2019年6月17日月曜日

解離への誤解 推敲 3


 その後の精神分析の隆盛と解離性障害への誤解にはおそらく深いつながりがある。フロイト自身がほとんど解離という概念を用いなかったことがあり、またフロイトはその概念をたとえ初期には(ブロイアーの「類催眠」という用語で)用いるとしても、あくまでも防衛の一種を意味していたが、それは結局は人格交代を含めた解離症状が防衛の産物であり、それにより解釈により取り除くべきものという考えが主流となった。そのために1980年代にトラウマ関連障害の一つとして解離性同一性障害の存在が注目され始めた頃も、精神分析のオリエンテーションを持つ治療者の中にはその存在を疑問視したり、その「防衛」を解釈するという姿勢が見られた。それは交代人格そのものとのかかわりを拒否することを意味していたが、それは解離性障害が本来扱われるべき治療態度とは異なるものであった。そしてその根本にある分析的な考えは、心が一つのものである、というモノサイキズムの考え方に従ったものと考えるべきであろう。
 「トラウマ研究の歴史」で見た疾病利得をめぐる誤解は、解離性障害に関してもその誤解を助長する重要な要素であったが、その考えは精神分析から発している点も注意を向けるべきであろう。そしてそれはいわゆる転換性障害と呼ばれる障害の処遇に対する異なる見解が提出されるという形で表れている。転換性障害とは知覚や随意運動に見られる異常に神経学的な所見が伴わない状態を言うが、その「転換」という呼び方はフロイトに由来する。フロイトは、受け容れがたい無意識の心的葛藤が抑圧され、身体症状へと置き換えられる過程を転換/変換(conversion)と呼んだ。そしてこの概念に疾病利得という考え方も密接に関係している。すなわち症状は無意識的な葛藤を回避するための手段と見なされたわけである。
ところが同様の身体所見については、解離の立場からは Van der Hart, Oらはそれを解離の諸症状の一系と考え、それを身体表現性解離症状somatoform dissociative symptoms)と考え、精神に現れる精神表現性解離症状psychoform dissociative symptoms)と並行して論じられることになった。こちらの考えによれば、いわゆる転換症状とは解離の一つの表現形態という事になる。そこでは心的トラウマにより生じた症状の一環であり、そこに無意識的な防衛としての意味を特にふくまない。
ちなみにvan der Hartらによる 構造的解離理論 structural dissociation の淵源は Pierre Janet によるが、Janet は解離が有する防衛的な可能性についてほとんど言及しなかったことで知られる。彼の立場は解離においては心に別の中心が出現し、さまざまな症状を生み出すというメカニズムが想定されていた。
 以上のFreud Janet の見方は対照表が作れるほどに異なる。
l  Freudによれば、転換症状は防衛であり、無意識的に形成されている。治療はその防衛を解釈し除去することである。
l  Janetによれば転換症状はトラウマにより意識下に心の中心が形成されたことが原因である。(したがってそこに作為性はない。)

以上の論争に対して一定の結論を出したのがDSM-5である。(「脳科学事典」(Web版)の柴山雅俊先生の書かれた「変換症」の項目が素晴らしい。そのまま引用する。実際の論文に載せる時には手を入れないと、剽窃になってしまうが、実際に柴山先生が書かれている通りなのだ。)
2013年に発刊されたDSM5二次的疾病利得美しき無関心la belle indifference)は変換症に特異的であるとはいえないため、診断に際して用いるべきではないと明記された。二次疾病利得とは病気になることで二次的に生じる利得のことである。(ちなみに一次疾病利得とは無意識的葛藤が症状形成によって回避されることである。)一般に二次疾病利得は神経症の症状を維持する要因として働くとされる。心理的ストレス因や二次疾病利得など、従来重視されがちであった特徴はあくまで付随的情報にとどめるべきであるとされている。また症状が故意に生み出されたことが明らかである場合には、変換症ではなく作為症(factitious disorder)詐病 (malingering)と診断されるべきであり、変換症とは診断されない。DSM--TRで診断基準に含まれていたこうした確認が実際には困難であることから、変換症の診断基準から削除された。 過去においてヒステリーに向けられがちであったのは、症状の背後に、隠された(意識的ないしは無意識的な)真の意図を見つけ出そうとする眼差しであった。前述の、心因、美しき無関心、疾病利得などは、こうした眼差しに通じるものであり、これらにとらわれることは診断や治療において好ましくないことから、こうした今回のDSM-5の変更は、臨床に沿った望ましいものである。」