2017年1月7日土曜日

日本のエディプス ⑫

甘えについても追加しなきゃね。

Doi’s notion of amae
Takeo Doi, a psychiatrist and psychoanalyst proposed the concept of amae in his 1971 work, The Anatomy of Dependence (Doi, 1971) based on his trans-cultural experience in the United States. Amae, according to Doi, is to depend on others in harmony with them, typically when a child depends on his or her parents. It is crucial that the parents also experience amae vicariously while indulging their child. This mentality of amae forms the mainstream of one’s emotionality which stems from pre-Oedipal period and stretches throughout one’s life (Doi). Doi also explains that although is close to love, amae does not involve sexuality or ambivalence typically experienced in oedipal period. He also refers to passive object love proposed by Ferenczi and further discussed by M.Balint. Passive object love is expressed as a desire to be loved by others, which is a type of passive love and is closest to amae. Doi also makes a distinction between amae and dependence where the latter connotes a loss of control while in amae, the person requesting the indulgence is trying to gain full control of their environment.

Doi, T.( 2002) "amae"  dictionary of psychoanalysis. Iwasaki Academic Publisher

2017年1月6日金曜日

日本のエディプス ⑪ ファルスは隠されているのか、それとも不在なのか? 草稿

これまで述べたことをまとめるならば、日本人に見られる秘密主義や表現回避的な傾向が、本来のシャイで対人過敏な傾向に関係し、それがおそらくは隠されたものにある美や美徳や価値を見出す文化の形で昇華されているという可能性について論じたことになる。そこにはある種の誘惑もある可能性もあろうという点についても触れた。この問題については、いささか精神分析の発表では場違いに思われるかもしれないが、最近のセロトニントランスポーターの遺伝子に関する報告も後押ししている。日本人はこの遺伝子の短型が多く、用心深く不安を感じやすい傾向を表しているのである。
また精神分析の世界では、阿闍世の問題、見るなの禁止、甘え、などの概念が日本人の心性を特徴付けるようなものとして提案されているという点を示した。このうち「見るなの禁止」において問題となるのは、力への挑戦というタブー(父親殺しのタブー)よりは、むしろ現実の醜さや弱さを暴くことへのタブーであり、それは本来脱錯覚という形で「時間が来れば破られるべきタブー taboo to be broken in time」としてそこに存在する。また阿闍世の概念については、エディプス的、父親的で懲罰的な影響力ではなく、むしろ母親的な許しが人に罪悪感を生むというプロセスが提示された。
 これらに共通している点をまとめるならば、日本人は自らの力や要求を表現せず、主張せず、むしろ隠す傾向にある。それはそうすることで自分が目立たないでいられるからだ。いわば母親とのプレエディパルな関係性、土居なら甘えと呼ぶであろう母子関係、バリントの言う受身的対象愛が大きな意味を持つことになる。
日本のエディプスはこのように考えると、どちらかといえば陰性のそれとして理解することが出来るであろう。日本のエディプスとは結局直接対決や競争をしないことに特徴付けられる。しかしこの姿勢はおそらく日本以外のどこの世界には通用しないであろう。戦うことを最初から放棄している日本人は、とてつもないプッシュオーバーと思われてしまう。甘えはそれである。人にこちらのニーズを分かってもらうことを期待してしまう。それをやっていては日本の将来はないであろう。
精神分析理論はおそらく人間の心を理解する方針を指し示すことに役割がなくてはならない。
フロイトにおけるエディプス理論は自らの持つ攻撃性の受け入れであった。日本的なエディプスとは、父親とは集団であり、社会である。そしてそこで個が自立するために真に必要なのは集団の中で一人であること、なのであろう。しかし個人が独立して自己主張する際に、日本人は本当に大人にならなくてはならないのである。
日本のエディプスの問題を、隠すという観点から言い換えると次のように定式化できるのではないか? 日本ではファルスはいかに隠すか、というところにある。しかしそれは隠れることで威力を持つようなファルスでもある。あるいはそのようなファンタジーを抱いているのが日本人ということも出来る。しかしファルスを隠すという戦術は意味を持つのだろうか?
日本のエディプスに関しては、一方では母親との結びつきが大切であり、逆エディプスの関係を父親と結びやすい。そのせいか、日本人は父親≒社会と正面からの対立は避ける。そこでは社会との一体感、ペニスをいかに隠すか、あるいは鞘に格納したままにしておくかが重要。ペニスをひけらかすことは羨望を生むという口実に、ペニスの比べっこをすることのない社会が日本だ。核を持たない社会。持たないことに誇りを持つ社会。我が国のセロトニントランスポーター遺伝子はそれを意味している。

ここまで言っちゃっていいのだろうか?

