2022年3月3日木曜日

他者性 その30 「黒幕人格」一部推敲

 文献を調べたりしていてほとんど進まなかった・・・・

黒幕人格の成立過程

黒幕人格がどのように成立するかに関して、ひとつの仮説として「攻撃者との同一化 identification with the aggressor」というプロセスが論じられる場合がある。「攻撃者との同一化」とは、もともとは精神分析の概念であるが、児童虐待などで起こる現象を表すときにも用いられることがある。攻撃者から与えられる恐怖の体験に際し、それがあまりに強烈で対処不能なとき、被害者は無力感や絶望感に陥る。そして、攻撃者の意図や行動をほぼ自動的に自分の中に取り入れ、同一化することによってその事態に対処するというのがこの「攻撃者との同一化」である。
 この「攻撃者との同一化」という考えは、フロイトの弟子でもあり親友でもあった分析家Sandor Ferenczi  1932年に「臨床日記」の中で記載し、同年にドイツのWiesbadenでの国際精神分析学会で発表した。それ以来トラウマや解離の世界では広く知られるようになっている。(ただしこの概念が正式に英文で発表されたのは、1949年となっている。)そして紛らわしいことにS.Freudの末娘であり分析家だった Anna Freud 4年後に「自我と防衛機制」(A. Freud, 1936)中で同名の概念(「攻撃者との同一化 identification with the aggressor」)に言及している。A.Freudはこの「攻撃者との同一化」を「攻撃者の衣を借りることで、その性質を帯び、それを真似することで、子供は脅かされている人から、脅かす人に変身する」(p. 113) と説明している。しかしこれはFerenczi のいうそれとは大きく異なったものである(Frankel, 2002)。Ferenczi は「子供が攻撃者になり代わる」とは言っていないのだ。彼が描いているのはむしろ、一瞬にして攻撃者に心を乗っ取られてしまうことなのである。
 フェレンツィ がこの概念を提出した「大人と子供の言葉の混乱」の記述を少し追ってみよう。

Ferenczi, S. (1933/1949). Confusion of tongues between the adult and the child. International Journal of Psychoanalysis, 30, 225-230.(森茂起ほか訳「おとなと子供の間の言葉の混乱」(「精神分析への最後の貢献フェレンツィ後期著作集  岩崎学術出版社、2007年 pp139-150」。Ferenczi, S1932/1988the Clinical Diary of Sandor Ferenczi edited by Judith Dupont translated by Michael Balint and Nicola Zardy Jackson 臨床日記 森茂起訳 2018年 みすず書房

2022年3月2日水曜日

他者性 その29 神経ネットワークの付加部分

 心とは神経ネットワークである

本章では本書でテーマとなっている「他者性」にどのような生物学的な裏付けがあるのか、そしてDIDにおいて交代人格が成立する際にそれがどの様な実体を持っているのかについて考える。ただしもちろんそれは大変難しいテーマでもある。心とは何か、それが脳の組織とどのように関係しているかは、様々な仮説は存在していても、基本的には極めて難しい問題である。

いわゆる Neural correlates of consciousness ( NCC) という言葉がある。これは日本語に訳すならば「意識に相関した神経活動」となり、要するに意識が働いている時に脳で活動している神経組織という事である。DNAの発見者の一人であり、その後心と脳の研究に進んだ Francis Crick と神経学者 Christof Koch による概念である(Crick and Koch, 1990)。意識活動は、最小の神経メカニズムとして抽出できるのではないかという考えである。

Crick F and Koch C (1990) Towards a neurobiological theory of consciousness. Seminars in Neuroscience Vol.2, 263-275.

そしてそこで基本となっている考え方は、神経ネットワークという考え方だ。脳や中枢神経系は膨大な数のニューロン(神経細胞)が網目状に繋がったものであり、脳や心はそれを基盤にして出来上がっているというモデルである。もともとこの神経ネットワークという概念自体が、生物の神経系を観察した結果として生まれたのであるから、これは当然の話と言えるだろう。
 実はこの神経ネットワークという概念自体はかなり古いものであるが、あまり脚光を浴びてこなかった。しかしそれが最近になって急に注目されるようになったのは、いわゆる深層学習 deep learning の成果である。それによりこれまでは到底コンピューターで太刀打ちすることなどできなかった囲碁や将棋と言った複雑なゲームが、あっという間に人間の力を超えて行ってしまったことは人々を驚愕させた。

