少しフロイトの不安概念について整理しなくてはならない。ただこれは生易しいことではない。彼の不安概念は色々変遷したのだ。結局は続・精神分析学入門(1933)あたりになってようやく固まってきたということだ。(フロイトが10年長く生きたら、これもまた変わっていたかもしれない。)フロイトは一つの学説を立てると、それまでの自分の説を否定することが多いが、それでもどれが正しかったかという議論はさておき、面白い考えをたくさん提示している。というよりもフロイトがどうしてこれほど不安に固執したかが興味深い。おそらく彼は不安をたくさん抱えた人だったのだ。
フロイトが不安について語りだしたのは、精神分析を確立する前の話だ。1895年の「『不安神経症』という特定症候群を神経衰弱から分離する理由について」で不安について論じ、そこでリビドーの鬱積して生じる不安という意味で「鬱積不安説」を説いた。そして1898年 Sexuality in the Etiology of the neurosis.ですでに述べている。
現実神経症:不安神経症、神経衰弱、心気神経症
精神神経症:ヒステリー、強迫神経症、恐怖症、自己愛神経症
フロイトは「性欲論のための3篇」(1905年、岩波6 p289)に1920年に付けた注で、不安についてこのようなことを言っている。
ある3歳の少年が暗闇で叔母さんに話しかける。暗闇が怖いので返事をして欲しいという。そして叔母さんの声を聞いた子供は安心する。叔母さんが「部屋は暗いままなのにどうして安心するの?」と尋ねると男の子は「叔母さんの声を聞くと明るくなる」と言ったという。フロイトはこのようにして不安は愛する対象の不在によるものだとする。さてここからがフロイトの意図を読めないのだが、フロイトはこのことから神経症の不安がリビドーから生じること、そしてリビドーが不安に変換されるのは、酢とワインの関係だ、という。ワインというリビドーが酢という不安になるということだ。この理屈が分からない私はバカなのだろうか。いやそんなことはない。フロイトは後にこのリビドーが抑えられた結果として不安が生まれるという説を否定するからだ。
3歳の男の子の例の方がむしろ分かりやすいだろう。不安が叔母さんがそばにいることを実感するという「報酬」により解消された。不安は暗闇に一人置かれたという危機的な状況により生まれる。この方がずっとスッキリする。この場合は酢からワインへ、という方向になる。この説の方が分かりやすい。
フロイトが「性欲論三篇」(1905)にこの注を付けたのは1920年だが、すでにフロイトはこの不安学説に矛盾を感じていたのだろう。