2019年4月18日木曜日

ある前書き

ある本の前書きを書いたが、いろいろな配慮から、ほとんど伏字にせざるを得ない。


精神分析と ●●●● 臨床【仮】
富●●(編著)チ●●、オ●●、フ●●他著。

本書の編者である●●先生は、その研究の成果を次々と海外に発信しておられる、まさに国際派の精神分析家である。その先生が広い人脈を生かし、米国の著名な精神分析家たちと一緒に幅広いテーマに関する論考を集めたものが本書である。
常々思うことだが、精神分析の世界は、いつの時代にも二つの立場に分かれる傾向にある。患者の苦悩に向き合うのか、それとも患者の心の探究に向かうのか。前者においては患者は様々な挫折やトラウマを体験し、多かれ少なかれ苦しみを抱えて治療に訪れることを前提とする。治療者もそれに対して全人的なかかわりをおこなう。患者を苦しみから少しでも救い出すことは治療的なかかわりの大きな目標の一つと見なされるだろう。ところがそうすることはともすれば、心の探究者としての分析家にとっては本来的な分析の作業とはみなされない傾向にある。精神分析において患者の苦悩が癒されても、それは「歓迎すべき副産物」としてしか扱われかねない可能性があるのだ。
本書を執筆する●●氏、●●氏、●●氏はいずれも苦悩する人々に向き合う治療者として私の目には映る。ニューヨークにおける9.11事件により提起されたトラウマとテロリズムの問題、パラノイアと原理主義の問題、そして著者たちにとってなじみ深い米国とわが国との間に生じた忌まわしく悲しい過去の問題。さらにはそれらの考察から浮かび上がってきた重要なテーマとしての倫理性の問題。彼らはまた、苦悩する人間としての自らの体験を惜しげもなく自己開示している。
私は精神分析は心の探求をする営みであってよいと思う。そこでは転移、逆転移、伝統的な精神分析の枠組みが依然として重要な意味を持つ。ただ100年以上の歴史を持つ精神分析が人間の苦悩について論じ、それを軽減する方向性を模索することもまた重要な使命であるとも思う。そしてフロイトも最初はそれを「症状の軽減」という形で目指していたはずなのだ。
本書の著者たちが扱っているもうひとつの現代的なテーマは、現代の精神分析の世界の多様化であろう。その中でも人と人との対等な関わり合い、その際の倫理的な配慮といった観点は間違いなくその重要さを増している。しかし同時に過去の哲学的な資産を掘り起こし、精神分析理論をさらに豊かにするような作業をも含む。ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、ディルタイ、ビンスワンガー等の哲学的な業績を縦横に論じる●●氏、●●氏の章にそれは顕著に表れている。彼らは人と人とのかかわりを本格的に論じたのは決して精神分析が最初ではないという事を気づかせてくれる。精神分析的な思考の原点は何もフロイトだけではないという発想。これも本書を紐解くことで得られる貴重な教えである。

(中略)


本書を一読することで現代の精神分析が過去の知的遺産から人類の未来までをも見渡しているという事を実感していただきたい。