2022年4月14日木曜日
他者性の問題 67 対談の文字起こし 5
岡野 ここで先生方に少しご質問ですが、黒幕さんとか暴力的な人格さんがいらっしゃる方がいますが、患者さんから「私にはどうして黒幕さんがいるんですか?」と尋ねられたとしたら、どのようにお答えになりますか。
N間 そうですね。ケースバイケースですが、やはり「何か凄く腹が立つことがあるのかもしれませんね」って言うかもしれないですね。それはパーツと見なしてるということですね。「そういうことないでしょうか?」という聞き方で、つまり「そうだ」と決めつけずに、「どうでしょうか?」という形で質問をする形で返すという…。
岡野 あなたの中に暴力的な人がているという言い方ですね。
N間 そうですね。最後まで否定された方もおられますけどね。
岡野 S山先生、ここで少し意見分かれるんですよね。
S山 そういったちょっと迫害的な攻撃的な人格ですよね。それが出てきた時にどうするかですが、私は「その人はどうして何時頃から出てきたのかな」という話に行くと思います。つまり役割を聞くわけです。出てきた意味が何かあると思うんですね。そうすると、もともとは本人を守るためだとか、本人に対してもしっかりするようにとか、あるいは大体嫌なことがあると自分に押し付けられるとかですね。そういう物語が出てくることがあるので、そういう話に持って行きます。だからその人格の中にある攻撃性っていうのはまあちょっと後回しになるでしょうね。それはあとで繋がることになるかもしれませんが、自分の中に自分自身に対する忸怩たる思いがあるとかね。だから黒幕人格とか迫害的人格のその存在意味や役割っていうものを知りたいですね。
岡野 虐待された方が、虐待している夢を見ることがあるんです。するとそれは虐待者がその人の中に残っていてそれが活動しているという可能性があると思いますが、この点でだいたいS山先生と揉めるんですよね。
S山 いや、それはあるんですよ。外から取り入れるという場合ですよね。攻撃性を持った人と同じコピーみたいな人が出るのは、普通の文化の中では当たり前の事なのです。攻撃的な人に接したら自分が自分を守るために攻撃的存在になるって言うのはよくあることで、別に解離じゃなくったって出るんですね。
岡野 うーんなるほど、ちょっと微妙な差がありますね(笑い)。もう一つご質問です。解離性の人格が起こした行動を主人格が何も知らないという場合の対応をどうしたらいいのか、という事です。
N間 色々な扱い方があると思うのですが、自分はどうしてるか、ですよね。あまりこういう手法で、という風に考えたことはないのですけれども、どんな時に記憶が飛んだのですか、とかそういう事は聞きますかね。何時頃から何時頃まで抜けてますかとか、その時何をしてますか、とかいうようなことを聞きながら、一緒に確認していくようなことをしますでしょうかね。という風なことは思いますが、その実害の程度によっては流して行きますし、すごく大変なら対策は一緒に考えるんですけれど、まあとにかく先ほどの柴山先生と同じかもしれません。そういう交代を知らないで出てきてる人格さんと、何が起きているのかを一緒に探るみたいなことをしていくようなアプローチだと思いますね。
S山 僕の患者さんで、お金がどんどん通帳から勝手におろされて困っていた人がいましたけどね。やりようがないこともありますね。どうやって本人と繋げるのか。今のこの時点で繋げる必要があるのか、どうだろうと困ることはありますが、離れてるのもどこかいいところがあるのかな、と考えたりもします。とにかく繋げないといけないっていう強迫は私の中にはあまり起こらないですね。だってしょうがないもの、全く忘れてるんだから。だから二人で困ったねーと納得しちゃうっていう感じでしょうかね。
2022年4月13日水曜日
他者性の問題 66 対談の文字起こし 4
岡野: … 私に向けられた質問という事でいいですか? 私は日本に帰ってきて日本精神分析協会で解離性障害の話をする機会があったんです。そこで面接中に人格が交代することがあるという話をしたところ、当時の精神分析の大御所に、「私は子供の人格が出て来ても相手をしませんよ。あくまで本人と話します。」とサラッと言われました。そしてそれに対して他の先生方も何も言わなかったんです。これは私にはちょっとしたカルチャーショックでしたね。
