2022年7月31日日曜日

パーソナリティ概論 推敲 4

 カテゴリカルモデルからディメンショナルモデルへ

PDの概念の最近の動向に関して触れておかなくてはならないのは、いわゆるカテゴリカルモデルからディメンショナルモデルへの移行である。カテゴリカルモデルとは、従来のICD,DSMに見られた、いくつかのPDの類型(カテゴリー)を挙げ、患者の示す臨床所見をこれらのいずれかに当てはめるという考えに基づく。その代表が、DSMに提示されている10PDである。しかしこのモデルについてはかねてから問題が論じられてきた。それを一言で言い表すなら以下のようになろう。
 「特定のPDの診断基準を満たす典型的な患者は、しばしばほかのパーソナリティ症候群の診断基準も満たす。同様に患者はただ一つのPDに一致する症状型を示すことが少ないという意味で、他の特定されるまたは特定不能のPDがしばしば正しい(しかしほとんど情報にならない)診断となる。」DSM-5 big book p. 755
  つまりカテゴリカルな診断ではPDのいくつかが同時に診断されてしまうという現象が起きてしまうということだ。たとえばBPDを満たす患者の一部は自己愛PDや反社会性PDを同時に満たしてしまう可能性がある。これはPDとして概念化される幾つかのPDについての疫学的なデータを集積させることに深刻な問題を及ぼすことになる。つまりカテゴリー的なPDはそれぞれの概念は直感的に理解できるものの、実際にどのように分布してどれだけ多く存在するかといった疫学的な視点は希薄であった。そのため、例えばⅡ軸に記載されるPD1軸の精神障害の合併が効率であったことによる多軸評定の撤廃(赤119)、NOSの存在が多くなったこと(同じく赤119)診断閾値に基づく現代医学的なアプローチと矛盾していること(9つのうち5つを満たせばOK、といういわゆるポリセティックな診断方式では、あまりにもそれに該当するケースの異質性が目立つ)などの修正がDSM-5の第2部のPDの記載ではでは加えられたのである。
  カテゴリカルモデルの問題が論じられるようになったことに並行して、パーソナリティ心理学の分野で大きな進展があった。従来性格を表現する言葉は数多く提唱されたが、統計的な手法(因子分析)を用いていくつかの代表的なパーソナリティ傾向が抽出されたのである。それらは個々人が持つ傾向としては重なり合うことが少なく、いわば独立変数のようにふるまうことが実証されたのだ。それらの代表は、Costa, P.T. & McCrae, R.R.4)や、Trull T.J.5(2007)による4次元モデルであった。そして各人のパーソナリティはそれぞれが独自の強度を持つこれらのパーソナリティ傾向により構成されると考えられるようになった。これがディメンショナルモデルである。
  これらのパーソナリティのディメンショナルな評価は、一般人のパーソナリティ傾向に関する研究であったが、それらが誇張されて病的な形で表れたものを、精神医学におけるPDの診断に応用する動きが高まった。
   ただしカテゴリカルなモデルからディメンショナルなモデルへの移行は決してスムーズとは言えなかった。臨床家の多くは、カテゴリカルモデルが臨床的な判断を用いる際にも重宝であると主張し、ディメンショナルモデルを推奨する研究者たちとのギャップが存在していたという6)。DSM-5で提示された代替案におけるハイブリッドモデルは、ある意味では二つのモデルのあいだを取ったもので、今後正式に採用される可能性があるという。
   他方では2018年に原案が示され、現在世界的に使用が開始される予定のICD-11においては、ディメンショナルモデルが全面的に採用された。このDSMICDの明確に異なる方針は、PDをめぐる現在の識者たちの意見の相違をそのまま表しているともいえる3。ただしこのことはこれまで十分なエビデンスの支えもなく論じられてきたPDの概念が、より現代的な姿に生まれ変わるために必要なプロセスとも考えられよう。さらには最近極めて頻繁に論じられる発達障害とPDとの関係性をめぐる問題も今後絡んでくる可能性もあろう。
  しかしこのモデルは診断自体に重複が多く、また個々のPDが高い異種性heterogeneityを備えていること、すなわち様々なPDの混在状態であることが指摘されてきた。それに代わって登場したのがこのディメンショナルである。
 カテゴリカルモデルからディメンショナルモデルへの意向にはいわゆるRDoCプロジェクトという背景があった。PDの疫学というテーマで論じなくてはならないのが、米国立精神衛生研究所(NIMH)によるRDoC Research Domain Criteria研究領域基準)である。これは観察可能な行動のディメンション及び神経生物学的な尺度に基づく精神病理の新しい分類法であるという。そこで掲げられているパーソナリティ特性は一種のシステムレビューに似ているということである。このモデルが提起された背景には、DSMICDに基づく研究が、臨床神経科学や遺伝学における新たな進歩による治験を取り込むことに失敗しているという提起があったからだという(Insel, 2010).