2017年1月5日木曜日

解離概論 推敲 6

 治療の各段階
以下に主としてDID の個人療法について3つの段階に分けて論じる。
1段階 安全の確保、症状の安定化と軽減
治療の初期には、異なる人格部分の目まぐるしい入れ替わりが生じている可能性がある。この段階においては、患者に安全な環境を提供しつつ、表現の機会を求めている人格部分にはそれを提供し、それらの人格部分のいわば「減圧」を図ることも必要となろう。治療者は患者とともに、別の人格部分により表現されたものを互いに共有するための努力を払う。時にはそれぞれの筆記したものを一つのノートにまとめたり、生活史年表を作成したりするという試みが有効となる。治療は週に一度、ないしは二週に一度の頻度が求められよう。

2段階 主要な人格部分が解離以外の適応手段を獲得することへの援助
人格部分の入れ替わりや、子供の人格、攻撃性を持った人格などの活動が落ち着いた時点で、治療の第2段階に入る。主人格、すなわち主として生活を営む人格が定着し、それとの治療関係性が深まる。それとともに主人格が幅広い感情を体験できるようになり、過去のトラウマについての記憶も、人格交代を起こすことなく想起出来るようになる。(ただし主人格の日常生活への定着を図ることには、時には困難が伴い、二、三の人格部分の共存や競合が避けられない場合も少なくない。その場合は治療の目標はいかにそれらの人格部分が平和的に共存していくかについての検討となり、いわばグループ・ワークの様相を呈することもある。)

3段階 家族相談とコーチングの継続
順調に治療が進み、回復へのプロセスを辿った場合、頻回の治療は徐々に必要がなくなっていくであろう。しかし隔月等に定期的にセッションを設け、症状への対処の仕方や家族との関係についてのコーチングを継続することの意味は大きい。また患者がうつ病などの併存症を抱えている場合には、精神科受診による投薬の継続も必要となろう。 DID の患者がどのような家族のサポートが得られるかは、予後を占う上で非常に重要な問題である。DID の症状の深刻さは基本的には日常的な対人ストレスのバロメーターと言えるであろう。有効な治療を受けていても、家庭内暴力が日常的に生じている家庭に患者が戻っていくのでは、その効果は半減してしまうだろう。また患者の同居者が一度は治療的な役割を担っても、早晩その自覚を失ってしまう可能性もある。最初は保護的な役割を持っていた夫が、仕事のストレスが高まるにつれて暴力をふるうようになっていったという例もある。その意味では同居者を伴った継続的な受診は、よい治療環境を維持する効果を持つ。

ちなみに我が国で著されたDID の治療論としては、安克昌のそれは一読の価値がある2)。安は Richard Kluft の示した治療の9段階に沿って治療論を展開する。治療者は患者にかつて生じた外傷体験を一つ一つ除反応 abreact していくことにより、記憶の空白が埋められて行き、それにより次の段階の統合-解消 resolution へと向かう。この段階説は、治療論として高い整合性を持つものの、臨床的な現実とやや齟齬があるという印象を受ける。DID の治療においてしばしば遭遇されるのは、多くの、あたかも「自然消滅」していくかのような人格部分の存在である。それらの人々がことごとく過去の外傷体験についての除反応を経たとは考えにくい。DID の治療は多くの偶発的な出来事に左右され、治療者の思い描く治療方針通りに進まないことが多い。治療者は患者の身に降りかかるライフイベントや人格部分の予測可能な振る舞いに対応しつつ柔軟な姿勢を失わないことが重要であろう。


● 入院治療
患者の自傷行為や自殺傾向が強まった場合、ないしは人格の交代が頻繁で本人の混乱が著しい場合などには、一時的な入院治療の必要が生じるであろう。入院の目的としては、患者の安全を確保し、現在の症状の不安定化を招いている要因(たとえば家族間の葛藤、深刻な喪失体験など)があればそれを同定して取り扱い、外来による治療の再開をめざすこと等があげられる。
解離性障害の入院治療の意義としては、病棟による安全性が保たれることで、患者の退行をさほど心配することなく、より踏み込んだ治療が行える可能性が生まれることがあげられる。外来治療においては特定の人格部分のまま治療を終える事が出来ない場合、実質的にその人格部分を扱う時間は非常に限られるが、入院治療においてはその限りではない。また入院中にトラウマに直接間接に関与した家族を招いてのセッションなどが可能な場合もあろう。
現在我が国の精神科病棟で行われている解離性障害の治療の在り方を考えた場合、その多くが短期間の安全の提供や危機管理、症状の安定化に限られる傾向にある。しかし必要時の入院治療という後ろ盾があれば、外来において注意深くトラウマ記憶を扱ったり、攻撃的ないしは自己破壊的な人格部分に対応したりすることもより可能となる。またトラウマや解離性障害を治療するような特別の病棟がある場合にはなおのこと、治療効果を発揮するであろう。

