテーマについて論じたときに、ちょっと当たり前の図を作ってみた。再びここに掲載しよう。縦軸は、ある行動の量、横軸はうつの程度を示す。

そして行動としては、快楽的な行動(自分で進んでやりたい行動)と苦痛な行動(義務感に駆られるだけの行動)を考え、それぞれがうつの程度により低下する様子を示した。うつの深刻度が増すとともに、快楽的な行動も、苦痛な行動もやれる量が下がってくる。ただその下がり方にずれがあるのだ。うつでない場合(Aのラインに相当)は、快楽的な行動だけでなく苦痛な行動も、それが必要である限りにおいては出来る。うつが軽度の場合(Bのラインに相当)は、苦痛な行動は取りにくくなるが、興味を持って出来ることは残っている。うつがさらに深刻になると(Cのラインに相当)両者とも出来なくなるわけだ。
行動を、快楽的なものと苦痛なものにわける、という論法は、故安永浩先生の引用するウォーコップの「ものの考え方」理論に出てくる。苦痛な行動は、私たちがエネルギーの余剰を持つ場合には、エネルギーのレベルを持ち上げることでこなすことができる。賃金をもらうためにだけ行う単純な肉体労働であっても、「ヨッシャー、ひと頑張りするか!」と自分を鼓舞することで、若干ではあっても快楽的な行動に変換できるからだ。(つまり行動自体は苦痛であっても、それをやり遂げて達成感を味わうための手段にすることで、それは幾分快楽的な性質を帯びることになるわけだ。「やる気を出す」、とはそういうことであり、うつの人が一番苦手とすることである。)
私が特に注意をしていただきたいのは、Bのラインの状態であり、好きなことは出来ても義務でやることは出来ないという状態だ。このような場合、好きなことを行うのは、自分のうつの治療というニュアンスを持つ。うつが軽度の場合、例えばパチンコを一日とか、テレビゲームを徹夜でする、とかいう行動がみられる場合があるが、これはそれによる一種の癒し効果がある場合であり、うつの本人にとっては、「少なくともこれをやっていれば時間をやり過ごすことができるからやらせてほしい」という気持ちであることが多い。しかしそれを見ている家族や上司は実に冷ややかな目を向けるのである。「あいつは仕事にもいかないで一日中ゲームをやっていてケシカラン。やはりなまけだ・・・・。」


3.結局決め手は自殺率である― 張賢徳医師の見解

ところで精神科医の張賢徳先生のご意見は、現代型うつ病という概念を保っているものの、私にとっては好感が持てる。上述の精神神経誌の同じ号に掲載された彼の説を私がまとめてみよう。
 張先生によれば自殺者の90パーセントが精神障害を抱えており、過半数がうつ病であったという。そして「うつ病患者は増えているのか」という本質的な問題については、二つの可能性について論じている。ひとつはうつ病が受診するようになったからであり、もうひとつはうつ病概念が拡散したからということだ。その上で彼はやはりうつ病は実数が増加しているという立場を取る。
 そして先生の結論はさすがである。「内因性でも、それ以外でもうつはうつだ。自殺は起きうるではないか。ちゃんと対応しなくてはならない。」
私も同感である。わが国での自殺人口は去年(2012年)は2万7千人台であり、15年ぶりに3万人を切ったとはいえ、先進国の中でも若者の自殺は依然として高い傾向にある。そして若者を中心に広がっていると言われている現代型うつの年齢層が自殺に関しても高い率を示している以上は、たとえ「現代型」「仕事中だけうつ」だとしても深刻な状態として扱うしかないであろうと思う。

2014年2月15日土曜日

日本人のトラウマ(10)

道がとけかけたシャーベットになっていた。最悪だ!


