高みに立って自らを見おろすための精神療法
まあ終活の話はともかく・・・。私がこれまで森田療法の論文などを参照して感じたことは結局、言葉や概念ではない、ということだろう。森田療法は一種の体験であろう。それを中村先生は言葉に直し、私たちもそれを言葉で受け取るが、本質部分は伝わらない。「とらわれ」も「あるがまま」も体験であり、前者から後者に至る過程も実は言葉では言い表せない。でもおそらくそのプロセスは森田療法だけのものではない。森田療法的な用語でそれを言語化したのが「森田療法」なのだ。(トートロジーだな。)
私が森田的な要素をセラピーに応用するとしたら、それは人生を俯瞰する時間を提供する機会、あるいは一種の「身調べ」に近くなる気がする。ただし内観療法で一般的に言う身調べとは異なる。内観では、例えば母親に「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」 について考えるという。そして父親や兄弟や配偶者へと移っていくのだ。しかし母親にしてもらったことと同様に人々が拘っているのは「されたこと」でもある。これは物事の片面しか見れない。
とらわれからの解放は、他者のもつとらわれの受容なしには起きえない。他者が持つとらわれを許容しないことは、他者に対する恨みや不満を持ち続けることになる。一個の人間として見た場合の親は、自分と同じように数多くのとらわれを抱えた人間でしかない。
私流の「内観」は自分が死すべき運命であることへの再認識を出発点とするしかない。私たちが日ごろとらわれによって抑圧しているもの。それが自分の命には何時か終わりがあり、そこに向かって刻一刻と歩んでいるという事実である。そして自分が持つとらわれを見つめる。とらわれはしばしば他人を巻き込んでいる。「あの人が私を無視する」「あの人の存在が嫌でしょうがない」など。そこでその人のとらわれを想像する。時には人のとらわれは想像を超えていることの認識を持つ。
こんなのまるで宗教ではないか、と言われるかもしれない。確かにそのような気もしてくる。そもそも身調べがたしか浄土真宗か何かだ。ということで調べて見る。
ここで思いきってウィキを引用する。
内観の前身は、浄土真宗系の信仰集団、諦観庵(たいかんあん)に伝わる「身調べ」であった。なお一部に身調べが浄土真宗木辺派に伝わる修行法と紹介されているが、これは誤りである。また「隠れ念仏」「隠し念仏」とも誤解されるが、いずれとも無関係である。禅宗の修行法などという解説もあるが、論外である。
「身調べ」は断食・断眠・断水という極めて厳しい条件の下で自分の行為を振り返り、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べるというものだった。また、秘密色が強く、身調べの途中は親が来ても会わせないという閉鎖的なものだった。これにより、「宿善開発(しゅくぜんかいほつ)」または「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」という一種の悟りのような体験をして、阿弥陀仏の救済を確信するというものだったという。吉本は1936年(昭和11年)から4度にわたる身調べを繰り返し、1937年(昭和12年)11月、宿善開発を達成する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E4%BC%8A%E4%BF%A1
「宿善開発」とか「信心獲得」というのは全くわからないが、「自分の行為を振り返り、地獄行きの種が多いか、極楽行きの種が多いかを調べる」というのは少しわかる。こんな風にも言えないだろうか? もし天国、地獄を信じるならば、日々の行為は常に「こんなことをすれば地獄に落ちるな」「これにより天国への道に一歩近づくな」という観念と結びつくことになる。これはある意味では日常を死すべき運命と結びつけているということにはならないだろうか。