2017年1月31日火曜日

錬金術 ①

まえがき

本書は私がこれまでで一番書きたったことをまとめたものである。
何が人を動かすか? What makes a human being tick ?
人を見ながら、そして自分を見ながら「どうしてこんなことをするんだろう?」と素朴に思いをめぐらす。そんなことを私は物心つくころからいつも考えていたと思う。心を扱う仕事についてからもずっとそうである。私は治療者としての一言に相手が喜び、失望し、いらだつことを感じながら、そのことを問い続ける。ある薬を投与し始めてから顔色が急によくなり、話し方が違ってくるのを見て驚く。若者がある書を読んで突然発奮して夢を追い始めるのを見て考え込む。そしていつも行き着くのは、「快、不快」の問題である。
私たちの脳の奥に、ある大事なセンターがあり、それは「快感中枢」とも「報酬系」とも呼ばれている。そこがある意味では人の言動の「すべて」を決めている。心身の最終的な舵取りに携わるのが、このセンターだ。
報酬系はもちろん人間にのみ存在するわけではない。おそらく生命体の最も基本的な形である単細胞生物にも、その原型はあるのだろう。しかしそれはおそらくドーパミンという物質が媒介となることにより始めてその正式な形を成す。たとえば原始的な生物である線虫の一種は、脳とはいえないほどシンプルな神経系を備えているが、そこにはすでに数十の細胞からなるドーパミンシステムが見られる。線虫(本書では「Cエレ君」の名前で登場する)は快感を覚えてそれに向かって行動しているのだ!
人を、あるいは生き物を快、不快という観点から考えることはおそるべき単純化といわれかねない。しかしそれでこそ見えてくる問題もある。私たちが行う言語活動は、ことごとく快を求め、苦痛を避ける行動を正当化するための道具というニュアンスがあるのだ。そう考えることで私たちは私たち自身を一度は裸にすることが出来るのだ。その意味では本書が示す考えは、精神を扱うどのような理論に沿って考えていても、いったんその枠組みから離れ、より基本的な視点から捉えなおすことが出来るものと考える。
本書を御一読いただくことで人の心を考える上での一つの視点を取り入れていただければ幸いである。                  著者


2017年1月30日月曜日

BPD 推敲 ⑤

統合失調症、そのほかの精神病 歴史的にはBPDは精神病と神経症の中間に位置する病理を有するものと考えられた。BPDには明白な幻覚や妄想は見られないものの、被害念慮や関係念慮を抱くことが多く、また思考につじつまの合わなさや一貫性のなさが見られることもある。それらの症状に対して少量の抗精神病薬が奏功することもある。ただしBPDは現在では精神病とは異なる病理として理解されている。
その他のパーソナリティ障害 DSMに記載されているいわゆるクラスターBのパーソナリティ障害、すなわち自己愛、演技性、反社会性パーソナリティ障害はいずれも、そこに高い情動性や他者を巻き込む傾向がBPDに類似する。自己愛人格障害の多くはその防衛がBPDに比べてより堅固で、自己破壊性や空虚感が見られないことで区別される。演技性パーソナリテイ障害もまた、操作的な言動、強い情動の表出等はBPDに類似するが、そこに空虚感や抑うつ、自己破壊性が伴うことは少ない。さらにBPDは不安定で激しい対人関係という典型的な様式によつて、依存性パーソナリテイ障害と区別することができるさらにはBPDは、持続的な物質使用に関連して現れる衝動性や気分変動とも区別されなければならない。その場合薬物の使用時と不使用時での思考や行動の顕著な差や、薬物からの離脱後にそれらの行動を記憶しないか否か、などが鑑別の際に重要となる。
いわゆるボーダーライン反応:岡野はBPDの診断を特に有しない人においても、他者から去られたり、自分のプライドを著しく傷つけられるなどの際に相手を攻撃し、結果を顧みない行動をとることがあり、それをボーダーライン反応として概念化している。思春期に不安定なとき、飲酒が重なった時などに生じることが多いとする。

<経過>
BPDの経過はかなり多様であるが、従来考えられていたほどにはその症状は持続しない。ザナリーニらの研究(2002)によれば、BPDの患者は2年後には35%、4年後には50%、6年後には70%が寛解の条件を満たし、それらの人たちの6%しか再発がなかったと報告する。BPDの症状としては時間とともに衝動性が一番低下し、情動症状は最後まで残り、認知、対人間は中間だった。うつ、慢性的な怒り、孤独、退屈、空虚さは6年後も70%にみられたという。
Zanarini MC, Frankenburg FR, Hennen J, Reich DB, Silk KR Prediction of the 10-year course of borderline personality disorder. Am J Psychiatry 2006; 163:827-832 
  