上下関係がいじめの素地にある?「ジャングルの掟」
私が日本での集団に再適応する過程でもう一つ印象に残ったことがある。それは日本の集団にごく自然に格差、ないしは上下関係が発生していることである。すでに日本における集団の均一性や、場の空気を読む傾向について述べたが、それはメンバー間が平等ではないということと表裏一体なのだ。集団の中に気を使わなくてはならない相手がいるからこそ、空気を読む必要が生じるのである。このことは私にとっては逆カルチャーショックであった。
 仕事上の上司と部下の関係はもちろんだが、先輩後輩関係、年上と年下の関係、正社員か派遣か、などの「上下関係」は人が集まれば自然発生的に生じ、それが敬語や丁寧語の用い方にすぐ反映される。それを無視する言葉遣いは「タメ語」と言うわけだが、これには決していいニュアンスはない。
 もちろん上下関係がはっきりしている中で、先輩が後輩を教え、指導するという関係が成立するのであれば、それでいい。しかし時には上司や先輩はかなり無理な注文を部下や後輩に持ちかけるように見受けられる。そこに上司や先輩の側の一種のサディズムを感じることすらある。人間が他者との関係で体験する苛立ちの自然な表現が、先輩の側だけには許容されているというニュアンスもある。日本社会での先輩後輩関係は、この種の気安さ、それゆえの一方的な感情表現、批判、叱責といったことが比較的制限なくパワハラの方向に進んでしまう可能性を持っているのである。そしてこれがいじめの原型の一つのように思えてしまうのだ。そしてこの種のパワハラにより生じたいじめには、「排除の力学」に見事に作用することになる。
 本来は上下関係がないところにも、無理やりそれを作り上げてしまうのが、いじめの恐ろしいところである。自己表現の強弱、身体的な優劣などが根拠になることもあれば、「すでにいじめられている」ということが理由になるかもしれない。そうしてその結果として生じるのは、まさに弱肉強食の世界としか言いようがない。私がいじめの現場の描写などを読んで思うのは、これはまるで動物界の出来事だと同じだということだ。弱肉強食のことを英語でrule of jungle (ジャングルの掟)というが、まさに野生のサルの世界で起きているような事態が学校でも生じている。そこで特徴的なのは、教師もその一員であり、ある意味ではボスザルだと言うことだ。ボスザル(教師)は力の強い子ザル(いじめを行う生徒)には甘く、時にはおもねるような態度をとる一方で、それ以外の子ザルには厳しい。また力のない大人のサル(教師)は子ザル(生徒)以下の扱いを受けかねないのである。
 似た者同士の集団では半ば約束事のように上下関係が生じるというパラドクスが存在するわけだが、そこには日本人の均一さが関係しているように思う。日本人はある程度気心が知れていて、互いに多少は違っていても高が知れていると感じる傾向があり、それだけ他者に対して侵入的になりやすい。
他方のアメリカ社会では、個人個人がお互いを警戒し合い、そのためにかえって尊重するというところがある。敬語が存在しないから、会話はことごとく「タメ語」が標準である。非常にざっくばらんで気安い会話を身分の差を越えて行なうように見えて、しかしプライベートなことには決して不用意には踏み込まないような慎重さが要求される。
 ではジャングルにもなぞらえることのできる日本の学校にとって必要なのは何か? そこでできるだけいじめトラウマが生じないようにするためには? それは外部の秩序の導入なのであろう。私が通っていた小学校は秩序が保たれ、いじめなどはあからさまに起きる余地はなかった。それは教師が圧倒的に怖かったからだ。しかし教師は怖いばかりではなく、やさしくもあった。少なくとも毅然としていた。人の集団はそのような外部の力により秩序を保つ。外部の強制力がなくなったらすぐにでも野生に戻るようでは情けないが、外部の強制力は、少なくとも秩序を破ろうという発想を奪ってくれる為に、ある程度は平和な生活を保障してくれる。現在のわが国で生じている学校のいじめの元凶は、その圧倒的な閉鎖性にあるだろう。そこでは教師も権威を失い、その内部に取り込まれてしまっているのである。学校に警官を常駐させるような外部性の導入は、残念なことではあるが、いじめの対策として必要ではないだろうか?
日本人の対人感受性もまた、いじめのトラウマの元凶か?
ここで私がこれまで主張したことをいったん整理して、私の仮説に向かおう。
人間は社会的な動物であり、集団から受け入れられることで安心し、孤立することで大きな不安を抱く。そしてそこに関わって来るのが、「排除の力学」であり、おそらくそれがいじめの原型となる。そしてそこには日本における集団のメンバーの均一性が大きな影響力を持つと考えられる。
ではどうしてこれほど日本の集団では「排除の力学」が働くのであろうか?そしてここからが私のかねてからの持論であり、本章における仮説なのだが、これは日本人が対人場面で持つ感受性の高さが関係しているように思えるのだ。日本人はたとえ個人の意見や感情を持っていたとしても、他人の前ではその表現を控えることが多いが、それは相手の感情を感じ取り、たとえ二者関係においてさえも空気を読んでしまう、ないしは「読めて」しまうからではないだろうか? 先ほど述べた群生秩序の話にしても、それが「今、ここのノリ」を重んじるのは、それが今現在の対人的な皮膚感覚を刺激しているから、ということになる。それが痛みを発している以上、それを宥めてやり過ごすしかないのだ。
 私が米国人の集団にいていつも感じていたのは、この種の感受性の希薄さ、なのである。彼らは他人の前で自己主張をするとともに、相手を非難し、厳しい言葉を投げかけることがある。それは傍らで聞いていてハラハラするほどである。ただしお互いが直接的な表現を交わすということに慣れている社会なので、簡単に気色ばむことはなく、むしろ理詰めで相手を説き伏せる、説得するという習慣が出来上がっている。
米国の軍人病院で、ある上級医師ドクターDに神経内科の手ほどきを受けていた時のことである。米国での研修を始めて間もない頃だった。神経内科の病棟を回診していたら、ある悪性腫瘍を病んでいた患者が、その医師のもとにやってきて「先生、私の腫瘍はひょっとしたら良性、ということはないでしょうか?」と尋ねた。彼はいかにも頼りなげで不安そうであった。するとその患者の主治医であるドクターDは極めてきっぱりと「いや、この前説明したとおり、あなたの腫瘍は悪性です。」と言い切った。患者はいかにも悲しそうな表情で、すごすごと去って行った。私は「こんな時、日本だったら少しは言葉を濁すか、もう少し柔らかい言い方をするのではないか? やはり文化の違いだな。」と思った。ドクターDはラテンアメリカからの移民の子孫で強い南部なまりを持っていた。それから更に彼の事を知ることになったが、その気持ちの通じなさ加減は相当のものであった。いつもニコリともせず、冗談も通じないのだ。ロボットと一緒にいるような感じで何を考えているのか分からない。しかしそれでいて彼と一緒の研修が終わると、食事に連れて行ってくれたりもする。アメリカ社会ではこんなレベルの交流が普通なのだ、と思った記憶がある。お互いある程度以上には相手の気持ちをわかろうとせず、それでも均衡が保たれている関係。それはそれで悪くない、とそのうち思うようになった。少なくともドクターDは、患者に嘘はついていないという意味では自分の役割を果たし、ある種のマナーを守っているのだな、と思うようにもなったのである。
 ところでこのような日本人の対人感受性の高さに貢献しているのが、実は日本人の均一さといいたい。皆が同じような顔立ちをし、同じ髪の色と眼の色をしているから、相手を数段高いレベルで感じ取り、理解してしまう。もちろんそれでも相手を十分には理解しえないかもしれない。しかしアメリカ社会のように、相手を得体のしれない、何を考えているか分からない人と感じて、身構えてしまうようなあの緊張感は私たちの社会にはない。何しろ向こうは、ハイスクールであろうと、クラスメートと喧嘩をすると、相手がカバンからピストルを取り出すかもしれないような社会なのだ。もし日本の外国人がこれからますます増え、職場でもクラスでも3人に一人が外国人という社会になれば、おそらく「排除の力学」の働き方は違ってくるであろう。
最後に 「解除キー」の効用
以上いじめによるトラウマの問題について論じた。最後にいじめの対策について繰り返して述べておきたい。ジャングルの掟を破る一つの有力な手段は、外部を導入することだ。それは場の空気に影響を受けないような存在の力を借りるということである。このことはしかし次善の手段だということも申し述べておきたい。おそらく最も勧められるのは人々の内部告発的な動きである。理不尽なかたちでいじめによるトラウマを受けているという自分の存在を外部に知らせることだ。しかし日本社会では内部告発をしたものを保護する習慣はない。逆に彼らが裏切り者として扱われてしまうほど、日本の群生秩序は強いのだ。するとそれを打破するだけの装置を外的に作るしかないのであろう。前出の内藤朝雄氏は学校に警察や法を持ち込むことを「解除キー」と呼んでいるが、それは群生秩序が外部の秩序を意識することで解体する為の決め手といえるだろう。
参考文献
内藤朝雄「いじめの構造」(講談社新書、2009年)



2014年2月14日金曜日

日本人のトラウマ(9)

