2013年7月24日水曜日

「現代型うつ病」とはフォビア(恐怖症)である(3)


さて私はこれまで「現代型」のうつ病について何度となく講義で話したり、講演をしたりしましたが、概して精神科医からの受けはよろしくない。「現代型うつ」なんてマスコミがでっち上げたものであり、まともな精神科医が論じるべきではない、という話もよく聞く。しかしすでにみた「それは『うつ病』ではありません!」や「それってホントに『うつ』?」や「『私はうつ』と言いたがる人たち」、「仕事中だけ『うつ病』になる人たち」といった著書を書いているのもれっきとした精神科医達なのである。
その中でより格調高く、アカデミックな色彩が整えられており、精神科医がまともに議論しているのが、「ディスチミア親和型」(うつ病)という概念で、樽味伸、神庭重信といった精神科医達が提唱している概念である。(「うつ病の社会文化的試論-とくにディスチミア新和型うつ病について 日本社会精神医学会雑誌  13:129-136, 2005神庭重信先生は九州大学大学院の教授であり、この概念の名付け親は、九州大学大学院生の樽味伸(たるみ しん)という方である。(2005年7月、33歳で死去なさったそうである)。
 このディスチミア新和型うつ病については、これはもともとメランコリー親和型といわれる、ドイツのテレンバッハという精神病理学者が主張したうつ病の性格特性の考え方が下敷きになっている。メランコリー親和型とは、生来几帳面で責任感が強く、対人関係でのストレスを打ちに溜め込みやすい性格である。ところが現代型うつに特徴的な性格傾向はそれとはむしろ逆な、責任を他人に転嫁するようなタイプと考えたのである。そしてそれをディスチミア新和型の性格傾向と捉え、それを持つ人がなりやすいうつ病をディスチミア新和型うつ病と呼んだのである。ただしその内容を読んでも現代型うつ病や新型うつ病とほとんど変わらない。ただ精神医学的な体裁が整っているという点が違うという印象を受ける。
ちなみにこのブログでは2011年の2月にこの議論を一度している。そのときも掲載した表だが、今回もしてみる。ディスチミア親和型の性格特徴を見ると、まさに現代型うつ病そのものであるということがわかるだろう。






ところでこれらの現代型うつ病の概念に真っ向から反対する精神医学者もいる。その代表として中安信夫氏が上げられる。中安先生は私が昔ご指導いただいた先生で、高名な精神病理学者である。彼はDSM反対論者としても知られるが、ある論文(中安信夫、ほか:「うつ病の広がりをどう考えるか」日本精神神経学雑誌、2009年の第6号)で次のように主張している。
「そもそも伝統的には、うつ病は次のように分類されていた。内因性と、反応性(心因性)と。これは基本的には妥当な分類だ。後者は抑うつ反応と、抑うつ神経症に別れるが、ある種の出来事に対する反応という意味では似ている。両者の違いといえば、「時が癒す」ことが出来れば抑うつ反応。「時が癒し」てくれなければ抑うつ神経症。つまりもともと性格の問題があると、時間が経っても体験の影響を受けつづけると考えられるからだ。ところが最近のDSMはこの基本的な分類を混乱させている。特に「大うつ病 major depression」という概念が問題だ。そもそもDSMの「成因を問わない」という方針が大間違いであり、従来の診断からは当然抑うつ反応や抑うつ神経症になるべきものが、「大うつ病」に分類される。なぜなら症状をカウントして9項目中8項目を満たす、などと機械的に診断を用いることで、簡単に大うつ病になってしまうからだ。従って「新型うつ病」という新しいうつ病も存在しない。それは本来は、心因反応や抑うつ神経症という診断をつけるべきものであり、それがDSMにより大うつ病と誤診されたものであるに過ぎない。その診断書をもって休職届けを出す人が増えた、というだけの話である。」
さて中安先生の見解に対する私の意見である。私は伝統的な、内因性か反応性(心因性)かという分類が、明確には出来ないというケースが多いという事情が問題なのであり、彼の理論はその点を考慮しているとは言いがたいと思う。この内因性か反応性か、という分類については、前者が私のいう「脳のうつ」、後者が「心のうつ」に大体相当するといっていいが、うつの難しい点は、後者が前者に移行し、前者は後者の体裁を取りつつ発症することがあるというところにある。