BPDの治療>
BPDの治療は精神療法と補助的な薬物療法が用いられることが一般的である。
精神療法
BPD力動的精神療法に関しては、治療者の受身性が退行を過度に促進したり、自由連想を促すことが思考やファンタジーの混乱を誘発したりすることが早くから知られていた。洞察を求める古典的な分析療法よりは、治療者の柔軟性がより求められる支持的療法が重んじられる。この療法では解釈や直面化はむしろ控え、患者自身の治癒力を助け、また自己価値観を高めることを目的とする。またBPDでは発達早期にトラウマを経験をしている場合が多く、それに伴う解離症状を扱う用意も必要となる。そのためマネージメントを目的とした支持的な精神療法を行うことが一般的である。 またBPDの治療においては治療者に強い逆転移感情を引き起こされることが多い。治療者は患者に対し怒りや恐怖、無力感、または好意や救済願望を抱く傾向が大きい。そこには患者が用いる投影性同一視などの機制がしばしば見られる。BPDの治療には病棟のスタッフやそのほかの医療・福祉従事者なども多くかかわることがあるが、それらの援助者がBPDの患者に感情的に巻き込まれたり操作されることも多く、それを防ぐためにも治療構造や治療契約が大きな意味を持つ。ただしそれをかたくなに守るのではなく、柔軟性を発揮しつつメリハリをつけることが重要である。
なお精神療法には様々な種類のものが提唱されている。それらは力動的精神療法以外にも、認知療法、認知行動療法(CBT)、認知分析療法(CAT)、家族療法、対人関係療法(IPT)などがある。
認知療法・認知行動療法においては、BPDの特徴的な極端な二分法的思考が、気分の変動や急激な行動の変化につながると考えられている。明確な治療目標を設定しつつ、クライエントが、二分法的思考法ではなく中間的あるいは多角的にも物事を捉える、感情や行動を自身で冷静かつ客観的に評価するなどの認知を獲得し、それに伴う適切な思考や行動が出来るようになるのが目標である。
対人関係療法(IPT)は本来はうつ病のために開発されたものだが、BPDにも応用されるようになってきている。対人関係療法では、家族や配偶者、友人など身近な人との対人関係の築き方を修正する一方では、本人の性格変容を目的とはしない。
イギリスで1999年にベイトマン、フォナギーにより開発されたメンタライゼーション療法(Mentalisation Based Treatment - MBTは弁証法的行動療法と共に、現在最もエビデンスのある精神療法である。
また米国では1990年代に自殺行為の治療のために開発され、境界性パーソナリティ障害の治療に応用されている認知行動療法の一種である、弁証法的行動療法(DBT - Dialectical Behavior Therapy)が知られる。この療法は主に感情調節スキルの獲得、ストレス耐性の強化、対人関係能力の向上などを目指す。またそこに組み込まれた「マインドフルネス・トレーニング」は、日本禅や森田療法と類似している。ただしその治療は大掛かりで保険診療内におさまらず、実用性は高くはない。

薬物療法
後者に関しては、このBPDの概念が提出された当初考えられていたような精神病的な要素は少なく、抗精神病薬を中心とした薬物療法も著効は示さず、また精神安定薬については嗜癖を促しやすいという傾向があり、むしろ気分障害などの併存症への薬物療法を用うことが多い。
米国精神医学会の2006年のガイドラインによれば、副作用の少なさなどの観点から、第一選択としては副作用の少ない選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)を考え、被害念慮のある場合などは、低量の抗精神病薬が有効である(平島、2008)。
また気分安定薬に関しては、バルプロ酸ナトリウム(デパケン)やトピラマートが衝動性に対してある程度の効果が確認されている(平島、2008)が、筆者は個人的にはラモトリジン(ラミクタール)の効果に注目している。
なおの治療では中断率が高い。ガンダーソンの調査では、半年間での中断率は患者の50%、一年では75%であり、初期から終結まで一貫して治療する例は少なく10%程度だった。
なおBPDは高い治療中断率(44-66%)が指摘されている(Skodol et al, 1983Gunderson et al, 1989Kelly et al, 1992) が、これらの 治療を維持するためには、まずは安定した治療関係が前提となることを示していると言えよう。
平島奈津子、上島国利、岡島由香 8 境界性パーソナリティ障害の薬物療法」『境界性パーソナリティ障害―日本版治療ガイドライン』 金剛出版、20089月、p135-152

Chiesa, M, Drahorad, C. & Longo, S (2000) Early termination of treatment in personality disorder treated in a psychotherapy hospital Quantitative and qualitative study. The British Journal of Psychiatry Aug 2000, 177 (2) 107-111; DOI: 10.1192/bjp.177.2.107

2017年1月29日日曜日

BPD 推敲 ④

<鑑別診断>
ある精神疾患のBPDとの鑑別の際にしばしば聞かれるのは、「これはBPDか否か」という二者択一的な見方である。しかしBPDは他の精神疾患と併存している場合が多い。ある報告では、 BPDは生涯平均4.1の第一軸診断(DSM-IV-TR )と1.9の第2軸診断(同)を有するという(2)。その場合BPDの症状は併存症のそれを互いに強く影響しあい、より複合的な臨床像を示すことになるだろう。

感情障害(うつ病、双極性障害) BPDしばしば感情障害と並存する。BPDのうつ病の生涯罹患率は7183%とも言われる(2,3)。BPDによる慢性的な抑うつ気分と、双極性における(軽)躁的な気分や衝動性の昂進はBPDにおける逸脱行動に類似することがある。ただしうつ病とBPDが併存した場合、片方の回復はもう片方の回復を伴うことが多い(7)。

