ではこのような相互性が失われた状態とはどのような状態なのだろうか。これは土居の言う屈折した甘え、すなわち甘えさせる対象が明確でなく、そのために「子供じみて、意図的で、要求がましい」甘えである。ここでは甘える側は「甘えてあげる」などと悠長なことは言っていられない。何しろその相手が不在かもしれないし、甘えられたくないかもしれない。「甘えてあげる」⇔「甘えてもらう」どころか、「甘えさせてもらう」⇔「甘えさせてやる」という情けない関係かもしれない。あるいは甘える側に相手が「甘えさせる」ことを不快に感じることに気づかずに「甘える」場合もあろう。 屈折した甘えが生じるのにはもう一つの可能性がある。もう一つは相手の「甘えられたい」願望が信じられず、自然に「甘え」られない場合である。その結果としてすねる、ひがむ、妬む等の感情が生まれるというのが土居の説である。
甘えの前駆期
では甘えの相互性が芽生えるのはいつなのか。なるべく現代的な知見を取り入れつつ考えてみたい。
まず生下時の乳児を考えよう。の心に対象像は存在せず、甘えは母親→乳児の方向でしか存在しない。否、この状態を甘えと呼ぶことは出来ないであろう。むしろ依存関係と呼ぶべきであろうか。土居はこの状態にして次のように記載している。
「甘え始めるまでは、乳児の精神生活はいわば胎内の延長で、母子未分化の状態にある。.... 次第に乳児は自分と母親が別々の存在であることを知覚し、.... 母親に密着することを求めることが甘えである。」(土居,1971,p.81)
すなわち土居も生下時に甘えは存在しないと考えているようである。そして乳児が母親と別々の存在であることを知覚して後、ようやく甘えが始まる。そこで甘えが生じる間際の時期を「甘えの前駆期」と呼ぶことにしよう。これは私がそのような概念を提唱しているというわけでは決してなく、土居やそのほかの識者がそのようなものを想定しているらしいのでそれに呼び名を与えているに過ぎない。
するとこの前駆期はいつまで続くのか? 言葉を変えればいつ甘えが兆すのだろうか。もちろんここで正確な時期を確定する必要はなく、また個人差は大きいだろう。しかしここでは一応生後三か月あたりを考えたい。なぜ3か月という数字が出るかと言えば、第一に乳児の最初の微笑みの出現の時期だからである。実際には生後6~8週に最初のsocial smile が出現するというが、まあ大雑把にこう捉えよう。そして何よりも土居の記憶している幼児体験が根拠となる。(生後3か月の頃、母親にオッパイをもらえなかったという体験である。)
ちなみにこの最初の微笑みは単に生物学的なものと捉えることもできるかもしれない。乳児の視力が上がり、母親の顔を最初にそう捉える際に自然と浮かび上がるかもしれない。しかしおそらく母親の側としては、この微笑みを乳児からの情緒的な接近と捉えるかもしれない。少なくとも母親の側からの「甘えさせ」の感情は確実に高まるであろう。そして「甘えてあげる」⇔「甘えてもらう」という相互性が徐々に形成されていくであろう。するとこの成立が不十分である場合に、土居の言うconvoluted amae 屈折した甘え の方に向かう可能性がある。そこには二つの要素が考えられる。それを以下の表に示そう。一つはこの相互性の成立そのものを阻む要素であり、もう一つはいったんそれが成立しても、それを持続することを阻む要素である。