2022年2月27日日曜日

他者性について その28

 

解離性障害における他者性について論じるためには、いわゆる転換性障害において何が生じているかについて考えなくてはならない。解離性の精神症状と身体症状を分け、前者の身を解離性障害とするDSM(Ⅲ~5)とは異なり、いわゆる転換性障害は解離性障害の一部として最も整合的に理解することが出来る。そしてその方針はICD-10 (2013, ICD-112022)の記載に反映されている。それではこの従来から転換性障害と呼ばれる状態はどのようなものか?

既定路線のテキストブック的な定義によれば、解離性障害とは「アイデンティティ、感覚、知覚、感情、思考、記憶、身体的運動の統制、行動のうちどれかについて、正常な統合が不随意的に破綻したり断絶したりすることを特徴とする。」(ICD-11,World Health Organization)となる。このうち身体感覚と運動に関する記載が転換性障害という事になる。しかしそれでもわかりにくい。

この解離性障害の定義が一体何を言おうとしているかと言えば、人間の精神、身体機能は通常は纏められて(統合されて)いて、それが失調した場合に解離性の症状が起きる、ということだ。要するに心身がバラバラに動き出すということだが、これでもまだわからない。しかし解離の臨床に携わっている立場からは、次のような表現が一番ぴったりくるように思う。それは「脳のどこかにある種の新しい中心が出来上がり、そこが勝手に信号を送って体の動きを妨害する、といった障害」なのである。本書をお読みになっている方は、私のこの定義の背景がお分かりかも知れない。そう、その「どこかの新しい中心」とは、「他者」の原型なのだ。ただしそれはまだ人格を成しているわけではない。脳のどこか、おそらくは前頭葉のどこかに出来上がったニューラルネットワークということになろう。そこが異常信号を発する。それもある状況で決まったようにそれが生じることが多い。まるでその部分が意図を持っているかのようである。例えば緊張すると声が出なくなったり、急に立ち上がれなくなったり、という具合に、である。

 私が言おうとしていることを理解していただくために、すこし基礎的な説明が必要かもしれない。

 この図は私たちの意志と、運動野や感覚野と、筋肉などの運動器や唇などの感覚器との関係を示したものだ。一番左に書いた点線の「S」と書かれた部分は、漠然と私たちの心、意志のセンターと思って戴きたい。もちろん心はこのように一か所に集中しているところとは言えないだろうが、脳の中でどこが全体的な判断を下す場所かと言えば、前頭葉が挙げられる。人間らしい高度な判断はこの前頭葉の広範な破壊により失われることから、前頭葉の中でも前頭前野のあたりが意思のありかであると考えられている。この前頭葉は脳の各部分の情報を一手に担って判断を下すところである。その意味でここを「S」(subjectivity, 主体)と記しておくことにする。さてそこから「腕を曲げろ」という指令が大脳の運動野(オレンジ色の部分)に伝達されると、そこからは次に筋肉に信号が送られる。あるいは逆方向の信号の流れを考えれば、感覚器から送られてくる信号は、感覚野(黄緑色の部分)で中継され、そこからSに伝えられる。(ここでどうして感覚器として、目とか耳とかを例として挙げないかと言えば、これらの感覚は独立した視覚野、聴覚野という広いエリアに送られてくるからである。そこでそれ以外の感覚が送られてくる感覚野への入力の例として唇やその他の皮膚感覚を挙げたのだ。)