不安障害 米国の研究では、BPD88%に不安障害が見られ、そのうちパニック障害は34% から48%PTSD47% から56%が有し、またアルコールや薬物依存は50%から65%に見られるという(23)。
2. McGlashan TH, Grilo CM, Skodol AE, et al. The Collaborative Longitudinal Personality Disorders Study: baseline Axis I/II and II/II diagnostic co-occurrence. Acta Psychiatr Scand. 2000;102:256-264.
3. Zanarini MC, Frankenburg FR, Dubo ED, et al. Axis I comorbidity of borderline personality disorder. Am J Psychiatry. 1998;155:1733-1739.
7. Gunderson JG, Morey LC, Stout RL, et al. Major depressive disorder and borderline personality disorder revisited: longitudinal interactions. J Clin Psychiatry. 2004;65:1049-1056.
解離性障害 BPDと解離性障害はしばしば診断上の問題となりやすい。解離性障害における自傷傾向や自殺念慮、人格交代の際に見られる衝動性や他者への攻撃性は、しばしばBPDの症状とみなされる傾向にある。さらには両者には類似する生活史が見られることもある。またBPDの第9診断基準に解離症状が掲げられていることも、混同に一役買っている可能性がある。無論併存が見られることもまれではない。しかし両者には前者には外在化傾向、後者には自罰傾向といったきわめて異なる性格傾向が見られることも事実である。





2017年1月28日土曜日

自己愛と怒り 推敲 ②

フロイトへの提言-自己愛と怒りの本質
さてフロイトはなぜ、自らが身をもって体験していた自己愛の問題を精神分析理論に反映させなかったのだろうか。フロイトはフェレンチにもユングにも、その離反について、エディプス的な解釈をした。
「ユングは父親コンプレックス(エディプス葛藤)を解決していない。だから私を殺して私の座に取って代わろうとしているのだ。フェレンチも結局はそうなった。」
ここに現れているのは、フロイトが弟子たちのエディプスの問題に注目しているという事実である。それはフロイトが自己愛の問題を意識化していなかったことを示しているというわけではない。ただ重視していなかったからだ。なぜだろうか?それは自己愛の問題は、少なくともフロイトの目には、無意識を介していない、ありのままの、見たままの問題だったからである。フロイトは初めから露わになっているものには興味がなかった。「あたりまえ」だからであり、それ以上の価値がない。
そこで生前のフロイトの時代に戻って、フロイトにこう尋ねたらどうか?「フロイト先生、お尋ねします。あなたがそれだけ誰かの注目を浴びたいのは、実はお父さんから十分に認めてもらえなかったからではないですか? そのことの自己愛の傷つきを十分に意識化されないままにほかの人に向かっているということはないのですか?」
これに対してフロイトはこう言うだろう。「私が父に抱いていて、意識化していなかったのは、殺したいほどの憎しみだよ。私は父の死の際にそれに気が付いたのだ。それに私にはおそらく無意識に同性愛願望があるのだろう。父親に愛されたかったということだろうね。言っておくが、人に認められたい、という願望は勿論ある。でも病理とは無関係なんだよ。何しろセクシャリティーと無関係だしね。私が父親を憎んだのは、母親に対する性的願望を禁止されたからだよ。少なくとも私の説ではね。それ以外は意味がないのだよ。・・・・」 そう、おそらく議論はかみ合わないままなのである。
ここで100年の歳月が流れてフロイトに提言するとしたら、以下のようになろう。フロイト以降様々な理論が生まれた。侵害(ウィニコット)・基底欠損(バリント)・愛着トラウマ(ショア)・共感不全(コフート)・甘え体験の欠如(土居)などに表されるような事態は何か?それはいわば原初的な自己愛トラウマなのである。自己愛の原初形態は身体であり、そこから派生するパーソナルスペースである。その境界は母親との情緒的、身体的接触により定まるのであろう。それが破綻した場合、「自分は取るに足らない、生きていても仕方がない存在である」という感覚を生むことなのである。
では原初的なトラウマに対する乳児の反応はどうであろう?それは以下の通りだ。
  反撃 (ボクは今このおもちゃを欲しいんだ!と泣いて抗議する、など。)
  反撃ができない(無効な)際の怒りや恥 (ボクはおもちゃが欲しかったのに。チクショー!
  迎合及び偽りの自己の形成 (ボクはいい子だから、おもちゃなんていらないよ。)
  凍結(解離) (・・・・・・・。)


最後にもう一度結論を述べよう。怒りとは「原初的な自己愛トラウマ」に対する一つの表現形態なのである。



2017年1月27日金曜日

自己愛と怒り 推敲 ①


はじめに
この教育研修セミナーは「自己愛と怒り」いうテーマなので、私はそのままの題名でお話します。私はもともと恥と自己愛のテーマに興味を持ち、それに関連する著書を発表してきました(岡野、1998, 2014)。自己愛の傷つきによるトラウマと、それに反応する形での怒りという問題は、私の中でかなり大きな位置を占めるようになってきています。最初にこのテーマについて考える直接のきっかけとなったことについてお話します。
岡野憲一郎 (1998) 「恥と自己愛の精神分析」(岩崎学術出版社
岡野憲一郎 (2014) 「恥と自己愛トラウマ」 岩崎学術出版社

かなり以前のことですが、浅草通り魔殺人事件」というのがありました。2001430日、東京の浅草で、レッサーパンダの被り物をした29歳の男性が19歳の短大生を白昼に路上で刺殺したという事件です(佐藤、2008)。男は女性に馬乗りになって刃物で胸や腹を刺していたということです。 「歩いていた短大生に、後ろから声をかけたらビックリした顔をしたのでカッとなって刺した」と供述しています。これでは何のことだかさっぱりわからないでしょう。この一見意味不明の言動や、動物の形をした珍しい帽子を被っていたという奇妙さも手伝い、非常に世間の耳目を集めたのです。
佐藤 幹夫 (2008)自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 朝日文庫
 しかし北海道出身のこの男性は、「いるかいないかわからないような」「おとなしい男」と知人らから評されています。「とても殺人などするような男ではない」とも言われていますが、そんな男がなぜ、このような残酷な事件を起こしたのでしょうか?
ただ私がこの事件の一端がわかったという感覚を持ったのは、起訴状にあったという、「ビックリした顔をしたので馬鹿にされたと思い、カッとなって刺した」という彼の言葉です。もちろんどうして女性のびっくりした顔が「馬鹿にする」と受け取られたかは謎です。おそらく発達障害に特有の対人関係における認知の問題があったのでしょう。しかしそこには一筋の因果関係だけは見えていて、それが「馬鹿にされたから、カッとなった」ということなのです。つまり自己愛の傷つきによる怒りの反応であったということです。おそらくこの「自己愛の傷つき → 怒り」という回路が成立していない心などありえないのでしょう。

