有病率
米国での成人を対象とした小規模研究において,解離性健忘の12カ月有病率は18%(男性10%,女性2.6%)であつたとされる。(DSM-5)
症状の発展と経過
全般性健忘はわが国では従来全生活史健忘とも呼ばれていた。その中でも臨床的に注意が喚起されるのが、従来解離性遁走と呼ばれていた病態である。その健忘の対象は自分の生活史全体(幼少時からの全体、ないしはその一部)に及ぶ。通常その発症は突然であり、そのために社会生活上の混乱を招くことが多い。典型的な例では仕事でのストレスを抱えていた青年~中年男性が通勤途中で行方が分からなくなり、しばらく遠隔地を放浪したり野宿をしたりして過ごす。その間は意識混濁を伴った解離状態ないしトランス状態となり、その期間は通常は数時間から数日、時には数か月も及ぶ。そして我に返った時には自分についての個人史的な情報、時には名前さえも想起できないことがあり、当人は通常は非常に大きな困惑感を持つ。
発見された時点で救急治療の対象となることが多く、しばしば器質的な異常が疑われて種々の検査(MRI,脳波その他)が行われるが、通常は何も異常を発見できない。帰宅後も家族や親を認識できず、社会適応上の困難をきたすものの、記憶の喪失以外には精神症状はなく、徐々に社会適応を回復していく場合もある。しかしその記憶の回復の程度には個人差があり、時には発症の期間も含めた過去の記憶を回復しないままで両親や妻子を他人としてしか認識できないで過ごす。事例によっては発症時までの記憶を回復するが、トランス状態で遁走していた時期の出来事まで想起することはまれである。
ちなみに健忘の対象はエピソード記憶に限定され、過去に取得したスキルや運動能力については残存していることが多い。過去に獲得した技能(パソコン、自転車、将棋など)や語彙などは保たれていることも多く、それが適応の回復に役立つことが少なくない。なお遁走していた時期の記憶が回復することは例外的と言える。症例はそれ以前に解離性の症状を特に持たなかったことも多く、別人格の存在も見られないことが多い。(ただしDIDにおいて特定の人格が一時期独立して生活を営んでいた場合も、その病態がこの全生活史健忘に類似することがある。)
解離性遁走に見られる一見目的のない放浪がともなわない全生活史健忘もある。また短期間に見られる解離性健忘は臨床的に掬い上げられていない可能性もある。また一時的にストレス状況、例えば戦闘体験や監禁状態に置かれた際に生じた健忘は比較的短期間で回復することも少なくない。
疫学その他
解離性健忘は、その発症に先立ちトラウマやストレス体験が生じていることが多い。それらの例としては職場や学校でのストレスやトラウマ以外にも小児期の被虐待体験、戦闘体験、抑留などが挙げられる。また解離傾向などの遺伝的な負因も関与している可能性がある。なお高度に抑圧的な社会では文化結合症候群などに結びついた解離性健忘に明確なトラウマが関与していない場合がある。」
鑑別診断
正常の健忘:軽度の想起困難や幼児期早期の出来事の想起の健忘は正常時に起きうる。しかしそれらの健忘の対象が重大な人生の出来事や、高い心的ストレスやトラウマに関することではない。
PTSD,ASD:これらにおいてはトラウマ的な出来事の記憶が断片的となったり健忘されたりする場合がある。その際フラッシュバックや鈍麻反応などの診断基準を満たす場合には、解離性健忘の診断はそれに付加される形となる。急性ストレス反応の症状もとストレス因となった出来事に対する一時的な健忘を含むことがある。これらの健忘は時間がたてば部分的に回復することもある。
解離性同一性症(DID): DIDにおいても、部分的DIDにおいても、それを体験した人格がその後に背景に退くことにより、解離性健忘に類似した臨床像を呈することがあるただしその場合はその記憶を保持している明確な交代人格が存在することで解離性同一性症の診断が優先される。
神経認知障害群: いわゆる認知症に伴う健忘の場合は、健忘はその他の神経学的な所見、すなわち認知,言語,感情,注意,および行動の障害の一部として生じる。埋め込まれている。解離性健忘では,記憶障害は本来自伝的情報についてであり,知的および認知的機能は特に障害されないことが特徴である。
物質関連障害群: アルコールまたは他の物質・医薬品による度重なる中毒という状況において,“ブラックアウト"のエピソード,すなわちその人が記憶を失う期間があるかもしれない。
頭部外傷後の健忘: 頭部外傷により健忘が生じることがある。その特徴としては,意識消失,失見当識,および錯乱,等が見られることである。さらに重度の場合には,神経学的徴候(例:神経画像検査における異常所見,新たな発作の発症または既存の発作性疾患の著しい悪化や視野狭窄,無嗅覚症)が含まれる。
てんかん: てんかんの人は,発作中,または発作後に引き続く健忘に伴う形で、無目的の放浪などの複雑な行動を示すことがある。解離性とん走の場合はより目標指向的で,数日間~数か月間続くことがある。
一過性全健忘(TGA): 初老期に多く、前行性健忘を伴って突然発症し、長くとも24時間以内に回復する。発作中も自分のアイデンティティの認識は保てるが、過去の数分に起きたこと以外は思い出せず、また新たな記銘も障害される。脳血管障害のリスクとは無関係と考えられ、また予後も良好とされる。あくまでも新しいことの記銘ができないだけであり、過去のことは想起できる点が解離性健忘と異なる。