成田先生の本を読むと、いかに彼がフロイトに影響を受けているかがわかる。しかしそれはフロイトの考えを全面的に取り入れる、その教えに従う、ということとは全く違う。「あのフロイトはこう考え、こういった、でも現実は~だ」という形であくまでも自分自身の感性を用いながら、独自の判断を下していく。フロイトは成田にとって出発点、ないしは「初期値」でしかなく、ほとんど常に自分の色にそれを塗り替えていく。その意味で彼ほど徹底して「自分で考える」分析的療法家はいない気がする。私は土居健郎先生が甘え理論を案出したプロセスにも注目したが、彼の場合も同じだった。彼の理論が土台にあり、というより精神分析について学ぶよりはるかに先行していて、それに関連する限りでの精神分析理論を許容しているという感じである。土居理論にとって受け売りは皆無である。そしてそれは成田先生にも言えるのだ。
興味深いことに、成田先生はそのような受け売りをしたければ勝手にどうぞ、という寛容さを示さない。そのようなタイプの人たちに対しての一種の嫌悪感を抱いていたようである。彼はクラインやビヨンなどを例に出して、それらの理論を用いる人たちの一部を念頭に置いているかのように、「輸入業者にとどまっていることへの羞恥と焦燥のないところには独自の学問は生まれないであろう」(2019,p10)とまで述べる。(精神療法家のひとりごと 金剛出版、2019)