ところで、このテーマで同様のことを昔書いていることを思い出した。以前「精神分析新時代」(2018)という本に所収したこの文章、実はこのテーマにぴったりだった。もちろんコピペするわけにはいかないが、要約して掲載してみよう。
前田正治、金吉晴偏:PTSDの伝え方 ― トラウマ臨床と心理教育 誠信書房、2012年 に所収
解離治療における心理教育
1. なぜ心理教育が重要なのか ― 診断および治療方針を惑わす要素
解離性障害が含みうる症状が幅広いために、それを全体として把握することが難しいという事情は、医療の専門家にとっても同様である。実際に神経内科や一般内科において明確な診断に至らないことがきっかけとなり、最終的に解離性の病理が同定されるケースも多い。
解離性障害を専門に扱うべき精神科の領域においてさえも、この障害は十分に認識されてこなかった。現在私たちが解離性障害として理解している病態が古くから存在していたことは疑いない。しかしそれらがヒステリーの名と共に認知されていた時代は著しい偏見や誤解の対象とされてきた。
20世紀になり、統合失調症が大きく脚光を浴びるようになると、解離性障害はその存在自体が過小評価されたり、精神病の一種と混同されたりするようになった。昨今の「解離ブーム」により解離性障害に新たに光が当てられ始めているが、その診断はしばしば不正確に下され、統合失調症などの精神病と誤診されることも少なくない。
なお我が国は国際トラウマ解離学会の日本支部が機能し始めたが、その啓蒙、教育活動の範囲はまだ限られている。
神経学的な疾患を示唆する身体症状をともなうこと
解離性の症状の中でも転換症状は、しばしば精神科医と神経内科医の両方にとって混乱のもととなっている。その一つの典型例は癲癇である。脳波検査で異常波を示す患者も転換症状としての発作、すなわち偽性癲癇を来たすこともまれではない。また偽性癲癇の患者の50%は真正の癲癇を伴うという報告もある(Mohmad,
et al. 2010)。
幻聴などの精神病様の現われ方をすること
解離性障害のもう一つの問題は、それがしばしば精神病様の症状を伴うために、診断を下す立場の精神科医の目を狂わす可能性が高いということである。DIDのケースでは、時にはかなり声高に他の人格との会話を行う場合がある。その際は傍目には統合失調症にしばしば見られる独語ないしは幻聴との応答と見受けられることが多い。そしてそのような様子を観察した精神科医が、その声の由来が幼少時にまでさかのぼるかどうかにまで質問を及ぼさずに、早計な診断を下してしまうことはまれではない。患者の病歴で精神科への緊急入院の措置がとられたり、医師の診察後に大量の薬物が処方されていたりする際は、そのような誤診がなされた可能性は濃厚となる。
結局DIDの場合には、それが統合失調症と混同されることを積極的に回避するのは多くの場合患者自身なのである。患者の一部は、最初は幻聴を誰でも体験している自然な現象であると思い込み、それを他人に話すことに抵抗を覚えない。しかし次第に多くの人がそれに違和感を持っているらしいことに気づき、また統合失調症であるとの誤解を招きやすいことも知り、それらの幻聴の存在を隠すようになる一方では、解離性障害の治療経験を持つ治療者を、著作やネット情報を頼りにして自ら探し出すという場合も少なくない。
詐病のような振る舞いをすること
解離性障害のもう一つの特徴は、その症状のあらわれ方が、時には本人によりかなり意図的にコントロールされているように見受けられることである。そしてそのために詐病扱いをされたり、虚偽性障害(ミュンヒハウゼン症候群)を疑われたりする可能性が高い。ある患者は診察室を一歩出た際に、それまでの幼児人格から主人格に戻った。その変化が瞬間的に見られたために、それを観察していた看護師から、患者がそれまでは幼児人格を装っていたのではないかと疑われた。一般に解離性障害の患者は、自分の障害を理解して受容してもらえる人には様々な人格を見せる一方で、それ以外の場面では瞬時にそれらの人格の姿を消してしまうという様子はしばしば観察され、それが上記のような誤解を生むものと考えられる。
病気の説明を治療者側もうまく出来ないこと
臨床家は心理教育を行う際に、精神医学的な疾患概念について、たとえ話や比喩を用いることが多い。例えばうつ病であれば「ストレスによる心の疲れ」とか「過労による体調不良」、「精神的な疲労」などの表現が、漠然とうつ病の姿を描き出す。統合失調症やその他の精神病状態の場合は、「非現実的な思考や知覚を強く信じ込み、独自の世界にとらわれてしまった状態」などと表現できるだろう。マスコミなどで「~(著名人の名前)は時々不可解なふるまいがあったが、とうとうコワれてしまった」などという表現を見かけるが、これも一般大衆から見て直感的にその状態をつかむことの助けとなる。また神経症一般については、「気の病」「神経質」「心身症」などの表現がなされ、多くの人が自分の日常心性をそれに重ねることが多い。
ところが解離性障害の場合、それに該当するものがあまり考えられない。しばしば用いられる「知覚や思考や行動やアイデンティティの統合が失われた状態」(ICD, DSM (American
Psychiatric Association, 1992)の定義)という説明も、一見わかるようで今ひとつ説得力に欠けるようにも思える。それに加えてDIDのように複数の人格が一人の中に存在するという現象は、それ自体が常識を超えていて荒唐無稽に聞こえてしまう恐れがある。そのことが解離性障害を理解し、説明教育を行う上での大きな問題となりうる。
民間療法とのかかわりから生まれる誤解
解離性障害は一般の精神科で診断や治療の対象となる以外にも、民間機関における「治療」やヒーリングの対象となることが多い。とくにDIDの場合、異なる人格の存在が一種の憑依現象や悪霊の仕業とみなされ、家族が除霊、浄霊ないし呪術的な施術へとつなげる傾向にもある。時にはそれらの機関を訪れることが精神科への受診に優先されることも少なくない。このことは一見時代錯誤的に思えるかもしれないが、現代医学が進んだ私達の社会には、今なお数多くの宗教やその信者達が存在する。そして彼らが宗教的な救済や癒しを求めるプロセスで、それらと連動して存在するスピリチュアルな「治療」に踏み込むことは決してまれではない。
もちろん霊的な治療が無効であると決め付けることはできない。解離性障害の治療とは異なるが、イタコの口寄せの、病死遺族に対する治療効果に関する精神医学的な学術発表もある(2010年8月14日、 読売新聞)。しかし時には営利目的の民間療法が宗教的、ないしは科学的な体裁をまとったヒーリングの手段として患者を待ち受けている場合も少なくないのである。
他方で催眠療法はそれなりの歴史を持ち、解離性障害を治療の対象のひとつとしているが、その手法の中には上述の霊的な療法と紛らわしいものも少なくない。特にいわゆる退行催眠や前世療法 (Weiss,1988) については、それが霊的なヒーリングと混同されるべきではないという警告は、催眠療法家の一部からも聞かれるのである。