2.解離性遁走の治療

解離性遁走に関する治療指針については、十分に治療者の間で合意を得られたものはない。患者はそれまでの記憶を失なった状態で発見され、警察に保護されたり救急治療室に搬送されたりした後に、精神科への入院となるケースが多い。そこで身体疾患を除外するための様々な検査を受けるのが通常であるが、神経学的な所見は乏しく、また比較的特徴ある臨床経過のために解離性遁走としての診断にスムーズにいたることが多い。ただしいったん診断が定まった場合は、特別な治療的介入が行われることなく経過観察のために数週間が費やされることが少なくないようである。しかし解離性遁走の患者の多くは身体的な異常も見られず、一定期間の記憶を失ってはいるものの、その多くは早晩日常生活に戻れる状態にある。
 治療者は外来においては、患者が日常生活に戻るために必要な情報の再学習を援助し、また遁走にいたった契機となった可能性のある社会生活上のストレス因について探索し、それを回避することを助けることが望まれる。患者は基本的にはエピソード記憶以外の記憶(手続き的記憶、スキルそのほか)を保持しているため、それを活用したリハビリテーションも有効な治療となるであろう。
筆者は解離性遁走の患者を対象として、心理士と協力して生活史年表を作成する試みを行っている。患者は記憶を失った期間の自分の行動のうち外部から情報を得られる分を集め、その期間に身の回りに起きた出来事や社会現象、話題を集めた歌曲や文学作品、映画やテレビ番組などを学習することで、社会生活に復帰した際のハンディキャップを軽減することが出来るであろう。ただしそれらの努力により健忘していた期間の記憶が突然よみがえることは少なく、そのため記憶の想起を第一の治療目標とするべきではないであろう。

おわりに


以上解離性障害の中でもDID解離性遁走の治療を中心に論述した。わが国ではまだ解離性障害は臨床家の間でなじみが薄く、その治療法も確立していない。しかしその治療の原則の一つとしては、そのほかの精神疾患と同様、治療関係において安全を確保しつつ、本人の自己治癒力を最大限に引き出すことにある。今後より多くの臨床家がこの障害についての知識を深め、誤解と偏見を排することで治療効果を一層期待できるものと考える。

2017年1月4日水曜日

解離概論 推敲 5

解離性障害の病歴を聞き取る際に特に注意を向けるべき点は、記憶の欠損、異なる人格部分の存在、自傷行為や転換症状の有無などである。面接者の尋ね方としては、「一定期間の事が思い出せない、ということが起きますか? 例えば今日の午前中は何をしていたか覚えていない、とか、中学時代の友達が一人も思い出せない、とかの体験です。」等の具体的な問いを向けるとよいであろう。
<中略>
 
また自傷行為については、それが解離性障害にしばしば伴う傾向があるために、特に重要な質問項目として掲げておきたい。転換性障害を疑わせる身体症状の有無にも注意を払いたい。転換症状はその他の解離症状に伴って、あるいはそれらとは独立したものとして見られることがある。DSM-5に準拠した診断においては、これらの症状は「変換症・転換性障害」に分類されるが、これらの存在は他の解離症状を示唆する重要な所見となる。また知覚の異常、特に幻聴や幻視があるかどうかも解離性障害の診断にとって重要な情報となる。また幻視は統合失調症では幻聴に比べてあまり見られないが、解離性の体験としてはしばしば報告される。それがイマジナリー・コンパニオン(想像上の遊び友達)のものである場合、その姿は外界の具体的な視覚像として体験される場合もある。
生育歴と社会生活歴
解離性障害の多くに過去のトラウマや深刻なストレスの既往(たとえば家族内外での性被害、家庭内の葛藤や別離、厳しい躾、転居、学校でのいじめ、疾病や外傷の体験等)が見られる以上、その聞き取りも重要となる。特にDID のように解離症状がきわめて精緻化されている場合、その症状形成に幼少時の深刻な体験が深く関連している可能性がある。ただしトラウマの体験やその記憶は非常にセンシティブな問題を含むため、その扱い方には慎重さを要する。また患者が幼少時より他人の感情を読み取り、ないしは顔色をうかがう傾向が強かったかどうか、いわゆる「過剰同調性」の有無にも注意を払いたい。なお思春期以降に見られる解離性遁走には、学校や職場での対人関係上のストレスがその発症に大きくかかわっていることが多く、そこにストレスをため込みやすい本人の性格傾向が関係することが多い。
なおDIDの症状を呈する患者との初回面接には、実際に人格の交代の様子を観察する試みも含まれるだろう。むろんそこにいかなる強制力も働くべきではない。しかし精神科を受診するDID の患者の多くが現在の生活において他の人格部分からの侵入を体験している以上は、初回面接でその人格との交流を試み、その主張を聞こうとすることは理にかなっていると言えるだろう。ちなみに人格部分との接触は、時には混乱や興奮を引き起こすような事態もあり得るため、他の臨床スタッフや患者自身の付添いの助けが得られる環境が必要であり、経験の浅い治療者の場合は、専門家のスーパービジョンも必要となろう。
診断および鑑別診断 → 「S 179. 解離性障害概論」の項を参照
 なお初回面接の最後には、面接者側からの病状の理解や治療方針の説明を行う。診断名に関しては、それを患者に敢えて伝えるべきかは治療者の方針により異なるが、筆者は患者が体験している症状が、精神医学的に記載されており、治療の対象となりうるものであるという理解を伝えることの益は無視できないであろうと考える。患者が統合失調症という診断を過去に受けており、しかもその事実を十分に説明されることなく抗精神病薬の投薬を受けているというケースが非常に多いからである。
治療方針については、併存症への薬物療法以外には基本的には精神療法が有効であること、ただしその際は治療者が解離の病理について十分理解していることが必要であることを伝える。解離性遁走に関しては、最終的な診断が下された後は、筆者は患者の記憶の回復が必ずしも最終目標ではなく、出来るだけ通常の日常生活に戻ることの重要さを説明することにしている。


