さて最後にでは治療者として備えるべき他者性とは何かについてお話します。クライエントが私たちについての内的イメージを持つことは普通です。それは精神分析で転移と呼ぶものに近いでしょう。そして治療者がクライエントさんたちに対する内的なイメージを持つことも普通であり、それは逆転移と呼ぶものに含まれるでしょう。
治療者が自分の逆転移を可能な限り理解するという事は精神分析的な治療を行う上でとても大事なことは言うまでもありません。そしてそうすることはクライエントさんを逆転移の外にある人として見ようと努力することであり、これは患者を他者として扱う事です。ある意味ではそれが患者さんを本当の意味で理解することでしょう。しかしここにはジレンマが生じています。なぜなら他者は見えない存在であり、その意味では理解しえない存在です。つまり治療者がクライエントを理解するとは、理解できないことを受け入れるという事になります。
実は同じことはクライエントの立場についても言えます。クライエントさんは治療者についてのイメージに捉われてはいけません。つまりは転移対象のままではなく、現実の、つかみどころのない治療者の存在をどこかで理解しなくてはなりません。つまりクライエントさんも治療者を他者として扱う必要があります。つまりは治療者とクライエントは相手は理解しえないという事をお互いに認め合うという事ではないでしょうか。それはわかりやすい言い方をすれば、相手にあまり期待しないという事ですが、同時に刮目すべき存在としても扱うという事でしょう。これはウィニコット的に言えば、対象を「用いる」というメンタリティに近づくという事でしょうか? でも治療者は他者性を帯びているからこそ距離を置いて客観的に見守ってくれるというところがありますし、その治療者に支配されることなく自分の人生を歩むことが出来ます。精神分析の世界で治療構造とか治療者の受け身性、匿名性という時、実はこれらは私が苦手な概念ですが、実はこれらの概念は少なくとも治療者の有すべき他者性を担保するための一つの原則ということもできるでしょう。