解離は脆弱性か、それとも能力か?
解離をトラウマに対する反応として、いわば防衛機制や防御反応としてとらえる場合、その発症機序はトラウマ理論でしばしば用いられるモデルにどれほど適合するのだろうか?いわゆる Stress-diathesis model(ストレス―脆弱性モデル、SDモデル)は、ストレス因に当人の脆弱性が関係して発症するというモデルだ。このモデルはその内容に多少なりとも変更は加えられているが、精神疾患の発症を説明する標準的な理論とされている。
しかし解離はこのモデルでは十分説明ができない可能性がある。上述の「生き延びる価値」の例として挙げたOBEは、言わば仮死状態になってその場をしのぐ仕組みである。これはその個体の闘争能力を一瞬にして奪い去るという意味では脆弱性としてとらえられなくもない。
しかしすでに述べたように、実際の臨床場面で見られるのは、あたかもそのような状況に備えて、受け皿となるような人格がその人の中に準備されていたかのような印象を受けるケースである。臨床上しばしば見られるのは、本人を救う形で出現した人格に話を聞くと、かなり早くから基本人格を内側から眺め、必要に応じてそれを救出するかのような形で外に現れ、それ以降は基本人格になり替わってその人生の一部を営むという様子である。
さらには人格交代の中には、危機的状況とは逆の、安全性が保たれた治療関係において生じるものがある。それが子供の人格の出現であり、治療者の様子を内側から伺い、場合によっては治療室内のぬいぐるみやクレヨンなどに反応して「遊びに」出てくるという様子が見られる。このような交代人格の表れは、それを当人の脆弱性と理解することは難しく、また上述のストレス―脆弱性モデルに当てはまるとは言えないであろう。