自己愛と怒りの二つの原則
ここで一般心理学に目を移してみましょう。最近怒りをどのように理解し、コントロールするかということが話題になっています。いわゆるアンガーマネージメント(怒りの統御)と呼ばれる考え方ないしは手法が知られています。うつ病でも薬物依存でも、およそあらゆる治療手段の一環として登場します。つまり自分の怒りが生じるプロセスを理解し、それを自らコントロールできるようになりましょう、というのが趣旨ですが、その一つの決め手は、怒りを二次的な感情としてとらえるという方針です。私がここに描いてみるのは、アンガーコントロールのレクチャーなどで使われる、「怒りの氷山」の絵です。このような図はネットなどで非常に多く見ることが出来ますが、どれも大体似たような図柄です。(図は省略)
  つまりこの図が表わしているのは、怒りというのはその人の傷つきや恥や、拒絶されたつらさがその背後にあり、それに対する反応として生じるのだということです。別にこのような考え方は自己愛理論に立っているというわけではなく、一般心理学的な考え方としてそうだということを表しています。
ここで改めて自己愛の怒りの第一の原則を示しておきましょう。
自己愛と怒りの第1原則:「怒りは自己愛の傷付きから二次的に生じる」
次に自己愛と怒りのもう一つの原則を示しておきたいと思います。そのための図を示します(省略)。これは私が「自己愛の風船モデル」と呼んでいるものです。つまり私たちの自己愛は放っておくと膨らんでいく風船のようなものだということです。そしてこの風船が針で突かれると爆発して、怒りとなって表現されるというところがあります。ここで第2の原則です。
自己愛と怒りの第2原則:「自己愛は放っておくと肥大する風船のようなものである。」
それが突かれたときに怒りになったり、恥の体験になったりするわけです。ここで恥のことが付け加わった事にお気づきでしょう。そう、怒りに表されない自己愛の傷つきは恥として体験されるのです。
恥の第2原則の付則:自己愛の傷つきは、怒りとして表現されない場合には恥の体験となるという性質を持つ。

自己愛と怒りに関するこの二つの原則は非常に重要になってきます。次にお示しするテーマは、精神分析においてこのテーマはどのように扱われてきたかということですが、それを論じる際にこの二つの原則に言及したいと思います。

