そして1926年の「制止、症状、不安 Inhibition, Symptoms and Anxiety」で彼はその学説を大きく変える(反転させる)ことになる。(私は昔からこれを頭文字を取ってISA(アイサ)論文と読んでいる。)「ここでは不安が抑圧を作り出すのであり、私がかつて考えたように抑圧が不安を作り出すのではない。」(岩波19、p108—109)つまりワイン→酢、ではなく酢からワインという方向を主張するのだ。しかしそれでも鬱積したリビドーが不安症状を生む、という主張についてもちょこっと触れている。そして「この考えは間違えだったわけではない」的な消極的な書き方、一種の負け惜しみをしている。フロイトはいつもこういう書き方をする。
このアイサ論文でフロイトが述べていることは概ね常識的だ。そこでカタストロフィーが不安を呼ぶというまっとうな理論へとフロイトは歩を進めたが、そこでのカタストロフィーとは、結局喪失や分離の危険に対するものであるとする。ちなみにこれは死の危険ではないというのがフロイトの特徴的な考え方だ。というのもフロイトによれば、無意識は、死を想像し得ないからであるという理屈だ。不安は現実的な不安(外部から迫ってくる危険によるもの)と神経症的な不安(衝動の要求からくるもの)に分けられること、不安はリビドーが抑圧されて変換されたものではなく、不安が抑圧を生むのだ、ということを述べた。それともうひとつ、不安の型を 1)対象を失う恐れ、つまり分離不安 2)愛を失う不安 3)去勢不安、4)道徳的不安―超自我不安 に分けたのだ。