2019年6月22日土曜日

関係性理論 仕切りなおし 1

   心の基本形を示したIrwin Z. Hoffman

 関係性のパラダイムが問い直しているのは、何だろうか? もちろん識者により大きく意見は異なるだろう。なぜなら関係精神分析についての正式な定義などあってないようなものだからである。しかしもし私がその本質を描写するとしたら、従来の精神分析理論に見られる本質主義であり、解釈至上主義へ向けられたものである。それは精神分析をある種の本質探求と見なすことで失われてきたものを問い直すという姿勢であり、使命である。
ただしこのことは私たちが、ひとつの悩ましいジレンマに直面していることを意味する。精神分析家の役割を無意識に潜む本質的な内容の探求として捉えるという方針は、フロイトの創始した精神分析理論の中核をなしているからだ。すなわちそれを問い直すことは、精神分析の出自そのものを否定することにつながりかねない。しかし関係精神分析がその危険を冒してまで解釈主義の代わりに提案するのは何なのであろうか? それはある種の心のやり取りを患者とともに体験することである。あるいはそのような出会いを提供することである。そしてそのやり取りのベースとなるような弁証法的な心の持ち方を提案することである。そしてそこでの交流は基本的には本質追求とは異質のものなのである。そのやり取りが含む関係性に関する理論は、愛着理論や間主観性理論、一部の対象関係論、フェミニズムなどと共鳴しあいながら大きな理論的な渦を形成しつつあり、もはやその動きを止めることはできない。
関係性をめぐる議論は様々な文脈を含み、とても全体を俯瞰することは困難に思える。しかしその中で Irwin Hoffman の提示した理論は、様々な理論を理解するためのメタ理論としての意味合いを持つ。それは心が必然的にある種の弁証法的な動きをすることに、その健康度や創造性が存在するという見方である。
私は Hoffman の提唱する、いわば心のあり方の基本形としての「弁証法的構成主義」の理論から多くを学んだ。それは心の働きに関するある基本原則ないしは公式のようなものを提示している。心のあり方を数式や公式で示すような試みはもちろん多くの反発を招きかねない。しかし同様の試みはウォーコップにヒントを得た今は亡き安永浩の理論、ドイツ精神病理学の流れを汲んだ森山公夫や内沼幸雄の理論にも見られた。そもそもフロイトも数多くの心の図式化、公式化を試みたことは私たちがよく知るとおりである。
Hoffman の「弁証法的構成主義」は、実は現在の自然科学でメジャーとなりつつある複雑性理論とも深いつながりを有する。そのなかでも「揺らぎ」の概念は心の本来のあり方を巧みに捉えるとともに、Hoffman の主張を理解するうえでの助けとなるだろう。Hoffman の理論の精神分析への貢献は、対人関係のあり方を、よりリアリティを伴った形で描写する方法を与えてくれたことである。患者と治療者は互いに相手を計り知れない他者であると同時に、自分と同じ人間すなわち内的対象として体験するという弁証法が存在する。また分析家は畏怖すべき権威者である一方で、患者と同様に弱さと死すべき運命を担った存在として弁証法的に患者に体験される運命にある。それらの弁証法を維持することがいかに難しいか、いかに硬直した体験に私たちが日常的に浸っているかを知ることは、心の病理を知る上でのひとつの重要な決め手となるのである。


二重性を帯びた心の在り方 - 同一化の不思議

 私たちの心の理解が示しているのは、ある種の心の二重性であり、パラドックスを包み込むあり方である。これは様々な心の営みに関係しているが、ここで一つの例として同一化を取り上げよう。まず目の前の患者の話を聞く私たちの心の動きを例にとろう。患者は一児の母親で、彼女の幼い子供が病に伏しているという身の上を語る。それを聞いている治療者は程度の差こそあれ、その母親に同一化し、不安やいたたまれなさを感じるだろう。やがて時間が来て治療者はセッションを終えることになる。そしてその心の痛みを全面的に背負ったままで次の患者を迎えることは出来ない以上、「これは自分に起きているわけではない」という、ある種の「脱同一化」を行って、言わば気持ちを切り替えて次の患者の話を聞くのであろう。ここに見られる同一化と脱同一化の二相は、そのどちらも重要であり、その両方をある意味では同時に行うことが私たちに要求されるだろう。これは心の二重性の一つの典型的なあり方であると私は考える。
あるいは私たちがパートナーに同一化し、一緒になりたいという気持ちを持つという場合はどうだろうか? 自分はこの人と一緒、この人の気持ちはとてもよくわかると思うかもしれないが、同時に私は私であり、私自身の気持ちや考え方があり、私は基本的には一人で生きていく存在である、と思う部分があるはずだ。そして同様のことはそのパートナーにも言え、だからこそ二人は大人同士の付き合いが出来るわけである。とすれば、同一化をめぐる心の二重性はいわば私たちの達成目標と考えることもできよう。
さらには私たちにとってなじみ深いPS ポジションとポジションの例をとってもいい。対象を good  bad にスプリットするという私たちの心の働きは、決して幼少時の原初的な心の働きにはとどまらない。人をある瞬間には敵ないしは味方という色付けをして判断し(PS ポジション)、次の瞬間には両方を併せ持った存在と見なす(ポジション)と心の働きは、私たちが頻繁に体験していることではないか。この場合のポジションは PS に対立するもの、というよりは心の二重性を反映したものと考えることができるであろう。