解離性障害の治療

解離性障害は、記憶、知覚、運動、情動などの心身の諸機能の一部が一時的に欠落し、心身の統合機能が損なわれた状態である。そしてその治療の最終的な目標は、患者が「統合された機能を獲得すること」と言える。しかしそれは必ずしも容易ではなく、そのための治療のプロトコールや薬物の選択が現在の精神医学において確立しているわけではない。結局治療の基本は、安全な環境を提供しつつその個人の持つ自然治癒力による回復を促すことである。解離症状の多くがトラウマや深刻なストレスをきっかけとして生じている以上、それらに関する記憶を扱うことが時には必要となるが、そこに治療者の個人的な好奇心や治療的な野心が働いたり、治療自体が結果的に再トラウマ体験となったりするような事態はできる限り回避しなくてはならない。また筆者の体験からは、治療者が解離症状に無理解で、それを当人の演技とみなしたり疾病利得を疑ったり、場合によっては詐病と決めつけたりすることによる二次的なトラウマを多くの患者が体験しているのも事実である。
<以下略>

2017年1月3日火曜日

解離概論 推敲 4

境界性パーソナリティ障害
境界性パーソナリティ障害(borderline personality disorder, 以下 BPD とする) が解離性障害と混同される原因は大きく二つ考えられる。一つは診断ないしは概念上の混乱である。かつてHerman は複合型 PTSD の概念を提出した中で、従来BPD と呼ばれてきた障害は基本的にはトラウマに由来するものとしてとらえた。現代の解離概念を代表する構造的解離理論においても、van der Hart らはBPD を「二次的な構造的解離」ととらえている。これらの理論に従えば、BPD はトラウマ関連疾患ということになる。DSM-5 に見られるBPD の第10項目である「一過性の解離症状」という項目も、このような見方の根拠の一部をなしているといっていいだろう。実際にDSM51BPD の診断基準の多くは、DIDにも当てはまる可能性があるとも言われる21)
 BPD が解離性障害と混同されるもう一つの原因はBPDの患者と解離性障害、特にDIDの患者がともに持つ、極端な対人関係のあり方に見出すことができる。しかし松本 や岡野が指摘するように、BPDと解離性障害には根本的な相違がある。それは端的に内的世界において何を分裂 split させるかという問題に関してである。BPD と異なり、解離性障害の患者は怒りや恐怖を投影や外在化することで対象にぶつけることがむしろ苦手な傾向にある。筆者の臨床体験としても、BPD の患者がしばしば治療関係を安定した形で持つことが難しいのに対し、解離性障害においては治療関係を大切にし、むしろ治療者に気を使いすぎるという特徴がみられる。しかし数は少ないながらもBPDの傾向を併せ持つDIDの患者に出会うこともある。ちなみに筆者は便宜的にBPD の病理を一つのスペクトラムとして理解し、解離性障害の患者が時にどの程度のBPD 性を発揮しうるか、という捉え方をしている。このような見方は、BPDか解離性か、といった二者択一的な診断を患者にあてはまる必要から治療者を解放してくれるであろう。