 Insel, T., Cuthbert, B. Garvey, M, Heinssen, R., Pine, DS,  Quinn, K., Sanislow, C., Wang, P: Research domain criteria (RDoC): toward a new classification framework for research on mental disorders. Am J Psychiatry  2010 Jul;167(7):748-51.

RDoCプロジェクトは、様々な症状をディメンショナルかつ詳細に評価し、それを遺伝子、分子、細胞、神経回路などの回想と照合するものであり、本プロジェクトにより検査に活用できるバイオマーカー開発、精神障害の病因・病態解明、さらには精神科領域での個別改良の実現が期待されている。(尾崎紀夫、2018

尾崎紀夫 「診断」という「線」を引くこと. 精神医学 6078, 2018

その骨子にあるのが、「精神疾患は脳の神経回路の異常による」という考えだ。もちろんその神経回路は複雑な遺伝・環境要因と発達段階により理解されるものだ。(橋本亮太、他 Research Domain Criteria (RDoC) プロジェクトの概念.  精神医学 60916, 2018)。米国の精神医学研究の中心となるNIMHが今後研究をDSMではなくRDoCに基づいて行うと発表したために、一気にこの動きが加速することとなった。(ただしここには政治的な動きもあるらしく、それだけにこれに対する反対も根強いのではないだろうか。正直な話、一本の神経回路が一つの症状、というわけでもないし、これもまた単純化が過ぎるという気がする。やはりアメリカのやることって、大ナタを振るい過ぎだろう。DSMの流れもそうだったし。

橋本亮太、他 : Research Domain Criteria (RDoC) プロジェクトの概念.  精神医学 60916, 2018

 

2022年7月30日土曜日

パーソナリティ概論 推敲 3

 PDの概念はまた精神分析理論の影響を受けている。Freud は子供の発達段階におけるリビドーの固着とそれぞれに特有の防衛機制について考え、そのうちどれが主として用いられるかにより特有のパーソナリティが形成されるという考えを示した。Freud は「性格と肛門愛(1908)で肛門性格について論じ、「几帳面、倹約家、わがまま」の三点を挙げた。これらは肛門領域に快感を持っていた子供が、その欲動が交代した時に残る性格傾向であるとした。
Freud, S : Character and Anal Eroticism. SE.IX, 1908 性格と肛門性愛(道籏泰三訳)フロイト全集9 岩波書店、東京 2007 

Abraham, K (1953)は,精神性的発達の停止と関連づけられた性格論(口愛性格,肛門性格) を提示した。そして口愛性格に関してはリビドーが口愛期に固着すると、情緒的な依存性や口愛的な嗜好性(食物・喫煙・飲酒)を有する性格を得るとしたAbraham, 1924。土居はそれを「いつも相手に期待し、何事についても誰かが自分の為にお膳立てしてくれるものと決め込むタイプ」としている。(精神分析事典、項目「口唇性格」)

Abraham, KThe influence of oral erotism on character formation. In. Selected Papers of Karl Abraham. Hogarth Press and Institute of psycho-analysis, London, 1927, 前野光弘訳 「性器的」発達段階における性格形成 アーブラハム論文集 - 抑うつ・強迫・去勢の精神分析. 岩崎学術出版社, 1993

それらの議論を引き継いだ Wilhelm Reich は性格分析という概念を提出し、それが個人にとっての防衛となっているという考えを新たにした。彼は schizoid, oral, psychopathic, masochistic, hysterical, compulsive, narcissistic, or rigid などの性格構造について論じた。

Reich, W. Character Analysis (Chapters I-III), 3rd, enlarged edition, (1990) 

Guntrip, Harry Personality Structure and Human Interaction, London: Hogarth Press, (1961) quoted in Boadella, David (1985) Wilhelm Reich: The Evolution of His Work, London: 54. 