2019年6月21日金曜日

書くことと精神分析 5

どうして売れない本を書き続けるのか

私は専門書をもう二十冊以上書いている。それらは専門書の類であり、大体は売れていないが、ただしその中でも多少は売れるもの、売れないものが出てくる。一つ言えるのは、売れるものがなぜ売れるかは、よくわからないことが非常に多いという事である。それはカバーのデザインのインパクトであったりもするが、その原因が特定できないことが多い。ただしあとになって「あー、そうだったのか」と分かることもある。たとえば最近出した「快の錬金術」はとにかく売れなかったが、その一つの理由は、タイトルを見ただけでは何の本だかわからないという事だったらしい。よく知り合いから「ユング派の本ですか?」などと問われたが、実は報酬系(快感中枢)から見た心の病、という内容である。明らかにタイトルの誤りという事になるかもしれないが、これ自体が売れないことの言い訳なのかもしれない。
ただどのような本が売れるかは大体わかってきた。それは私自身が本屋で手に取ったら買いたくなる本だ。つまり興味深い内容が書かれていて、読みやすく、勉強になりそうな本である。そんな本は手に取って「あ、この本買って帰りの新幹線の中で読もう」という気持ちになる。そして私の本は大部分はそのような本ではないから、売れなくても仕方ないとあきらめている。
その売れる本には、例えば心理学関係ではこれまで発表された論文や実験など、私が知らなかったような内容が読みやすく書かれているだろう。そしてここが重要なのだが、そこに著者の創造性や新しいアイデアなどはあまり求められていないという事である。要するに著者が興味をそそるようなテーマで過去に行われた事件や最近の新しい知見などをまとめてくれた本であればありがたい。読み終わって、「アーためになった」、「教養を身に着けることもできたな」、と思えるような本だ。もちろんそのような本には全体を貫くモチーフのようなものがあるはずだし、それ自身が著者のオリジナルな部分と言っていいだろう。しかしそのオリジナルな部分が皆無であっても読み物として面白ければその本は売れるのである。だからノンフィクション系の本の中には「○○編集部」が作者になっていたりして、その出版社や放送局の非専門家のスタッフ、ないしはライターが本を作成することがあるが、それなりに面白く、よく売れる本となることもあるのだ。
さて問題はそのような本を書くことを好まない著者がどうやって本を書いたらいいのか、という事である。「本を書きたい人が、でも売れる本を書きたくないとはいったいどういう意味か」と疑問に思う方もいるかもしれない。でもこれは論文を書く人の立場を考えるとわかる。論文を書く専門家は、読んで面白いことを書こうなどとは決して思わない場合が多い。これまで誰も思いつかなかったことをいち早く文章にしよう、という事を考えているだけである。先ほどのペレリマンの論文の例を考えればわかる通り、彼が数学界の中でも数人しか理解できないような、という事は全世界で数人しか理解できないような論文を執筆した際に、「沢山の人に面白いと思ってほしい」とは微塵も思っていないはずだ。ただ真理を伝えたい、それだけだったのだろう。その意味では彼は読まれることを特に望んでいなかったとも言える。事実彼は特に著書は書いていないようであるし、そもそも自分の説を公表しようとする意図も希薄だったらしい。「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞の受賞を辞退したというが、これは前代未聞のことである。