従来の神経ネットワークに back propagation 誤差逆伝播などによるフィードバックループを備え、自動学習をさせるという事で、神経ネットワークは瞬く間にとてつもない学習を行うことが分かったのである。それまでは一つ一つ問題を出してそれを正解するか否かという事で内部の素子の重みづけを変えていった、いわば手動式の学習ではなく、自動学習をさせることで驚異的な学習能力を備えたAIは、実は動物や人間の脳が学習するプロセスを模していたのだ。

さて人間の脳は巨大な神経ネットワークと考えることが出来る。それは例えば大脳皮質、小脳、扁桃体、視床、大脳基底核・・・・などの様々な部位に分かれているが、基本的にはどの部分も神経ネットワークである。あとはそれらがケーブルで繋がっているのだ。そこで脳全体を一つの神経ネットワークとして見た場合に、意識を成立させ人間の活動を可能にしている最小単位のネットワークを考えることはできないか?その様なアイデアを形にしたのが、いわゆるダイナミックコア仮説である。

2022年3月1日火曜日

他者性について その 28 序論

 序論

私はこれまでに解離性障害について臨床的に関わり、またそれに関する著作を多く発表してきた。私はいつまでも解離という不思議で興味が尽きない心の現象を探求する一学徒であるにすぎないと感じている。しかし教科書的な位置づけを持つ精神医学の叢書の解離の項目の担当を依頼されることが重なっている。そしていつの間にか解離の専門家という事になってしまった。もちろんそれなりの自負はあるものの、解離の専門家になることを特に選択したという経緯もなかった。専門性というのはその様な目標を掲げて研究や臨床にまい進することでより定かなものになっていくのであろうが、私の場合あまりに偶然が重なった結果としてこの道に至ったという感じだ。

日本での精神科医としてのトレーニングを5年間受けてから渡米し、最初から精神医学を学び直すプロセスで出会ったトラウマ理論やそれに関連するケースに接することは私に日本に居続けていたら受けることがおそらくなかったであろうインパクトを与えてくれた。解離症状を示す患者さんたちとの体験は、そもそも脳について、心について私たちが知っていることはほんのわずかでしかないという事を教えてくれたと思う。私たちはこれほどまでに心のことが分かっていないという事を教えてくれる解離症状を持つ患者さんの存在は新鮮であった。

ところで私はその体験を、精神分析のトレーニングと並行して体験していた。不思議なことに、精神分析はある意味では心について分かっていることを前提とした治療法であり、理論体系である。それは基本的にはフロイトが考案した土台に乗った理論構築がなされている。しかしそこに解離性障害についての理解の仕方は書かれていない。解離性障害について知るためには、精神分析的な理論の助けを借りることは出来ず、患者さんの話を私が一つ一つ聞き取って理解していく以外になかったのである。

もちろん解離性障害についての理論は精神分析とは別個に存在している。それは精神分析を始める前のFreud の共同研究者であった Breuer Pierre Janet といった人々により基礎が築かれたのだ。そして1970年代以降、Richard Kluft, Frank Putnam, Colin Ross と言った臨床家により強力にその研究が推し進められていった。私は彼らの理論から多くを学び、賛同していたはずである。しかしこの数年間の間に、私は再び解離性障害についてよくわからなくなってきている。というよりはそれらのエキスパートたちにより描かれている解離性障害とは別のものをイメージし始めていることに気が付くのだ。

それは突き詰めて言えば、従来のDIDに関する理論には別人格の人格としての尊重が十分ではないのではないかという疑問であるが、その疑問も含めて問いただそうとしているのが本書ということになる。しかし私にはどうにも後ろめたい気持ちがぬぐえない。従来の精神分析理論や解離研究のエキスパートたちに異議を唱えるような資格は自分にあるのだろうか。

私はもう還暦をとうに過ぎ、65歳を過ぎて8年間勤めた大学を退職する年を迎えた。一昔前なら、もう寿命が尽きているはずなのに、幸い生きながらえている。私が自分の考えを伝える機会もそれほど残されていないとしたら、これもいい機会ではないかと思う。

2022年2月28日月曜日

事典項目・解離症・草稿

 「精神○○診療」という事典のようなものに執筆依頼された。ギャグが一切通用しないので書いていてあまり楽しさがない。

解離症

臨床所見

解離症は、その症状がアイデンティティ、感情、思考、記憶、身体知覚や身体的運動などの正常な統合の機能性が一時的に破綻することから生じることを特徴とする。それらの症状には実に様々なものが含まれ、これほど多彩な症状を示す精神疾患は他に類を見ないと言える。それらは健忘、複数の人格の存在、離人感や現実感の喪失などのほか、種々の身体症状(けいれん、脱力や麻痺、歩行障害、感覚変容、意識変容、発話障害など)が挙げられる。症状の出現は通常は比較的急速で、背景にトラウマ的なストレスの体験が見られる場合が多い。またその消失も同様に比較的速やかであることが多い。

