2011年10月16日日曜日

北山先生のコンサート(久しぶりの更新)

久しぶりの更新となる。「丸ごと一冊英訳」のつもりで5月のはじめから欠かすことなく続けた英語のブログも、めでたくあと数日で一区切りつきそうである。一日二十行(以上)というペースがよく続いたものだ。
昨日は北山修先生の「悲しみを水に流さず」というコンサートの対談者という役で、銀座のコレドという場所で舞台に出た。私にとってはまったく分不相応な場所。しかも例によって舞台とは私には異様な空間だ。舞台の上からはスポットライトで照らされるために客席が見えない。額に手をかざせばようやく客席の人々の顔がわかるのだが、そんなおかしな格好を続けているわけにはいかない。北山先生の話をさらに盛り立て、引立て、しかし自分の考えを言うという役回りが私にとっては至難(というより不可能)だったためか、非常に緊張した。大体私がそこになぜいるのかがピンと来ない。私自身先生の思考の全体を見渡せないレベルにしかいないので、偉そうにコメントできる立場にないことは重々わかっている。しかし北山先生という類まれなる才能を持った人間(私が研究者の能力として最も評価する独創性という点で、彼ほどそれを発揮している人は、私が知っている世界ではちょっと思いつかない)が渾身をこめて行うレクチャーに、対談者として呼ばれるということがいかに名誉かということはよく自覚している。そして彼の学説にあえて何かをコメントしなくてはならない立場に迫られて、初めて自分の中に生まれた発想もあったことは確かである。とにかく一生忘れられない思い出となることは確かだろう。
もうひとつの収穫は、杉田二郎さんと言葉を交わす機会に再び恵まれたことである。北山先生が「あなたという人は、表も裏もいい人なんだね」と舞台でおっしゃっていたことを思い出す。素顔の杉田二郎さんは飾らない、きわめて腰の低い、おそらく何千回となく歌ったであろう歌の歌詞カードをそれでも用意して、楽屋でギターのリハーサルをする実直な人であった。それにしても特に彼の若い頃の天性としか言いようのない声。個人的に聞いたところでは、年をとるにしたがってその声域は低いほうに移ってきたということである。