私がここで言いたいことは次のことである。書くという作業は、少なくとも私にとってはそこに思考や独創のプロセスが織り込まれることが心地よさを生む。論文を書くことの面白さはそこにあるのだ。もしすでに知られていることを面白おかしくまとめるとしたら、そしてそこに独創性を織り込まないとしたら、論文としての価値はなくなり、したがってそれを書くことの面白さは半減したり、全く失われてしまったりする可能性がある。だから論文を書くことが好きな人間が本を書くとしたら、それは面白い本ではなく、独創性のある内容の本を書くという事になるが、それは必然的に売れる本を書くという事とは違ってしまうのだ。独創的な本とはたいていは独りよがりな本だし、専門家以外はその価値が分かりにくいものだ。そのような作者が本を書きたいと思うならば、それこそ自分が発表した論文を集めて本にするしかなくなる。いわゆる論文集の形だ。しかしそれは大抵は一般大衆の興味を引くものとは異なる。そしておそらく私も本屋で手にとっても棚に戻してしまうだろう。
勿論論文集、アンソロジーというジャンルはある。すでに述べた博士論文はむしろそのような部類に属するかもしれない。だから博士論文をいかに書くかという事を論じていた際、実はこの「一般の読者にとっては読んでもつまらない」論文集としての著作のことを論じていたことになる。そして事実博論が著書になったものは、たいていは絶望的なまでに読みにくく、一般の読者はなかなか手に取らないのである。(博士論文は大抵はとても読みにくく、理解するのに骨が折れる。)
と言ってももちろん「売れる」論文集はある。それはその著者の評価がすでに定まっていて、読む人間がその硬質さを高尚さ、自分の読む力がまだ足りないことの証明と感じつつ、それこそ勉学のつもりで読んでいく本だ。いかにヘーゲルの「精神現象学」が難しくても、ラカンの「エクリ」が意味不明でも、それを押して読むのはヘーゲルやラカンが偉大だという評価がすでに確定しているからである。もし無名の学者が同じような内容の本を自費出版でもしたとして、一般の読者が買う可能性はゼロに近いだろう。もし店頭に並んだその本を手にして23行読んだ文章が頭に入ってこないとしても、読者はその分からなさを、自分の理解力の不足とは考えず、著者の論述の意味不明さや文章の未熟さと決めつけて、それ以上余計なエネルギーを注ごうとは思わないだろう。
そこで独創性を盛り込んだ著書を書き、それをある程度売ろう考えることがいかに難しいかという事になる。私はこれを書きながら、自分の本が売れて欲しいと願うことがいかに理不尽だったのかという事を痛感している。著書を発表できるというただそれだけでもいかに幸運かをかみしめなくてはならない。そしてもう私たちの世代は、独創的で面白くない著作を世に送り出すことが出来ないという宿命を一気に打破する手段に恵まれていることを心から感謝しなくてはならないと思う。それがネット出版である。