精神分析的なPD論が一つの隆盛を見せたのは言うまでもなく全盛期半ばより始まったBPDに関するものであった。それは一見神経症圏にあるものの精神分析治療の適応となりにくい一群の患者がHoch, PH (1949) Polatin P. Robert Knight 1953)により見いだされたことに始まった。そして1970年代以降Kernberg によりその精神分析な理解やそれに基づく精神分析的精神療法が論じられるようになった。とくにKernberg のまとめた「境界パーソナリティ構造」の概念は、他の様々なPDを含んだより広い上位概念であるといえる(Kernberg, 1967福井P21)。そして同時にGunderson(1975) ,Grinker (1968) らは精神医学的な症候学や疫学の見地からBPDをとらえようという立場を生んだ。これ以降BPDPDのいわば代名詞としての位置づけを得ることとなった。これらの議論を取り込んだ形でなお精神分析的な色彩の強いDSM-Ⅲが1980年に成立したという経緯がある。

Gunderson, JG, Singer, MTDefining borderline patients: An overview. American Journal of Psychiatry, 132;1-10. 1975
Grinker RP, Werble, B, Drye, RCThe borderline Syndromes: A Behavioral Study of Ego-function. New York, Basic Books. (1968

その流れて言及されるべきなのは、米国において1970年代より盛んに論じられるようになった性的身体的トラウマと精神疾患の関連であった。その中でもJudith Herman による複雑性PTSDの議論はICD-11でのCPTSDの採用に繋がったが、そこで論じられたのは、幼少時ないしは繰り返し体験されたトラウマが人格形成に及ぼす深刻な影響であった。

Herman, J.L (1992) Trauma and Recovery. Basic Books. New York. 中井久夫訳(1999)心的外傷と回復. みすず書房
Herman, J.L. Complex PTSD: A syndrome in survivors of prolonged and repeated trauma Journal of Traumatic Stress.
5; 377–391.  (1992)

 松木邦弘・福井敏 編著新訂増補 パーソナリティ障害の精神分析的アプローチ 福井先生p・21)金剛出版(2019

Kernberg, O.: Borderline Personality Organization. J Am Psychoanal Association 15, 641-685. 1967

Kernberg, O.Severe Personality Disorders: Psychotherepeutic Strategies. Yale Univ Press 1984西園昌久 ()重症パーソナリティ障害―精神療法的方略. 岩崎学術出版社. 1997


