2026年9月24日木曜日

成田先生のこと 10 彼は関係論者だったか?

  このように考えつつ成田の著作を読むと、その基本的な考えはいくつかの項目に集約されるという思いが強くなる。それらは彼が漠然と信条にして治療をしているというよりは、彼の中では一つのメソッドとして出来上がっているという印象を受ける。それが彼の膨大な著作に表れている。つまりそれ等は『精神療法の第一歩』(診療新社、1981)『精神療法の経験』(金剛出版、1993)『心と身体の精神療法』金剛出版 1996 『精神療法の技法論』金剛出版 1999 『精神療法家の仕事 面接と面接者』金剛出版 2003 『セラピストのための面接技法 精神療法の基本と応用』金剛出版 2003 『治療関係と面接 他者と出会うということ』金剛出版 2005 『精神療法面接の多面性 学ぶこと、伝えること』金剛出版 2010 『精神療法を学ぶ 精神医学の知と技』中山書店 2011 『精神療法の深さ 成田善弘セレクション』金剛出版 2012  失礼ながらその文章には繰り返しが多いので、どれを読まなければいけないという種類の文章はない気がする。どれを読んでも切り口には同じような主張が見られる。(その意味ではコフート的、という印象も持つ。)  御存じの方も多いと思うが、成田は囲碁の達人であり、文学をこよなく愛したが本質的に理系人間である。彼の中では(周囲の目からは)成田理論とでもいうべき体系が漠然と流れでもあったように見える。  しかし成田のこれらの理論的な書を読んでも不思議と難解さはない。それはこれらがほぼエッセイ風に、experience-near に語られているからである。そして大事なのは、その根底に正直さが流れていることだ。だから読者は常に身に引きつけて彼の文章を読むことができる。  その証拠に成田には実に自分の弱さや足りなさを暴露したものが多い。自分は孤独で人と交われなかったこと。運動が苦手だったこと。分析学会誌に原著論文を掲載していないのに会長になったこと、教育分析は受けていないこと、などなどである。わざわざ言わなくていいのに、と思うほどであるが、その正直さは露悪的でなく心地よい。そしてそれと同時に彼の野心があまり感じられない。その意味での、言わば通俗的な意味での自己愛は彼には希薄といっていい。  だから彼は自分の理論を死守するために強弁するというところがない。場合によっては相手を取り込み、あるいは取り込まれ、最終的に蒸留されていったのが成田理論なのだ。そしてそこには難しい四字熟語的な概念は出てこない。何時も和語で語られる優しいものである。「こころの井戸」、「その場の雰囲気さん」、「白状する」などなど。  成田の感性にも触れようか。彼にはある種の納得感を大事にすることがあり、それは治療者が患者とどのような会い方をするかということだ。そしてそこには彼独特の感性が働いている。成田には患者を助けようとする殊勝な考え方はなかったというが、そこで何がどのように作用するかはとても興味があった。そしてその最大の理由は、彼が患者の気持ちを良く感じることが出来たからであろう。それは患者の「わかってほしい」という気持ちであり、それにどのように応えるのか、そしてそのための彼の心構えは何か、ということを追求した。成田が師匠である伊藤氏から教わった「患者の着ぐるみに入れ」はその表れであり、「その場の雰囲気さん」もそうである。