フロイトは自己愛の問題をなぜ理論化しなかったのか?
自己愛の問題がどのように精神分析で扱われて来たのか、という問題については、端的に言えば、「長い間無視されてきた」ということです。そしてその筆頭はフロイトです。フロイトは明らかに自己愛のテーマを抱えながら、それを精神分析理論に組み込まなかったのです。これほど不思議なことがあるでしょうか?
そのことをフロイトとフリースの関係から見てみましょう。二人が交わした書簡からの抜粋です。
フリースへの書簡(1898518日)
「僕は、君が僕に一人の相手を、一人の批評家であり読者であり、その上さらに君のような資質のある人を送ってくれることを、計り知れないほどに喜んでいます。全く聴衆なしでは僕は書くことが出来ません。しかし僕は、君のためだけに書くことに完全に甘んじることが出来ます。・・・」
どうでしょう?これは二人が知り合って10年以上たった時にフロイトが送った手紙の一部ですが、いったいこれほど情熱的な手紙を送るような関係とはいかなるものなのでしょうか?フロイトの伝記をたどると、彼が特定の男性と近しい関係になることが非常に多かったことが伺えます。そのような関係はいわゆる「ホモソーシャル」な関係と形容されます。これは体育会系などで顕著に見られる緊密な絆で、しばしばミソジニー(女性嫌い)あるいはホモフォビア(同性愛恐怖症)が伴います。そしてこれはいわゆるブロマンスと呼ばれるものとも近縁です。ブロマンス(brother + romance) とはまさに男同士の親密な関係であり、ショウビジネスでのベン・アフレックとマット・デイモンの関係、あるいはジョージ・クルーニーとブラット・ピットの親しい友人関係などはしばしばその例として取りざたされます。そしてフロイトとフリースやユングの関係もブロマンスと形容する人もいます。
フロイトとフリースの関係は概ね非常に友好的なもので、それが両者の書簡集からも伺えますが、フロイトはこんな恐ろしいことを書いているのも発見しました。
「敬愛するウィルヘルムよ。僕は再び君からの手紙(ベルリン以来三度目のもの)を手にして大変うれしいので、すべての復讐の考えを追い払いました。(18971021日)
ここに書かれていることが、端的に自己愛と怒りの問題を指し示しているのです。私も時々、親しい友人からのメールになかなか返事がもらえない時、プライドを傷つけられることがありますので、この気持ちはわかります。そしてここで重要なのは、相手から注意を払ってもらいたいという気持ちが裏切られた時の怒り、そしてそれが満たされた時の怒り⇒感謝のこの変換の様子です。これこそ両者が表裏一体であることの証ではないでしょうか。そしてこの興味深い現象をフロイトは体験している!それなのに彼の理論にはならなかったのです。なぜでしょうか? この答えはしばらく後までとっておきましょう。もちろんどこの本にも書かれていません。
さてフロイトとフリースの関係ですが、自己愛的な関係が辿る典型的な顛末を彼らも追うことになります。それがアーヘン湖での出来事、事件です。
アーヘン湖事件)
1900年の夏、アヒェンゼー(アーヘン湖)で会合の機会を持ったフロイトとフリースは、激しい言葉の応酬、批判の支配を行います。英語でいえば mud slinging 泥の投げ合い、ということです。フロイトがフリースの「周期説(バイオリズム仮説)」を非科学的な推論だと批判し、フリースがフロイトの「精神分析」を適当な読心術に過ぎないと批判したことで、激しい口喧嘩に発展して訣別することになったとされます。絶交した後は、フロイトはフリースからの膨大な手紙を焼却処分してしまったのです。フリースはフロイトからの手紙を大切に保存しており、後に「精神分析の起源(1950年)」として刊行されたわけですから、激しさから言ったらフロイトの方が一枚上だったと言えるでしょう。
ちなみになぜここまで詳しい話ができるかと言えば、フリースがベリンジャーという人のインタビューに答えていろいろ話した記録があるからです。
この日に決定的な中になり、フリースによればフロイトはわけもなく怒り出したそうです。分析のプロセスには周期が絡んでいるから、よくなっても悪くなっても分析の力だけじゃないよね、などと言ったらしい。それに対してフロイトが怒りだした。「それじゃ私のやってきたことを全否定したことになるんじゃない?」 フリースはこれを周期説に対するフロイトの羨望と読んだのですが、それはあながち間違っていないようです。フロイトは、「周期説を発見したのがあなたじゃなかったら、怒り狂っていただろう、この説を私以外の人が発見したなんて!」ということをしばらく前に言っていたそうですから。
同時に起きていたのは、両性具有についても、フロイトは、自分が発見したと言い張って、のちにフリースが2年ほど前に行っていたことを思い出したそうです。そのことをフロイトが日常生活の精神病理の中で自分で述べていますが、フロイトにもこのような内省があったのは心強い。(Sulloway, FJ (1992) Freud, Biologist of the Mind: Beyond the Psychoanalytic Legend
 さて、フロイトはユングとの関係でも同じことを繰り返しました。そして最後は「クロイツリンゲン事件」です。つまりフリースとのアーヘン湖事件と同じようなことが起きました。19125月、スイスのクロイツリンゲンに病床のビンスワンガーを見舞ったフロイトは、近くのチューリッヒに住むユングのもとに立ち寄らなかったそうです。
そのユングはフロイトに以下のように書き送ったそうです。
「あなたがクロイツリンゲンにいらした時に私に会う必要を感じなかったという事実は、私が展開したリビドー論を快く思っていなかったことを意味しているに違いないと私は思います。私は将来この議論の多い論点についての理解に至ることを望みます。でも私は私の方針で行くしかありません。スイス人がいかに頑固かはご存知でしょう。」
実はこれにも複雑な事情があり、フロイトは実際ユングに会うように手紙を送っていたが、それが遅れたこと、そしてビンスワンガーに急きょ会わなくてはならない事情を、フロイトはユングに伝えなかったという事情があったそうです。そうなると二人の関係ではユングの方の自己愛問題も相当だったということです。

McGuire, W. (Ed.) (1974) The Freud/Jung Letters: The Correspondence Between Sigmund Freud and C.G. Jung. Cambridge, MA. Harvard University Press. 平田 武靖 (翻訳)フロイト/ユング往復書簡集〈下〉1987

2017年1月26日木曜日

BPD 推敲 ③

<有病率> DSM-5によればBPDの人口有病率の中央値は1,6%とされているが, 5.9%という高さに達することもあるBPD障害の有病率は,一次医療場面では約6%,精神科外来診療所の受診者の約10%精神科入院患者の約20%とされる。
<原因>
BPDの概念が生まれた背景には精神分析理論があったこともあり、そこに生育環境を重んじる立場が主流であった。それらはM.クラインの理論を援用したO.カンバークの理論や、M.マーラーを援用したJ.マスターソンらの理論があげられる。しかし結局はその原因は不明であり、生物学的要因や環境因の双方の複雑な関与を示唆する様々なデータが得られている。

生物学的要因
DSM-5には以下の記載がある。「BPD一般人口に比してこの障害をもつ人の生物学的第一度親族に約5倍多くみられる。また,物質使用障害、反社会性パーソナリテイ障害、抑うつ障害および双極性障害の家族性の危険も増加する。」(APA, 2013) 実際にBPDの生物学的な要因に関する研究は数多く、いずれも遺伝的な負因やその他の生物学的な要因の存在を示唆する結果を示している。
遺伝に関しての研究からは、BPDの遺伝率(heritability 表現型の全分散に対する遺伝分散の割合)が37%~69%であると報告されている。Gunderson,J., Zanarini, M et al. (2011) Family Study of Borderline Personality Disorder and Its Sectors of PsychopathologyArch Gen Psychiatry. 68: 753762.)このことはBPDが結局は遺伝と環境因が同程度の影響を与えているという理解を導く。
 
