2011年3月16日水曜日

「東北関東大震災」の爪跡(4)

ここ数日を暗い気分で過ごしている。いつ来るとも知れぬ余震。そして原発に関する不安。どうして1号機から4号機までやられるの?スリーマイル島の事件でも一基だけだったのに。でも原発全体が浸水するなんてことが起きたことはきっと初めてなのだろう。だから1号機から6号機までの全てに異常が生じてしまったのだろう。
そもそも果たして原発は安全なのか?厳密な意味で安全なはずではない。というより厳密な意味では三陸海岸沿いに住んでいる事自体が決して安全ではないということがこの津波でわかったことになる。それにもし関東を大地震が襲って東京都民に多くの犠牲者が出たとしたら、東京に住んでいること自体が危険行為だったということになる。考え出すとなにもかも安全性の保証のあるものはない。車に乗る事自体、道を歩いている事自体常に交通事故のリスクを背負っていることになる。実は地球上に住んでいること自体危険だということになる。
それでも私達が毎日平気で生きていられるのは、そのリスクがあまりに少ないので、心のなかでそれをないものにしてしまっていられるからだ。普段は無視しているその危険を、災害にあった際などにはいちいち意識し始めることになる。だからそれが慢性的な不安となって表れる。ということは私達の日常は、いかに危険を否認することで成立しているか、というわけだ。
今日気がついたこと。テレビで震災以来初めてバラエティー番組を見かけた。お笑い芸人も遠慮がちに出ていた。それと震災以来、コンビニの棚に菓子パンの類が並んでいるのを初めて見た。まだほとんど売り切れ状態に近かったが。巷では人は水やティッシュペーパーなどの買い占めに走っていると聞く。さすがにそれをやる気になれない。被災者に何もしてあげられないのだから、そんなセコい事をすると益々後ろめたくなるではないか。
神さんは、チビさえいなければ東北地方にボランティアに行きたいのに、と言っている。ちなみに個人のボランティアは足手まといになるだけだということも十分分かっているようだ。私は東京で診療がある以上、それが自分の本分だと思っているが、やはり後ろめたい。だから神さんの節電の努力には協力している。ウチは夜はいつも真っ暗である。