久しぶりに何も書く気になれない。今日も大部分のクライエントが来院。それぞれが震災のストレスを被っている様子。3月11日の震災そのものというよりは、それから続く余震の恐怖、福島原発に関する不安、買い占め、ガソリン不足、そして後ろめたさ。震災の瞬間は恐怖というよりは驚き、興奮。その瞬間は倒れそうな本棚を抑え、あるいは必死の思いで建物から脱出し、高揚感すら体験しても、その後が延々と続くストレスと復興に向かう長い道のり。これがボディブローのように効いてくるのであろう。
今日は私がもっとも大切に思っていた先生の訃報を伝えられた。でもインターネットでその先生の名前を検索しても訃報は何も伝えられていないから、まだ誤報ではないかとさえ思ってここには書けない。歳を取ることは、それまで偉大な先輩として直接間接に接していた人々を次々と失っていくプロセスである。吉田哲雄先生、小此木啓吾先生、土居健郎先生とお見送りした。でも昨日亡くなった先生は私にはとても大きな意味を持っていた。精神科医でありながら、精神病理学者でありながら[この「ありながら」というのは余計だが)非常に慎み深く、謙虚な先生であった。合掌。