2019年6月20日木曜日

書くことと精神分析 4


書くことと精神分析。執筆依頼をよくよく見ると、16000字、とある。ヒエー。まだ半分も書いていないことになる。A4で10ページ余りの論文って、よほどのことがない限り依頼を受けない。そんなに書いていいの? という感じだ。という事でもう少し素材を絞り出すことになる。

商品としての著作
学術論文と著作の一番の違いは、売れるかどうか、というファクターの有無である。率直に言えば、学術論文は売れ行きを一切考える必要がない。極端に言えば、商品価値が全くないと考えられる論文の方が価値があったりする。ただしこれは論文は「評価されたり引用されたりするかどうかを一切考える必要がない」という事では決してない。わかりやすく言えば、著作は商品価値があること、すなわち専門家や一般の読者によって購入される必要があるが、学術論文はそれが専門家集団の中で話題に上ったり、引用されたりすることが必要なのである。そしてこの「商品価値」の問題は、著作を出す際にかなり大きな問題を呈することになる。
そこで商品価値のある本とはどのようなものだろうか。本屋の専門書コーナーに最近の著作がいくつか並んでいる。購読者はそれを手に取り、ぱらぱらとめくって比較的短時間で購入するかどうかを決めていく。多くの場合手にとってほんの数秒で元のところに戻してしまったりする。その時読者はそれを読んである種の興味や心地よさを刺激されるかどうかを調べているのだ。そしてそれが手に取ってもらってもすぐ元の場所におかれてしまうようであれば、著書としての生命は失われてしまうのだ。結果として初版を売り切ることもできず、場合によっては出版元の倉庫で眠っていて、それ以上捌ける可能性もなく、裁断の憂き目にあう。裁断とは著作の初版の売れ残りが倉庫の一定の面積を占めることによる損益が大きいことから、機械で切り刻まれ、資源ごみとして出されることである。私はそれをひそかに著作が「処刑されること」と呼んでいる。長い時間と労力を費やし、出版社の期待を背負って世に出た著作が受ける処遇としては、これほど悲惨なことはないであろう。もちろん出版社もそのようなことがないように、初版の数から調整する。まずどう見積もっても数百部だろうと考えるとそれを初版の部数として印刷し、ともかくも数年かけて売り切ることを考える。運が良ければ初版が何年か後に売り切れ、再版がかかる。詳しい出版事情は分からないが、大体初版を売り切って再版がかかることで、著者は胸をなでおろす。少なくとも出版社にとっては赤字になって迷惑をかけることを意味し、これからも声をかけていただけるという期待が持てるからだ。
この様に書けば分かるとおり、本を書くとはそれが商業的に売れるかを真剣に考えながら制作することなのである。そしてそこに、著作と論文の決定的な違いが生じる。著作は読んで「面白く」なくてはならない。それに比べて論文は著者の専門分野における独創性、すなわち学問的な価値がなくてはならない。そして後者については、普通の意味で「面白く」なくても構わないのである。
例えで私がよく思い浮かべるのは、数学の論文である。歴史的に有名なポワンカレ予想は長年数学者たちを悩ませていたが、2002年にロシア人の数学者ペレリマンがそれを証明したとする論文を発表した。しかしその論文を読んでその是非を判定する数学者がごく限られ、4年の歳月をかけてその正しさが証明されたという。もしこのペレリマンのポワンカレ予想の証明が、薄手の著書という形で売り出されるという形で発表されたとしよう。それを購入してその内容を把握しようとする人はおそらく一握りの数学者という事になり、うっかり初版を多めに刷ろうものなら、ほとんどが裁断の憂き目にあうことは保証されているようなものだ。つまり著書としては決して成功しなかったはずである。(ただし興味本位で、あるいは記念に買おう、という人のことはここでは考えに入れていない。しかし興味本に買おうと手に取ってみても、内容のほとんどが意味不明の数式だけなら、やはり買うのをためらってしまうことも十分に想像できる。) ところがこのペレリマンの論文は学問的な価値ははかり知れなかったわけで、その意味では最高レベルの論文という事になるのだ。
さてそこでどのような本が売れるのか、ということについては、そもそもよく売れる本を書いたことがないという自負がある私にも、少しは分かっているつもりである。それではどうして売れる本を書こうとしないのか、と問われるかもしれないが、それを書けない複雑な事情もある。そのことについて次に書いてみたい。

