2025年7月9日水曜日

週一回 その23

 週一回に関する「コンセンサス」とPOST

 以上に見た藤山氏の提言と高野氏、岡田氏の論文は、いずれも「週一回」においては、Strachey により提唱された精神分析的な治療作用としての転移解釈を行うことの難しさや困難さについて論じていた。そして我が国における最近の「週一回」についての議論もおおむねその考えに賛同し、受け入れる方向に向かっているという印象を受ける。  山崎氏(2024)はこれまでの「週一回」に関する議論を総括したうえで、「『週一回』は『分析的』にするのは難しいという結論が出ているといっていいだろう」(2024,p20)。とし、これが最近の複数の分析家や精神療法家の間のコンセンサスであるという考えを示す。そしてそれにもかかわらずこれまで彼らの多くが「『週一回』は『分析的』でも精神分析的に行えるというごくわずかな可能性に賭けることで、『精神分析的』というアイデンティティを維持しようとしてきた」のだという(2024,p19)。  ここで理論的な整理のために、この山崎氏の示す「『週一回』は『分析的』にするのは難しい」という現在の療法家が下した結論を「コンセンサス」と言い表して論を進めよう。この「コンセンサス」を正確に言い直せば、「週一回では、治療作用として転移解釈を用いる本来の精神分析的な治療は難しい」となろう。  そのうえで山崎氏が提案するのは、精神分析との違いを明確にしたうえで、「週一回」それ自身が持つ治療効果について考えることである。これは上で見た高野氏や岡田氏の論文にもみられる方向性に近い。山崎氏は便宜的に「週一回」を【精神分析的】心理療法と精神分析的【心理療法】とに分ける(2024,p22)。このうち前者は「週一回」でも分析的にできる、という平行移動仮説水準のレベルに留まったものであり、後者はPOST(精神分析的サポーティブセラピー)に相当すると述べる。つまりは「週一回」を「コンセンサス」をもとに概念化したものが、POSTと考えることが出来るのだ。

(中略)


 我が国の「週一回」の議論の特徴とその限界


 これまでに見た我が国の「週一回」の議論および「コンセンサス」は、山崎氏その他の検証に示されるように、ある一定の学問的なレベルに至っていると考えられる。そこでの「コンセンサス」、すなわち「週一回では、治療作用として転移解釈を用いる本来の精神分析的な治療は難しい」ことの根拠としては、週4回という治療構造では供給が十分であり、容易に転移の収集が出来るが、「週一回」ではそれが難しいということである。


(以下略)