また脳画像の所見からは前帯状皮質および眼窩前頭皮質の反応性が低下している一方で、扁桃核においては逆に反応性が高まっていると報告される。Schmahl, C., Bohus, M., et al. (2006). Neural correlates of antinociception in borderline personality disorder. Archives of General Psychiatry, 63(6), 659-667.,Siegle, G. J. (2007). Brain mechanisms of borderline personality disorder at the intersection of cognition, emotion, and the clinic. The American Journal of Psychiatry, 164(12), 1776-1779.Goodman, M,  Mascitelli, K., Triebwasser, J (2013The Neurobiological Basis of Adolescent-onset Borderline Personality DisorderJ Can Acad Child Adolesc Psychiatry. 2013 Aug; 22(3): 212219.
Gunderson,J., Zanarini, M et al. (2011) Family Study of Borderline Personality Disorder and Its Sectors of PsychopathologyArch Gen Psychiatry. 68: 753762.
これらの脳画像の所見は、BPDの生物学的な要因を示すというよりは、上に見たBPDの病態が脳機能のレベルで示されていると考えるべきであろう。情緒のコントロールが難しくて感情に流されやすく、衝動性が高いということは、その時の脳の所見においては前頭前野の機能低下と扁桃核の反応性の昂進にそのまま対応していることになる。そのような脳機能の特徴は半ば遺伝に規定され、同時に以下に述べる環境要因によっても決定されると考えるべきであろう。
環境的要因
環境因に関しては米国のガンダーソンのグループによる研究が知られる。それによればBPD91%に小児期の外傷体験が見られたという(Perry,1990)またBPDにおいては小児期における養育者からの離別、や虐待、ネグレクトが多いとされる(Zanarini,1989)。また我が国の研究(町沢)によれば、身体的虐待33%、性的虐待51%、情緒的虐待68%が報告されているが、彼は養育者の過干渉も指摘している。
また虐待をすべてのBPDの原因に帰することについては様々な見解がある。
「ガンダーソンは虐待が症状を生み出すのは、ネグレクトなど両親との持続する過度の葛藤があった場合のみとし、そのようなケースでは、環境に対する適応として症状が現れていると述べた(Gunderson, 1993)」← 禁断のウィキ様引用!!。
「リライト」すると、「ガンダーソンによれば、虐待そのものがBPDを生み出すのではなく、その素地となる両親との持続的なストレスが症状の発現の要因となっているGunderson, 1993)」これで「洗浄」は一応終えたことになるが、もちろん原典に当たって確かめなくてはならない。Wiki様は参考にさせていただいたということになる。
なお筆者の臨床体験からは、BPDにおける空虚感がしばしば「自分は親に望まれなかった」「親に決して愛されなかった」という報告や、それと対になる親への激しい恨みや怒りの表出と結びついていることを知ることが多い。そこにはBPDを有する人がポテンシャルとして持つ認知のゆがみや他者の心情を察することの限界が伺える。BPDの多くに発達障害的なニュアンスが感じられることは多くの臨床家から聞く事が多い。そしてそれが近年BPDの治療として知られるMBT(メンタライゼーションを基礎とする治療)の有効性にも繋がるものと思われる。このことはまた幼少時の虐待によるBPDの成立という短絡的な考え方よりは、(原因の特定されない)幼少時の親とのミスコミュニケーションやストレスによりBPDの病態が修飾される、というより広い視点へと繋がるであろうと思われる。
 Gunderson JG and Sabo AN (1993). “The Phenomenological and Conceptual interface between Borderline Personality Disorder and PTSD.. American Journal of Psychiatry 150: 19-27.
Perry,J.C.,Herman,J.L.,van der Kolk,B.A.,& Hoke,L.A. (1990). “Psychotherapy and psychological trauma in borderline personality disorder”. Psychiatric Annals 20: 33-43.
Zanarini,M.C.,J.G.Gunderson,M.F.Marino,E.O.Schwartz,and F.R. Frankenburg. (1989). Childhood experiences of borderline patients.. Comprehensive Psychiatry 30: 18-25.
Zanarini,M C.,A.A.Williams,R.E.Lewis,R.B.Reich,S.C.Vera,M.F.Marino,et al. (1998). “Reported pathological childhood experiences associated with the development of borderline personality disorder.”. American Journal of Psychiatry 154: 1101-1106.