 ここで最近の大津市の事件を例にとって考えよう。この事件は2011年10月滋賀県大津市内の市立中学校の当時2年生の男子生徒が、いじめを苦に自宅で自殺するに至り、いじめと自殺について大きな議論を巻き起こした事件である。
 この事件で問題になったいじめを起こした当事者である生徒たち、それ以外の生徒たち、学校の教員たち、教育委員会の委員たち、それ以外のどのレベルの集団にも同じ力学が働いている。「排除の力学」はすべての集団に共通だからだ。たとえばいじめを目にしても積極的に阻止することが出来なかった中学の教師たち。そこには教師という集団における「排除の力学」が生じていて、いじめを注意する、やめさせるという行為がなぜかその空気に反するという状況があったはずである。しかもここでは生徒と教師の全体という、より大きな集団の中での力学が生じていたことが伺える。いじめを真剣にやめさせるという行為は、生徒
教師という集団から排除されることを意味していた為に、それをあえてできなかったのだ・・・・。
 しかも教育委員会もこの生徒
教師と利害を共にしていたふしがある。いじめがあったことを認めることは、その大きな集団における共通の「利益」に反することになる。すると学校と歩調を合わせて、教育委員会もまた「いじめはなかった(あるいはあっても自殺の原因ではなかった)」と主張することになる。それに対して疑問を持っても、それをあえて口にできない委員たちはたくさんいたに違いない。皆ある意味ではこの「排除の力学」の犠牲者ともいえる。
さて私はこの「排除の力学」をあらゆる集団のレベルについて論じていることをここで繰り返したい。ということはマスコミも、その影響を受けながら生活をしている私たちも入っている。これを書いている私も該当することになろう。例えば私はこの原稿を書いている今、私は日本の出版の世界のことを意識している。出版社の意に大きく反してはいないだろうか。この本が店頭に並んで、私の文章を読んだ人が、「これってどうかな」と思われないようにするにはどうしたらいいか、など。
この「排除の力学」について考えることは、いじめのトラウマについて「だれが加害者か?」という問題を一気にあいまいになる。ある意味ではこの力学自体がいじめの加害者を生み出す原因ということになる。そこではいじめを受けた側にも同じ力が(逆方向に)及んでいるわけであり、状況が変ればそのベクトルが反転して自分が他者をいじめる側になる、ということはいくらでも起きうる。というよりその反転を恐れる心理が、いじめる側の力となっているのだ。
このように考えた場合、いじめる側の大半は、自分が犠牲になるのを回避する目的でいじめの側に回るわけであり、それなりに心苦しい体験をすることになる。いじめが生じていることを外部から指摘されたら、その人は否認したり、口をつぐんだりせざるを得ないし、いじめが露呈したら「本当にどうしてこんなことが起きるんでしょうね」という人ごとのようなコメントをするしかない。ある雑誌で、大津市の教育長は、「なぜお役所仕事の対応しかできないのか?」という問いに、「わかりませんね・・・・。私もなぜなのかな、と思っている」と答えたというが、実際にそれが彼の本音に近いと考える。
ちなみにこの「排除の力学」はその集団の外部にまでその影響力を及ぼしかねないということも重要である。本来会社に対して第三者的な立場であるはずの会計監査人さえも、この種の力のためにまともな仕事ができないことも少なくない。外部から来た人も、その集団に属した瞬間に外部性を失ってしまうほどに「排除の力学」は強力に働くのだ。このように書くとき、私は2011年に解雇されたオリンパスの元社長マイケル・ウッドフォード氏の事を考える。同社の改革を目指して乗り込んだものの、抵抗勢力の強大さからそれをあきらめたという経緯と理解している。彼が体験したことも別バージョンの「排除の力学」だったのだろうと思う。

「排除の力学」への文化の影響

「排除の力学」への文化的な影響はどうだろうか?「排除の力学」は日本社会の集団に独特の現象なのだろうか? そしてその顕著な結果として生じるいじめもまた日本文化に特異的な現象なのか? 私が長年滞在したアメリカの例を考えよう。アメリカのいじめは個人と個人の間に生じるというニュアンスが強い。クラスの生徒の多くが特定の生徒をいじめるという形を取りにくいのだ。そしていじめ対策に力を注ぐのは、クラスを担当する教師というよりは、学校専属の心理士やソーシャルワーカーである。その意味でアメリカのいじめは、学校という場で生じた個人間の加害-被害体験というニュアンスがある。
実際日本とアメリカでは、暴力事件が起きた際の学校側の対応はかなり異なる。学校で学生同士が暴力を働いた場合は、警備員や警察が呼ばれるのが通例である。現にSchool Resource Officer (SRO)と呼ばれる警官を常駐させている学校も多い。暴力は、身体的、言語的を含めて放っておかれることは普通はない。日本のいじめのように、教師も含めた学校全体の雰囲気が、いじめを見てみぬフリをするというところがやはり日本的なのではないか?そしてそれが「いじめを公然と批判すると、自分が排除されてしまう」という「排除の力学」の最も際立った特徴なのである。

日本の均一性こそが、いじめによるトラウマの元凶か?
いじめの問題を考える時、私がそれと関連した日本の集団の特徴として考えるのが、その構成メンバーの均一性である。一般に集団においては、お互いが似たもの同士であるほど、少しでも異なった人は異物のように扱われ、「排除の力学」の対象とされかねない。日本は実質上単一民族国家に非常に近いといってよく、メンバーは皆歩調を合わせ、何よりも「ほかの人と違っていないか」に配慮をする傾向にある。そのことが翻って私たち日本人の体験するトラウマの一つの大きな原因になっているというのが私の考えである。
ほかの人と違ってはいけない、という発想は、すでに学校生活が始まる時点で生じている。私が小学校に上がった年、学校に制服はなかったものの、みな判で押したように、男子は黒のランドセル、女性は赤のランドセルだった。その中で一人だけ黄色のランドセルだったU子ちゃんのことは、いまでも鮮明に覚えている。その目立ったこと・・・・。幸いU子ちゃんはいじめの対象にはならなかったが。なぜU子ちゃんのランドセルのことを私はそれほど鮮明に覚えているのだろう。おそらく6歳の私の中には、既に「みんな同じでなくてはならない」があったのだ。だから黄色のランドセルを背負っているU子ちゃんに対して違和感を感じたのだろう。「よくみんなと違う色のランドセルで平気なんだな。」
6歳ないしはそれ以前から日本人の心の中にある「皆と同じでないと・・・」という気持ち。このような現象はもともと似た者同士の集団においてより生じやすいはずではないか? アメリカなどでは、所属する集団の構成員のどこにも目立った共通点が見出せないということは普通に起きる。小学生達は色も形もまちまちのカバンを背負い、あるいはぶら下げている。そしてそもそも彼らの皮膚の色も人種も体型も最初から全く異なっているのである。
私が米国で精神分析のトレーニングを行っていたときのことも思い出す。クラスを構成していたのは、40歳代白人男性(アメリカ生まれ)、20歳代白人女性(アメリカ生まれ)、30歳代パキスタン人の男性、30歳代メキシコ人男性、20歳代後半のコロンビア人男性、そして30歳代日本人の私である。人種もアクセントもバラバラ。こんなグループではメンバーのそれぞれが違っているということを、初めから前提とすることでしかまとまらない。アメリカ生まれで白人男性であることはこのクラスではマイノリティーを意味してしまうのである。このような集団にいると、日本語のような敬語の存在しない、いわば究極のタメ語である英語は極めて便利だ。英語を用いることが、さらにメンバー間の格差をならしてしまう効果を持っているからである。