側頭葉癲癇
解離症状は、時には癲癇症状と区別がつきにくい場合がある。解離様のエピソードにおいて患者の行動にまとまりがなく、また深刻な意識変容が疑われる場合、それが実は側頭葉癲癇の可能性があるために注意を要する。以下に米国の Epilepsy Foundation のホームページ にある記載内容をもとにその症状をまとめてみる。
側頭葉癲癇は癲癇の中でももっとも頻度が高いもののひとつとされる。癲癇波は多くの場合側頭葉の海馬から始まり周囲の組織に及ぶ。 側頭葉癲癇はさまざまな名前で呼ばれ、単純部分癲癇(意識喪失を伴わないもの)と複合部分癲癇(意識喪失を伴う)、精神運動発作、辺縁系癲癇などとも呼ばれている。発作の前兆としてしばしば観察されるアウラにおいては、周囲が異様に感じられたり、声、音楽、におい、味などの幻覚が生じたりする場合もあり、また吐き気などの消化器症状なども特徴的とされる。アウラは通常数秒から12分続くことがあり、それに続く症状はさまざまな形態をとる。古い記憶、感情、感覚などが突然襲い、 一点を見つめる、手をいじくりまわす、舌や唇を鳴らす、おかしなしゃべり方になる、などの症状が見られる。診断はMRIの所見(海馬の硬化など)と脳波所見(前側頭葉の棘波および徐波 spike or sharp waves など)が決め手となり、多くは神経学的な治療により回復する。 
筆者の体験したあるケースは、その「発作」の最中に、周囲に助けを求めたり、許しを請うたりする言葉が繰り返され、一見幼少時のトラウマを再現しているようであった。しかし繰り返して脳波をとった結果として異常波が見られ、抗癲癇薬が処方されることで症状が軽快した。
側頭葉と解離症状との関連はすでに諸家により示唆されている。そもそも側頭葉癲癇の症状として解離症状や離人体験が記載されることも多い。Lanius らは、解離性の症状を示す患者において、側頭葉の活動亢進が見られることを報告している。ただしこのことから解離性の症状を一義的に側頭葉の病理に帰することは無論出来ない。

一過性全健忘、一過性脳虚血発作

一過性全健忘 transient global amnesia や一過性脳虚血発作 transient ischemic attack は、解離性遁走との鑑別で問題となる可能性がある。一過性全健忘においては、患者はある日前触れもなく前向性健忘を来し、新しいことをまったく覚えられなり、同じ質問を繰り返したりするが、通常 24 時間以内に症状は消失する。原因には諸説があるが、今のところ不明であるとされる。
一過性脳虚血発作もまた解離症状や癲癇症状との鑑別に関して重要である。症状としては一過性の視覚異常、失語、呂律のまわらなさ、混乱等がみられるが、多くの場合数分で症状は消失する。一般に一過性脳虚血発作の発症は解離性遁走に比べてより高年齢層でみられ、また症状の時間経過から鑑別は比較的容易である。原因としては脳の一部、脊髄、網膜等に血栓による一過性の虚血状態が生じるためとされる。

2 解離性障害の対応と治療


解離性障害の初回面接

解離性障害を有する患者との初回面接は、患者との関係性を築き、正確な診断に至り、今後の治療方針を考えるうえで極めて重要となる。18) 本稿では解離性障害の可能性がある患者について、その鑑別診断を考慮しつつ初回の面接を行うという設定を考える。
 解離性障害は決して珍しい障害ではない。一般人口の 1~5% に見られるという見解もあり、精神科医が一般の臨床で実際に出会うことは決して少なくない。また解離性障害についての臨床家による認知度が増すに従い、それが見逃される可能性は少なくなってきているという印象を持つ。
解離性障害の中でも特にDID の初回面接においては、患者はしばしば面接者に警戒心を持ち、自分の訴えをどこまで理解してもらえるかについて不安を抱えていることに留意すべきであろう。DIDの患者は多くの場合、すでに別の精神科医と出会い、解離性障害とは異なる診断を受けている。 解離性障害の患者が誤診されやすい理由は、解離(転換)の症状の性質そのものにある。DIDのように心の内部に人格部分が複数存在すること、一定期間の記憶を失い、その間別の人格としての体験を持つこと、あるいは転換性障害のように体の諸機能が突然失われて、また比較的急速に回復する、などの様子は、私たちが常識的な範囲で理解する心身のあり方とは大きく異なり、そこに演技や詐病の可能性を疑う医療関係者も少なくない。
 筆者の経験では、解離性障害の主訴には、「物事を覚えていない」「過去の記憶が抜け落ちている」などの記憶に関するものが多い。それに比べて「人の声が聞こえてくる」「頭の中にいろいろな人のイメージが浮かぶ」などの幻覚様の体験は、少なくとも訴えとしてはあまり聞くことがない。それは前者は患者が実際の生活で困っていることであるのに対し、後者は患者がかなり昔から自然に体験しているために、それを不自然と思っていない場合が多いからであろう。
病歴の聴き取り方
解離性障害の現病歴は、すでに幼少時に始まっている可能性がある。たとえ明確な人格の交代現象は思春期以降に生じるようになったとしても、誰かの声を頭の中で聴いていたという体験や、実在しないはずの人影が視野の周辺部に見え隠れしていた、などの記憶が学童期にすでにあったというケースは少なくない。もちろん解離性障害の患者の中には、幼少時の解離症状が明確には見出せない場合もある。解離性遁走の場合は突然自宅や職場から姿を消した時が事実上の発症時期とみなせる。また転換性障害についても身体症状の開始以前に特に解離性の症状が見られない場合も多い。

