2013年5月17日金曜日
精神療法から見た森田療法 (11)
そして次に、いよいよ技法的な話に移っていく。森田療法には5つのガイドラインがあるというのだ。うれしいではないか。(私たちは、3つの、とか5つの、と聞くと何か実質的な内容をもらう気がする。)それらは1.「感情の自覚と受容を促す」2.「生の欲望を発見し賦活する」3.「悪循環を明確にする」4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」の5つだ。中村論文は次にそれぞれの項目についての説明へと移っていく。
1.「感情の自覚と受容を促す」
神経症においては、不安や恐れを除去しようと努めるが、それを扱うためにはまず、それらの存在を受容しなくてはならないという。具体的には「あの時どのように感じましたか?」という質問を繰り返す。そして感情はやがて収まる運命にあり、それを「感情は天気、不安は一時の雨模様」というメタファーで表現するという。
私の文脈では、気分といえども人間の心に起きた自然現象であり、「平均への回帰」の原則に従うということである。
2.「生の欲望の発見と賦活」
生の欲望という概念は森田に特徴的といえるかもしれない。中村論文によれば、これには二つある。症状に結び付いたものと一般的なもの。たとえば社交恐怖の症状の裏側には「人からよく思われたい」がある。しかし治療が本格的になれば、症状とは別の欲望に焦点があてられるという。そして「治ったら何をしたいのですか?」等の問いかけをする。
ちなみに私も診療場面で趣味や生きがいについて、よく患者さんと話す。私は基本的には精神障害、特にうつ病圏をその人の人生における報酬刺激の少なさとして理解する。だから好きなことに専念することはその人の精神衛生を向上させる上でいい。きっと脳の中でBDNF(Brain-derived neurotrophic factor)なども分泌されるのだろう。また「楽しいことをしてはならない」という超自我的な制縛を自らにかけている人はそれを他人から指示してもらえることで実行しやすいということがあるだろう。
3.「悪循環の明確化」
これが「精神交互作用」や「思考の矛盾」を取り払うという試みだが、これはおそらく森田療法の要であり、またおそらく一番困難なものだろうと思う。人前に出て「もっと堂々としなくてはならない」と考えることはその例だが、この考えを打破するために「堂々としなくてはならないと考えなくていい」と思うことはおそらくさらなる悪循環となるのだろう。中村論文ではこの問題については詳しく論じていないが、これはおそらくとらわれについていかにそれと向き合うかという、私が第8回目あたりで論じた「とらわれから逃れることはできるのか?」という問題に関連するものだ。結局森田療法でもこの部分が核心ということではないだろうか?
こうなると4.「建設的な行動を指導する」5.「行動や生活のパターンを見直す」等はむしろ補足的な部分という理解が出来るだろう。4.は患者が生の欲望に従って意欲的に行動の範囲を広げて行くことを助ける。5.は「かくあるべし」という姿勢に従った生活上のパターンを見直すという作業を患者と共に進める。