2024年7月3日水曜日

「トラウマ本」 トラウマと心身相関 推敲 4

身体科からの歩み寄り


 ところで転換性障害については最近新しい動きが見られる事にも言及しておきたい。それは神経内科の側からも関心が寄せられるようになったことである。そしてICD-11では初めて、FNDが精神医学と脳神経学 neurology の両方に同時に掲載されたのだ。その事情を以下に説明するが、ここからは転換性障害ではなくFNDという表現を用いることにする。というのも脳神経内科ではもともと転換性障害という用語は使われない傾向にあるからだ。

 一つには脳神経内科の外来にはFNDを有する患者がかなり含まれるという事情がある。 実際には脳神経科の外来や入院患者の5~15%を占めるといわれる。またFND は癲癇重積発作を疑われて救急を受診した患者の50%を占め、脳卒中を疑われて入院した患者の8%を占めるという(Stone, 2024)。そのため脳神経科でもFNDを扱わざるを得なくなっている。そしてそれ以外の身体化、例えば眼科、耳鼻咽喉科、整形外科などの身体科にも同様のことがいえる。したがって精神科医以外の医師たちがいかに機能性の疾患を扱うかというのは従来より大きな問題だったのである。

 また先ほど転換性障害は陰性所見ではなく所見の存在(陽性所見)により定義されるようになったという事情を述べたが、実際に脳神経内科にはHooverテストのように、ある所見の存在がFNDの診断の決め手となるような検査法が知られていることも追い風になっている。

 しかしここで興味深いことも起きている。というのも最近神経内科の側からは、「FNDは精神科医がいなくても診断することができる」という主張が聞かれるからである。後に述べるように私はFNDを含むMUSは精神科と身体科の両方からの援助が必要であると考えるが、神経内科の方から、「精神科は要らない」という主張がなされることにはむしろ当惑を感じるのだ。

下畑 享良 (2024) 日本神経学会の機能性神経障害への新たな取り組み 脊椎脊髄ジャーナル 37巻2号 特集 機能性神経障害(FND:ヒステリー)診断の革命


2024年7月2日火曜日

「トラウマ本」 トラウマと心身相関 推敲 3

 転換性障害の診断基準の見直し

ここで改めて転換性障害の診断基準がどの様に移り変わったかをまとめて表に示したい。


 

症状が神経学的に説明出来ない

心理的要因(心因 )の存在

症状形成が作為的でない

疾病利得が存在

DSM-

DSM-IV

問わない

DSM-5 

〇(あえて強調しない)

問わない

問わない

問わない

ICD-11

〇(あえて強調しない)

問わない

問わない

問わない

 この表の一番上に示された、DSM-Ⅲにおいては、「症状が神経学的に説明できないこと」、「心因が存在すること」、「症状形成が作為的でないこと」、そして「疾病利得が存在すること」がすべて満たされることで初めて転換性障害の診断が下ることが示されている。そしてこれは従来のヒステリーの概念を彷彿させるのだ。というのも本章の冒頭で述べたとおり、ヒステリーとは「自作自演で症状を生み出したもの」であり、それが周囲の注意を惹いたり何らかの利得を目的としたものというニュアンスを有していたからである。
 このうち心因についてはDSM-5,ICD-11では診断基準としては問われなくなったことは、上で転換という概念がなくなりつつある理由として示した通りである。それでは「症状形成が作為的でないこと」や「疾病利得が存在しないこと」についてはどうであろうか。
 先ず「症状形成が作為的でないこと」は、転換性障害だけでなく、他の障害にも当然当てはまることである。さもなくばそれは詐病か虚偽性障害(ミュンヒハウゼン病など)ということになるからだ。そしてそれを転換性障害についてことさら述べることは、それが上述のヒステリーに類するものという誤解を生みかねない。
 さらには疾病利得についても同様のことが言える。現在明らかになりつつあるのは、精神障害の患者の多くが二次疾病利得を求めているとのことである。ある研究では精神科の外来患者の実に42.4%が疾病利得を求めている事とのことである(Egmond, et al. 2004)。従ってそれをことさら転換性障害についてのみ言及することもまたあらぬ誤解を生みやすいことになる。

Egmond, J. Kummeling, I, Balkom, T (2004) Secondary gain as hidden motive for getting psychiatric treatment (2004) European psychiatry  20(5-6):416-21






