2013年5月11日土曜日

精神療法から見た森田療法 (4)



 全く行く宛もなく、森田療法の旅が続いている。ほとんど自由連想だ。どこかに行きつくまで続けるしかない。

 ところでいつも不思議に思うことがある。これは2003年に恩師小此木先生が逝去された時に思ったことだが、人はあの華々しい人生の終わりをどうして暗く悲しみに満ちた雰囲気の中で締めくくるのかということだった。もちろん小此木先生にはもっともっと長生きをして欲しかった。頭の切れからいったらあと20年くらいは現役でおられたかもしれない。彼はたしか72歳でこの世を去ったのだが、もちろん平均寿命よりも早い死ではあったが、日本の精神分析界に限りない影響を及ぼした。彼の人生はまさに華々しいものだったのだ。彼の人生全体を見渡した場合、まさに祝福されるべきものだったといえるだろう。しかし人はもちろん葬式をそのような祝賀ムードにすることはない。たとえ100歳で亡くなった人に対しても、人は悲しみに暮れる儀式を演出する。
 ただしこれは多分に生き残った者たちの都合という気がする。「○○さんの人生を祝う会」という名目で、集まった人たちがその人の人生の終わりを記念するという形で「献杯」ではなく「乾杯」をするという会はなかなか開けないのである。
 同様の事は尊厳死についても言える。病者の意識が薄れたり、判断力がある程度低下した段階になると、本人の治療についてかわって判断するのは家族である。いよいよ最期になり、「もう点滴は中断しますか?」 「痰の吸引は止めますか?」 と家族が聞かれる。もちろん家族は本人の苦しみを減らす方向を選ぼうとするが、同時に余命を短くする可能性のあるあらゆる手段に対してゴーサインを出すことに抵抗を感じる。これは残されたものの気持ちの問題という面もある。状況によっては抗がん剤治療なども同じだ。家族は少しでも助かる可能性があるのなら、と積極的に抗がん剤による治療を促したり、手術をすすめたりすることがあるが、それがかえって本人の苦しみを増し、場合によっては寿命を縮めたりする。
 米国の病院では、年長の患者さんたちのカルテによく「DNR」と大きく書かれていた。これは「蘇生術不要do not resuscitate」を意味し、人工呼吸などの積極的な延命行為を行わないということである。これは生前に自分は延命治療を望みませんという書類にサインした患者さんたちに書かれたものであるが、これにより意識があるとしたら間違いなく苦痛を伴いながらわずかの時間だけ命を長らえるという可能性を除去する。日本ではあまり聞かれない。DNRはグーグルで調べてもあまり出て来ないが、米国では私が研修した1980年代にはすでに病院で頻繁に見かけた。
 これらの傾向には死を想定内にしたもの、というよりはそれを不可避的ではあっても避けたいもの、出来るだけ意識化したくないものという私たちの傾向が表れている。しかし例えば人生を一つのドラマや小説としてとらえたらどうだろう。面白いドラマの時間が終わるとそれを皆悲しむだろうか? 小説を読み終えたくなくて最後の章を読むことを躊躇することがあるだろうか? (←ここらへん、書いていて、比喩としておかしいような気もする。まあいいや、自由連想だし。)