検査所見

解離症状、転換症状を示す患者の多くは初発時には神経学的障害や身体疾患の発症を疑われ、救急医療を通して神経内科、脳神経外科などの身体科に送られる。しかしそこで施行される臨床的な諸検査の結果は症状を説明しえない。解離症状には何らかの神経学的な背景が存在することは疑いがないものの、CT,MRI,脳波等により検出されるような粗大なレベルのものではない。また身体的な機能的症状を説明するような神経内科的、眼科的、耳鼻科的な所見も見られない。むしろ種々の心理学的検査、例えば解離体験尺度、ITQ,CAPS,IES-Rなどはある程度はその症状の発現の傍証となり得る。

診断

解離性障害は神経学的障害や身体疾患のきめ細かな診断の除外の後にその診断が下ることが一般である。解離性障害群には解離性健忘、解離性同一性障害、離人・現実感喪失症などのほか、ICDWHO)に従えば解離性神経学的症状症(従来の転換性障害)が含まれる。診断は主として臨床所見と発症状況やその時間経過に伴う変化も重要な決め手となる。解離症の一般的な特徴としてはトラウマやストレス状況に対する反応として症状が現れる傾向がある。精神症状、身体症状のあらゆるものを含む可能性があり、その意味では身体科での器質的な疾患の除外は決め手の一つとなる。

治療

解離症の治療の前提として、治療者側が障害の性質を十分理解し、かつそれを心理教育的に患者に伝えることが重要である。その際症状の疾病利得的な意味合いについての過剰な直面化は避けるべきである。精神療法においては、解離された部分の理解や記憶の回復を治療の主眼とするとともに、表面に表れているトラウマ記憶に関してはEMDRや暴露療法等による処理も必要となろう。加えて薬物療法、理学療法等があるが、薬物療法には決定的なものがない。ただし過度の幻聴体験や優挌観念に対して少量の抗精神病薬が有効である場合がある。また抗不安薬は解離を誘発し、中枢神経刺激薬はそれを会計させる傾向にあることは知っておいていいであろう。また気分障害等の併存症の治療は結果として解離症状の軽減につながることが多い。

経過と予後

解離性障害は症状の変遷は多くみられるものの、一般的に進行性の経過は取らず、基本的にはトラウマ関連障害と同様のコースをたどる。すなわち時間の経過とともに、そして適切な治療や保護的な環境により、徐々に軽快していく傾向にあり、最終的に社会生活に支障のない程度にまで回復することもある。しかし経済的、対人関係的なストレス状況や身体症状を含む併存症などの存在によりその回復が妨げられ、症状が遷延することも少なくない。

 

2022年2月27日日曜日

他者性について その28

 

解離性障害における他者性について論じるためには、いわゆる転換性障害において何が生じているかについて考えなくてはならない。解離性の精神症状と身体症状を分け、前者の身を解離性障害とするDSM(Ⅲ~5)とは異なり、いわゆる転換性障害は解離性障害の一部として最も整合的に理解することが出来る。そしてその方針はICD-10 (2013, ICD-112022)の記載に反映されている。それではこの従来から転換性障害と呼ばれる状態はどのようなものか?

既定路線のテキストブック的な定義によれば、解離性障害とは「アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体的運動の統制、行動のうちどれかについて、正常な統合が不随意的に破綻したり断絶したりすることを特徴とする。」(ICD-11,World Health Organization)となる。このうち身体感覚と運動に関する記載が転換性障害という事になる。しかしそれでもわかりにくい。

この解離性障害の定義が一体何を言おうとしているかと言えば、人間の精神、身体機能は通常は纏められて(統合されて)いて、それが失調した場合に解離性の症状が起きる、ということだ。要するに心身がバラバラに動き出すということだが、これでもまだわからない。しかし解離の臨床に携わっている立場からは、次のような表現が一番ぴったりくるように思う。それは「脳のどこかにある種の新しい中心が出来上がり、そこが勝手に信号を送って体の動きを妨害する、といった障害」なのである。本書をお読みになっている方は、私のこの定義の背景がお分かりかも知れない。そう、その「どこかの新しい中心」とは、「他者」の原型なのだ。ただしそれはまだ人格を成しているわけではない。脳のどこか、おそらくは前頭葉のどこかに出来上がったニューラルネットワークということになろう。そこが異常信号を発する。それもある状況で決まったようにそれが生じることが多い。まるでその部分が意図を持っているかのようである。例えば緊張すると声が出なくなったり、急に立ち上がれなくなったり、という具合に、である。