N間 この件についてなんですが。たとえばAさんとの面接の中で、Bさんが出て来たとします。そして次の診察の時にまたBさんが出て来て、「先生、前回の診察で私が途中から出てきたことを、ちゃんと気付いてくれましたか?」と聞かれたりします。この方のように自分が変わったことを認めてもらいたいかという患者さんはいらっしゃいますね。患者さんの方も治療者をよく見ているところがあります。もちろんそのような質問が出る、という事は半分はわかってくれているという安心感があるんでしょうけどね。ですから私は気が付いたことは患者さんにフィードバックしていくのが大事かな、と思います。やはりスルーはよくありませんね。
S山 なかなか出てこない人格がいることがあるじゃないですか。そうした時には目の前の人に対して、「その人はどんなことを意図していると思いますか?」という風に聞きたくなる私がいます。その場合には目の前の人は媒介者という感じになりますね。
岡野 そうですね。そしてAさんに「でもどういう風にしてBさんに聞いたらいいかわかりません」と言われたら、「じゃあ心の地下室に一緒に行きましょう」という風にします。べつに地下室でなくても、ベッドでもソファーでもビーチでも、リラックスできる場所を決めておくといいと思います。そうしてそこに行って、AさんにBさんへのメッセージを伝えてもらううちに、Bさん自身が出てくるという事があります。
岡野 ここでチャットに質問が来ています。「何かの本で、聴覚と視覚を記録などが別々に活動しているという記載を読んだことがあります。私の患者さんも以前は様々な名前を名乗り、その際には声色なども変わっていたし、性別が変わって性別は変わった時もありましたが、最近はそれがなくなり、問われれば『秘書です』と名乗り、質問にはその場では答えられず、でもメモを取って帰られ、後で日記に返事が書いてあったりします。パーツ間の連携が出来ているようですが、これでいいのでしょうか」、というご質問です。これはパーツというか役割分担ですね。私が最初にお答えしますと、これは私がいつも言うメリハリのある解離だから、いいのではないか、と思います。
S山 部分というよりも役割ですから、あまり困らないというか、経過を見たいという感じですね。どこかが抜けてるっていう感じではないですし、全体が見えていて、その中に部分がある、部分から全体が見えてるという感じがしますね。全体と部分ということではなくて、部分がすなわち全体だった人間が全宇宙だ、というわけですけれど、半分冗談ですからごめんなさい。
岡野 ここら辺は私たちは安永浩先生の世界観がしみ込んでますね。
2022年4月12日火曜日
他者性の問題 65 対談の文字起こし 3
岡野 最初に「出てきなさい」とおっしゃったときは、勇気が必要ではなかったですか?
S山 いやいや、怖いもの見たさですよ。
岡野 これはS山先生の秘密ですが、研修医時代に患者さんに催眠をして、上の先生に怒られたという事があったんですよね。ここオフレコね。
S山 精神科医になったのも同じことがあってちょっと心の中を覗いてみたいっていうのがあったんですよ。
岡野 もともとそういう素質があったわけですね。
S山 だから人よりあまり心配しないんですよ。何かいいことがあるだろうと思うんですよ。解離の場合も、もちろん色々予測してないといけないけれども、体の症状があった人が、人格さんが出てきたおかげでもう一挙にその症状が取れちゃうんですよ。そういう体験を色々してるので「出てちょうだい、」と。 もちろん色々考えますよ。気楽にやってるわけじゃないんだけれども慎重さはちょっと人より少ないかもしれないですね。
岡野 フロイトとフェレンチの違いという事があって、フロイトは別人格を認めずに、フェレンチは認めたわけですが、フェレンチはもともと遊び心があったんですよ。
S山 それは大事ですよね。でも若い人は僕の言葉の一部だけ取って鵜呑みにしないでくださいね。
岡野 ここでひとつ先生方に質問をさせてください。いつもの患者Aさんと 話していたとしましょう。ところが途中からちょっと口調、声のトーンが変わってきました。あれ?と思います。ちょっと違うな、と。その時にどんな声かけをしますか、それとも特に声かけませんか? 取り合わない人はそのままでしょうが、どうでしょう、今度はS山先生から。
S山 えっ。… 僕なら「きみ誰?」と。(笑い) それによっていろいろな全体像が分かるんですよ。
岡野 でも患者さんによっては「どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」と。
S山 言わない、言わない。
岡野 いや、私の患者さんでそうおっしゃった方がいました。N間先生、いかがでしょうか?
