土居健郎先生は甘え理論をどこまで実践していたか?
この問題は実に悩ましい。そして土居先生と精神分析理論の関係性そのものに迫る問題である。土居先生は御自分の二回の教育分析に関して、それが波乱に満ちて、中断の形をとったことを自ら明かしている。しかしそのことから自分が得たことはとても大きかったとも語る。それが甘え理論とどのように関わるのか?その理論は自らの苦しい教育分析によって得られたものと関連しているのか。
しかし実に意地悪な見方をするならば、教育分析に「失敗」した彼にそれを語ることは出来るのか、となる。先生自身が自らの失敗体験(?)を開示していることに、私たち後身は何を学ぶことができるのか?
1950年に内科から精神科への転向した土居は、米国留学のガリオア奨学金を獲得し、それを喜んでくれた古沢先生の推薦でメニンガーに2年間留学する。そこで土居はルドルフ・エクスタインの講義を受ける。その間古沢からの申し出で「通信分析」を帰国するまで一年おこなう。
1952年に帰国、その後は古沢からSV(監督分析)を受けたが、1954年より「暗礁に乗り上げ」「患者の治療上の技術に関しての意見の相違が起き」「もっと全面的な相違に発展した」という。
「先生は分析としての立場から私のこのような態度を分析的に理解し、同時に私をどこまでも容認しようとなされましたが、私にはそれがまた我慢できない事でありました。私はついに先生を離れて再び米国に留学し、かの地で始めから教育分析を受けてみようと決心するに至った。」分析家ライダー(サンフランシスコ)との教育分析:「私の体験したことはあまりにも身近なことであるために、いまだこれを十分に整理することが出来ませんし、またこれを整理されないまま生の形で皆さまにお話しすることは、私にとってあまりにも苦痛の多いことでございます。従って詳細は控えますが、ただ結果だけを述べますと、私は予定のコースを完了することなく1956年に帰国したのであります。これには種々の外的事情も関係していますが教育分析の観点から言えば、これを打ち切ることが唯一の解決であるという行き詰まりに逢着したためであります。実際このことは私の精神に深大な効果を及ぼしました。私はそこから逃げようとしていた現実にいやおうなしに直面することを強いられましたし、そのためにいまだかつてなかった不安を経験しました。」(精神分析研究、1958)
それについてその後語ろうとしないが、「分析しても終わらない」という考えを重視していたという言及もある。
真相はいったいどうだったのか?