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解離性健忘
診断に必須の特徴:
重要な自伝的記憶、特に最近の外傷的ないしはストレスを伴う出来事の健忘(それらを思い出す能力の喪失)がみられ、それは通常の物忘れでは説明できない。記憶の喪失は、個人生活、家族生活、社会生活、学業、職業あるいは他の重要な機能領域において、有意な機能障害をもたらす。同様の健忘はその他の状態、すなわち中枢神経系に作用する物質(アルコールやその他の薬物)による作用、神経系の器質的な疾患(側頭葉てんかん、脳腫瘍、脳炎、頭部外傷など)でも生じうるが、それらは除外する。
解離性遁走の有無:
解離性健忘では、解離性遁走(自身のアイデンティティの感覚を喪失し、数日ないしは数週間ないしはそれ以上にわたって、家、職場、または重要な他者のもとを突然離れて放浪すること)を伴う場合がある。
解離性健忘においては解離の機制の関与が前提であり、記憶内容が心のどこかに隔離され保存されていることになる。ただし出来事の最中に解離性のトランス状態や昏迷状態にあり、記銘自体が不十分に行われる場合には、その出来事の想起はそれだけ損なわれる。また記銘の際に海馬が強く抑制されることで、自伝的記憶部分については記銘自体が損なわれることにもなりうる。するとその出来事のうち情緒的な部分のみが心に刻印され、自伝的な部分を欠いたいわゆるトラウマ記憶の生成が起きる。解離性健忘に関連するストレスとしては、様々なものが考えられる。例えば幼児虐待,夫婦間トラブル, 職場でのパワーハラスメント、性的トラブル,法律的問題,経済的破綻などである。健忘とこれらのストレス因との関連について、本人の認識が十分でない場合もあり、また健忘の事実が気づかれない場合もある。解離性健忘は限局性健忘、選択的健忘、全般性健忘、系統的健忘に分類される。
分類
限局性健忘は,限定された期間に生じた出来事が思い出せないという、解離性健忘では最も一般的な形態である。通常は一つの外傷的な出来事が健忘の対象となるが、児童虐待や激しい戦闘体験、長期間の監禁のような場合にはそれが数力月または数年間の健忘を起こすことがある。
選択的健忘.においては,ある限定された期間の特定の状況や文脈で起きた事柄を想起できない。例えば職場でトラウマ的なかかわりを受けた上司のみを思い出せないとか、学校のクラブ活動でトラウマ体験があった場合、その頃の生活全般は想起できても、そのクラブ活動にかかわった顧問や仲間、あるいはその活動そのものを思い出せないということが生じる。
全般性健忘は自分の生活史に関する記憶の完全な欠落である。いわゆる全生活史健忘、あるいは解離性遁走と呼ばれる病態を包括する。通常その発症は突然であり、健忘の期間にも個人差はあるが通常は数時間から数日、時には数か月も及ぶことがある。我に返った時には自分についての個人史的な情報、時には名前さえも想起できないことがあり、当人は通常は困惑感を持つ。それ以降に回復する記憶にも個人差があり、時には発症の期間も含めた過去の記憶を回復しないままでその後の人生を送ることもある。その際はその期間に社会で起きたことも含めて想起できない。事例によっては発症時までの記憶を回復するが、発症(遁走)期間のことまで想起することはまれである。発症期間中は意識混濁のためにそもそも記銘されていない可能性すらある。ちなみに健忘の対象はエピソード記憶に限られ、スキルについては残存していることが多い。
解離性健忘をもつ人はしばしば,自分の記憶の問題に気づかない(または部分的にしか気づかない).多くの人,特に限局性健忘をもつ人は,記憶欠損の重大さを過小評価し,それを認めるよう促されると不安になることがある.系統的健忘の人は,ある特定領域の情報についての記憶(例:その人の家族や、特定の人物や、小児期の性的虐待に関するすべての記憶)を失う。持続性健忘では、新しい出来事が起こるたびに、それを忘れてしまう。
「米国の地域研究での成人を対象とした小規模研究において,解離性健忘の12カ月有病率は18%(男性10%,女性2.6%)であつた。」← これはDSMに記載された有病率として引用させていただこう。というのも日本での統計はまだまだ不十分だからだ。
症状の発展と経過
全般性健忘はわが国では従来全生活史健忘とも呼ばれていた。その中でも臨床的に注意が喚起されるのが、従来解離性遁走と呼ばれていた全生活史健忘である。その発症は通常は急激であるため社会生活上の混乱を招くことが多い。典型的な例では仕事でのストレスを抱えていた青年~中年男性が通勤途中で行方が分からなくなり、しばらく遠隔地を放浪したり野宿をしたりして過ごす。数日~数ケ月後に警察に保護されたり自ら我に帰ったりして帰宅することになるが、その際自分に関する全情報を失っていることすらある。帰宅後も家族や親を認識できず、社会適応上の困難をきたすものの、記憶の喪失以外には精神症状はなく、徐々に社会適応を回復していく。過去に獲得した技能(パソコン、自転車、将棋など)や語彙などは保たれていることも多く、それが適応の回復に役立つことが少なくない。なお遁走していた時期の記憶が回復することは例外的と言える。症例はそれ以前に解離性の症状を特に持たなかったことも多く、別人格の存在も見られないことが多い。(ただしDIDにおいて特定の人格が一時期独立して生活を営んでいた場合も、その病態がこの全生活史健忘に類似することがある。)
