2022年4月8日金曜日

他者性の問題 その61 なぜ他者性なのか、という部分に少し付け加えた。

 なぜ他者の問題が重要なのか?

ではどうしてこの一般的に論じられることが少ない「他者」についての議論が必要かということについて最後に述べさせていただきます。結論から言えば、それは私たちが生きていくうえで他者を絶対に必要としているからです。私たちは他者から承認されない限りは精神的な意味で生きていけないのです。コフート的な言い方では、私たちは自己対象機能を発揮してくれる現実の他者なしでは生き残ることが出来ません。もちろん生物学的にはそれなしでも生きて行けるかもしれません。でも他者に承認されることのない人生はとても寂しく、自己愛はしぼんでしまい、絶望的な孤独に満ちたものになるでしょう。

このように述べると皆さんは「でも心の中に安定した包容力を持った内的対象像があれば十分ではないか?」とお尋ねになるかもしれません。対象関係論的な見方をすれば、そうなのかもしれません。でも皆さんは「瞼の母」だけで生きていけるでしょうか? おそらくそれではとても満足できないでしょう。もちろん人と関わることが嫌いな方、スキゾイド傾向の強い方は例外かもしれません。しかしいくら世捨て人のような生活を送っていても、現代のスマホ全盛の社会でSNSさえも疎ましく、一切の他者からの交流を断っている人などごくごく一部の例外でしょう。おそらくそれらの世捨て人さんたちも、最初は他者との交流や彼らからの承認を求めていたはずです。しかし思っていたような承認は得られないだけでなく、失望やトラウマを体験した結果として他者を敬遠するようになったのでしょう。そもそも他者は気まぐれで予想がつかず、私たちにトラウマ体験を及ぼす可能性もあります。しかしそれでも私たちは他者との接触や、他者から自分の存在を何らかの形で認めてもらうことなしには生きていけないのです。ただ私たちの多くはそのことを普段は気付いていない可能性はあるでしょう。