さて3の「特別な対応をせず、そのまま気が付かないことにして流してしまう」という臨床家が実は一番多いかもしれない。この問題が深刻なのは、これがいつどの臨床状況でそれが起きているのかが確かめられないからである。例えばいつものAさんとのあるセッションで、途中からAさんの様子が少し変わったような気がするとしよう。声のトーンや身振りがいつものAさんのものとはかなり異なる印象を受ける。臨床家はAさんの過去の治療歴に解離症状の記載を見た気がするが、今起きていることが人格の交代なのかは不明である。臨床家はそれを明確にしようかとも思う。しかしこの時臨床家の耳に聞こえてくるのは、いつかどこかで聞いたことのある次のような言葉だ。「別人格を異なる人として扱うと、その人格が定着してしまう」。この様にして交代人格は出現しても多くの場合、スルーされてしまう運命にある。
ここで「否認 denial」という防衛機制について言及しておきたい。精神医学のテキストにはこの否認について次のように書いてあるだろう。「不快、不安、恐怖などを引き起こす外的現実や自己の内的現実の存在を認知することを拒否する自我の防衛機制」(現代精神医学事典、弘文堂 2016年)。この3の対応には臨床家の側の否認が大きくかかわっているとみていい。
ところがDIDの方々の家族となると話は全く違ってくる。彼らには否認の機制を使い続けるような余裕はないのだ。彼らは恐らく1~3までの段階を最初は一通り通過するであろう。しかしそれではその家族とは関わっていけないことがすぐにわかる筈だ。最初は「A、どうしたの?」と主人格の名前を何度も呼んだり、何とか説得を試みたり、「おかしな演技をしないでくれ!」と叫びだすかもしれない。しかしそれでAさんの人格にたまたま戻ることはあっても、いずれは再び人格交代を体験することになるだろう。その結果として彼らは当事者の人格が交代してBさんになった際に、それを異なる人格、人間として扱う必要があることをいずれは学習せざるを得ない。
私はある時DIDを持つ母親が、目の前で交代した時に隣にいた幼い娘の反応を目の当たりにしたことがある。その母親は自分自身が幼い子供のようになったように、不思議そうに娘の目をのぞき込んだ。娘は最初は戸惑った様子を見せていたが、やがて母親をしっかり見つめ、しっかり手を握ってあげていた。小さな妹をあやすような感じである。つまり5、6歳の子供が、子供の人格に代わった母親を、怯えた子供として扱っていたのである。
私はまたDIDを持った女性のご主人達にもたくさん出会った。もちろん少ないながら男性のDIDの患者さんもいらして、そのような方をご主人として持つ奥様方とも何人か出会ってきた。そして一つ思うのは、おそらく別人格が別人であるということを本当に理解し、ある意味では治療的なかかわりを持っているのは彼ら、彼女らではないかということである。彼らは配偶者や親が人格の交代を起こすのを日常的に体験することになる。そして彼らは別人格を主人格にとっての別人、他者であることを認めることでしか、配偶者と関わっていけないという事情を理解するはずである。ただし患者さんのご両親の場合は別である。子供の解離症状を薄々感じてはいてもはっきり自覚しない、ないしは認めないというご両親は多い。もちろん両親の存在を含めた生育環境が、既にそこで解離症状が潜伏し、進行してきた場所であることを考えると、それは十分理解可能である。
DIDの母親を持った子供は、小さいころはお母さんが二人いると思っていたという話を聞く。子供にとって母親を識別することは極めて重要になる。ユーチューブで見たあるシーンでは、母親の一卵性双生児の妹が訪ねてきたとき、初対面の赤ちゃんは、最初は母親と思って抱き着こうとした相手が別人と気が付き、恐怖におののいて泣き出していた。いわゆる「不気味の谷」を赤ちゃんが直接的に体験したことになるが、自分にとっての母親は一人であり、別人格状態にある母親は、母親と異なる他者だということを、幼児の段階で理解するという臨床的な事実はとても重要な意味を持つと言っていい。そして子供は母親のいくつかの人格を別人として認識するという臨床的な事実は、交代人格が他者であるという私の主張を支持してくれるのではないかと思う。
またあるDIDの患者さんの話では、別人格になって帰宅すると、ペットのワンちゃんが、気配を察していつものように近づいてこなかったという話も聞く。