2017年1月4日水曜日

解離概論 推敲 5

解離性障害の病歴を聞き取る際に特に注意を向けるべき点は、記憶の欠損、異なる人格部分の存在、自傷行為や転換症状の有無などである。面接者の尋ね方としては、「一定期間の事が思い出せない、ということが起きますか? 例えば今日の午前中は何をしていたか覚えていない、とか、中学時代の友達が一人も思い出せない、とかの体験です。」等の具体的な問いを向けるとよいであろう。
<中略>
 
また自傷行為については、それが解離性障害にしばしば伴う傾向があるために、特に重要な質問項目として掲げておきたい。転換性障害を疑わせる身体症状の有無にも注意を払いたい。転換症状はその他の解離症状に伴って、あるいはそれらとは独立したものとして見られることがある。DSM-5に準拠した診断においては、これらの症状は「変換症・転換性障害」に分類されるが、これらの存在は他の解離症状を示唆する重要な所見となる。また知覚の異常、特に幻聴や幻視があるかどうかも解離性障害の診断にとって重要な情報となる。また幻視は統合失調症では幻聴に比べてあまり見られないが、解離性の体験としてはしばしば報告される。それがイマジナリー・コンパニオン(想像上の遊び友達)のものである場合、その姿は外界の具体的な視覚像として体験される場合もある。
生育歴と社会生活歴
解離性障害の多くに過去のトラウマや深刻なストレスの既往(たとえば家族内外での性被害、家庭内の葛藤や別離、厳しい躾、転居、学校でのいじめ、疾病や外傷の体験等)が見られる以上、その聞き取りも重要となる。特にDID のように解離症状がきわめて精緻化されている場合、その症状形成に幼少時の深刻な体験が深く関連している可能性がある。ただしトラウマの体験やその記憶は非常にセンシティブな問題を含むため、その扱い方には慎重さを要する。また患者が幼少時より他人の感情を読み取り、ないしは顔色をうかがう傾向が強かったかどうか、いわゆる「過剰同調性」の有無にも注意を払いたい。なお思春期以降に見られる解離性遁走には、学校や職場での対人関係上のストレスがその発症に大きくかかわっていることが多く、そこにストレスをため込みやすい本人の性格傾向が関係することが多い。
なおDIDの症状を呈する患者との初回面接には、実際に人格の交代の様子を観察する試みも含まれるだろう。むろんそこにいかなる強制力も働くべきではない。しかし精神科を受診するDID の患者の多くが現在の生活において他の人格部分からの侵入を体験している以上は、初回面接でその人格との交流を試み、その主張を聞こうとすることは理にかなっていると言えるだろう。ちなみに人格部分との接触は、時には混乱や興奮を引き起こすような事態もあり得るため、他の臨床スタッフや患者自身の付添いの助けが得られる環境が必要であり、経験の浅い治療者の場合は、専門家のスーパービジョンも必要となろう。
診断および鑑別診断 → 「S 179. 解離性障害概論」の項を参照
 なお初回面接の最後には、面接者側からの病状の理解や治療方針の説明を行う。診断名に関しては、それを患者に敢えて伝えるべきかは治療者の方針により異なるが、筆者は患者が体験している症状が、精神医学的に記載されており、治療の対象となりうるものであるという理解を伝えることの益は無視できないであろうと考える。患者が統合失調症という診断を過去に受けており、しかもその事実を十分に説明されることなく抗精神病薬の投薬を受けているというケースが非常に多いからである。
治療方針については、併存症への薬物療法以外には基本的には精神療法が有効であること、ただしその際は治療者が解離の病理について十分理解していることが必要であることを伝える。解離性遁走に関しては、最終的な診断が下された後は、筆者は患者の記憶の回復が必ずしも最終目標ではなく、出来るだけ通常の日常生活に戻ることの重要さを説明することにしている。


解離性障害の治療

解離性障害は、記憶、知覚、運動、情動などの心身の諸機能の一部が一時的に欠落し、心身の統合機能が損なわれた状態である。そしてその治療の最終的な目標は、患者が「統合された機能を獲得すること」と言える。しかしそれは必ずしも容易ではなく、そのための治療のプロトコールや薬物の選択が現在の精神医学において確立しているわけではない。結局治療の基本は、安全な環境を提供しつつその個人の持つ自然治癒力による回復を促すことである。解離症状の多くがトラウマや深刻なストレスをきっかけとして生じている以上、それらに関する記憶を扱うことが時には必要となるが、そこに治療者の個人的な好奇心や治療的な野心が働いたり、治療自体が結果的に再トラウマ体験となったりするような事態はできる限り回避しなくてはならない。また筆者の体験からは、治療者が解離症状に無理解で、それを当人の演技とみなしたり疾病利得を疑ったり、場合によっては詐病と決めつけたりすることによる二次的なトラウマを多くの患者が体験しているのも事実である。
<以下略>