2019年6月19日水曜日

解離への誤解 推敲 5



2.自然軽快の可能性を重視する

これは正式には治療論とは呼べないかもしれないが、解離性障害の「自然経過 natural course」を十分把握することが重要であろう。解離は人格の複数化を伴う深刻なものはおそらく幼少時のトラウマ体験をきっかけにして形成されていくが、そうであってもその後の経過は個々人により大きく異なる。各人は通常は家族やパートナーと共に暮らす。彼らは当人をサポートし、治療的な役割を果たすことが多いが、同時に当人にストレスを与える存在ともなり得る。これは当人の同居する両親や加害的なきょうだいが存在する際に顕著となる。
端的に考えた場合、解離を有する人が人生を送っていく場合、その生活の中でトラウマ的なストレスを体験する際に解離が体験されやすいというのは事実である。逆に言えばそれが少ない場合に、解離は生じることが少なくなり、そのまま時間が経過していった場合にはそれだけ解離の病理からは遠ざかっていくことになる。それは人格が統合されていくプロセスというよりは、主要な人格をのぞいてほかの人格が「冬眠状態」に入っていくプロセスなのである。事実そのような形で思春期前期には顕在化していた人格の複数化が、その後思春期、青年期、と徐々に表面化しないようになって行くというケースをよく見かける。DIDの多くはこのような形で「自然治癒」していくという可能性がある。彼女たちは臨床例として同定されることすらないかもしれない。
しかしもちろん自然治癒のプロセスを踏まないケースも多くある。その場合は人格の複数化が慢性的に継続し、その中でも感情的な人格がその人の社会生活上の適応を難しくするという事が繰り返される場合がある。慢性的な鬱や引きこもり状態へと移って行った場合、DID状態は中年期以降も継続する可能性がある。そしてその場合にはストレスフルな同居者との生活が避けられない形で継続する可能性が非常に多い。さらにはそれなりの社会適応を送り、明確なストレッサーとは距離を置いて生活をしていても、過去の体験のフラッシュバックが延々と続き、人格交代が継続してしまう例もある。
解離の治療者は患者がこの様な「自然経過」の可能性を背景に持っていることを理解すべきであろう。心理療法家としてはこのような全体を見つつ治療を進めていくことになる。管理医としては環境調整や併存症としての抑うつやパニック障害への薬物治療が欠かせないであろう。管理医はたとえ薬物調整のための短い時間しか面会できない場合も、いくつかの人格の存在を受容する態度を決して崩してはならない。
治療上問題となるのは、すでに「自然治癒」プロセスが進んでいる際には、徐々に眠りについて行く人格にいかに関わるかが問題とされることが多い。結論から言えば、冬眠した人格を揺り動かすことには治療的な意味は少ない。ただしこれは「寝た子は起こすな」原則を厳密に守るべきである、という事とも違う。事実「寝た子が起きる」という現象は偶発的に起きうる。それまで順調に経過していた人でも、ある日夢で過去のトラウマの体験が蘇った場合には、その時の人格がしばらく起きだして活動するという事がある。あるいはかつて治療者の前では頻繁に出ていた人格が、間遠になりつつある心理療法の際に「顔を見せに」訪れることがある。その際に「心理療法は寝た子を起こす可能性があるので余計な刺激になっているから、やめた方がいい」と考える必要はない。その治療者が過去の虐待者を髣髴させる、などの原因がない限りは、その人格は何らかの理由で療法家に対して接触を求めていると考えて久しぶりの再会を懐かしむのもいいであろう。
ただ自然治癒過程にある患者に対して過去のトラウマ体験の洗い出しをすることは、それを禁忌扱いする必要はないであろうが、おそらく治療的な価値は少ないであろう。治療者の側が独自のこだわりを持って患者さんの過去の再構成をやり遂げるという態度は望ましくないという事である。ただしそれが禁忌ともいえないというのは、覚醒した人格はすでに確立しているはずのストレスの少ない生活環境の中では早晩冬眠状態に戻ることが予想されるからである。

2019年6月18日火曜日

解離への誤解 推敲 4


いまだに使われる「ヒステリー」という僭称

ところで最近でも「ヒステリー」という言葉は今でも使われるのだ。例えば次のような使われ方がある。
最近仕事に行けないという若い新入社員の男性。上司の指導の理不尽さを訴え、職場のブラック気質について話し、仕事をしばらく休むためにうつ病の診断書を書いてほしいという。しかし診察した様子からはその男性からは抑うつ的な印象は受けず、むしろ自分の思いを通そうとしているように思える。精神分析的なオリエンテーションを持つ医師はこうつぶやく。「うつ、というよりはヒステリーだな…。」
このような時に用いられるヒステリーは解離性障害とは無関係で、むしろ患者自身が持っているある種のスタンスないしは態度を差す。ただしそれはその患者に固有の性質というよりは、それを周囲がどう受け取るかを言い表している。すなわちその人が疾病により何らかの利得を得るという意図、すなわち「疾病利得」の存在を感じさせるという意味だ。ここでトラウマ神経症が生まれるまでの経緯を、すなわち100年前のことを思い出そう。トラウマは症状の発生には触媒的な意味を与えるだけであり、そこには「願望複合体wish complex が出来上がるのだとした。そのことがこの疾病を呈する患者の爆発的な増大ないしは流行を引き起こすことが懸念された。現在の見地からは戦闘体験や自然災害その他のトラウマにより人が精神を病むということ、そしてそれはその他の身体、精神疾患と同様にケアや賠償が必要であることは識者の間で十分受け入れられていることだ。しかしそれでもヒステリーという呼び方には治療者側の同様の疑いが込められている。少し話を広げるならば、同様の傾向は現代の社会保障制度が整備されつつあるにもかかわらず存在し続ける。生活保護の制度についても同じことが言えるかもしれない。働けない人の経済的な援助を公的な機関が行うという概念は、それが成立するためには社会の成熟が必要となる。「ただ働きたくないだけの人がそれを悪用するのではないか?」という声を凌駕するだけの良識ある人々の声が反映される必要があるからである。
解離に関する誤解を超えて