町沢静男 2005)『ボーダーラインの心の病理  自己不確実に悩む人々』 創元社

2017年1月25日水曜日

BPD 推敲 ②

<基準3> 同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像または自己意識
<基準6> 顕著な気分反応性による感情不安定性
<基準7> 慢性的な空虚感
BPDにおける同一性の問題は、彼らが体験する慢性的な空虚感と切り離して考えることは出来ない。彼らは通常は自らが空虚で、自分はだれか、何を欲しているのかがわからないという感覚にとらわれる。これはしばしば抑うつ的な気分とも関係する。何をやっていても楽しくない、自分を発揮したり、没頭したりすることが出来ない。その空虚感はしばしばギャンブルや薬物依存の形をとるが、同様に異性との交遊関係に向かうこともある。彼らは一時的にある趣味や思想、嗜好に傾倒し没入することがあるが、それが持続せずに浮動し、一定しない傾向にあり、それが再び空虚感を増幅させることになる。その意味ではBPDを気分障害の一種としてとらえる見方をする専門家も少なくない。患者の語る日常体験にはしばしば軽躁的で活動的な気分と抑うつ気分の間の変動が見られる。前者の際には対人関係を広げ、様々な計画を立てるが、後者の気分に陥るとそれが空しくなったり、自殺願望が頭をもたげてくる。午前中は興味を持てていたことが午後には煩わしいだけになってしまうというような体験を持ち、それが対人関係や社会生活上の障害となる場合も少なくない。
<基準4> 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、過食)
<基準5> 自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為のくり返し
 自傷傾向や自殺の衝動はともに上述のBPDに特有の空虚さに関連している。彼らはいかなる活動によっても、自分が生きていて心から楽しみ、没頭するような体験を得られない。その代りに慢性的にむなしく、生きていることを苦痛に感じる。彼らは一時的にでも自分を満たし、喜びを与えてくれることに走るようになる。それが放埓な消費行動や性的行為、物質乱用などの、いわゆるスリルを追い求める行動 thrill-seeking behavior なのである。もちろんそれらの行動は止んでしまうと、あるいはそのレベルに耐性がついてしまうとさらなる空しさや抑うつ感を生む。そのために彼らは再びそれらのスリルを求めての行動に走るという繰り返しとなる。BPDにおいてこのような傾向が対人関係に及び、相手からの注意を惹き、つなぎとめておくための手段として、自殺の脅しは自傷とともにしばしば用いられるが、自殺はまた空しさからの逃避、半ば深刻さを伴った試みでもある。実際にBPD810%は実際に既遂自殺に終わる。そのために自殺の脅しを決して軽んじたり単なる見せ掛けのものと考えるべきではない。ただし実際には自殺の脅しがあまりに頻回に繰り返されるために、BPDにおける自殺衝動の深刻さを周囲も医療者も軽んじる傾向がある。
<基準8> 不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)
この基準8は、慢性的な空虚感をもとに解説した上記の事柄とは若干性質を異にする。それらによってはBPDにおいてしばしばみられる激しい怒りの表出を十分説明することができないからである。BPDにおいてみられる衝動が通常の衝動と異なるのは、前者においては通常のちになっても後悔の念があまり語られないからである。普通なら「カッとなって思わず~してしまった」という反省や後悔、それに基づく謝罪の言葉が聞かれるような行動についても、BPDにおいては、さも当然といった言動や態度を続け、その行動が当人にとって確信的であり、同じような状況では再度繰り返される可能性を感じさせる。このことから、BPDにおける激しい行動は、その状況では周囲に対する配慮に優先するだけの情緒や価値観を伴ったものであったことがわかる。たとえばある患者が恋人との別れ話の際に、彼(女)との口論を続けるうちに仕事上の重要な会合を無断欠席したが、後になってもその重大さを認識する様子がないということが起きる。それはおそらくその患者の中では、恋人との二者関係が三者関係(会社への影響、恋人との二者関係を超えた第三者とのかかわり)に優先しているとの感覚があるからであろう。その意味ではBPDにおいては彼らの精神世界はいまだに前エディプス的な二者関係にとどまっているとも考えられる。
<基準9> 「過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状」
この診断項目は様々な含みを持つ。系譜としては1950年代にBPDの概念が提唱され始めた頃から論じられている問題、すなわちその精神病様症状に関連した項目がここに形を留めているとみることが出来る。患者はカウチの上で自由連想を促されると、連想が弛緩する傾向にあり、話の筋が追えなくなったり、錯覚、幻覚に近い体験を語ったりする。過去の出来事と現在との関連が曖昧になったり、自分の内側からの声が聞こえたり、見えないはずの誰かの影が知覚され、それにおびえたり、あるいはそれに語りかけたりするという様子がうかがえる。そのためにBPDは一見神経症水準にある人たちが統合失調症と踵を接しているのではないかという議論がなされたのである。(BPD border とは神経症と精神病の境目、という意味を有していた)。その後BPD者をフォローすることで彼らが統合失調症を発症することはなく、結局その意味でのボーダーラーンの意味も認められないことになった。

現実にはBPDの多くに実際に幼少時のトラウマがあり、それがフラッシュバックや解離の形でよみがえるという現象が観察される。解離においては幻聴、幻視、他の人格状態との混乱により生じる話の筋の追いにくさといった症状はしばしばみられ、それがこの基準9に相当する。

2017年1月24日火曜日

BPD 推敲 ①

境界パーソナリティ障害 BPD
 境界性パーソナリティ障害( Borderline personality disorder ; 以下本文ではBPDと記す)は、いわゆるパーソナリティ障害の代表的な存在といえ、対人関係、自己像、感情の不安定性や衝動性などを特徴とする(DSM-5)。BPDは、前世紀半ばより精神分析的な研究を通してその存在が認められるようになった比較的歴史の浅い精神障害であり、1980年の米国の診断基準DSM-IIIに記載されて精神医学の場に市民権を獲得し、ICDにおいては「情緒不安定パーソナリティ障害」として記載されている。従来「境界例」や「ボーダーライン」と呼ばれてきたものも、これに相当する。 
BPDの定義およびその病態
DSM-5(アメリカ精神医学会による)によれば、BPDの診断は以下の9項目のうち5つ以上に該当するものをいう。
1.      現実に、または想像の中で、見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力。ただし基準5.で取り上げられる自殺行為または自傷行為は除く。
2.      理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係の様式。
3.      同一性の混乱:著明で持続的に不安定な自己像または自己意識。
4.      自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費、性行為、物質乱用、無謀な運転、過食)。
5.      自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為のくり返し。
6.      顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2 - 3時間持続し、それ以上持続することはまれな、エピソード的に起こる強い不快気分、いらだたしさ、または不安)。
7.      慢性的な空虚感。
8.      不適切で激しい怒り、または怒りの制御の困難さ(例:しばしばかんしゃくを起こす、いつも怒っている、取っ組み合いのけんかをくり返す)。
9.      一過性のストレス関連性の妄想様観念、または重篤な解離性症状。