2022年7月29日金曜日

不安の精神病理学 再考 14

  Nersessian 先生の論文で批判されている、フロイトの快-不快原則について考えて見るというテーマが残っていた。先生はフロイトがアイサ論文で言っているもう一つの点にも異議を唱える。それは不安もまた欲動の上昇に関わっているという説だ。不安は欲動が少し上昇することで、それを信号として知らせてくれる、というのだ。(しかしそれでは鬱積不安説と変わらないことになるが…)そしてその根拠としてフロイトが用いている快-不快原則が、先生にはお気に召さないという。それはそもそもフロイトの欲動の上昇=不快、その解消=快 という図式が問題だという。それはもちろん言うまでもない。今の世の中に(少なくとも心の専門家なら)これを信じている人はあまりいないのではないか。脳科学的な知見を得た私達なら、快も不快も側坐核におけるドーパミン系のニューロン、アセチルコリン系のニューロンの興奮の比率により決定される(らしい)ことを知っている。そうして不安はフロイトが考えているよりもっと複雑で込み入ったものだという主張をしているのである。
 ここで私見を述べるならば、不安には明らかに健康を害するものと、適応を促進するためのもの、ないしは防衛として用いられるものがあるといえる。不健康な不安とは言うまでもなく、パニックのように襲ってくるものである。それは「将来の何に備えなくてはならないか」を全く教えてくれない。ただの空砲なのだ。これは不安の暴発と言えるものであるが、より緩徐で穏やかな不安はさまざまな意味で快原則にかなっている。これまで出した例では、不安になるからこそ統計のレポートを作成できる。不安になるから自分が進みかけている方向の行きつく先を顧みることが出来る。それに不安は将来の不快又は喪失に対する喪の先取りforetaste of mourning を可能にしてくれるのだ。超自我的な不安とフロイトが考えたものの多くはこのような意味を持つ。リボ払いのカードを使って買い物をするときに、不安になることは重要なのだ。不安の信号を送るものを回避することで私達はより安定した生活を送ることが出来る。
 この様に考えると不安障害は、不安サーキット(とさっそく名付けてしまった。要するに快-不快原則が正しく機能するために備わっている神経回路のことだ)が暴走する事態と考えることが出来る。
  この論文もようやく着地点が見えてきそうな気がする。

2022年7月28日木曜日

不安の精神病理学 再考 13

 ネットで拾った格好の論文を読んでみる。フロイトの不安概念について批判したものだ。

  Edward Nersessian, MD Psychoanalytic Theory of Anxiety;    Proposals for a Reconsideration(精神分析における不安の理論:その再考に向けた提案)

Nersessian, E (2013) Psychoanalytic Theory of Anxiety; Proposals for a Reconsideration. In eds: Samuel Arbiser, Jorge Schneider. On Freud's, "Inhibitions, Symptoms and Anxiety". Karnac Books.

 これはフロイトの不安理論を再考しようという趣旨の論文だ。

 そもそも精神分析は無意識の葛藤をめぐる議論だった。フロイトは心の中の二つの拮抗する要素の戦いを病理の根底に見出すということを最初から最後まで提唱し続けた。そこで不安は常にかかわってきたが、その定義は色々と変わったという。これはフロイト理論の宿命の様なものだ。私だったら過去に負った心の傷をその中核に置くだろうが、フロイトは根本的にこの種の発想がなかった。彼の共感能力の低さによるものだろうか? それはともかく・・・・。

 フロイトが最初に関心を持ったのは、カタルシス効果である。これは彼の原体験の様なものだったかもしれない。何しろ過去を思い出して感情を爆発させた患者さんの感情を表出すると症状が軽快するという現象を見て本当にすごいと思ったのだ。もちろんそのようなケースは数少ないのであろうが、彼はそれをプロトタイプにすると決めたわけである。過度の一般化である。そしてフロイトは欲動と感情は等価だと思った。貯留した欲動が感情となって吐き出されることが治療である、というゆるぎない信念が生まれた。しかしここで彼は感情と思考をどのように結びつけるかについても思案した。何しろ患者は記憶の痕跡を思い起こすのだ。そして思考は記憶痕跡の備給されたものであるのに対して、感情は発散discharge によるものだという。そして記憶を言葉にすることが治療になると考えたのであろう。「人間は思い出す代わりに反復する」わけであるが、彼にとっての思いだす、とは言葉にするという意味があったことを忘れてはならない。

NersessianThe whole difference arises from the fact that ideas are cathexis ultimately of memory traces, whilst affects and emotions correspond to processes of discharge, the final expression of which is perceived feeling.