「場の空気を乱してはならない」
十数年間のアメリカでの集団のあり方にある程度順応してしばらくぶりに日本に帰ると、そこでの集団生活に私は大きな違いを感じ、またそれに当惑した。お互いに似た者同士ですぐに生じる場の空気の読みあい。そしてその空気を読み、それを乱すまいとする強い自制が必要となる。これに関する私の「異文化体験」を一つ例にあげよう。米国から帰国して最初の一年間、私はある精神科の病院で働いた。そこでは一つの病棟に配属され、40人程度の患者さんのうち約半分を担当したが、かなり頻繁に病棟に出入りしていたので担当以外の患者さんたちとも顔なじみになった。そこでの予定の一年間の期間の終了があと3ヶ月に迫ったので、その旨を病棟全体にアナウンスメントをしたい、とスタッフ会議で申し出た。実は私が一年で去ることは最初は病棟の患者さんたちに伝えていなかったのだ。(これはこれで問題かもしれないが、ここでは論じないでおく。) アメリカではこのような場合、それがかなりはっきりした予定であれば、3ヶ月ほど前にはその予定を伝えるということがよくあった。人は別離の際に、十分なモーニングワーク(喪の作業)が必要だということだが、この3ヶ月という期間自体に深い意味はないものの、まあまあ適切な配慮と思っていた。そこでスタッフに、私が去る3月の3ヶ月前の12月ごろに、そろそろアナウンスメントをしたいと申し出た。しかしスタッフからの反応は全体として消極的なものだった。「いや、まだいいでしょう」という反応が大半だったのである。そこで私もその時はあきらめ、年が明けて1月になり、「そろそろ・・・」と言い出したが、「まだ駄目だ」という。結局退職の予定日の3週間前になって、患者たちに「実はあと3週間で、私はこの職場を去ります」と伝えたわけだが、スタッフの中には「出て行く一週間前に伝えるのでもいい」という意見もあった。
 私はこの日米の顕著な違いに興味を持ち、その理由を病棟のスタッフに尋ねたが、はっきりとした答えは返って来なかった。しかしなんとなくわかったのが、「何もそんな前から、退職をするということを言って、患者に無用な混乱を与えることはない」という理由だった。「無用な混乱を与えたくない。」つまり「場の空気を乱してはいけない」というわけだ。私はこの考えを極めて新鮮なものとして受け止め、同時に一種の逆カルチャーショックを味わった。そして気になりだすと、実は同様の場面に頻繁に出会うことに気が付いた。昨年の東電の事故の際も、深刻な事態が起きているにもかかわらずそのアナウンスメントが遅れた理由を突き詰めると、「無用な混乱を避ける」ということらしい。最近のいじめの被害者の自殺の問題で、学校側や教育委員会が、その存在を明確にしなかった理由についてもそのようなニュアンスが感じられる。
この「場の空気を乱さない」の特徴は、その結果生じることはさておき、今、ここでの場の空気を最優先するという点だ。私が退職することを急に知ったときの患者さんたちの混乱はまだ先のことであり、現在の場の空気を乱さないことが最優先される。
ところで内藤朝雄氏(2009)はその著書で私たちが従う秩序を「群生秩序」と「普遍秩序」に分け、特に前者についていじめとの関連で論じている。私がここで言う「場」とはまさに彼のいう「群生秩序」に相当するだろう。内藤氏はそれを「『今・ここ』のノリを『みんな』で共に生きる形が、そのまま、畏怖の対象となり、是/非を分かつ規範の準拠点になるタイプの秩序である」、と表現しているが、この「今、ここのノリを守る」という点がまさに場の空気を考える上で重要なのだ。

とにかくこの「集団を混乱させてはいけない」、「場の空気を乱してはいけない」というのは極めて日本人的であり、おそらくは日本人の対人場面における「皮膚感覚」に関係しているというのが私の考えである。日本人は集団でいる時、あるいは単に誰かと二人でいる時、相手の気持ちへの感度が高く、場を読む(感じる)力が強すぎて、それにより自分を抑えたり、相手に迎合したりということがあまりに頻繁に起きるのではないか。証明のしようがないが、体験上そう思える。この件については後ほどもう一度論じたい。

2014年2月13日木曜日

日本人のトラウマ(8)

でもオリンピックって、過酷だよね。一回勝負では何が起きるのかわからない。国民の期待を一身に背負って出場し、一瞬のうちに勝敗が決まり、ある選手は誇らしげに、ある選手は肩を落として帰ってくる。沙羅ちゃん、4年後があるよ、といってもねえ・・・。


