次に有名な囚人のジレンマの実験の話が出てくるが、これについては二年半前の2016年2月8日にこのブログに書いたことを下敷きにする。ただし文章を手直ししてある。
「あまり報酬系と関係ないように思えるかもしれない。おそらくほんとうに関係ないのだろうが、重要なテーマである。囚人のジレンマ prisoner’s
dilemma はアクセルロッド Axelrod の本で有名になったらしいが、とても面白い示唆を与えてくれる。二人組の囚人がお互いを売るような状況で、彼らはどのようにふるまうか、という話である。本当に罪を犯したとすると懲役15年だ。でも二人とも否認しているから、検挙にならない。その時一方が「相手は罪を犯した」とチクるとしよう。相手方はチクらなかったとすると、チクった人は解放され、チクられた方は14年の刑期になる。お互いにチクリあったら、二人とも懲役10年になる。もし二人とも相手をチクらなかったら、二人とも立件が不十分になり懲役5年で済む。そのような時人はどうするか。
極め付きの利己主義者を考えよう。おそらく相手をチクる。相手がやさしい人なら彼をチクらないだろうから、それに付け込む形になり彼は無罪放免だ。しかし相手に裏切られると懲役10年になってしまう。だから本当はそこそこ信用した方がよさそうだ。でも相手がこちらを信用していそうなときには、思い切って裏切ることで、無罪放免にもなる…。
これは一つのゲームにもなる。二人のプレイヤーが一回ごとに白か黒かの札を出す。お互いに黒なら5ドルしかもらえない。お互いに白なら、10ドルもらえる。片方が黒を出し、もう片方が白を出せば、黒を出した方は15ドルもらえて、白を出した方は1ドルしかもらえない。
実はこの状況は人生の縮図といってもいいだろう。裏切りをすることで一時的に得をするかもしれない。しかしその時両者の取り分の合計は15ドルプラス1ドルの16ドルだ。他方で互いに信頼していたら、合計は20ドルになり、一種の共存共栄状態になる。それが全体にとってプラスになるだろう。
さてこのようなゲームを延々と繰り返して、誰が最終的に勝つか、という実験が行われた。すると最終的に一番の利益を上げた人は、「最初は白を出す。しかし相手に黒を出された後は黒を出す」という人だということだ。言い換えればこうだ。「最初は性善説で行く。相手も城を出すことを前提で、こちらも白をまず出す。つまり積極的に他人を裏切ることはしない。しかし相手がこちらの意に反して黒を出すという形で裏切ってきたら、その仕返しとして黒を出す。そしてその次からまた性善説に戻って白を出す。」 これは私が「適正価格での裏切り」あるいは[注意深い性善説]と呼ぶべき行動である。そのような処世術を心地よく感じ、習い性になっている人が最終的に幸せになれる、というわけである。」
さてこのことがサイコパスとどう関係あるのか。サイコパスとは黒を出し続ける人だと仮定しよう。しかしそのような態度では相手にも裏切られることになる。彼は何とか相手を出し抜いて、たとえば白を出すと見せかけて黒を出す、というふうに。ただしこれは頭の悪いサイコパス、ということになるだろう。なぜなら長い目で見たら彼は相手に負ける運命にある。なぜなら「注意深い性善説」が最終的に最強であることは数々の実験で証明されているからである。だったら賢いサイコパスなら、結局は「注意深い性善説」に従うのだろうか? おそらく。しかしもともと「注意深い性善説」は清く正しい人間が、しかしカモにならないためにやむを得ずにとるストラテジーのはずである。それを賢いサイコパスも取るはずだ。その場合は「見せ掛けの性善説」として。すると賢いサイコパスと前任は実はだんだん近づいてくることになる。これでいいのだろうか???