2017年1月2日月曜日

解離概論 推敲 3

解離性健忘、解離性遁走
解離性障害の中で解離性健忘を一つの独立した疾患として位置づけることにはそれなりの意味がある。上記の離人・現実感消失障害は、いわば解離的な状態が継続していることを表すが、解離性健忘は、状態としての解離の結果として生じた状態と見なすことができる。すなわちある数分ないし数時間、場合によっては数日の間に起きていた解離のために、後になりその時のことを想起できないのである。しかし場合によっては解離性健忘は、DIDにおいて人格Aの持った体験を、人格Bの状態で想起できないという形で生じている可能性がある。その意味では、解離性健忘は真の健忘というよりは「想起不能状態」と形容すべきものである。解離性健忘を有する人の場合、過去の一定の事柄を想起できないことを除いては、特に心身に問題がないことが通常である。ただしもちろんこの状態は、心の機能のうち過去の記憶が統合されていない、という意味では前出の解離モデルに当てはまることになる。
解離性健忘はそれ以外の機序による真正の健忘と区別されるべきであることは言うまでもなく、健忘された期間も正常に海馬が機能していたことが前提条件となる。そのためにその期間の体験が長期記憶として皮質に保存されているものの、アクセスが不能な状態になっているのだ。ただし症例によってはこの長期記憶が存在するのか否かが不明なままである場合も少なくない。特に頭部外傷を伴っていた場合、あるいは飲酒や薬物の影響下にあった場合などは解離性健忘と真正の健忘との区別がつきにくい。更には情緒的なインパクトが強烈な場合にも海馬の機能が抑制されることでエピソード記憶そのものが形成されない場合もある。PTSDなどのフラッシュバックはその種の現象の帰結と考えることができる。
解離性健忘は、記憶がどのようなきっかけで回復するか、あるいは果たして将来にわたって回復し得るのかという点が臨床上しばしば問題になる。あるケースは数日以内に思い出し、別のケースは3年かかり、さらに別のケースは10年以上たっても想起されないという事態が生じる。健忘の生じる内容は、過去の一定期間であったり、遁走の生じた数日間であったりする。ただしいずれもスキル等の非陳述的な記憶は保存されているのが通常である。
なお解離性遁走は DSM-IVまでは独立した障害として解離性障害の中に掲げられていたが、DSM-5 では解離性健忘のサブタイプとして分類されることになった。それに伴ってその定義も、「突然の予期しない、自宅ないし職場からの旅立ち」 から「一見目的を持った旅立ちやあてのない放浪」という、より具体的な表現にかわっている。解離性遁走はその表れ方が突然で、しかも周囲に大きな混乱を巻き起こすために臨床上問題となることが多い。ただしその多くは単回性であり、失われた記憶が最終的に回復するかは症例により大きく異なる。
ところでDSM-5 における解離性遁走の解離性健忘のサブタイプへの「格下げ」については、遁走の主症状が目的もなく彷徨するということそのものよりは健忘にあるということ、また彷徨や新しいアイデンティティの獲得が常に存在するとは限らないことがその根拠とされる22)
 筆者の日本での経験からは、解離性遁走は男性に特に多く見られ、その一部は
DID と重複している可能性があるものの、基本的にはそれとは大きく性質を異にしている。患者の多くは必ずしも明白な幼少時のトラウマを伴わず、遁走中の人格状態もDID のそれのように精緻化されていない傾向にあるため、その人格状態を臨床的に取り扱うことは困難であることが多い。
トランス障害
トランス障害は、DSM-5ICD-11試案に新たに登場した障害である。解離性トランス状態とは、直接接している環境に対する認識の急性の狭窄化または完全な欠損によって特徴づけられ、環境刺激への著明な反応性の低下または無反応として現れる。無反応性は、軽微な常同的行動(:指運動)を伴うことがあるが,一過性の麻痺または意識消失と同様に、当人はそれに気づかないことも多い。
トランス状態との関連でしばしば論じられるのが、いわゆる憑依 possession である。悪魔に取り付かれているなどの状態では、その世界に没入し、周囲とのコンタクトが取れないという特徴が見られる。ある研究は悪魔にとり付かれたという症状を訴える人々の症状が、DIDと多くの点で共通するとする
Ferracuti S, Sacco R, Lazzari R. Dissociative trance disorder: clinical and Rorschach findings in ten persons reporting demon possession and treated by exorcism. J Pers Assess. 1996 Jun;66(3):525-39.
多くのDIDとの臨床経験からは、DIDの場合にもこのトランス状態に近い様子を見ることがある。通常何度も出てなじみになっている人格とは異なり、目が据わり、呼びかけにも応じず、最小限の、または中途半端な応答しか交わさない。表情はうつろで視点は定まったままである。このような状態は、交代人格の出現というよりは、それとは別の解離状態、そこに生物学的な原因を強く疑うような状態である。通常は短時間だが長く続く。始まりも終わりも比較的急であるところが、解離的である。当人はそのときのことを覚えていないか、あるいはぼんやりと記憶していることもある。睡眠障害の一種と考えられているクラインレビン症候群についても、発症中は覚醒している間も朦朧とし、衝動的性が増している。再び眠りについてから覚醒すると普通に戻り、その朦朧としていた間の記憶がない。これも一種のトランス状態とみなすことが出来るであろう。