第5章 日本文化の中で「いじめによるトラウマ」を考える

1980年代よりわが国でもしばしば問題となっているいじめと自殺の問題。それが根本的に解決する方向にあるとはいえない。それは昨今のいじめ自殺に関する数多くの報道からも感じられることであり、これまでのいじめに関する分析や考察がいまだ不十分なもので解決の糸口がつかめていないことを意味するのであろう。またいじめの性質や特徴は、その時代背景により様々に異なり、いじめの質そのものが変化してきている可能性ある。ともかくもいじめを受けるという体験は現代日本人が体験するトラウマの主要なものの一つと考えていい。
まず「いじめ問題」を考える私自身の立場を示しておきたい。私は海外生活が長く、異文化体験を通して、集団の中での日本人のあり方についても深い関心を持つようになっている。さらには私自身集団にうまく染まらずに排除されかけるという体験も持ってきた。その立場からいじめの問題を考えた場合、やはりそこに日本文化の影響を否定できないと考える。いじめは深刻なトラウマをもたらす。誰もいじめの対象になろうとは決して望まない。しかしいじめはまた日本人的な心性に深く根ざしたものであり、半ば必然的に起きてしまうのではないか、というのが、本章を通しての私の主張なのだ。
私はいじめ自体は決して異常な現象だとは思わない。それは人間の集団の持つ基本的な性質に由来すると見てよいだろう。私たちはある集団に所属し、そこで考えや感情を共有することで心地よさや安心感を体験する。逆に集団から排除され、孤独に生きることはさびしく、また恐ろしい体験にもなりうる。これは「社会的な動物」としての人間の宿命と言えるが、そこで問題となるのがその集団の有している凝集性だ。それが高いほど、そのメンバーはその集団に強く結び付けられ、その一員であることを保障される。そこには安心感や、時には高揚感が生まれる。
 ところがある集団の凝集性が増す過程で、そこから外れる人たちを排除するという力もしばしば働くようになる。いわゆるスケープゴート現象であるが、本章ではその仕組みを「排除の力学」と呼び、以下に考察していく。この「排除の力学」自体は異常な現象ではないが、それが犠牲者を自殺にまで追い込むという事態が、この高度に発達した現代社会においても放置されてしまうことが異常であり、病的なのである。
いじめトラウマを生む「排除の力学」
ある集団が凝集性を高める条件は少なくとも二つある、と私は考える。一つはメンバーが明白な形で利害を共有しているということだ。集団にとっての共通の利益に貢献するメンバーは、集団に大歓迎される。オリンピックで活躍した選手は無条件でヒーロー扱いされ、空港ではたくさんのファンからの出迎えを受ける。
もう一つは、集団のメンバーが共に敵ないしは仮想敵を持っている場合である。集団はある種の信条を共有することが多いが、そこに「~ではない」「~に反対する」「~を排除する」という要素が書きこまれることで、より旗幟鮮明になり、メンバーたちの感情に訴えやすくなる。するとその敵を非難したり、それに敵意を示したりする人は当然そのグループの凝集性に貢献し、それだけ好意的に受け入れられることになる。
昨今は日本の政治家の発言に対して中国や韓国が反発して声明を発表するということが頻繁に起きているが、反日であるということはそれらの国民の間の凝集性を高める上でさぞかし大きな意味を持っていることと共う。そして集団がまとまる、凝集力を発揮するという力学はそのまま、その中の一部の人々を排除するという方向にも働くということが問題なのだ。これらの二つの条件はそのまま、仲間はずれや村八分を生む素地を提供しているのである。なぜなら集団の共通の利益に反した行動を取ったり、集団の仮想敵とみなせるような集団に与したり、それと敵対することを躊躇しているとみなされたメンバーが排除されることによっても、集団の凝集性が高まるという条件が成立するからだ。そしてここが肝心なのだが、そのようなメンバーが存在しないならば、人為的に作られることすらある。これがいじめによるトラウマを負わされるのきっかけとなることも多いのだ(後述)。
ここで私たちは次のような疑問を持っても不思議ではない。
人は「どうして仲間外れを作らなくてはならないのか? そうしなくても集団の凝集性を高めることができるのではないか?」
 確かにそうかもしれない。互いを励ましあい、助け合うことで和気あいあいとした平和的な集団となることもあるだろう。しかしそこでリーダーの性格が集団の雰囲気に大きな影響を与える。そしてそのリーダーが若干でもサディスティックな性格を持っている場合は、上記の二番目の条件にしたがって強い「排除の力学」が働き、仲間外れはあっという間に生まれるのだ。
そしてそのような時、仲間外れをされそうになっている人に関して別のメンバーが「どうして彼を除外するのか。彼も仲間ではないか?」と訴えるのは極めてリスキーなことである。なぜならグループを排除されかけている人を援護することは、その人もまた排除されるべき存在とみなされてしまうからだ。「みんなが仲良くしよう」というメッセージは事態を抑制するどころか逆方向に加速させる可能性がある。こうしてグループから一人が排除され始めるという現象は、それ自体がポジティブフィードバック・ループを形成することになり、事態は一気に展開してしまう可能性があるのだ。
この「排除の力学」は実際には排除が行われていない時も、常に作動し続けることになる。メンバーはその集団内で不都合なことや理不尽なことを体験しても、それらを指摘することで自分が排除の対象になるのではないかという危惧から、口をつぐむことになる。私がこの集団における「排除の力学」についてまず論じたのは、結局このような事態が日本社会のあらゆる層に生じることで、いじめによるトラウマを生み出していると思えるからである。


2014年2月12日水曜日

日本人のトラウマ(7)

4章 災害トラウマを乗り越える:津波ごっこと癒し
私たちの心がトラウマを受ける機会として地震や津波などの災害がある。私たちはその種の自然災害によるトラウマとどのように向き合っているのだろうか?
津波ごっことアートセラピー
2011年の3月の東日本大震災から3年が経とうとしている。
当時産経ニュース(電子版、2011528日)に次のような記事があった。
「津波ごっこ」が流行 衝撃克服のため 
東日本大震災の巨大津波に襲われた宮城県の沿岸地域の園児たちが、津波や地震の「ごっこ遊び」に興じている。「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。また、子供には不釣り合いな「支援物資」「仮設住宅」といった言葉も聞かれるという。「将来役立つ」「不謹慎だ」と評価は分かれそうだが、児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。(中略) 今回の大震災に限らず、平成5年の北海道南西沖地震で大きな津波被害を受けた奥尻島でも、津波ごっこが子供たちの間で流行したという。臨床心理士でもある藤森和美武蔵野大教授は「子供たちがレスキュー隊員役と遺体役に分かれる形の津波ごっこで、当時は物議を醸した」と振り返る。 藤森教授は(中略)「基本的にはアポロ11号の月面着陸という大きなインパクトを受けて月面ごっこがはやったのと同じ。災害を体験した子供たちは遊びを通して不安や怖さを表現し、心の中で克服しようとしている」と指摘する。 このため、被災地ではごっこ遊びを禁止せずに見守る対応がとられている。子供たちが不安や恐怖を克服すれば、時間とともにこの種の遊びは自然に消失していくとみられるからだ。(以下略)(石田征広)

心理学を専門にしている人間にとっては、ここに引用された藤森教授の指摘はとても常識的なものに感じられるであろう。外傷的な体験を遊びにおける繰り返しの中で克服していくというプロセスは、フロイトの「快楽原則の彼岸」(Freud, 1920 における子供の糸巻き遊びの例などとともにしばしば語られる。ただし私は常識については必ず疑うことにしているので、この妥当な説明にも、「本当だろうか?」と考えてみる。そして藤森説の大部分に賛成ではあっても、やはり一部に違和感を覚えるのである。そこでこのテーマをとっかかりにして災害とトラウマについて私が日頃思うところを少し書いてみたい。

