2022年12月20日火曜日

発達障害とPD 5

 発達障害(DD)とパーソナリティ障害(パーソナリティ症、以下PD)の鑑別診断のポイントは何か? 私が与えられたこのテーマは、最近しばしば話題として取り上げられ、またある意味では答えに窮する問いである。しかし診断がある極めて明確な定義を持ったゆるぎない体系であるという考えを捨てるなら、意外に簡単に論じることが出来るかもしれない。

そもそもPDは「青年期又は成人早期に始まり、長期にわたり変わることなく、苦痛又は障害を引き起こす内的体験及び行動の持続的様式である」(DSM-5)とされてきた。すなわちそれは成育環境に影響されつつ青年期以降に固まるものという含みがある。しかしDSM5における代替案として、そしてICD-11において正式に採用されたディメンショナルモデルは、これとは別物という印象を与える。なぜならそれらは健常者を対象として考案された、パーソナリティを構成するいくつかの因子(例えば5因子モデル)に基づき、それが過剰(あるいは過少)な場合の病理的な表れの方向からとらえたものだからである。すなわち多分に生得的、遺伝的なニュアンスを含むことになる。

他方で発達障害は、「典型的には発達早期、しばしば小中学校入学前に明らかになり…」(DSM-5)とされ、これも先天的な要素が重視される。精神医学の一般常識では生まれつきのもので治癒は望めないものという含みがある。ただしもちろんその深刻さの度合いや社会適応については恐らく成育環境が大きく関係することになろう。

この様に考えるとディメンショナルモデルでとらえたPDDDはかなりの共通項を持つと考えざるを得ない。その意味で両者の移動や鑑別が議論されるのは必然なのだ。

個人的なことを言えば、1982年に医師になった私はDSM-Ⅲ世代であり、そこで明確に記載されていたPDの中でも、BPD,NPDなどに並んでスキゾイドPDにはそれなりに関心を持った。スキゾイドメカニズムという概念は精神分析で重要な位置を占め、それとボーダーラインとの区別などが重要な論点となったのである。そしてDSMの定義するスキゾイドPDは米国の人気ドラマ「スタートレック」に登場するドクタースポックを彷彿させるような、人間的な感情が希薄で、そもそも対人関係に関心を持たないロボット的存在として描かれていることに興味を持ち、またその「スキゾフレニア」の近縁性を含意していることも理解し、それにあまり疑問も抱かなかったのだ。つまりこの概念を無批判に受け入れていたのだ。ただし実際の臨床場面でこの診断を下すことが意外に少ないことにもどこかで気が付いていた。

さて2000年代以降にDDが盛んに論じられるようになり、この診断をいったん疑いだしたらかなり多くの患者に(あるいは先輩や同僚に!)当てはまることに気が付くようになった。そしていつの間にか、対人関係や学業上の問題を考える際に、DDの要素は内科、と考えることが習慣化し始めていることを自覚するようになったのである。そして同時にスキゾイドPDという診断を久しく頭に思い浮かべることがなくなっていることに気が付いた。ASD傾向を持つ人々について考えているうちにスキゾイドの問題はスルーしてしまっていたのである。「それにしても両者は似てないか?」「いやいや、DDPDを混同するなんてとんでもないと言われてしまいそうだ」などと考え、はやく誰かがしっかり説明してくれるのだろうと思っているうちに、この点について歯切れのよい解説をしてくれる精神科医にまだ出会っていない、などと考えるうちに、このような原稿を依頼される立場に立たされてしまっているのだ。