 さらには従来転換性症状に見られるとされていた「美しい無関心 a bell indifférence」の存在も記載されなくなった。なぜならそれも誤解を生みやすく、また診断の決め手とはならないからということだが、これも上記の脱ヒステリー化の一環の動きを反映しているといえるだろう。ただし実際には転換症状が解離としての性質を有するために、その症状に対する現実感や実感が伴わず、あたかもそれに無関心であるかの印象を与えかねないという可能性もあるだろう。その意味でこの語の生まれる根拠はあったことになる。
 このようにして症状の作為性に関してはDSM-IVにおいて改められ、また疾病利得について問うことはDSM-5において廃止されたが、DSM-5とICD-11共にあまり目立たないが大きな変更があった。それはその定義第一の定義としての「症状が神経学的に説明できないこと」(DSM-IV)についてである。それが「症状が認められる神経学(医学)的疾患とは「一致しない」((DSM-5では not consistent”, ICD-11では”incompatible”と表現されている)に変更されたのである。
  この変更は、転換性障害において神経学的な所見が存在しないということを否定しているわけではない。しかし医学的な診断が存在しないこと(すなわち陰性所見)を過度に強調するのではなく、医学的な診断に見合わないという点であるという。
 例えば足が動かないという訴えをする人に転換性障害の診断を下す場合、足に病変がないということにより(つまり所見の不在により)診断することは適切ではないとする。そうではなく仮に神経学的に診断し得る足の麻痺があっても、それに見合わない過度の思考、感情、行動が伴う場合(つまり所見の存在により)定義されるべきである。そのことをDSM-5,ICD-11で「あえて強調しない」と表記してある。
 このような変更には、患者が偏見や誤解の対象となることを回避すべきであるという倫理的な配慮も働いている。これについてDSM-5の以下の記載が見られるからだ。

「こうすることで所見の不在ではなく、その存在により診断を下すことが出来る。・・・ 医学的な説明が出来ないことが過度に強調されると、患者は自分の身体症状が「本物 real でないことを含意する診断を、軽蔑的で屈辱的であると感じてしまうだろう」。(DSM-5, p.305) 


2024年7月1日月曜日

「トラウマ本」 トラウマと心身相関 推敲 2

 ところで同様の動きは2022年の ICD-11の最終案ではもっと明確に見られた。こちらでは転換性障害という名称は完全に消えて「解離性神経学的症状症 Dissociative neurological symptom disorder」という名称が採用された。これはDSMのFNDの「F」、すなわち機能性functional のかわりに解離性dissociative という形容詞が入れ替わった形となるが、ほぼFNDと同等の名称と言っていいだろう。

 さてこの「転換性」という表現の代わりにFNDにが用いられるようになったことは非常に大きな意味を持っていた。このFNDという名称は、これまで転換性障害と呼ばれていた人々の示す症状を最も客観的に、そして味気なく表現したものといえる。機能性、とは器質的な変化が伴わないものを意味し、また神経症状症とは、症状としては神経由来の(すなわち心、ないしは精神由来の、ではなく)症状をさす。つまりFNDとは「神経学的な症状を示すが、そこに器質的な変化は見られない状態」を客観的に記述したものにすぎないのだ。
 ところでここでいう神経症状とは、神経症状との区別が紛らわしいので注意を要する。神経症状、とは神経(内科)学的 neurological な症状をさし、例えば手の震えや意識の混濁、健忘などをさす。簡単に言えば症状からして神経内科を受診するような症状であり、知覚、感覚、随意運動などに表われる異常である。転換性障害が示す症状はこれらの知覚、感覚、随意運動などに表われる異常であったから、それらは表れ方としては神経症状症と呼ぶことが出来るのだ。
 それに比べて後者の神経症症状とは、神経症の症状という意味であり、不安神経症、強迫神経症などの神経症 neuross の症状という意味である。
 

なぜ「転換性障害」が消えたのか?

  さて問題は転換性という用語が機能性(FNDの”F”、すなわちfunctional)に置き換わることになった意味である。それは「転換性」という言葉そのものについて問い直すという動きが切っ掛けとなった。その動きについてJ.Stone の論文を参考に振り返ってみる。
 本来転換性という用語はFreudの唱えたドイツ語の「転換 Konversion」(英語のconversion)に由来する。 Freudは鬱積したリビドーが身体の方に移されることで身体症状が生まれるという意味で、この転換という言葉を使った。
 ちなみにFreudが実際に用いたのは以下の表現である。「ヒステリーでは相容れない表象のその興奮量全体を身体的なものへと移し変えることによってその表象を無害化する。これをわたしは転換と呼ぶことを提案したいと思う。」(Freud, 1894)
 しかし問題はこの転換という機序自体がFreudによる仮説に過ぎないのだとStone は主張する。なぜなら心理的な要因 psychological factors が事実上見られない転換性症状も存在するからである。

Freud,S (1894) The neuropsychoses of defense. SE3,p48、防衛―神経精神症。フロイト全集1. 岩波書店,p.398) 
Jon Stone (2010)Issues for DSM-5:Conversion Disorder  Am J Psychiatry 167:626-627.

このようにFreudの転換の概念を見直すことは、心因ということを考えることについての再考を促すこととなった。そしてそのような理由でDSM-5においては転換性障害の診断には心因が存在することをその条件とはしなくなったのである。
 ところでDSM-5やICD-11において新たにFNDとして掲げられたものの下位分類を見ると、それがあまりに網羅的である事に驚く。つまりそれらは視覚症状を伴うもの、聴覚症状を伴うもの、眩暈を伴うもの、その他の特定の感覚障害を伴うもの、非癲癇性痙攣を伴うもの、発話症状を伴うもの、麻痺または筋力低下を伴うもの、歩行障害の症状を伴うもの、運動障害の症状を伴うもの、認知症状を伴うもの ・・・・・・ と細かに列挙されているのである。つまり身体機能に関するあらゆる症状がそこに含まれるのだ。これは概念的には予断を多く含んだ転換性障害の代わりにより客観性や記述性を重んじたFNDが採用された結果として理解することが出来るだろう。