この津波遊びについての記事は、私達が外傷について思い出し、それを表現するということの持つ意味を問うているが、同様の問題を提起した例として、次のような報道もあった
 アートセラピー」かえって心の傷深くなる場合も (朝日新聞2011610日) 
 心のケアのため、被災地の子どもに絵を描いてもらう「アートセラピー」について、日本心理臨床学会が9日、注意を呼びかける指針をまとめた。心の不安を絵で表現することは、必ずしも心的外傷後ストレス障害(PTSD)の予防にはつながらず、かえって傷を深くする場合もあるという。(中略)臨床心理士ら約2万3千人が所属する同学会が9日にまとめた「『心のケア』による二次被害防止ガイドライン」では「絵を描くことは、子ども自身が気づいていなかった怒りや悲しみが吹き出ることがある」と指摘。特に水彩絵の具のように、色が混ざってイメージしない色が出る画材を使う際には、意図せず、強い怒りや不安が出てしまう心配があるため、注意が必要とした。(中略)指針では、心の表現を促す活動は、専門家とともに行い、心のケアなど継続的にかかわることができる状況でのみ実施するよう求めた。PTSDに詳しい国立精神・神経医療研究センターの金吉晴・成人精神保健研究部長は「安心感のない場で心の傷を無防備に出すことは野外で外科手術をするようなもの。描いた絵の展示も控えるべきだ」と話している。(岡崎明子)
これも見逃せない記事である。同様の懸念は諸外国の研究でも明らかになっているという話も聞く。私はこの「アートセラピーに気をつけるべし」という判断はかなり臨床的に洗練されたものであると思う。それは私たちが心の傷を負った人に対して直感的に妥当だとと思える関わりが、実は必ずしもそうではないという知見を伝えているのである。
実は私はこのアートセラピーに対して警鐘をならす記事を見て「え、津波ペインティングって、なるほどいいアイデアなのに、いけないの?」と心の中で思ったのだ。そして同時に「いやいや、実はこれは新たなトラウマにもなったりするんだろう。最近の知見ではそうなっているに違いない。専門家としてそれを知らないのは恥ずべきことなのだろう」と判断したのだった。
このようにトラウマを負った人々にとって、何が治療的かという判断が、私たちの直感や常識と微妙に異なるということを、私たちトラウマ治療の専門家たちはかなり身にしみて体験した経験があった。それが1990年代からの「CISD」をめぐる論争である。
一見常識的な介入が外傷的になる?いわゆる「CISD」の問題
道で倒れて苦しんでいる人を見たら、私たちはすぐにでも駆けつけて抱きかかえ「大丈夫ですか?」と声をかけるのではないだろうか?テレビドラマなどでも見かけるこのようなシーンは、私たちの一見常識的な反応を示しているのだろう。しかしいきなり肩をゆすり、大きな声で話しかけるよりも、呼吸や脈を確認した後は、そこが安全な場所であることを確認して当面は安静を保ち、救助の到着を待つほうがいい場合もあろう。
心にトラウマを負った直後も、精神的な安静を保つことも必要であることが最近はわかってきている。しかし私たちが心の外傷についてまだ十分な知識を持たない頃は、出来るだけ早く手助けを行うべきという考えが支配的であった。いわゆるCISD (Critical Incident Stress Debriefing 緊急事態ストレスデブリーフィング) といわれる介入方法はそのような意図のもとに開発された
CISDは災害が生じた際に72時間以内に、被災者達を集めてその体験を話し合う機会を提供するものだ。そこでどうやって災害が起きたのか、どのようにそれに対処したのか、何を感じたのかなどについて23時間かけて一種のブレインストーミングを行うことである。ここでデブリーフィングdebriefingとは、もともと軍隊で用いられる用語で、前線から戻った兵士が戦況を報告させることを指す。創始者ジェフ・ミッチェルJeffrey Mitchellミッチェルは、もともと米軍のパラメディックであったためにそれをCISDとして考案したのだ(Mitchell, 1983)。
このCISDは一時非常に広く行われた。米国では1995年のオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の際も用いられ、わが国でも阪神・淡路大震災をきっかけによく知られるようになった。災害の生々しい体験を直後に救援者や被災者に語らせるという手法は画期的であり、それが米国における最先端の治療法であるという意識もあり、我が国にも浸透したのである。
CISDはこうして災害の際の精神医学的な介入の主流となるはずであった。ところが1990年代後半から困惑するような研究結果が報告されるようになった。それはCISDがそれほど有効ではなく、後にPTSDを引き起こす可能性が増すという研究結果であった。そしてこれが当然物議をかもすことになったのである。
 この事情に関しては日本トラウマティックストレス学会のホームページに優れた解説が載っている。それを拝借して説明するならば、医学的なエビデンス・データを発信しているThe Cochrane Libraryも数多くの研究論文や研究者との直接連絡から、CISDの有効性に関する検討を行っており、こちらでは「心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」とより厳しく結論づけ、「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」とまで言及しているという。(以上同学会のホームページより。)(http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html#top
外傷を体験した人たちにいち早く行う介入。直感的には決して間違ってはいないように思えるCISDという治療手段も、それが逆効果となってしまう不思議。何が治療的に作用して、何がそうでないかはほんとうに難しい問題なのだ。
ちなみに私自身は、CISDを一概に害があるもの、と決め付けるのもやや早計であろうと思う。おそらくCISDが常識的に考えるほど効果を発揮しないということは間違いないであろうが、それにより救われ、PTSDの発症を免れたという人がいてもおかしくないはずだ。トラウマの直後に早期に介入することは、人によりさまざまな反応を引き起こすというのが相場ではないか。それで全体をならすと効果が見えなかったり、逆効果に働く人の影響が勝ってしまうというところなのであろう。
そもそも災害にあった人々は通常は救急隊員やパラメディックや医師たちに様々な質問を浴びせられることになるだろう。心配して駆けつけた家族に一部始終を尋ねられることもあるに違いない。同じ助かった仲間からは、運悪く命を落とした人たちの話を聞かされるかも知れない。デブリーフィングで生じる様々な侵入的な体験は、実は被害者には不可抗力的に生じている可能性がある。
CISDに関する調査結果は、もうひとつの問題を軽視しているように思える。それはそれに参加した人の主観的な体験はどうだったのか、ということである。もしそれに参加した人がおおむね助けになったものと感じたなら、それが数ヵ月後、一年後にPTSDを予防する結果になったか、増加させることになったかは、それはまた別の問題として扱うべきであろう。それはこんな簡単な例を考えればわかるかも知れない。ある鎮痛剤が虫歯の治癒を遅らせる可能性があるとしよう。虫歯の強い痛みを訴える患者さんがその鎮痛剤を用いることを医療者としては止めるべきであろうか? これは実に難しい判断である。このことは実は災害時のベンゾジアゼピン系の安定剤の使用に関しても言えることであった。デパスやソラナックスといったベンゾジアゼピン系の安定剤は、災害やトラウマにあった人の不安を和らげる上では著効を発揮する。しかしそれを災害直後に多く用いた人はその後のPTSDの症状をより多く体験するのではないか、という研究が提出されている。