解離性障害の除外診断

わが国ではここ10年で解離性障害の診断は以前より頻繁に、かつ正確に下されているという印象を受ける。ここではその際の鑑別診断について論じる。
松本12)は解離性障害の鑑別に重要な疾患として統合失調症とBPDを挙げている(松本、12)が、本稿ではこの二つについて主として論じるとともに、特に注意が必要とされる側頭葉てんかんについても触れたい。

統合失調症やその他の精神病
幻聴や幻視、関係念慮の有無は、解離性障害、特にDID に関する鑑別診断を考える上で重要な手がかりとなる。しかしこれらの「精神病様」の症状の存在自体は解離性障害の可能性を肯定も否定もしない。DID の診断の決め手は独立した主体性を持った人格部分が心に宿るという心的現象であり、逆に言えば「精神病様」の症状が、それらの人格部分から注視されたりメッセージを伝達されたりするという体験の一部として説明することが難しければ、診断は統合失調症などの精神病により傾くであろう。
「精神病様」の症状のうち、幻聴は解離性障害が統合失調症と誤診される最大の原因となりうる症状である3)。解離性幻聴の特徴としては、内容が多彩であること、意味内容が比較的明確であること、その出現が幼少時にさかのぼることなどが多い、などがあげられる12)。また幻聴の内容が本人の生活史やトラウマに関連したものであることが多い点にも注意したい28)。また以前言われたほど、幻聴が「頭の中で」聞こえることが解離性の幻聴に特異的とは考えられていない6)

幻視については、統合失調症においては少ないが、解離性障害には比較的多く聞かれる。また統合失調症の幻視が奇怪な内容であるのに比べて、解離性障害の幻視の内容はおおむね現実的で、過去の外傷体験のフラッシュバックという色彩を持つ 4)。ただし解離性の幻視にはファンタジックな内容や幽霊等を体験するケースも報告されている
また直接の幻視体験ではないものの、解離性の体験における背後からの被注察感は柴山が指摘するが20)、この症状は臨床場面でも多く聞かれ、これは他方で幽体離脱や自分を背後から見ているという体験とも相補的である可能性がある。
 関係念慮は筆者もしばしば統合失調症の決め手として用いるが、解離性障害においても同類の体験が聞かれることがある。ただしそれは一過性で、症状の主要部分を占めることはない。

精神病様の症状の存在とは別に、解離性障害の場合には全体の臨床経過が、統合失調症の典型的なそれとは大きく異なる。解離性障害の場合、精神病の陰性症状は見られず、全体的な社会機能の低下も限定される。また解離症状は年齢とともに軽減ないし消褪していく傾向になる。さらには記憶の欠損ないしは健忘の存在も、統合失調症とは大きく異なる点である。 

2017年1月1日日曜日

解離概論 推敲 2

こんなことを書いているうちに年が明けた…。

年末に気になったニュース。トランプ氏のロシアの賞賛。(諜報活動をしていたロシア人を国外追放したオバマ氏への報復をしなかったこと。)政治家でないだけにいろいろな行動に出るが、これはプロの政治家がやらないことである。しかし冷戦時代には「相手を褒める」というのは最も効果の期待できるストラテジーではないか。

解離性障害の分類

上述の定義にしたがった解離性障害の分類は、DSMにおいてもICDにおいても、以前のものからかなりの変更が加えられている。
まずDSM-5においては以下の文類が見られる。
解離性同一性障害 Dissociative identity disorder
離人感・現実感消失障害 Depersonalization-derealization disorder
他の特定される解離性障害 Oher specified dissociative disorder
特定不能の解離性障害 Unspecified dissocative disorder
解離性健忘 Dissociative amnesia

このうち「他の特定される解離性障害」については以下の「例」が挙げられている。
1.          混合性解離症の慢性および反復性症候群
2.          長期および集中的な威圧的説得による同一性の混乱
3.          ストレスの強い出来事に対する急性解離反応
4.          解離性トランス

他方ではWHOの診断基準であるICDの新版(ICD-11)はその最終的な発表が2018年に計画されているが、その試案として公開されているもの(ベータ試案)には、以下のような項目が挙げられている。