 私が言おうとしていることを理解していただくために、すこし基礎的な説明が必要かもしれない。

 この図は私たちの意志と、運動野や感覚野と、筋肉などの運動器や唇などの感覚器との関係を示したものだ。一番左に書いた点線の「S」と書かれた部分は、漠然と私たちの心、意志のセンターと思って戴きたい。もちろん心はこのように一か所に集中しているところとは言えないだろうが、脳の中でどこが全体的な判断を下す場所かと言えば、前頭葉が挙げられる。人間らしい高度な判断はこの前頭葉の広範な破壊により失われることから、前頭葉の中でも前頭前野のあたりが意思のありかであると考えられている。この前頭葉は脳の各部分の情報を一手に担って判断を下すところである。その意味でここを「S」(subjectivity, 主体)と記しておくことにする。さてそこから「腕を曲げろ」という指令が大脳の運動野(オレンジ色の部分)に伝達されると、そこからは次に筋肉に信号が送られる。あるいは逆方向の信号の流れを考えれば、感覚器から送られてくる信号は、感覚野(黄緑色の部分)で中継され、そこからSに伝えられる。(ここでどうして感覚器として、目とか耳とかを例として挙げないかと言えば、これらの感覚は独立した視覚野、聴覚野という広いエリアに送られてくるからである。そこでそれ以外の感覚が送られてくる感覚野への入力の例として唇やその他の皮膚感覚を挙げたのだ。)

2022年2月26日土曜日

他者性の問題 その27

 さて3の「特別な対応をせず、そのまま気が付かないことにして流してしまう」という臨床家が実は一番多いかもしれない。この問題が深刻なのは、これがいつどの臨床状況でそれが起きているのかが確かめられないからである。例えばいつものAさんとのあるセッションで、途中からAさんの様子が少し変わったような気がするとしよう。声のトーンや身振りがいつものAさんのものとはかなり異なる印象を受ける。臨床家はAさんの過去の治療歴に解離症状の記載を見た気がするが、今起きていることが人格の交代なのかは不明である。臨床家はそれを明確にしようかとも思う。しかしこの時臨床家の耳に聞こえてくるのは、いつかどこかで聞いたことのある次のような言葉だ。「別人格を異なる人として扱うと、その人格が定着してしまう」。この様にして交代人格は出現しても多くの場合、スルーされてしまう運命にある。

ここで「否認 denial」という防衛機制について言及しておきたい。精神医学のテキストにはこの否認について次のように書いてあるだろう。「不快、不安、恐怖などを引き起こす外的現実や自己の内的現実の存在を認知することを拒否する自我の防衛機制」(現代精神医学事典、弘文堂 2016年)。この3の対応には臨床家の側の否認が大きくかかわっているとみていい。
 ところがDIDの方々の家族となると話は全く違ってくる。彼らには否認の機制を使い続けるような余裕はないのだ。彼らは恐らく1~3までの段階を最初は一通り通過するであろう。しかしそれではその家族とは関わっていけないことがすぐにわかる筈だ。最初は「A、どうしたの?」と主人格の名前を何度も呼んだり、何とか説得を試みたり、「おかしな演技をしないでくれ!」と叫びだすかもしれない。しかしそれでAさんの人格にたまたま戻ることはあっても、いずれは再び人格交代を体験することになるだろう。その結果として彼らは当事者の人格が交代してBさんになった際に、それを異なる人格、人間として扱う必要があることをいずれは学習せざるを得ない。