以上をまとめるならば、解離に対する誤解の原因は以下のいくつかの項目に整理することが出来よう。
1. それが疾病利得を伴うものとの疑い(精神分析の強い影響)。
2. 心が複数存在するという事そのものへの信じがたさ

その結果として冒頭のクライエントのような体験が生じたと考えることが出来よう。ここで誤解を避けるために筆者自身の立場を明らかにしておこう。私は精神疾患において「疾病利得」が存在しないという立場とは異なる。私はおそらく疾病利得と呼ばれるものはあらゆる疾患に関与していると考える。寒い朝学校に行くのが少し億劫な時、熱を出して休みの電話を入れて温かい布団にいることでどこか安心した部分を感じる人はいるだろう。私たちが体験するあらゆることに何らかのトレードオフ、差し引きが存在する以上、疾病利得は必ず存在する。問題はそれが主たる原因で精神、身体症状が出るという私たちが持ちがちな考えはどこまで信憑性があるか、という事だ。そしてトラウマ神経症の概念が成立するまでにかかった途方もない年月を考える場合、「病気ではなくてワガママだ」という事がいかに私たちにとって気軽で容易なのか、という事である。
すでに論じたように、かつてビスマルク政権が事故による精神的な後遺症にも賠償を与える法律を成立させたことで大論争が生じ、賠償を求めて症状を示す患者が急増することへの懸念が高まったが、実際には事故保険請求で精神症状が問題となる事例は12パーセントに過ぎなかったという歴史がある。歴史が示しているのは、疾病利得が存在しないことではなく、それがいかに過大評価されがちであるかという事である。そしてその結果として解離性障害、転換性障害全体があたかも詐病や疾病利得を求めて誇張された症状の表し方をしているかのように、一律に見なされてしまうという傾向があり、おそらくその傾向は現代社会においては依然として生じているという事である。
一つの例として「心の傷は言ったもん勝ち」という著書を例にしてみよう。要するに現代社会は「心に傷を受けた」と言ってしまえば、あとはやりたい放題という状態であるという。そしてうつ病セクハラパワハラ医療裁判痴漢事件などを例にあげて、被害者が優遇されすぎてはいないか、と主張する。著者の主張は良識の範囲を出ないが、もしこれを誇張した形での声がもし蔓延した場合は、ドイツで一世紀前に起きた動きが形を変えて(望むべくは小規模な形で)これからも繰り返されていくことを暗示しているのではないだろうか。
  
解離の治療の将来に向けて

解離性障害がいかに誤解を受けているかについてに紙幅を取り過ぎてしまった感があるが、最後に本題とも言える治療論に触れたい。しかしその基本は実は解離性障害を呈する患者に対して誤解を排した向き合い方をするという事にその基本がある。その上で筆者が考えるのは以下の諸点である。
1.  「人格の統合すくなくとも治療の念頭に掲げない
解離性同一性障害は、それに対する治療的な情熱が空回りしてむしろ逆効果を生むこともある。その一つが統合を目指した治療の一部にみられる。すでにポリサイキズムについての論述の際に言ったとおり、私たちの常識にいかに反しようとも、複数の心が別個に、しかし関わり合いつつ存在するというのがDIDの患者を診て受ける偽らざる現実である。複数の心は時には常に対話をしながら物事を決断している様子が見られたり、まじりあってどちらかわからない状態を訴えたりする。人格Aが人格Bの口調や習慣を取り込むことがある。これらはしかし別々の心が存在することを否定するのではなく、それらが混同されたり、混線したりするという事情を示す。そして治療者はあたかも家族間の意見の相違や葛藤を軽減することを手助けする家族療法家のような役割を荷う。しかしその目的は家族が心を一つにする、という事とは程遠い。むしろお互いが互いの立場の違いを認めつつ平和共存することを目指すのである。解離性同一性障害の治癒の先にあるのは統合integration や融合 fusion であるという考え方は、DIDの再発見やそれの啓発に尽力した米国のいわば解離研究者の第一世代の人々が掲げた目標である。しかし現在の解離性障害の治療者はより現実的になり、統合や融合と言われた状態が現実にはいかにその達成が難しいかを感じるようになっている。時々統合が達成されたというケースの数少ない例が「統合した」という暗示を治療者側から受けた結果であるという事もありうる。するとそれは治療者の統合を達成したいという願望を患者が取り込んだ結果とならざるを得ない。それが治療の結果として自然と生じたものであれば全く問題はないであろうし、それはむしろ歓迎すべき結果と言えるだろう。ただそれに向かって突き進む治療態度が患者にとって必ずしも助けになるとは限らない。