N間 私なら、「今もAさんですか?」と尋ねると思います。その時にS山先生も仰ったことですが、S山先生のユーモアとか岡野先生の遊びと言ったことは大事で、そこで真顔で言ったりするとうまく行かないので、「もしかしたら…」とか「こんなことを聞くのはナンですけれど」と言いつつ向こうの反応を見る、こちらの不安を隠さずに聞いてみるのがいいと思います。
S山 N間先生は僕より配慮をなさいますね。僕の場合は突撃型というか。
N間 まあちょっと笑いながら言うとかね。もちろんその時の流れにもよりますし、向こうがめっちゃ怒ってたらあまり聞けませんけれど、それでも「こんなこと言うの変ですけど」っていうのもいいかもしれません。真顔でストレートにどうですかって聞いてイエスかノーか聞くというよりもその反応と言うかねこっちもちょっと不安になったんだけどそれも伝えるしあなたはどう思いますかっていうのはやり取りのきっかけとして。
岡野 M笠先生、お聞きになっていかがですか?
M笠 僕は境界性を念頭に置いているので、「どうしたの?」みたいな、まあ素朴に僕の思った疑問をそのまま言葉に出すかなと思います。
2022年4月11日月曜日
他者性の問題 64 大文字の解離の章
本章では主として現代の精神分析における解離の問題について論じる。これまで見たように精神分析では Freud がごく初期の頃に解離の概念を棄却したという経緯がある。それ以来精神分析の文献に解離はほとんど現れなかったのである。しかし近年解離性障害に関する議論が精神医学の世界で多くなってきたこともあり、精神分析の世界でも解離が論じられることが多くなってきた。
私は個人的にはその様な動きはありがたいことであると思う。というよりは精神分析が心についての理論であれば、そこで扱われることのない現象などあってはならないであろう。「精神分析の創始者 Freud は解離について論じていなかったが、やはり扱われるべきである」という姿勢は至極正当なもののように思われる。
しかしここに一つの問題がある。精神分析で論じられるようになって来ている解離には実に様々なものが含まれてしまっているのだ。その結果として概念上のさらなる混乱が生じることが危惧されるのである。解離という概念と多少なりとも類縁関係にある精神分析の用語にはスキゾイド現象やスプリッティング、抑圧などの防衛機制がある。しかしそれらと解離との類似点や違いなどについての明確な議論はいまだになされていないのだ。ただ精神分析で論じられるようになっている解離には、どうやら一定の傾向があり、それは解離性障害を有する患者さんが示す典型的な、あるいは本格的な解離とは異なるようなのだ。その点を明確に示すのがこの章を書く目的である。そして私が本章で最終的に提唱したいのは、 ”Dissociation” とでも表記すべき解離、すなわち「大文字の解離」という概念である。これは必然的に dissociation、すなわちそれ以外の、いわば「小文字の解離」とでも表現すべきもの、ないしは現在の精神分析で一般的に用いられている解離概念との区分を意図したものである。
この概念の趣旨は後に詳しく論じるが、その前段階として、Freud をはじめとする精神分析に関わる先人たちの足跡をここでもたどる必要がある。解離をめぐる様々な議論や誤解はやはり精神分析の淵源と深いかかわりがあったのだ。しかしその精神分析理論の流れはいまだに小文字の解離の域を出ないのである。
2022年4月10日日曜日
他者性の問題 63 対談の文字起こし 2
