2011年3月23日水曜日

社交恐怖の精神分析的なアプローチ(11)

私がかつて週2回2年間というかかわりを持った患者さんがいた。この人のことを私が自由に書けるのは、もう20年ほど前にかかわった患者さんであることと、アメリカでの話なので、絶対に彼がこの私の記述を日本語で読むことはないし、読者にも彼が誰のことかは分からないからだ。(それでも多少脚色を加える。)
他のどの治療とも同じように、彼の治療も全てがうまくいったわけではなかった。2年間の治療の後に私の職場の変更ということから終結を迎えたが、彼はある意味ではあまり変わっていなかったかもしれない。でも多くのことを話し、一緒に考えさせられた。アメリカ人にもしっかりと対人恐怖的な心性を持つ人がいるのは当たり前のことだが、渡米して高々4年目の私にはそんなことはよくわかっていなかった。まともにかかわったアメリカ人がほとんどいなかったからだ。30歳代前半のMは当時の私と同年輩。彼は既婚者で小さい子供を二人抱えていた。彼の仕事は大きな精神病院の警備員。気の弱さや自己主張の難しさを抱えた人の職業選択としては不釣合いのようでいて、案外ありうるのかもしれない。彼はアメリカ人としては普通の体格だったが、私より一回り大きく、でもいつも伏し目がち、言葉少なに、しかし律儀に面接に現れたのを覚えている。私も本格的な精神療法のケースとしては彼の地ではMが初めてで緊張していたし、お互いが対人恐怖同士で出会ったようなものだ。一つ明らかなのは、彼は私が威圧的でないことにずいぶん助かったらしいということである。私にとってはアメリカ人は対外威圧感を持って感じられていたから。だいたい英語を自然に話すということだけでこちらとしては引け目を感じてしまうだろう。体格は最初から一回り小さいし。ただし同じ日本人でも、アメリカ人に対してその種の引け目を感じない人も多いということを、私はアメリカに居るたくさんの日本人を見ながら感じた。このすぐ相手に引け目を感じてしまうのが、対人恐怖の心性なのである。私はそれを持っていたし、同様の傾向のあるMにとってはそれだけ都合がよかったのであろうと思う。
Mと私は比較的すぐに打ち解けた。対人恐怖同志は、互いに似たような匂いを感じ取る。お互いに安全だとわかるのであろう。彼は自分の人生についてとつとつと語った。(Mは言葉数が少なく、しかもアメリカの中西部に特有の、すなわち「訛りのない」英語だったために、私にしては珍しく彼の話すことは聞きとりやすかったのもよかった。)彼は非常に厳格な父親にそだてられたと語った。何をしてもほとんど褒められることなく、常に上を目指すように言われ続けた。
Mと話していて一つ感じたのは、アメリカという文化のせいか、彼の控えめな性格が誰からも何らポジティブな評価を与えられていないということだった。彼程度の対人緊張は日本人のあいだでは珍しくないし、だからといってすぐにネガティブな評価を与えられるわけではない。グループでの話し合いなどで、口数が少なかったり黙っていたりしても、それだけでネガティブな評価を与えられないであろう。ところが米国ではほとんど常に発信していない限りその存在が疎んじられたり逆に悪意を持っているのではないかと勘ぐられたりする傾向にある。そのことを彼は分かっていて、何とか社交的で饒舌な人間になろうとして、しかしそれが性に合わない自分に失望するということを繰り返していた。「Mって日本の社会に生まれたら、そんなに苦労しなかっただろうに」などと口にだすことはなかったものの、私はしばしばそんなことを考えながら彼との対話を続けた。(続く)