2026年10月24日土曜日

成田先生のこと 推敲 20

  成田の著作の読みやすさは、彼の思考が借り物ではなく、自らの体験から説き起こされたものであることを意味する。しかし成田が他の療法家や理論家を参照しないというわけでは決してない。幼いころから読書好きであったというだけあり、むしろ広く文献を渉猟している。さらには臨床経験を積み重ねる途上で手掛かりを求めて行き当たったさまざまな理論を、場合によっては取り込み、あるいは取り込まれ、最終的に蒸留されていったのが成田の治療論なのだ。そしてそれを彩るのが「こころの井戸」、「その場の雰囲気さん」、「白状する」など、いずれも優しい和語で語られる概念である。  成田の著作の読みやすさはまた、学問的な高尚さや衒学趣味をことさら回避する傾向の表れとも言えようが、それに関連して彼には肩書や名誉などへの拘りがかなり薄いように見受けられる。通俗的な意味での自己愛を感じることがほとんどない。それよりはむしろ自らの至らなさや自信のなさを率直に開示する傾向がある。  成田はたとえば自分は「孤独で人と交われなかった」こと、運動が苦手だったこと、分析学会誌に原著論文を掲載していないのに学会の会長になったこと、教育分析は受けていないこと、患者の前で何度か眠ったことがある、などなど、その例は枚挙にいとまがない。  ただしこれは自身がある種のカリスマとして扱われている事への備えのように思える。臨床に関して自身が語る言葉が余計な権威をまとうことを回避するための工夫ではないか。成田の言葉は確かに自分の経験から生まれたものであるが、それは常に正解と主張するつもりもないことを、自らの失敗体験をさらけ出すことで示している。正直であることは、治療者が陥りやすい自己愛に対する常なる戒めの意味を持っているのである。  余計な想像かもしれないが、成田のこの一種の丸腰戦法は、彼が対人関係を築くうえである重要な意味を持っていたのではなかっただろうか。人とのつきあい方に悩んだという若き日の成田が至ったのが、社会を渡り歩くうえで、この率直さ、正直さを貫く生き方だったのではないか。