それからNersessianは、フロイトの快-不快の問題についての批判を展開する。両者は互いについの関係にあるのではなく、それぞれが独立に存在し、混じりあうということを現代の脳科学は示しているという。ここの点は複雑なので後に取っておこう。というのも私は不安を論じる際に快と不快の問題は切り離せないと考えているからだ。数日前に書いたとおり、不安は将来の不快を少しずつ切り崩していくという意味を持っているからだ。
 そして彼は大切なのは不安は私たちにとって保護的に働き、不快は最終的に快を得るために必要であったりするのだ。そう、不安は役立つこともあれば、私達をむしばむこともあるのだ。
 Nersessian先生はフロイトがアイサ論文で不安はシグナルだと言っている事にも疑問符を突き付ける。フロイトはこれを外的な危険と内的な危険に対するシグナルだといった。特に内的な脅威が性的な欲動や攻撃性だと考えたことについて、「いやいや、不安だから攻撃性が発動されるんでしょう」とも言っている。いずれにせよフロイトの「内的な脅威=欲動の高まり」は事実上破綻しているのだから、先生の言うことはもっともだというしかない。
 Nersessian 先生は次に、恐れと不安を区別することは実は難しい、とこれもまっとうなことをおっしゃる。両方ともApprehension(「 気がかり」と訳しておこう)に関係し、不安はより長期的な気がかりであり、恐怖とは短期的な気がかりであるという。そしてこれは外的であろうと内的であろうと働く。(ただしNersessian 先生は「内的」を「ファンタジー」と言い直している。これだと理屈にかなう。想像する危険も、実際の危険も同じように不安を呼び起こすというわけだ。

最後の部分でNersessianは結構重要なテーマにも言及する。それはアイサ論文でフロイトが述べた超自我不安とは、懲罰の恐れだけではなく、共感に由来するものもあると言っているのだ。つまり人を傷つけるのではないかという不安は、そのことにより懲罰を受けることに由来するのではないということだ。


2022年7月27日水曜日

パーソナリティ概論 推敲 2

 これだけ新しく書くのに二時間。推敲、なんてとんでもない。先が思いやられるなあ。

PDについて論じる上で Ernst Kretschmer の気質・病質論精神病の議論を忘れてはならない。ドイツのチュービンゲン学派を代表する Kretschmer (1950) はパーソナリティの中心に気質 Temperament を考え、体質(肥満型 Pyknikers.無力型 Leptosomen,闘士型 Athletikers)と気質(循環気質 cyclothymia、統合失調気質 Schizothymen、粘着気質 viscöse temperament)とを結びつけた3類型を提示した。彼は体型,気質と病質,自律神経系機能などの特徴がそれぞれの精神病患者の病前性格や近親者に認められるとした。 Kretschmer のこの理論はPDを超えた精神医学全体を俯瞰した理論であったことが分かる。

Kretschmer E. MeinischePsychologie, Zehnte, verbesserte und verrnehrte Aufiage. Georg Thieme; 1950西丸四方,高橋義夫.医学的心理学I.IIみすず害房; 1955.
Kretschmer E. Korperbau und Charakter. Springer-Verlag; 1955相場均(訳). 体格と性格文光堂:1960.

2022年7月26日火曜日

不安の精神病理学 再考 12

 そして1926年の「制止、症状、不安 Inhibition, Symptoms and Anxiety」で彼はその学説を大きく変える(反転させる)ことになる。(私は昔からこれを頭文字を取ってISA(アイサ)論文と読んでいる。)「ここでは不安が抑圧を作り出すのであり、私がかつて考えたように抑圧が不安を作り出すのではない。」(岩波19p108109)つまりワイン→酢、ではなく酢からワインという方向を主張するのだ。しかしそれでも鬱積したリビドーが不安症状を生む、という主張についてもちょこっと触れている。そして「この考えは間違えだったわけではない」的な消極的な書き方、一種の負け惜しみをしている。フロイトはいつもこういう書き方をする。

このアイサ論文でフロイトが述べていることは概ね常識的だ。そこでカタストロフィーが不安を呼ぶというまっとうな理論へとフロイトは歩を進めたが、そこでのカタストロフィーとは、結局喪失や分離の危険に対するものであるとする。ちなみにこれは死の危険ではないというのがフロイトの特徴的な考え方だ。というのもフロイトによれば、無意識は、死を想像し得ないからであるという理屈だ。不安は現実的な不安(外部から迫ってくる危険によるもの)と神経症的な不安(衝動の要求からくるもの)に分けられること、不安はリビドーが抑圧されて変換されたものではなく、不安が抑圧を生むのだ、ということを述べた。それともうひとつ、不安の型を 1)対象を失う恐れ、つまり分離不安 2)愛を失う不安  3)去勢不安、4)道徳的不安―超自我不安 に分けたのだ。