2019年6月17日月曜日

解離への誤解 推敲 3


 その後の精神分析の隆盛と解離性障害への誤解にはおそらく深いつながりがある。フロイト自身がほとんど解離という概念を用いなかったことがあり、またフロイトはその概念をたとえ初期には(ブロイアーの「類催眠」という用語で)用いるとしても、あくまでも防衛の一種を意味していたが、それは結局は人格交代を含めた解離症状が防衛の産物であり、それにより解釈により取り除くべきものという考えが主流となった。そのために1980年代にトラウマ関連障害の一つとして解離性同一性障害の存在が注目され始めた頃も、精神分析のオリエンテーションを持つ治療者の中にはその存在を疑問視したり、その「防衛」を解釈するという姿勢が見られた。それは交代人格そのものとのかかわりを拒否することを意味していたが、それは解離性障害が本来扱われるべき治療態度とは異なるものであった。そしてその根本にある分析的な考えは、心が一つのものである、というモノサイキズムの考え方に従ったものと考えるべきであろう。
 「トラウマ研究の歴史」で見た疾病利得をめぐる誤解は、解離性障害に関してもその誤解を助長する重要な要素であったが、その考えは精神分析から発している点も注意を向けるべきであろう。そしてそれはいわゆる転換性障害と呼ばれる障害の処遇に対する異なる見解が提出されるという形で表れている。転換性障害とは知覚や随意運動に見られる異常に神経学的な所見が伴わない状態を言うが、その「転換」という呼び方はフロイトに由来する。フロイトは、受け容れがたい無意識の心的葛藤が抑圧され、身体症状へと置き換えられる過程を転換/変換(conversion)と呼んだ。そしてこの概念に疾病利得という考え方も密接に関係している。すなわち症状は無意識的な葛藤を回避するための手段と見なされたわけである。
ところが同様の身体所見については、解離の立場からは Van der Hart, Oらはそれを解離の諸症状の一系と考え、それを身体表現性解離症状somatoform dissociative symptoms)と考え、精神に現れる精神表現性解離症状psychoform dissociative symptoms)と並行して論じられることになった。こちらの考えによれば、いわゆる転換症状とは解離の一つの表現形態という事になる。そこでは心的トラウマにより生じた症状の一環であり、そこに無意識的な防衛としての意味を特にふくまない。
ちなみにvan der Hartらによる 構造的解離理論 structural dissociation の淵源は Pierre Janet によるが、Janet は解離が有する防衛的な可能性についてほとんど言及しなかったことで知られる。彼の立場は解離においては心に別の中心が出現し、さまざまな症状を生み出すというメカニズムが想定されていた。
 以上のFreud Janet の見方は対照表が作れるほどに異なる。
l  Freudによれば、転換症状は防衛であり、無意識的に形成されている。治療はその防衛を解釈し除去することである。
l  Janetによれば転換症状はトラウマにより意識下に心の中心が形成されたことが原因である。(したがってそこに作為性はない。)

以上の論争に対して一定の結論を出したのがDSM-5である。(「脳科学事典」(Web版)の柴山雅俊先生の書かれた「変換症」の項目が素晴らしい。そのまま引用する。実際の論文に載せる時には手を入れないと、剽窃になってしまうが、実際に柴山先生が書かれている通りなのだ。)
2013年に発刊されたDSM5二次的疾病利得美しき無関心la belle indifference)は変換症に特異的であるとはいえないため、診断に際して用いるべきではないと明記された。二次疾病利得とは病気になることで二次的に生じる利得のことである。(ちなみに一次疾病利得とは無意識的葛藤が症状形成によって回避されることである。)一般に二次疾病利得は神経症の症状を維持する要因として働くとされる。心理的ストレス因や二次疾病利得など、従来重視されがちであった特徴はあくまで付随的情報にとどめるべきであるとされている。また症状が故意に生み出されたことが明らかである場合には、変換症ではなく作為症(factitious disorder)詐病 (malingering)と診断されるべきであり、変換症とは診断されない。DSM--TRで診断基準に含まれていたこうした確認が実際には困難であることから、変換症の診断基準から削除された。 過去においてヒステリーに向けられがちであったのは、症状の背後に、隠された(意識的ないしは無意識的な)真の意図を見つけ出そうとする眼差しであった。前述の、心因、美しき無関心、疾病利得などは、こうした眼差しに通じるものであり、これらにとらわれることは診断や治療において好ましくないことから、こうした今回のDSM-5の変更は、臨床に沿った望ましいものである。」

