解離症の治療プロセス
解離症は、記憶、知覚、運動、情動などの心身の諸機能の一部が一次的に欠落したために、心身の統合された機能が失われた状態である。そしてその治療の最終的な目標は、患者が「統合された機能を獲得すること」と言えよう。しかしそれは必ずしも容易ではなく、そのための治療のプロトコールや使うべき薬物が現在の精神医学において定まっているわけではない。
治療の基本のひとつは、安全な環境を提供しつつ、その個人の持つ自然治癒力による回復を促すことである。解離症状の多くがトラウマや深刻なストレスをきっかけとして生じている以上、それらに関する記憶を扱うことが時には必要となるが、そこに治療者の個人的な好奇心や治療的な野心が働いたり、治療自体が結果的に再外傷体験となるような事態はできる限り回避しなくてはならない。また筆者の体験からは、治療者が解離症状に無理解で、それを当人の演技とみなしたり疾病利得を疑ったり、場合によっては詐病と決めつけたりすることによる二次的なトラウマを多くの患者が体験しているのも事実である。
● 治療目標
以下に特に DID の治療について論じるが、その目標も上述の解離性障害一般における統合された機能の達成であることに変わりない。しかしDID には異なる人格部分の存在という特殊事情がある。心身の機能を担う身体がひとつである以上、どの人格部分の言動についても、たとえそれに関与した自覚や記憶がなくても、その結果について責任を負わなくてはならない。そのことを個々の人格部分が受け入れるのを助けることは、治療者の重要な役割である。
他方で治療者は、個々の人格部分の存在は、患者が過去に直面した外傷性のストレスに対処したりそれを克服したりするうえでの適応的な試みを表しているということを理解しなくてはならない。それぞれの人格部分には特有の存在意義と記憶と、自己表現の意思がある。そのため治療者は、特定の人格部分をえり好みしたり、無視したり、「消える」ことを促したりすべきではない。
なお欧米のDID の治療に関するガイドラインには、患者に別の人格部分を作り出すことを示唆したり、名前のない人格部分に名前を付けたり、現在の人格部分が今以上に精緻化(その人格のディテールが同定されること)され、自律的な機能を担うよう促すことは慎重であるべきことがしばしば強調されるが、それには根拠がある。人格部分の精緻化や新たな出現、ないしはそれらの消退は、その個人の体験するライフイベントに影響を受けつつ独自に展開する可能性がある。そこに治療者が人工的な手を加える際には治療的な根拠が十分必要であろう。個々の人格のプロフィールを明らかにする、いわゆるマッピングについても、以前ほど治療手段としての意味が与えられていないのも事実である。かつて Putnam(Putnam FW Diagnosis and treatment of multiple personality disorder . New York: Guilford Press1989/ 安克昌、中井久夫(訳)多重人格障害-その診断と治療。東京、岩崎学術出版社2000)は、把握しうるすべての人格部分と会い、治療についての契約をそのすべてと交わす必要があるとした。ただし人格部分との出会いが、治療の進展により必然的に生じるのであれば問題ないものの、眠っている人格部分を不必要に覚醒させることにつながるのであれば、その是非は個別の臨床場面において判断されるべきであろう。
治療目標として人格間の統合 integration や融合 fusion を掲げることは、そこに一部の人格の消失をニュアンスとして含む場合には、人格間の混乱を引き起こしかねないために慎重さを要する。望まれる治療の帰結は交代人格間の調和であるが、それは特定の人格の消失を必ずしも意味しない。ただし調和が、かつて存在が確認されたすべての人格の共存により達成できない場合もある。
治療者は人格の理想的な調和を阻む要素にも留意すべきであろう。それらは加害者との継続的な接触、家庭内暴力などによる慢性的で深刻なストレス、うつ病などの精神医学的ないしは慢性疾患などの身体的な併存症を持っていること、治療を受けるための十分な経済的な背景を持たないこと、社会的な孤立などはいずれもその達成を妨げる要素と考えられる。