解離性遁走に見られる一見目的のない放浪がともなわない全生活史健忘もある。また短期間に見られる解離性健忘は臨床的に掬い上げられていない可能性もある。また一時的にストレス状況、例えば戦闘体験や監禁状態に置かれた際に生じた健忘は比較的短期間で回復することも少なくない。
疫学その他
「解離性健忘に先立って何らかのトラウマやストレス体験が生じていることが多い。戦闘、小児期の虐待、抑留などの単回の、ないしは複数回のトラウマが関与している可能性がある。解離傾向などの遺伝的な負因も関与している可能性がある。なお高度に抑圧的な社会では文化結合症候群などに結びついた解離性健忘に明確なトラウマが関与していない場合がある。」
鑑別診断
正常の健忘:軽度の想起困難や幼児期早期の出来事の想起の健忘は正常時に起きうる。しかしそれらの健忘の対象が重大な人生の出来事や、高い心的ストレスやトラウマに関することではない。
PTSD,ASD:これらにおいてはトラウマ的な出来事の記憶が断片的となったり健忘されたりする場合がある。その際フラッシュバックや鈍麻反応などの診断基準を満たす場合には、解離性健忘の診断はそれに付加される形となる。急性ストレス反応の症状もとストレス因となった出来事に対する一時的な健忘を含むことがある。これらの健忘は時間がたてば部分的に回復することもある。
神経認知障害群: いわゆる認知症に伴う健忘の場合は、健忘はその他の神経学的な所見、すなわち認知,言語,感情,注意,および行動の障害の一部として生じる。埋め込まれている。解離性健忘では,記憶障害は本来自伝的情報についてであり,知的および認知的機能は特に障害されないことが特徴である。
頭部外傷後の健忘: 頭部外傷により健忘が生じることがある。その特徴としては,意識消失,失見当識,および錯乱,等が見られることである。さらに重度の場合には,神経学的徴候(例:神経画像検査における異常所見,新たな発作の発症または既存の発作性疾患の著しい悪化や視野狭窄,無嗅覚症)が含まれる。
てんかん: てんかんの人は,発作中,または発作後に引き続く健忘に伴う形で、無目的の放浪などの複雑な行動を示すことがある。解離性とん走の場合はより目標指向的で,数日間~数か月間続くことがある。
解離性健忘の治療
トラウマの治療一般に関しては、Hermannのトラウマからの回復の3段階という概念が参考になる。それらは①安全や安定の確立,②外傷記憶の想起とその消化,③ 再結合とリハビリテーションである。解離性健忘の治療もおおむねこの路線に沿うことができる。
第 1段階 :安全や安定の確立 解離状態にみられる不安や恐怖を和らげ, 安心感や安定感をもたらすことが中心となる段階.まずは生活環境を安全なものとする. ケースによってはこのような「居場所」の確保が発症とともに治療において も重要な要素となっている.
第2段階 :外傷記憶の想起とその消化 自らの外傷記憶に向き合い,それにまつわる不安や恐怖を和らげ,それを克服するこが中心となる段階。第1段階がある程度達成されれば,次に過去の出来事を消化する作業が必要になる.症候的にも安定しないような状態や治療者 との信頼関係がみられないような状況では,この段階に着手することは困難である。それがある程度克服できた段階で徐々に過去の出来事について周辺領域から話題にすることもよいであろう。ただし解離性健忘の場合、この想起が不可能な場合が多く、治療者や家族はそれを強いるべきではない。しかし過去の生活歴が当人の目に触れないようことさら周囲が気を遣うことも治療の妨げとなる可能性がある。あくまでも本人の想起したいという意欲に沿う形で周囲が協力するのがいいであろう。
個人年表づくり
当人の社会復帰に応じて、当人の過去の生活歴の中で知っておいたほうが適応上好ましい出来事は、知識として獲得したほうがいい場合がある。本人の通った学校やそこでできた友達、当時はやっていた事柄、社会状況などについては、当人が抵抗を示さない限りにおいてはリストアップし、年表を作ることも助けとなる。またその過程で自然と想起される事柄もあるであろう。ただしその際に不可抗力的に過去のトラウマ的な出来事が想起された際はそれに応じた治療的な介入も必要となろう。
第3段階:再結合とリハビリテーション 日常生活における不安や恐怖を克服し,常生活に積極的に関与する段階.この段階はこれまで不安や恐怖によって避けていた常生活の範囲を次第に広げ,様々なストレに対して うまく対処することができるようになる.全生活史健忘の場合、当人の社会的な能力は保たれていることが多く、特に過去に獲得して失われていないスキルや能力を活用して社会復帰につなげる努力はむしろ重要であろう。