さらにこの考えは津波ごっこにも、アートセラピーにも通じることである。人が災害に遭い、それを援助する試みの中で一見常識的なアプローチを行う。それに対する人々の反応はきわめて主観的で個人差がある。ある人はそれを侵入的と感じて外傷反応を悪化させ、別の人はそれをひとつの癒しや新たな洞察を得る機会とする。ある外傷がその人にとってどちらの反応を生じさせるかは、その外傷の種類などの客観的な情報からは容易には予想できないのである。とすると私たちに出来ることは、少なくとも常識的なかかわりがその人に害がある、あるいは治療的に働くという判断を早計にしないことであり、またあるかかわりを一定の集団に一律に行う際には、常に個々人に与える影響に注意を払うということでしかないのであろう。
トラウマと思うからトラウマになる??
これまでの話はどちらかと言えば当たり前のことだったかもしれない。それは常識的な働きかけが人にどう働くかについては、そこにかなり主観的なファクターが絡むということである。ここからさらに論じたいのは、外傷の持つもう一つの意味での主観性ということだ。つまり人は自分のうけた体験がトラウマ的であったと思うことで実際にトラウマになるという事態である。そしてこれは注意深く論じないとかなり誤解を招きやすい問題なのだ。
この件に関して最近興味深いニュースを読んだ。これもオンラインで読むことのできるものだ。最近Miller-McCune誌に掲載されたマイケル・スコット・ムーアMichael Scott Mooreの記事である(Moore, 2011)。
イラクやアフガンでの体験からPTSDになる割合が、米国の兵隊はイギリスのそれに比べて数倍多いという。英国の王立医学協会の発表によれば、米国ではそれが30%なのに比べてイギリスでは4%であるという。そしてそれは同等のレベルの戦闘体験を持ったグループ間で言えることだというのだ。もちろん英国の兵役が6カ月でアメリカが1年ということも影響しているかもしれない。しかしアメリカ社会におけるPTSDが英国に比べてかなり高いことも影響しているという。これについてイーサン・ワターズ Ethan Wattersという専門家は、PTSDは文化によっても作られ、しかも完全に当人にとってはリアルなものであるという。(抜粋、岡野訳)
これはどういうことだろうか。米国と英国の兵士のPTSDの発症率には大きな違いがあり、それはおそらく兵役の期間の違いだけではとても説明できないであろうということだ。そこで両国でPTSDに関する人々の意識の違いが浮かび上がってくる。米国では兵役を終えた人は、自分がPTSDではないかという関心を持ち、また他人もそのような目で見る。深刻な外傷体験を受けた人の1015%にPTSDが発症することもある程度常識として浸透しているかも知れない。そもそもPTSDの概念の始まりは、ベトナムからの帰還兵に見られる一定の症状群について記載することから始まったことなのだ。PTSD概念も米国の人々には広く浸透している。他方の英国には、そのような事情がさほど見られないということが、両国のPTSDの発症率の著しい違いを生んでいるという説明だろう。
ここでの問題は「帰還兵にPTSDを見出すことが出来ない英国の医療者側の問題か、それとも英国の帰還兵の中に実際にPTSDの症状を示す人々が少ないか」ということである。ただしこれは次の言い方をしてもいいことになる。「帰還兵にPTSDを見出しすぎる米国の医療者側の問題か、それとも米国の帰還兵にPTSDの症状を示す人々が多いのか。」
一般にある疾患についての関心が高まると、その罹患率も上昇するという現象を私たちはたびたび経験してきた。少し前のBPD(ボーダーライン・パーソナリティ障害)がそうだし、最近の自閉症やアスペルガー症候群もそうだ。米国における社交不安障害についてもそれがいえるだろう。その場合、「実際に罹患率が増えているのか、それとも診断する側の目が肥えてきているのか」という議論はいつも出てくるが、結局「おそらく両方が貢献しているのであろう」という漠然とした答えしか出てきていないというのが私の理解である。なぜならこのいかにも単純な問に正確に答えを出すような研究には膨大な手間と費用がかかることが明らかであり、事実上実現不可能だからである。
ただここで一つ注意したいことがある。米国で帰還兵や医療側にPTSDに関する意識が高まっていることが、彼らの罹患率を押し上げているとしても、「PTSDは気のせいだ」ということにはならないということだ。ワターズの主張にもあるように、どのような経緯でPTSDを発症したとしても、それは依然としてPTSDであり、そのリアリティに変わりはない。
それにもし「PTSDは気のせいだ」ということであれば、「PTSDではないというのも気のせいだ」というロジックも同時に成立してしまう。つまり英国の帰還兵や医療者側は、彼らがPTSDであるという発想をあまり持たないことがPTSDの罹患率の低さに反映されているということになるが、それは「帰還兵の中には、実際にはPTSDなのに、そう思わないことでその症状が消えてしまっている(気のせいでPTSDでなくなっている)」ということになり、そのような理屈を信じる人は、「PTSDは気のせいだ」を信じる人よりも更に少なくなってしまうだろうからだ。何しろ一般の人々はPTSDを「賠償神経症」として棄却する方向にバイアスがかかっているのである。
しかしこの点はある複雑な事情を指し示していると言ってよい。PTSDは、そしておそらく数多くの精神疾患は、これもワターズの指摘にあるように、「文化によっても作られる」ということである。自分がPTSDを発症してもおかしくないという意識を与えられることが、その実際の発症に繋がる。あるいは自分の体験したことが外傷であるかも知れないという意識が外傷を生む・・・・。しかもそれは「気のせい」の外傷ではない、正真正銘の外傷、そこからPTSD症状が生じてもおかしくない外傷を生む可能性が増すのである。
人間の戦闘体験はおそらくその歴史のはじまりからあるのだろう。それでいて戦争を描いた記録の中に、PTSDの症状を示す人々の記録があまり残っていないとしたら、それはPTSDというものが最初から発想になかったから、という可能性がある。ではどうしてPTSD概念は以前は存在しなかったのだろうか?それはおそらく戦争による心のダメージを語ることは、為政者にとってきわめて不都合なことだったからだろう。同様の事情は女性における性被害にも及んでいる可能性がありはしないか?その社会での支配層(典型的な場合は多数は民族の成人男性)にとって不利なことはあまり語られず、名前を付けられない症状はそれとして認識されず、結局は存在しなかったということになるのだろう。
トラウマとしての意味づけと学習
繰り返すが「トラウマを受けたと思うからトラウマになる」という表現を誤解しないでいただきたい。これは「外傷は気のせいだ」という風に取られかねないアブない表現だ。しかしそうではない。「トラウマは気のせい」という時、主観的な体験としてのトラウマや種々の症状は実在しないこといなる。ところがトラウマを受けたと思うことでトラウマの犠牲者になった人の場合、主観的な体験も症状も現実のものである。この点を理解していただくのは本章の一番の目的である。
もう少し整理して述べるならば、トラウマには、意味づけが決定的なかたちで関与しているということだ。自分の持った体験において我が身が深刻な危機にさらされたという意味付けや認識がそのトラウマという体験を成立させている。時には自分がかつて体験したことが深刻な事態であったことを後から認識して、そこから発症するPTSDもある。
アメリカで同僚の医師からこんなケースについて聞いた事がある。ある女性が男性に脅されてお金を取られそうになり、すんでのところで逃げて助かったという体験を持った。しかし本人はそれがトラウマになったというほどではなかったのだが、やがて同じ男性が別の女性を殺して金品を奪ったという報道に接して愕然とした。そしてそれからフラッシュバックが起きるようになり、PTSDを発症したということである。つまり自分の持った体験が「自分は一歩間違えれば殺されかねなかったんだ」という意味を与えられたことで、深刻なトラウマとして成立したというわけである。