 

2022年7月25日月曜日

不安の精神病理学 再考 11

  少しフロイトの不安概念について整理しなくてはならない。ただこれは生易しいことではない。彼の不安概念は色々変遷したのだ。結局は続・精神分析学入門(1933)あたりになってようやく固まってきたということだ。(フロイトが10年長く生きたら、これもまた変わっていたかもしれない。)フロイトは一つの学説を立てると、それまでの自分の説を否定することが多いが、それでもどれが正しかったかという議論はさておき、面白い考えをたくさん提示している。というよりもフロイトがどうしてこれほど不安に固執したかが興味深い。おそらく彼は不安をたくさん抱えた人だったのだ。

 フロイトが不安について語りだしたのは、精神分析を確立する前の話だ。1895年の「『不安神経症』という特定症候群を神経衰弱から分離する理由について」で不安について論じ、そこでリビドーの鬱積して生じる不安という意味で「鬱積不安説」を説いた。そして1898Sexuality in the Etiology of the neurosis.ですでに述べている。

現実神経症:不安神経症、神経衰弱、心気神経症
精神神経症:ヒステリー、強迫神経症、恐怖症、自己愛神経症

発想としては、正しいセックスが出来ないとリビドーが不安に転嫁されてしまいますよ、ということだ。フロイトは実は性交中絶からくる不安もこの類だと考えていた。ここでリビドーを単純に「報酬」に置き換えたら少しはわかるだろうか。性交中絶により報酬が得られなくなると不安になる、とフロイトは考えたことになる。しかしこれはむしろ落胆、フラストレーションに近いと思うのだが、フロイトはこの時はこれをまだ不安と呼び続けたのだ。これは私たちが今読むと「え、どうして?」と思うだろう。「ヤリ過ぎ」による腎虚という古臭い概念を私たちは知っているが、性生活と神経症との関係を私たちはあまり重視していない。フロイトはそうではなかったのだ。しかしフロイトはもっと普通の不安についての発想を持つようになる。
 フロイトは「性欲論のための3篇」(1905年、岩波6 p289)に1920年に付けた注で、不安についてこのようなことを言っている。
 ある3歳の少年が暗闇で叔母さんに話しかける。暗闇が怖いので返事をして欲しいという。そして叔母さんの声を聞いた子供は安心する。叔母さんが「部屋は暗いままなのにどうして安心するの?」と尋ねると男の子は「叔母さんの声を聞くと明るくなる」と言ったという。フロイトはこのようにして不安は愛する対象の不在によるものだとする。さてここからがフロイトの意図を読めないのだが、フロイトはこのことから神経症の不安がリビドーから生じること、そしてリビドーが不安に変換されるのは、酢とワインの関係だ、という。ワインというリビドーが酢という不安になるということだ。この理屈が分からない私はバカなのだろうか。いやそんなことはない。フロイトは後にこのリビドーが抑えられた結果として不安が生まれるという説を否定するからだ。
 3歳の男の子の例の方がむしろ分かりやすいだろう。不安が叔母さんがそばにいることを実感するという「報酬」により解消された。不安は暗闇に一人置かれたという危機的な状況により生まれる。この方がずっとスッキリする。この場合は酢からワインへ、という方向になる。この説の方が分かりやすい。
 フロイトが「性欲論三篇」(1905)にこの注を付けたのは1920年だが、すでにフロイトはこの不安学説に矛盾を感じていたのだろう。