私はある時DIDを持つ母親が、目の前で交代した時に隣にいた幼い娘の反応を目の当たりにしたことがある。その母親は自分自身が幼い子供のようになったように、不思議そうに娘の目をのぞき込んだ。娘は最初は戸惑った様子を見せていたが、やがて母親をしっかり見つめ、しっかり手を握ってあげていた。小さな妹をあやすような感じである。つまり5、6歳の子供が、子供の人格に代わった母親を、怯えた子供として扱っていたのである。
 私はまたDIDを持った女性のご主人達にもたくさん出会った。もちろん少ないながら男性のDIDの患者さんもいらして、そのような方をご主人として持つ奥様方とも何人か出会ってきた。そして一つ思うのは、おそらく別人格が別人であるということを本当に理解し、ある意味では治療的なかかわりを持っているのは彼ら、彼女らではないかということである。彼らは配偶者や親が人格の交代を起こすのを日常的に体験することになる。そして彼らは別人格を主人格にとっての別人、他者であることを認めることでしか、配偶者と関わっていけないという事情を理解するはずである。ただし患者さんのご両親の場合は別である。子供の解離症状を薄々感じてはいてもはっきり自覚しない、ないしは認めないというご両親は多い。もちろん両親の存在を含めた生育環境が、既にそこで解離症状が潜伏し、進行してきた場所であることを考えると、それは十分理解可能である。
 DIDの母親を持った子供は、小さいころはお母さんが二人いると思っていたという話を聞く。子供にとって母親を識別することは極めて重要になる。ユーチューブで見たあるシーンでは、母親の一卵性双生児の妹が訪ねてきたとき、初対面の赤ちゃんは、最初は母親と思って抱き着こうとした相手が別人と気が付き、恐怖におののいて泣き出していた。いわゆる「不気味の谷」を赤ちゃんが直接的に体験したことになるが、自分にとっての母親は一人であり、別人格状態にある母親は、母親と異なる他者だということを、幼児の段階で理解するという臨床的な事実はとても重要な意味を持つと言っていい。そして子供は母親のいくつかの人格を別人として認識するという臨床的な事実は、交代人格が他者であるという私の主張を支持してくれるのではないかと思う。
 またあるDIDの患者さんの話では、別人格になって帰宅すると、ペットのワンちゃんが、気配を察していつものように近づいてこなかったという話も聞く。

 

2022年2月25日金曜日

他者性の問題 その26

 本書では解離性障害における他者性がテーマになっているが、特にいわゆる「黒幕人格」がどの様に成立し、どのような行動をとるのか、そして患者さん本人の生活の中でどのような意味を持っているのかについて本章で論じたい。黒幕人格とは私が「怒りや攻撃性を伴った人格部分」(解離新時代 岩崎学術出版社、2015年)として定義して用いている表現である。時には「黒幕さん」という多少なりとも敬意を表した呼び方を用いることもある。この黒幕人格は交代人格の中でもとりわけ他者性が際立っていると考えることが出来る。それはしばしば主人格やそのほかの人格たちの利害とは異なる行動や思考を表すからである。

黒幕人格がどのように形成されるかについては、もちろん詳しいことが分からないが、いくつかの仮説のようなものがある。そしてそれを頭の隅に置いておくことで、臨床的な理解が深まるかもしれない。そもそもそれらの仮説は、臨床で出会う様々な現象や逸話をもとに、それらをうまく説明するように作り上げられたものだからである。

 黒幕人格と攻撃性

 黒幕人格に出会うことで改めて感じることがある。それは人格は基本的には「本人」とは異なる存在、いわば他者であるということだ。もちろん本書の基本的なテーゼは「交代人格は他者である」である。しかし黒幕さんの場合はとりわけそう感じられるのだ。それはどういうことか?
 交代人格としてはさまざまな種類の人たちがいる。本人により近い人たちもいる。ここで私が言う「本人」とは、いわゆる主人格や基本人格など、その人として普段ふるまっている人格のことだ。ここで本人に近い存在として例を挙げるとすれば、それは主人格Aさんの若い頃の人格Aさんである。Aさんが数年前に一定期間トラウマを体験したりすると、その期間のAさん(A´さん、としよう)が独立した人格として成立することがある。その人は基本的には若い頃のAさんそのものであるために、もちろん利害はおおむね一致しているであろう。だからAさんが欲することは恐らくA´さんも欲しているはずだ。

 ところが黒幕人格は大抵はAさんの利害に無頓着な様子を示す。そしてしばしばAさん達の生活を破壊し、その体に傷をつけるような振る舞いをするのだ。黒幕さんが去った後は、Aさんは何か嵐のような出来事が起きたらしいこと、それにより多くのものを失い、周囲の人々に迷惑をかけてしまった可能性があること、そして周囲の多くの人は自分がその責任を取るべきだと考えていることを知ることになる。それは黒幕さんの行動の多くが、その定義通り攻撃性、破壊性を伴うからである。ただし黒幕さんたちのことを深く知ると、その背後には悲しみや恨みの感情が隠されている場合があることを、「本人」も周囲も知るようになるのである。いったいなぜ「本人」が困ったり悲しんだりするような行動を「黒幕さん」たちはしてしまうのだろうか? 彼らが示す怒りとはどこから来るのだろうか。