2013年7月20日土曜日

こんなのいつ書いたんだろう (17)

そろそろ一冊分かな?

金剛出版「精神療法」特集「自己愛性障害の精神療法」vol.33, No.3. p330-334

恥の倫理から見た自己愛問題 

  
はじめに

この論考のテーマは「恥の倫理から見た自己愛問題」である。いわば恥と自己愛という二つの概念の橋渡しを試みることになる。このテーマになじみの薄い 方には、両者の関係性は見えにくいかもしれない。しかし恥の視点からみた自己愛の議論はすでに米国ではひとつのまとまった流れを形成しており、私も個人的に大きな影響を受けた経緯がある。
そこでまず私がこの「恥と自己愛」というテーマにかかわるようになったいきさつをたどってみたい。
もう二十年以上も前のことであるが、私は精神科医となって間もなく、精神分析とともにいわゆる精神病理学の領域にも大きな関心を持った。しかし統合失調症に関する精神病理学的な考察については私自身の哲学的な素養がないことも災いし、その理解は非常に限られたものだった。ところが同じ精神病理学の中でも、対人恐怖に関する理論には不思議と親近感を持ち、自分自身の体験とも照らして比較的抵抗なく読み進めることができた。内沼幸雄 (1977)、笠原嘉、藤縄昭 (1972) の諸先生方による論考からいろいろ刺激を受けたのを覚えている。
私が恥や対人恐怖に関するテーマに興味を持ったのは、それが単なる病理の記述にはとどまらない、およそすべての人間が持つ心の基本的なメカニズムに関わった議論だからであった。そしてそれは日本文化論とも直結した幅広い視野を提供してくれるようにも思えた。恥は奥ゆかしさや他者への時には過剰ともいえる配慮に関係した、きわめて文化的な色彩の強いものとして何人かの識者により描かれていたのである。
後に渡米してからも、対人恐怖についての興味を持ち続けることが、私の日本人の精神科医としてのアイデンティティを維持する上で大きな支えとなった。しかし恥の問題を自己愛というテーマにそって考えるようになったのは、米国における精神分析の流れの中でその視点に出会ってからである。


「恥は自己愛の裏の面である」という提言

およそ一世紀前に欧州で生まれ、第二次大戦後は米国においても隆盛をみせた精神分析理論に、恥の概念に関する議論は事実上姿を表さなかった。もちろん精神分析が扱わなかったテーマは他にもいくらでもあっただろう。しかし分析理論においては本来人間の体験するさまざまな感情が中心的なテーマとして扱われてしかるべきである。たとえば罪悪感や怒り、攻撃性や性愛性に関連した情動が頻繁に扱われたことを思えば、この恥に関する議論が一切なされなかったことは看過し得ない。
恥の萌芽ともいうべき人見知りの現象は、正常な情緒発達のかなり早期に見られることは古くから観察されていたはずである。ダーウィンの基本情動の理論を継承したというトムキンスTomkins, S.1963の所説によれば、恥は生まれつき人間が備えた感情のひとつに数えあげられる。フロイトがこの感情についてまったく論じていないことそのものが、精神分析理論の限界をあらわしているとも考えられるだろう(岡野,1998)。そしてこの恥を無視する傾向は、精神分析とは一線を画す形で発展した米国の一般心理学にも同様に見られたのである。現在あたかもその反動のような形で、恥を中心とした「自意識的感情self-conscious emotion」についての研究が盛んになされているが、それも比較的最近のことである(Tangney,et al,1995)
精神分析の流れで恥のテーマを正面から取り上げたのが、モリソンMorrison, A.(1989)だった。モリソンはコフートKohut, H. (1971) の理論を引き継ぎながら、次のような主張をする。
コフートは自己愛についての彼の考察を深める中で、フロイトとは異なる仕方で人間の感情の問題を捉えた。コフートは人から共感され、自分の存在を肯定されることにより発達する健全な自己愛を、人が生きていくうえで最も重要なもののひとつであると考えた。そして恥は人から共感を得られず、自己愛の傷つきが生じた際に生じる感情として捉えることが出来るとした。モリソンはこのように恥を「自己愛の裏の面underside of narcissism」として捉え、コフートの自己愛理論は事実上恥の理論であるとまで言い切っている。同様の視点は、精神分析の文脈ではネイサンソン(Nathanson, 1987)ブルーチェック(Broucek, 1991)らによっても支持されている。
モリソンらの理解に従った恥は、いわば反応性の感情ということが出来る。人から評価され、認められることにより本来生まれるべき陽性の感情を自己愛として捉え、それが遮断された際の反応として恥を考えるのである。このように理解された恥には、一種の外傷のニュワンスが伴っていることに気づかれよう。恥の感情はもっぱら共感能力に欠けた他者によりもたらされるのであり、非は他者の方にあると言わんばかりなのである。恥の体験は決して「恥ずべき」体験ではなくなるのだ。
恥の体験に対するこのような見方の推移は、自己愛の病理の理解が変化したこととも関係していた。自己愛を精神病と連続したものとするフロイトの捉え方においても、以下に述べるカンバーグ流の理解の仕方(Kernberg, O. 1985)でも、その病的な側面がもっぱら強調されていた。そしてコフートにより提唱された自己愛理論は、これらとは非常に対照的であった。
カンバーグの描く自己愛人格は誇大的で傍若無人であり、他人を自分の自己愛願望を満たすために利用するといった性質を持っていた。そしてその病理の中核部分に境界性人格障害と同様の、生来の羨望や攻撃性が考えられたのである。しかしコフートのいう自己愛人格はむしろ他人の評価に敏感であり、常に傷つきやすさを備えたものとして記述されていた。コフートのそれはむしろ人間の健康な側面を含むものであり、いわばこの自己愛の復権と共に、恥もまた汚名を返上された上で登場したのである。
ちなみに私がこの自己愛に関連付けられた恥の理論に特別に興味を覚えたのは、そのころ臨床や日常生活で怒りや攻撃性の由来について考えさせられることが多かったからである。私たちが臨床場面や日常生活で遭遇する怒りの大部分は、生まれつきの攻撃性の発露というよりは、著しい自己愛の傷つきに対する反応である事を痛感していたのだ。その当時勤務していたカンザス州の州立精神病院の思春期病棟では、怒りを暴発させる患者達を毎日目にしていた。彼らは仲間から揶揄されたり疎外されたりすることに極めて敏感であり、そのことによる恥の体験をしばしば激しい怒りに転化させていたのである。

(以下省略)