2022年7月24日日曜日

パーソナリティ概論 推敲 1

だいたいテクストが定まってきた。 

1概念と病態

 はじめに

 本章は従来パーソナリティ障害(パーソナリティ症)personality disorder PDと表記して用いることにする。
PDの概念は古い歴史を持つとともに、今なおその内容や分類において姿を変えつつある。PDのいわば代表として1970年代以降議論を盛り立てていたBPDに関しては、最近そのケースが少なくなっているという臨床家の声が聞かれる一方では(林、衣笠、)近年では発達障害や、特にわが国での引きこもりとの関連は様々に論じられるようになっている(衣笠、2019)。また最近では複雑性PTSDICD-11への採用とともに、トラウマとPDとの関連についても議論されている。
上記のような最近のトピックに加えて、その分類についても近年いわゆるディメンショナルモデルとカテゴリカルモデルの二つが提出され、DSM-5ICD-11で異なるモデルが提出されるに至っている(林、2019 p144)。私たちはPDの概念の歴史を振り返りつつ現在のPDをめぐる議論について理解し、それを臨床に役立てる工夫をしなくてはならない。
 この章では限られた紙数ではあるが、まずパーソナリティ症の概念及び病態について論じ、次に疫学的な考察に触れ、さらに診断と治療について論じる。

1 概念と病態

PDの本質をどのように理解すべきかについてはさまざまに論じられてきた。DSM-5はそのような歴史を踏まえて以下のように包括的に定義している。

「その人が所属する文化から期待されるものから著しく偏り、広汎でかつ柔軟性がなく、青年期又は成人期早期に始まり、長期にわたり変わることなく、苦痛又は障害を引き起こす内的体験及び行動の持続的様式である(DSM-5)」そしてそれは認知、感情性、対人関係機能のうち二つ以上に見られるとする。この定義ではそれが始まる時期として青年期以降と定めている点が特徴と言える。

他方のICDの定義はより詳細である。

「自己側面における機能障害(例えばアイデンティティ、自己価値、自己主導性のキャパシティ)及び/又は対人機能における問題(例えば親密で互恵的な関係性の構築と維持、他者の観点の理解、対人衝突への対処)により特徴づけられるような持続的な障害である。」

 ICDの定義はDSM5にあるような「青年期や成人期早期に始まる」という縛りを設けていず、それが小児に適応される可能性も残しつつ、ただ思春期以前にはあまり適応されないというやんわりとした制限を設けている。そしてこの定義自体がディメンショナルモデルを反映していると言えよう。このモデルではPDそのものを一つの診断名としているというニュアンスもあるために、その定義もより詳細で具体的である。
 このDSM-5ICD-11にみられるPDの定義はその本質についての議論を概ね網羅していると考えられるが、この概念の辿った歴史は長く、紆余曲折が見られた。

19世紀にはフランスのBénédict A Morel (1852-1853) Valentin Magnan (1886)などによって,心的変質論 dégénérescences mentales)が展開された①②。特にMorel は変質をダーウィンの進化論の意味における退行や先祖返りと考えた。(アッカークネヒト68)彼はそれを広い範囲の精神障害や病的状態と関わる遺伝的特質や体質的異常のためであるとし、一部の人々の示す異常な行動を親から子に遺伝しながら障害としてとらえた。これは解剖学的には変化のみられない精神疾患を病因論的に分類するという試みであり、当時全盛だったダーウィンの進化論と深く結びついていた(アッカークネヒト、p65)。その考えは J-M Charcot に至るまでフランスの精神医学界を席巻した。

2022年7月23日土曜日

不安の精神病理学 再考 10

 ちなみに不安と予期との関係を考えていくと、まさにOCDobsessive compulsive disorder がそれだ。日本語ではまとめて「強迫性障害」となり、obsession 強迫思考と、compulsion)強迫行為を区別できないが、前者はヤバい思考であり、それを搔き消すために後者が行われるという仕組みである。鍵をかけていないかも知れない、という強迫思考 obsession が生じ、鍵をチェックするという行為 compulsion によりそれが(一時的にではあれ)解消する。その繰り返しである。「鍵がまだかかっていないのではないか」、という考えがなぜ不安なのだろうか? おそらくそこに合理的な説明は何もない。しかし「どうして鍵をかけていないことが不安なのですか?」と問うと、当人からは大袈裟ながら全く否定することもできない答えが返ってくるだろう。「外出して不在の間に誰かが押し入って金品を奪って逃げてしまいます」という答えである。思考は簡単に魔術的になり得るから、そこにいかなる一見荒唐無稽な考えも入り込む余地がある。何も不安がないような生活を送っていても、「いつ巨大地震が起きるかわかりません。それが不安です。」と言う人の非合理性は完全には否定し去ることはできない。たしかにその通りだからだ。とすると私たちはその種のカタストロフィーについて考えることを中止できているのかもしれない。あらゆるリスクを考えると、不安で生きていられないからだ。