これらの基準をもとにBPDの病態について解説を加える。
<基準1.>「現実に,または想像の中で,見捨てられることを避けようとなりふりかまわない努力をする」
この項目はBPDの根底にある病理を表したものと言える。見捨てられることへの反応としては一方で強烈な不安を呼び起こすが、同時に見捨てようとしている(と当人が感じている)相手が決してその場を逃れられないような手段が選ばれ、それはその相手に対する激しい攻撃や目の前での激しい自傷行為という形をとりやすい。それがこの「なりふりかまわない努力 frantic efforts」)という表現に込められている。そしてその切迫性や深刻度が、そのままBPDの病理を反映していると言っていい。例えばある女性は恋人から別れ話を切り出されると激しく興奮し、相手の持ち物をマンションの窓から投げ捨て始めた。またある男性は付き合いをやめることを提案された相手の女性に執拗に電話をする、勤務先に押し掛けるその他のストーカー行為を始めた。ただし彼らは自らが精神的に依存していはいない人とは淡々と良識的なかかわりを維持することが出来るのが通常である。
<基準2> 「理想化と脱価値化との両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係の様式」

BPDを有する人は相手に対する惚れ込みや理想化を示す一方で、同じ人をそれとは逆に脱価値化の対象にしたり、憎悪を向けたりする傾向にある。一般的には自分を決して見捨てないと思えた対象に理想化を向け、その際過剰な奉仕や世話焼きを伴うために、相手は逆に狼狽し、それを負担に感じることが多い。その結果として相手が自分から距離を置き始めると感じるや否や、その対象の脱価値化に向かうというパターンを繰り返す傾向にある。この脱価値化においては、理想化をしていた際に否認していた相手のネガティブな側面を言い募ることで相手の怒りを買い、そのことで自分への陰性の注意 negative attention を引き出すことが目的とされる。そしてそのためにその場では相手をつなぎとめることが出来ても、結果的には相手を疲弊させ、不安を掻き立てることで不成功に終わることが運命づけられた自暴自棄な行為といえる。その意味では相手への脱価値化は一種の自傷行為というニュアンスもある。ただしこの脱価値化は、これ以上傷つきたくないためにその関係から逃避するという目的を暗に含む可能性もある。この脱価値化は通常は激しい感情状態で生じ、高い衝動性を伴うために、相手への攻撃や自傷行為という行動化を伴うことが多いが、のちにそれに対する反省や後悔が見られることが少ない。

2017年1月23日月曜日

BPD ⑪

<薬物療法>
後者に関しては、このBPDの概念が提出された当初考えられていたような精神病的な要素は少なく、抗精神病薬を中心とした薬物療法も著効は示さず、また精神安定薬については嗜癖を促しやすいという傾向があり、むしろ気分障害などの併存症への薬物療法を用うことが多い。以下はかなりWIKI様の引用。とにかく
平島奈津子、上島国利、岡島由香 8 境界性パーソナリティ障害の薬物療法」『境界性パーソナリティ障害日本版治療ガイドライン』 金剛出版、20089月、p135-152(※)
からの引用が多い。ざっと以下のとおりである。
「米国精神医学会では2006年のガイドラインにて、副作用の少なさなどの観点から、第一選択は選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRI)を推奨し、著功しない場合は他の抗うつ薬への切り替えが考えられるが、三環系抗うつ薬は衝動性にはマイナスになる場合がある。被害念慮のある場合などは、低容量の抗精神病薬の使用は有効である。日本の厚生労働科学研究事業による2008年のガイドラインでは、原則として単剤療法が推奨される[]。第一選択として、有効性の示されている非定型抗精神病薬のアリピプラゾール(エビリファイ)あるいはオランザピン(ジプレキサ)を、脱抑制の危険性を避けるため統合失調症に用いるよりも少量で用いることが推奨されている[]。不安や抑うつに対してはSSRIや非定型抗精神病薬が推奨される[]。気分安定薬では、バルプロ酸ナトリウム(デパケン)やトピラマートが衝動性に対してある程度の効果が確認されているとされるが、過量服薬時に危険であることも指摘されている[]。なおこれらの薬物療法は、抑うつ、感情抑制、対人過敏、認知・知覚の障害や妄想様観念には一定の効果があるが、慢性的な空虚感、孤独感、見捨てられ不安、同一性障害には効果がないとされ、患者の治療法は一律ではない。過量服薬の危険性を考慮すると、より安全性が高く依存性が少ない薬剤の選択、および少量で最大の効果が望める薬物療法が求められる。多剤併用、長期投与の有効性は確認されていない。なお抗精神病薬に関しては専門家の間でも、統合失調症と同じ容量ではなくごく少量を投与するべき、という意見の合意が得られている。」(ウィキ様(「境界パーソナリティ障害」より引用)
どうだろうか。私が個人的に付け加えたいことは以下のことだ。思考のまとまりのなさや自生思考が強い患者に少量の抗精神病薬(リスパダール0.51.0ミリなど)が著効を示すことがある。試みの使用はおそらく躊躇するべきでない。ただし副作用が強いだけだったら、もちろん中止する。また個人的には圧倒的にラミクタールを推薦する。何人の方を救ったことか?ラミク様様である。さらには抗鬱剤の中ではイフェクサーだろう。米国での効果は実証済み。SNRIだが働きはSSRIに近い印象。