解離性神経症状障害 Dissociative neurological symptom disorder
解離性健忘 Dissociative amnesia
離人-現実感喪失障害 Depersonalization-derealization disorder
トランス障害 Trance disorder
憑依トランス障害 Possession trance disorder
複雑性解離性侵入障害 Complex dissociative intrusion disorder
解離性同一性障害 Dissociative identity disorder
二次的解離性障害 Secondary dissociative syndrome

これらを見比べると、DSMICDはかなり歩み寄ってきているという印象を持つ。両者とも解離性同一性障害、解離性健忘、離人感・現実感消失障害を三つの主要な解離性障害とみなし、これまであった解離性遁走は解離性健忘に吸収された形になっている。また憑依、ないしトランス状態にもその位置を与えられている。これらが両者に共通しているのだ。ただし従来の転換性障害については依然として、DSMでは解離性障害には含まれない一方で、ICD-11ベータ試案ではそれが解離性神経症状障害と呼び名を変えて解離性障害の一つとして位置付けられている。すなわち転換症状を解離に含めるか否かに関する両者の不一致は継続して見られるのである。
また解離性障害は、大分類としてはDSM-5では「7.心的外傷およびストレス因関連障害群、「8.解離症群/解離性障害群」、「9.身体症状症および関連症群」の順で登場し、ICD-11ベータ試案でも同様に「ストレスと特に関連する障害群 disorders specifically associated with stress」「解離性障害群dissociative disorders」「身体苦痛障害 Bodily distress disorder 」の順で掲げられているが、これは解離性障害とストレス関連障害群、身体症状障害との強い関連性を示す意図の表れと考えられよう。

幾つかの代表的な解離性障害

以下に解離性障害の代表的なものについて概説する。DSM-5ICD-11ベータ試案を参照する限り、解離性障害は1980の再登場以来30年以上を経て離人、健忘、DID、トランスの4つに集約されてきたという観がある。それを全体的に概観するならば、まずDIDについては、その病理の成立過程は比較的わかりやすいといえよう。幼少時の深刻なストレスないしトラウマに対して、解離というメカニズムにより処理することを余儀なくされた子供がいくつかの人格を形成していく過程は、家族の観察によっても、患者自身の叙述によっても、比較的明瞭に記載されることが多い。幼児の高い可塑性を持った中枢神経においてのみ精緻化された人格状態が形成されると考えられよう。
他方では解離性トランスや解離性健忘は、ストレスによる新たな人格の形成には至らない、いわばDIDの不全型と見なすこともできるであろう。その際後に解離性健忘を残すような人格状態は、通常はDIDにおける人格ほどには精緻化されていない。また解離性トランスの場合には意識の狭小化が伴い、のちに結果としての解離性健忘を残す可能性が高い。

解離性同一性障害

DSM-5におけるDIDの診断基準のうちA基準はは以下のように示されている。「2つ以上の明確に異なる人格状態の存在により特徴づけられるアイデンティティの破綻であり、それは文化によっては憑依の体験として表現される。」ちなみにこの憑依に関する記述はDSM-IV-TR には存在しなかった。またA基準の文末には「それらの兆候や症状は他者により観察されたり、その人本人により報告されたりすること。」とあり、人格の交代は直接第三者に目撃されなくても、当人の報告で十分である点が示されている。さらにB基準としては「想起不能となることは、日常の出来事、重要な個人情報、そして、または外傷的な出来事であり、通常の物忘れでは説明できないこと。」となっている。(DSM-IV-TRの同ヵ所では「重要な個人情報」とのみ書かれていた。)
以上をまとめると、DSM-5におけるDIDの診断基準の以前からの変更点は、人格の交代とともに、憑依体験もその基準に含むこと、人格の交代は当人の申告でもいいという点を明確にしたこと、健忘のクライテリアを、日常的なことも外傷的なことも含むものとしたこと、の三点となる。
DIDの理解や治療方針について概要を示せば、幼少時の深刻なストレスないしはトラウマを機に発症し、いくつかの人格の素地をすでにその時期に備えているのが通常である。思春期以降実家から離れることをきっかけに人格交代が生じることが多い。人格間の記憶の保持や共有についてはケースバイケースであり、一つの人格が活動している間にほかの複数の人格がそれを眺めているというパターンがむしろ一般的である。
現実のケースでは、沢山の人格部分が形成されることはあっても、それらの多くはやがて休眠する運命にある。またDIDを有するケースの多くは明確にそれと同定されることなく、次第に解離症状が目立たなくなっていく可能性がある。しかし過去にトラウマに直接かかわった人物と遭遇したり、新たなストレスやトラウマを体験した際、あるいは激しい情動体験を持った場合などに、それまで休眠していた人格部分が賦活されて現れる可能性もあろう。したがってDIDの治療はいったん終了となった後も、その時々の症状の再燃に対して適宜介入する必要が生じる場合が多い。

<以下略>