● 治療の各段階
以下に主としてDID の個人療法について3つの段階に分けて論じる。
第1段階 安全の確保、症状の安定化と軽減
治療の初期には、異なる人格部分の目まぐるしい入れ替わりが生じている可能性がある。この段階においては、患者に安全な環境を提供しつつ、表現の機会を求めている人格部分にはそれを提供し、それらの人格部分のいわば「減圧」を図ることも必要となろう。治療者は患者とともに、別の人格部分により表現されたものを互いに共有するための努力を払う。時にはそれぞれの筆記したものを一つのノートにまとめたり、生活史年表を作成したりするという試みが有効となる。治療は週に一度、ないしは二週に一度の頻度が求められよう。
第2段階 主要な人格部分が解離以外の適応手段を獲得することへの援助
人格部分の入れ替わりや、子供の人格、攻撃性を持った人格などの活動が落ち着いた時点で、治療の第2段階に入る。主人格、すなわち主として生活を営む人格が定着し、それとの治療関係性が深まる。それとともに主人格が幅広い感情を体験できるようになり、過去のトラウマについての記憶も、人格交代を起こすことなく想起出来るようになる。(ただし主人格の日常生活への定着を図ることには、時には困難が伴い、二、三の人格部分の共存や競合が避けられない場合も少なくない。その場合は治療の目標はいかにそれらの人格部分が平和的に共存していくかについての検討となり、いわばグループ・ワークの様相を呈することもある。)
第3段階 家族相談とコーチングの継続
順調に治療が進み、回復へのプロセスを辿った場合、頻回の治療は徐々に必要がなくなっていくであろう。しかし隔月等に定期的にセッションを設け、症状への対処の仕方や家族との関係についてのコーチングを継続することの意味は大きい。また患者がうつ病などの併存症を抱えている場合には、精神科受診による投薬の継続も必要となろう。 DID の患者がどのような家族のサポートが得られるかは、予後を占う上で非常に重要な問題である。DID の症状の深刻さは基本的には日常的な対人ストレスのバロメーターと言えるであろう。有効な治療を受けていても、家庭内暴力が日常的に生じている家庭に患者が戻っていくのでは、その効果は半減してしまうだろう。また患者の同居者が一度は治療的な役割を担っても、早晩その自覚を失ってしまう可能性もある。最初は保護的な役割を持っていた夫が、仕事のストレスが高まるにつれて暴力をふるうようになっていったという例もある。その意味では同居者を伴った継続的な受診は、よい治療環境を維持する効果を持つ。
ちなみに我が国で著されたDID の治療論としては、安克昌のそれは一読の価値がある2)。安は Richard Kluft の示した治療の9段階に沿って治療論を展開する。治療者は患者にかつて生じた外傷体験を一つ一つ除反応 abreact していくことにより、記憶の空白が埋められて行き、それにより次の段階の統合-解消 resolution
へと向かう。この段階説は、治療論として高い整合性を持つものの、臨床的な現実とやや齟齬があるという印象を受ける。DID の治療においてしばしば遭遇されるのは、多くの、あたかも「自然消滅」していくかのような人格部分の存在である。それらの人々がことごとく過去の外傷体験についての除反応を経たとは考えにくい。DID の治療は多くの偶発的な出来事に左右され、治療者の思い描く治療方針通りに進まないことが多い。治療者は患者の身に降りかかるライフイベントや人格部分の予測可能な振る舞いに対応しつつ柔軟な姿勢を失わないことが重要であろう。
● 入院治療
患者の自傷行為や自殺傾向が強まった場合、ないしは人格の交代が頻繁で本人の混乱が著しい場合などには、一時的な入院治療の必要が生じるであろう。入院の目的としては、患者の安全を確保し、現在の症状の不安定化を招いている要因(たとえば家族間の葛藤、深刻な喪失体験など)があればそれを同定して取り扱い、外来による治療の再開をめざすこと等があげられる。
解離性障害の入院治療の意義としては、病棟による安全性が保たれることで、患者の退行をさほど心配することなく、より踏み込んだ治療が行える可能性が生まれることがあげられる。外来治療においては特定の人格部分のまま治療を終える事が出来ない場合、実質的にその人格部分を扱う時間は非常に限られるが、入院治療においてはその限りではない。また入院中にトラウマに直接間接に関与した家族を招いてのセッションなどが可能な場合もあろう。
現在我が国の精神科病棟で行われている解離性障害の治療の在り方を考えた場合、その多くが短期間の安全の提供や危機管理、症状の安定化に限られる傾向にある。しかし必要時の入院治療という後ろ盾があれば、外来において注意深くトラウマ記憶を扱ったり、攻撃的ないしは自己破壊的な人格部分に対応したりすることもより可能となる。またトラウマや解離性障害を治療するような特別の病棟がある場合にはなおのこと、治療効果を発揮するであろう。
2.解離性遁走の治療
解離性遁走に関する治療指針については、十分に治療者の間で合意を得られたものはない。患者はそれまでの記憶を失なった状態で発見され、警察に保護されたり救急治療室に搬送されたりした後に、精神科への入院となるケースが多い。そこで身体疾患を除外するための様々な検査を受けるのが通常であるが、神経学的な所見は乏しく、また比較的特徴ある臨床経過のために解離性遁走としての診断にスムーズにいたることが多い。ただしいったん診断が定まった場合は、特別な治療的介入が行われることなく経過観察のために数週間が費やされることが少なくないようである。しかし解離性遁走の患者の多くは身体的な異常も見られず、一定期間の記憶を失ってはいるものの、その多くは早晩日常生活に戻れる状態にある。
治療者は外来においては、患者が日常生活に戻るために必要な情報の再学習を援助し、また遁走にいたった契機となった可能性のある社会生活上のストレス因について探索し、それを回避することを助けることが望まれる。患者は基本的にはエピソード記憶以外の記憶(手続き的記憶、スキルそのほか)を保持しているため、それを活用したリハビリテーションも有効な治療となるであろう。
治療者は外来においては、患者が日常生活に戻るために必要な情報の再学習を援助し、また遁走にいたった契機となった可能性のある社会生活上のストレス因について探索し、それを回避することを助けることが望まれる。患者は基本的にはエピソード記憶以外の記憶(手続き的記憶、スキルそのほか)を保持しているため、それを活用したリハビリテーションも有効な治療となるであろう。
筆者は解離性遁走の患者を対象として、心理士と協力して生活史年表を作成する試みを行っている。患者は記憶を失った期間の自分の行動のうち外部から情報を得られる分を集め、その期間に身の回りに起きた出来事や社会現象、話題を集めた歌曲や文学作品、映画やテレビ番組などを学習することで、社会生活に復帰した際のハンディキャップを軽減することが出来るであろう。ただしそれらの努力により健忘していた期間の記憶が突然よみがえることは少なく、そのため記憶の想起を第一の治療目標とするべきではないであろう。
おわりに
以上解離性障害の中でもDIDと解離性遁走の治療を中心に論述した。わが国ではまだ解離性障害は臨床家の間でなじみが薄く、その治療法も確立していない。しかしその治療の原則の一つとしては、そのほかの精神疾患と同様、治療関係において安全を確保しつつ、本人の自己治癒力を最大限に引き出すことにある。今後より多くの臨床家がこの障害についての知識を深め、誤解と偏見を排することで治療効果を一層期待できるものと考える。