S山先生:私の最初の出会いは、ある患者さんの話にまで遡ります。その方は昔からスパゲッティが嫌いで、特にお父さんのスパゲッティが大嫌いだと言ってたのですが、その方がある日スパゲッティを美味しそうに食べていたのを見て、友達がびっくりしたという報告を聞いたんです。そういう話を聞くと、意図があってそうしているというよりは、本人もそれを聞いてびっくりしているわけです。交代人格は自然なものだな、と思いました。日常の臨床においても僕はだいたい覗き趣味なので、普通に会いたいんですよ。だから攻撃的な人と聞けば聞くほど会いたくなるんです。でもひどく攻撃的な人には会ってないのでよくわからないんですけど。可愛いところを見つけたい、話が通じるところを見つけたい。こちらがぷっと笑うと、向こうも笑うんですよ。話が展開するといろいろな面が見えてきます。岡野先生の話だと部分は見ないという事だけれど、そもそも私は人格っていうのは全体だろうと思うんです。人格として現れる時には全体だろうと思うんですね。部分的人格っていうのはちょっと矛盾するような表現だと思うんです。人格は全体だと。しかしその全体性が部分からやってくるということはあると思うんですね。部分から発展して全体性を獲得していくのが解離の創造力(想像力?)のすごさで、人格まで行ってない部分的体験っていうのは、臨床現場とかでも色々あると思うんですけれど、ちょっと中途半端ですね。
岡野:先生が人格は全体でしょ、とサラッとおっしゃいましたが先生にそのようなお話をしていただいて、安心したんです。でもこの点は後程ちょっと野M先生との論争の為に取っておきたいのですが。
2022年4月9日土曜日
他者性の問題 その62 治療関係についての書き起こし
治療者が自分の逆転移を可能な限り理解するという事は精神分析的な治療を行う上でとても大事なことは言うまでもありません。そしてそうすることはクライエントさんを逆転移の外にある人として見ようと努力することであり、これは患者を他者として扱う事です。ある意味ではそれが患者さんを本当の意味で理解することでしょう。しかしここにはジレンマが生じています。なぜなら他者は見えない存在であり、その意味では理解しえない存在です。つまり治療者がクライエントを理解するとは、理解できないことを受け入れるという事になります。
実は同じことはクライエントの立場についても言えます。クライエントさんは治療者についてのイメージに捉われてはいけません。つまりは転移対象のままではなく、現実の、つかみどころのない治療者の存在をどこかで理解しなくてはなりません。つまりクライエントさんも治療者を他者として扱う必要があります。つまりは治療者とクライエントは相手は理解しえないという事をお互いに認め合うという事ではないでしょうか。それはわかりやすい言い方をすれば、相手にあまり期待しないという事ですが、同時に刮目すべき存在としても扱うという事でしょう。これはウィニコット的に言えば、対象を「用いる」というメンタリティに近づくという事でしょうか? でも治療者は他者性を帯びているからこそ距離を置いて客観的に見守ってくれるというところがありますし、その治療者に支配されることなく自分の人生を歩むことが出来ます。精神分析の世界で治療構造とか治療者の受け身性、匿名性という時、実はこれらは私が苦手な概念ですが、実はこれらの概念は少なくとも治療者の有すべき他者性を担保するための一つの原則ということもできるでしょう。
2022年4月8日金曜日
他者性の問題 その61 なぜ他者性なのか、という部分に少し付け加えた。
なぜ他者の問題が重要なのか?
ではどうしてこの一般的に論じられることが少ない「他者」についての議論が必要かということについて最後に述べさせていただきます。結論から言えば、それは私たちが生きていくうえで他者を絶対に必要としているからです。私たちは他者から承認されない限りは精神的な意味で生きていけないのです。コフート的な言い方では、私たちは自己対象機能を発揮してくれる現実の他者なしでは生き残ることが出来ません。もちろん生物学的にはそれなしでも生きて行けるかもしれません。でも他者に承認されることのない人生はとても寂しく、自己愛はしぼんでしまい、絶望的な孤独に満ちたものになるでしょう。