あるSを患った患者さんが不安を訴えるので、例えば何が不安かを尋ねると、自分が膝の上に置いている革の鞄をさして、「たとえばいつこの鞄が突然ぶっ壊れるかわかりません」とおっしゃった。これも全く否定し去ることはできないが、どうせ壊れて困るのなら、自分の健康状態や病院の行き帰りに使う公共交通機関の方だろう。不安の先を手っ取り早く目の前に定位させたというこの患者さんは、そもそも不安が浮動性のものであり、それはかなり恣意的に何らかのカタストロフィーに容易に結びつけることが出来るという事実をさす。つまり不安はそれが先立つこともこのようにあるというわけだ。

昔勤務先の大学の学長が、会議の最中に大動脈解離で急死された。大動脈のいくつかの筋肉の層の一部が突然一気にはがれて心停止に至る、ということが起きたわけだが、この瞬間にも自分の大動脈がちゃんと剥がれないことが奇跡に思えてしまう。昨日は健康的な不安、という感じで書いたが、この種の浮動性の不安は、まさに病理と言えるのではないだろうか。

2022年7月22日金曜日

不安の精神病理学 再考 9

  この様に考えると不安は、安心感、安堵感との関係において論じられなくてはならないことにある。不安の種になっている事柄を解決することで、不安は安堵感に置き換えられる。これもまた私たちが望んでいることである。私たちの多くが人生の中で求めているのは、快楽であると同時に安堵である。というよりは安堵は快楽に変換される?
 一つ例を考えよう。夏休みになった。毎日遊んで楽しく過ごそうと思う。しかしふと不安の影がよぎる。あるレポートを提出しなくてはならない。それも私が大嫌いな統計学のレポートだ。しかもそれは必ず出さないと進学できない。でもそれを書くことには全く興味がない。一種の苦行である。そこで私は不安に駆られる。ひょっとしてこのレポートを自分は出せないのではないか。「そんな馬鹿な!」と思う。しかしこのレポート作成に取り掛かる気力やモティベーションを全く感じないのだ。これは不安材料以外の何物でもない。そこで考えた。レポートはだいたいA4で5枚くらい書く必要がある。いちにち10行書いたら、20日で終わることになる。幸いレポートの質を問われることはあまりない。しっかり夏休みの間にも勉強するように、という意図で出された課題だ。そこでとりあえず必死の思いで10行だけ書いてみる。やった。出来るではないか。これで全体の20分の一は終わったことになる。こうしてあなたの不安は以前より5%減って、95%になった。

あなたは安堵するだろうか。おそらく。ほんの少しの安堵ではあるが、ないよりはましだ。不安の一部は安堵に代わった。それは将来の苦痛を先取りした結果である。夏休みが終わる直前に死ぬ思いをして統計のレポートを書くことの苦しみを100とするならば、それは95に減ったからだ・・・・

さてこの安堵は、純粋な快とは異なるのだろうか。純粋な快として、例えばタバコやビールや、美味しいケーキを味わった時のことを想像しよう(私には最後の一つのみ該当)。もしあなたが本当にこのレポートのことで悩んで不安に思っているとしたら、それは恐らくこれらの嗜好品による快楽とあまり変わらないだろう。そしてあなたはその10行を書いている時、まったくの苦行ではなく、ある種のモティベーションさえ持っているかもしれない。これを書いたら少し不安から解放される、と思うことは、純粋の快とあまり違わないのかもしれない。

この様に考えると不安は私たち生物が、特に未来を予測することのできる人間がその報酬系に備えた極めて重要な信号であるとも言えるだろう。健全な不安、とでもいうべきであろうか。そしてその声に従って生活することで、人生はよりよく生きることが出来るようになるのだ。