ただしこの意味づけには、どのような症状として表されるのが一般か、というより細部にわたった学習も含まれる。PTSDの診断基準に見られるように、トラウマの体験の後、その再体験としてのフラッシュバック、情緒的な鈍磨反応、失感覚、それとは対照的な過覚醒といった症状群は、一部の患者にはごく自然に生じても、それを報道で知ったり、身近にそれを呈している人を見ることで他の患者にもそれだけ起きやすくなるのであろう。これがワターズが「PTSDは文化によっても作られる」と言ったことである。しかしこれらの症状は何もないところから生まれたのではない。おそらく患者はPTSDを発症しなければ、抑うつ症状や不安症状などを呈していた可能性があるのである。
実は同様の文脈で誤解されていると私が考えているのが、「擬態うつ病」ないしは「新型うつ病」(本書の第 章を参照されたい)である。最近急増しているといわれる「新型うつ病」について論じる人の中には、それが偽うつ病、つまり「うつ病のフリ」に過ぎないという主張も見られる。うつ病の診断が広まることにより「自分もうつではないか?」と思う人が増え、結局は本当にうつでもない人まで、うつだと主張するようになる、というのが彼らの趣旨である。しかしどのような経緯であれ、よほど明らかな仮病を除いては、うつはうつであり、その苦痛は同じであるというのが私が強調したい点である。
 それまでは自分をうつと考える機会がないためにうつという症状を持つに至らなかった人がうつ病になっているという立場である。最初から明確なうつ症状を示す人以外に、そのようなタイプのうつもあるということだろう。そのような人はうつ病としての症状を得なかった場合はおそらく上述のPTSDの場合と同様に、別の症状を呈する可能性があるのだ。でもうつを発症したならば、それはうつであり、通常のうつ病と同様の苦痛を呈するはずである。実際にうつの増加とともにわが国の自殺率も増加していることがそのことを示しているであろう。人は「うつ病のフリ」では人は死なないだろう。
まさに意味づけと学習から生まれる「文化結合症候群」
ついでにここで私になじみ深い解離性障害の話をしよう。いわゆる文化結合症候群についてである。文化結合症候群には様々な興味深い病理現象が多く数えられており、その大半は解離性の障害と考えられる。気が違ったように荒れ狂う「狂躁発作」としてのラター、アモックなどは東南アジア諸国に古くから存在が知られているが、これらのいずれにおいても、人はある種の精神的なショックの際に唐突に衝動的で粗暴なふるまいを起こし、後に健忘を残す。そしてこれが、外傷や症状が意味づけや学習により成立する例とみなすことが出来るのである。
その中で我が国に固有の文化結合症候群として知られるのがイムである。イムは北海道のアイヌ社会における風土病とされてきた。アイヌの従順な中年女性が「トッコニ」(マムシ)という語を耳にしたり、蛇の玩具を目にしたりすると、突然錯乱状態となって人に襲いかかってきたり、物を拾って誰彼かまわず投げつけたりする、あるいは他人の言葉をそのまま真似る(反響言語)などの症状も見られる。そして後にそのことを覚えていない。
明治初期に活躍した内村鑑三の息子である精神医学者内村祐之は、このイムを詳しく観察したことでも知られる。彼はイムの発作が防衛の役割を担うものとして理解し、次のように結論付けた。「イムの発作はその安全弁とも理解される。ヒステリーの発作もイムの発作も、その本来の意味は、天然が弱者のために備えた防衛機転であり、保証機転であるのである。」(内村、1947) 
この内村の臨床的な評価は、ヒステリーおよび解離性障害に対する当時の一般的な理解を代表しているものと言えるだろう。ここで注意すべきなのは、文化結合症候群には一定の症状のパターンがあり、人はそれを踏襲した形で症状を形成するということである。これはまさに文化のなせる技である。アイヌの女性はイムの症状を村で伝え聞くのだろう。そして「自分はトッコニという言葉を聞くと人に襲いかかるかも知れないのだ」と学習する。そして一部の女性はそれに見合う人格を形成していき、ある日タブーの言葉を聞いて発作を起こす。しかしそれは彼女が作為的に行なったわけではない。症状の起き方がいつの間にか学習されていたというわけである。
再び「津波ごっこ」に戻って
最後に津波ごっこに話をもどそう。
・・・「津波がきた」「地震がきた」の合図で子供たちが一斉に机や椅子に上ったり、机の下に隠れる。・・・児童心理の専門家によると、子供たちが地震と津波の衝撃を遊びを通じて克服しようと格闘しているのだという。
子供たちが津波ごっこに興じるのはなぜか? おそらく本当のところは誰にも分からないのではないだろう。どうして人は鬼ごっこをするのか? どうしてお化け屋敷が夏は満員御礼になり、芸人のコワーい話がウケるのか? どうしてミステリーには殺人がつきものなのか? これらの問いに少し近いのではないかと思う。鬼ごっこは人間が邪悪なもの、精神分析的には悪い内的対象との関係を克服するために行う、とでもいうのかもしれない。でも真相はわからない。多分人間は適度のスリルを好むのであろう。人はノルアドレナリンの分泌(驚愕、興奮)と共にドーパミンの放出(快楽)が伴うような体験にスリルを感じ、求めるものである。津波ごっこにもそのような意味があるのだろう。
津波ごっこは被災した子どもにとって害になるのか、それとも見守るべきなのか? あまりにも多くのファクターが絡み合った答えの出ない問題だ。ただそれが「ごっこ遊び」として、友達と楽しんでやるものという意味づけにより、本来は侵入的な体験にもドーパミンの放出がともなった、スリルと癒しの体験となるかもしれない。「津波ごっこは見守るべし」という見解は、そうすることで参加する多くの子どもにとってさらに津波体験の克服に繋がるようなものとなるだろう。しかし同時に問題も起きる。大人からも津波ごっこにゴーサインが出されることで、それを耐えがたいと思う子どもは余計つらさを体験しかねないのだ。
アートセラピーはその裏返しというだけで同じ議論がなりたつ。「津波ペインティングはよくない」という専門家のコメントは、おそらく相当数の子どもを救うと同時に、それにより津波による外傷を克服できたかも知れない子どもにとってはその機会を奪う可能性がある。そして「津波ペインティングはよくない」というメッセージ自体が、それにマイナスの意味づけを与えることで、治療的な価値がさらに奪われる可能性もあるのだ。同様のことはCISDについてもしかりである。
被災にともなう外傷の問題はかくも難しく、一般人の常識も専門家の見識も裏切る結果となりかねない。私たちはその事実を受け入れるしかないのだろう。
参考文献)
Freud, S. (1920) Beyond the Pleasure Principle (The Standard Edition 18) S・フロイト 「快楽原則の彼岸」in「自我論集」 ちくま学芸文庫 2007
Mitchell, J.T. (1983) When disaster strikes…the critical incident stress debriefing process. Journal of Emergency Medical Services, 8(1): 36-39.
Moore, M.S. (2011) PTSD Affecting More U.S. Soldiers Than British. Why do so many American and so few British soldiers suffer from post-traumatic stress? Miller McCune. July-August. 2011
 内村祐之 (1947) 精神医学者の滴想. 同盟出版社.