2019年6月16日日曜日

解離への誤解 推敲 2

この後数十年を要してDSM-Ⅲ(1980においてようやくPTSD概念が登場したわけであるが、PTSDの三主徴となるフラッシュバック、回避麻痺、過覚醒を備えた外傷性障害の概念は、実はKraepelin の「驚愕神経症 Schrtecke Neurosen(1915) や Kardiner「戦争神経症」(1941)などの形で提案されていた。しかしその臨床的な重要性や治療的アプローチは精神科医の間で十分認知されてはいなかった。その後米国では1950年代にDSM-I において「著名なストレス反応」が掲載されたが、これもPTSDとは似て非なるものであった。それは先述の三主徴が盛り込まれた包括的なトラウマ精神障害の概念とは言えなかっただけでなく、正常人の異常なストレスに対する反応と理解されていた。その点が正常範囲も含みうるストレスに対する病的な反応としてのPTSDとは大きく異なっていたのである。
しかしある意味では時代の必然とも考えられるDSM-ⅢのPTSDの登場も、そこに至るには紆余曲折があり、退役軍人局のロビー活動やその他の偶発的な事情に後押しされてようやく実現したとされる(金、2012) 。この様に見ると、トラウマ性精神障害の概念が「疾病利得」に基づくものという誤解をようやく払拭し得たのは、比較的最近のことと言えよう。そしてその誤解は実は現代でも全く姿を消したわけではない。
  
誤解の由来 2 ヒステリー・解離の研究の歴史から

トラウマ関連障害の中でも、すでに述べたPTSDの場合、自律神経系の症状を含む様々な生物学的な所見を伴う為に、それが一種の詐病扱いをされる危険性はそれだけ低い。しかし同じトラウマ関連障害でも解離性障害はそれに対する誤解を拭い去ることがそれだけ難しいと言える。いわゆるヒステリーとは現在の解離性障害、転換性障害に相当するが、そのヒステリーの歴史は、さらに誤謬に満ちたものであり、それはある意味では現在においても存在する可能性が高いことは、本稿の冒頭で示した通りである。そしてその誤解は特に解離性同一性障害において顕著であると思える。その理由の一つとしては、心が一人の中に複数存在するという可能性を受け入れないという立場に由来するものである。
力動精神医学の発展の歴史を詳述した「無意識の発見」において、Ellenberger は心はいくつかの部分により構成されているという考えをポリサイキズム Polypsycism 多心主義として紹介している(Ellenberger, 1970)。18世紀において Mesmer の唱えた動物磁気説やそれに伴う手技において人々を驚かせたのは、磁気睡眠magnetic sleep を誘導すると、それまで姿を現したことのないパーソナリティが出現することがあることだった。19世紀の精神医学界においてはこの新たな人格の存在は極めて強い関心を集めた。 
このポリサイキズムという概念を最初に唱えた Durand de Gros の概念はかなり大胆なものであったという。彼は人の脳は解剖学的にいくつかのセグメントに分かれ、それぞれが自我を持ち、その自我は独自の記憶を持ち、知覚し、複雑な精神作用を行うといった。しかし普通は「主自我 ego in chief」がそれ以外を統率するが、催眠下ではほかの自我にコンタクトを取れるようになるという。Janet はこの立場を守り解離の理論を打ち立てたが、Freud は早々と解離の理論を棄却し、いわば一つの心の中にポリサイキズムを想定する形で、意識、無意識、前意識からなる局所論モデルを提唱した。その後精神分析の隆盛とともに解離や多重人格、ポリサイキズムへの関心は急速に失われていった。金吉晴 (2012) PTSDの概念とDSM-5に向けて 精神神経誌 114 第9号 10311036
Kardiner, A (1941) the Traumatic Neuroses of War. National Research Council, Washington.
Kraepelin, E.; (1915) Psychogene Ekrankungen. Ein Lehrbuch fur Studierende und Arzte, achten Auflage, Verlag non Johan Ambrosius Barth, Leipzig, 1915. (遠藤みどり訳:災害精神病、心因性疾患とヒステリー みすず書房、東京、1987)Ellenberger, H.F. (1970): The discovery of Consciousness; the history and evolution of dynamic psychiatry; Basic Books, New York 木村・中井監訳 (1980): 無意識の発見  - 力動精神医学発達史弘文堂、東京